笑いの発信源は天使の唇だった。品のない笑い方とは違って声は透き通り鈴の鳴るような心地のよさがあるのと同時に、焼きつけられているような強烈な何かを感じる。言葉にすることが難しい感覚だった。異様な笑い声をあげていた天使が落ち着いて静かになれば、わなわなと震えだした父親の天竜人がでかい声と共に麦わら屋の方に発砲する。天竜人に手をかけただの、外へ逃げろだのとパニックが起こり、我先にと醜く押し合いながら蜘蛛の子を散らすように逃げていった。憲兵隊が駆け付けて麦わらに襲いかかろうとしたが、そのタイミングで麦わらの一味も暴れだしてひどい有り様だった。大将が来る前に撤退するのもありだが、これじゃあどうせ共犯として報告されちまうだろう。だったらこの気に乗じてやることは一つだ。
 クルーに軽く目配せをしてから走り出す。面倒な連中を切り捨てて、舞台上へと進む。そこには天使がいる。見目がかなりいいだとかそういうこともないとは言わないが、能力者だとしても天使というものの生態は気になる。あの羽根はどう生えている? 他の部位は人と同じなのか? 観察し、能力でバラしてみたら面白そうではないか。麦わら屋が暴れなければ、こうして奪いにもいけなかっただろう。唇が笑う。ああいう馬鹿は悪くない。


「!」


 同じ考えを持ったのはおれだけではなかったらしく、手錠で繋がれた天使をおれよりも早く担ぎ上げているやつがいた。ユースタス屋の野郎……お稚児趣味があったとはな。そんなふうにからかってやってもよかったが、天使を奪うのが先決だ。こちら側にやってきたユースタス屋と対面する形になった。どうやらユースタス屋もおれの目的を理解したらしい。


「ユースタス屋、そいつを寄越しな」

「ざけてんじゃねーぞ、こいつはもうおれのもんだ」


 ばちりばちりと視線を飛ばしあう。お前のとこの船には似合わない、お前のとこの方が似合わねえ、うちにはベポといればマスコットキャラくらいにはなるだろ、と低レベルな言い争い。おれらしくもない。睨みあっていると、肩に抱えあげられていた天使が羽根を震わせてまた笑い出した。どうやらディスコの言っていた通り、本当に神経は通っているようだった。


「ひひ、なんやそれ、あかん、おもろすぎるわ自分ら!」


 ひいひいと息も絶え絶えに笑う天使は、変わった話し方をしている。どこぞの国の言葉なのだろうが周りにはそういう話し方をしている人間はいないのでわかりはしない。天使は楽しげにしていたが、ふと目を細めて舞台上へと視線を向けた。シャルリアと呼ばれていた天竜人が人魚へ手を出そうとしていた。いくら騒動の引き金になったからとはいえ、買ったものをその場で射殺しようとするあたり、改めてどうしようもないやつらなのだと思わされる。天使のため息が聞こえた。何を考えているのかは知らないが、想像していたような性格でない事だけはたしかだ。
 天使の羽根が動く。一瞬のうちに狙いを定め、弾丸のようにシャルリアに撃ち込まれた。しかしその羽根が到達するよりも早く、シャルリアはがくんと倒れた。倒れたおかげで羽根はシャルリアに刺さる事はなかったが、その奥にあった幕を簡単に引き裂いた。ヒュウ、とユースタス屋が口笛を吹く。


「ホラ見ろ巨人君、会場はえらい騒ぎだ」


 世間話でもするように老人と巨人が会場へと入ってくる。ぐび、と酒を呷った老人はこちらを一通り見渡し、知り合いを見つけると楽しそうな顔をした。状況を理解したらしく、一人で話し、一人で頷き、麦わら屋たちに視線を合わせる。麦わら屋たちはこれといった反応を示さない。どうやら知り合いではないようだ。……普通なら、おれたちの方が知っているだけで、向こうは知らないんだろうが、麦わら屋は話題に事欠かねえし、見るからに周りを気にしているようなタイプでないのであの老人を知らなくても当然か。


「お前たちが助けてくれたのか──さて……」


 ばたばたと人が倒れていく。……覇気か。おれとユースタス屋のとこのクルーは大丈夫そうだった。それから、天使も。天使はさっきとは打って変わってつまらなそうな顔をして老人のことを見ていた。老人はこちらの様子に気づくこともなく、麦わら屋に会いたかっただの人魚の女を助けたりだのと老人はこの場の空気を完全に支配していて、好き放題やりたい放題だ。事態がようやく落ち着くと老人はおれたちに視線を向け、目を丸くした。


「なんだなんだ、男に抱かれてるのかキミは。妬けるね」

「言い方が気色悪いんじゃジジイ、頭かち割ったろうか」


 ビッといきおいよく中指を立てた天使は、ユースタス屋の背中を蹴りつけて腕から脱出した。だせえ、と笑えば、ユースタス屋に睨みつけられた。天使はそのまま羽根で音もなく飛んでいき、老人──冥王、シルバーズ・レイリーの顔面に蹴りを噛ます。冥王はなんなくその足を受け止めて、そのまま自分の肩に座らせた。天使もそのまま腰を下ろして、すぐに口を開いた。


「それにしてもレイリー、見とったか? おもろいなァ、最近のルーキーどもは」

「見えているわけがないだろう。今まで私は裏にいたんだぞ?」

「ああ、せやったわ。ん……? おどれ、金盗んだやろ」

「おお、よくわかったね。これもキミの愛かな」

「アホなこと言うな、金が臭うんじゃクソジジイ。そもそもな冗談も大概にせえやワレ、そろそろわしもほんまにどつくで」


 さきほどのように暴言を吐いて、とても女がしてはいけないような顔で冥王を見る。どうやら冥王と知り合いのようだが、冥王からの一方的なラブコールのようだ。その光景を見て、というよりは見せつけられて、ユースタス屋もおれも苦い顔をしている。冥王が相手だというリスクを冒してまで、天使を奪う価値はあるのか。麦わら屋ほどまっすぐに馬鹿をやれるわけもない。


『犯人は速やかにロズワード一家を解放しなさい!! 直、“大将”が到着する。早々に降伏することをすすめる!! どうなっても知らんぞルーキーども!!』


 拡声器越しに聞こえてきたのは、おれらまで共犯扱いする声だった。迷惑っちゃあ迷惑なことだが、別段気にするような事でもない。新世界で暴れりゃあいずれはぶつかる相手だ。ただ、現時点で戦闘をする気はまったくないが。ユースタス屋は、鼻で笑うとビシッと天使を指差した。


「おい、てめーはもうおれんとこのクルーだ。一緒に来い」


 ……こいつ、冥王がいるのに言いやがった。冥王も、天使もまばたきを何度も繰り返して驚いている。そうしてあのときのようにひいひいと息が切れるまで笑う。格好つけただけの事はあってさぞやユースタス屋は恥ずかしいだろう。そう思っておれも笑えば、横から拳が飛んできた。それを難なくかわしながら、おれも天使に声をかける。


「天使、ユースタス屋のとこはやめとけ。うちにしろ。うちならクマもいるぞ」

「勧誘の仕方間違ってんだろてめェ」

「女ってのはおまけに弱ェんだよ」


 おれらがくだらない会話を繰り返している間にも、天使の笑い声は悪化していく。どれほどツボにハマっているのか知らないが、ひどく楽しそうな笑い声だった。ばしりと天使の頭を叩いた冥王は、軽くため息をついてまずはここを抜けるべきだと提案した。たしかに大将が来るって時にこんなことしてる場合じゃなかったな。ユースタス屋はまだ天使のことを見ていたが、天使はにこにこと笑うばかりだ。冥王がそんな天使を見て、にこりと笑う。


「そんなに機嫌がいいなら外の掃除をお願いしたんだが、構わんかね?」

「んん、ま、ええで。ジジイには辛い作業やろ。んで、そっちの兄ちゃんら、名前は?」


 冥王の肩から飛び立った天使は空中を悠々と旋回しながらそう聞いた。十中八九おれたちのことだろう。天使!? すげー! だのと麦わらの一味が言っているのをバックに、おれとユースタス屋が答える。名前を聞いて、天使はぴたりと動きを止め、こちらを向いて笑った。


「ほんなら、まず自分らがこの島から生きて出てることを条件に乗船も考えたるわ」


 随分上からの発言だったが、それに気を悪くするどころかおれもユースタス屋も笑みを深くするばかりだ。嬉しい誤算だった。天使はそのままではとても使えないようなひ弱だと思っていたのだが、もしかしたらこの性格と冥王に先陣を任される腕があるとすれば即戦力としても使えるかもしれない。


「わしゃあリュツィ、忘れたらあかんで」


 天使──リュツィはにたりと悪魔のように笑った。


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