声を発したら殺される──一瞬でもそんなことを思わされるほどに圧倒的な殺気がマリンフォード全体に纏わりついていた。その殺気の発信源はリュツィである。底冷えするような目をして、処刑台の上から白ひげの一団を見下ろしていた。先ほどまでの笑みはない。いつもならにやにやとした笑みを張り付けるばかりの美貌は、人形のように表情をなくしていた。


「──どういうことや」


 声が聞こえ、一瞬の緊張が弛緩する。禍々しくへばりつくような殺気は消えていないがおのれに向けられているわけでもなく、ただ漏れ出しているだけだったことが幸いしてわしは既にいつも通りに戻っていた。しかしあの殺気をはじめて受けるものにとっては、おのれに向けられていなくても辛いものだろう。あれはまるで自分が獲物になってしまったかのような気分に陥らせる。リュツィは口を一文字に結び、言葉を発することをやめてしまった。
 誰もが動かない。何故白ひげたちの大艦隊が来たのか、それすらわからず、ただただ睨みあいになる。そのうちに膠着した時を動かすかのようにモビーディック号も現れた。何故、どうして。ここにいるのはリュツィであって、エースではないと言うのに。白ひげの姿が見えて、センゴクのやつの声が聞こえた。


「白ひげ……! 何故来た! お前の目的はなんだ!」

「うちのエースの救出……だったんだがなァ、“無貌”が監獄の中に置いてきてくれたみてェでな、ここまで来たついでにインペルダウンでも襲ってやろうかと思ってたら、てめェら面白ェ見世物がやってるみてェじゃねーか」


 たまたま立ち寄っただけ、とでも言いたげな口ぶりだったが完璧に武装をしている連中のその言葉を信じているものもいなかった。本当に何故白ひげたちはやってきたのか。わしらがそれを理解することなどなく、リュツィも真意を理解していないようで、眉をすこしだけ寄せて不機嫌さをあらわにしているようだった。


「白ひげ、わしゃあおどれに連絡を入れたはずやな? エースの無事は知らせおったし、信用できんのならここから放送される映像を傍受して確かめろとも言うたはずや。せやったら来る理由がのうなったとわしは思うんじゃが……どういうことか教えてくれへんか?」

「あァ、確認した。ここにエースはいねェようだな」

「ほー、ほんなら何しに来たんや? ……まさかわしを助けに来た、なんておもろない冗談ぶちかますわけとちゃうよなァ?」

「よくわかってんじゃあねェか」


 その言葉を発した途端、リュツィの顔が歪む。苛立ち、不快感、怒り。そういった感情を滲ませて、殺気を鋭く尖らせた。白ひげに対してだけ殺気を送っているというのに、それだけでマリンフォードの空気は重くなる。海兵たちの中には膝をつくものもいた。それほどまでにリュツィの殺気は恐ろしく、どす黒く悪意をぶつける覇気があるとすればこういうものになるのだろうと容易に推測することができた。リュツィはまっすぐに白ひげを見つめたまま、ゆっくりと口を開く。


「心底不愉快だ、エドワード・ニューゲート。……殺したくなってきたよ」


 発した声は大して大きなものでなかったのにも関わらず、ざわついた喧噪を引き裂くかのように各人の耳に届いた。冷たすぎて火傷するような、首に刀を押し付けられているかのような、そんなおそろしい声だった。遠くの大艦隊にまで届いたのか、白ひげの連中も一斉に口を閉ざして武器を構えた。けれどそんなことに動揺する余裕もなく、わしは駆け出した。まずい。プライドが傷つけられたせいか、リュツィが本気になってしまった。仮にリュツィが本気を出してしまえば、処刑台まで行ったところで一方的な蹂躙が始まることだろう。それでも行かぬよりはわずかでも被害を減らせるはずだ。
 処刑台に駆けのぼったところで、リュツィがにっこりと笑みを作っていた。いつものようなにやにやとした笑い方ではなく、背筋をゾッとさせるような笑みだった。先ほどの言葉に似つかわしくない、とても明るい笑みでリュツィはとんでもないことを言ってのけた。


「よしセンゴク、おれと協力しないか?」

「なんだと……? 貴様、何をたくらんでいる!」

「企むだなんてとんでもない! ここで白ひげの大艦隊を全員殺そう。生きながら晒し首にしたり海王類に食わせたりして阿鼻叫喚するやつらを完膚なきまでに虐殺する映像を世界中に流して他の海賊たちに恐怖を植え付けよう! 海軍はやらなかっただけで本当は機会さえあれば四皇だって簡単に殺せるんだってところを見せつけてやろう! 大丈夫、おれも手伝ってやるよ! ほら、共同戦線と行こう! 今日を素敵な日にしようじゃないか!」


 朗らかで明るく、はきはきとした声色とは反対に、言っている言葉はまともな思考であるとは思えない。海軍と手を組み、白ひげたちを殺そうと言う。しかも助けにきたと言った相手をだ。普通じゃあない。その証拠に目は少しだって笑っていなかった。白々しく芝居がかっていたのも怖気を誘う原因になりえている。
 だからあんなやつ助けに来る必要なんかなかったんだ! そういう声が大艦隊の方から響いてくる。ロジャーにやられたやつらも多く在籍している白ひげの大艦隊にとって、リュツィは仇敵、仲間の仇とも言えるだろう。そいつを助けにきたらそいつに殺されるだなんて、とんでもない話だ。けれどセンゴクだってそれを簡単に認めるような馬鹿ではない。リュツィが信用できないのは海軍にとっても同じなのだ。


「本気で言ってるのか、お前は……」

「本気も本気だ。……なんだ、文句があるのか? なら、海軍のやつらも殺して行こうか」


 リュツィは濁りきった目をしてまっすぐにセンゴクを見つめている。その目を見ているだけで狂ってしまいそうなほどに悪意がはっきりと見て取れた。リュツィは、本気だ。海軍に与えられた選択肢は三つだ。リュツィに協力して白ひげの大艦隊を根絶やしにするか、白ひげと結託してリュツィを潰すか、どちらとも手を取らず泥沼の三つ巴をするか。三つ巴を選べば絶大な被害を被り、しばらくの間海軍はまともに機能しなくなるかもしれない。しかし白ひげと結託してリュツィを潰そうとすれば、白ひげの艦隊よりも近くにいる海軍から先に潰される恐れが高い。そう考えれば間違いなくリュツィと組むのが一番なのだ。本来の目的であった白ひげを除去し、海軍は深手を負うことなく任務を終えられるかもしれない。しかし、リュツィと手を組んだところで、こちらも無事に済むとは思えなかった。
 センゴクは決断を迫られる。選ばなければ白ひげが先か、リュツィが先か、とにもかくにも誰かが攻撃を仕掛け始めることは間違いないだろう。そうなったら止められない。止められるはずもない。できることなら白ひげたちが逃げてくれることが一番だったが、白ひげが敵から背を向けて逃げるわけがないのだ。


「やめろ!! 親父はなんにも悪くねェんだ!」


 一触即発、と言った空気を壊したのは、エースの声だった。どこから聞こえてきたのかわからず視線をさまよわせれば、一隻の軍艦がこちらへ向かってきているのが見えた。船首に立ち、拡声器用の電伝虫を使っているようだ。大艦隊の連中はエースが帰ってきただの、よくインペルダウンからだのなんだのと嬉しそうだ。わしもエースが脱獄してきたことは、海兵としては許されないことだとしても嬉しかった。……無事だった。たとえ大罪人の血を引いていたとしても、おのれが海兵であるとわかっていても、涙腺が緩みそうになる。


「おれが“無貌”を助けに行くっつったから! 親父たちは……っ! ごめん、みんな! ありがとう……!」

「エース!」

「お前が生きてりゃあいいんだよ! 馬鹿野郎!」


 それが最悪の海賊同士でなければこれほどまでに感動的な再会は早々ないだろう。大艦隊からも涙ぐんだ声が聞こえてくる。しかしリュツィと言えば、綺麗な顔をこれでもかと歪ませていた。ひどい顔だ。それでも元がおそろしく整っているため、それはそれでアリなどと考えるやからも多そうだ。リュツィは近くの人間にしか聞こえないくらいの音量でぶつぶつと言葉をつぶやいていた。


「マジで意味わかんねえんだけどなんでこっち来ちゃってんのおれがわざわざしたことってなんか意味あったわけ白ひげのやつがエース心配してきたのはまだわかるけどエースってなんなのロジャーの血ってマジ空気読めないにもほどがあんだろあー本当に信じらんねえありえねえやってらんねえさすがクソだわロジャーの息子うっわねえわだっる最悪」


 内容は聞けば聞くほど可哀想なものだった。お前のしたことは意味があったぞ、と海軍のものとしてはかけられない言葉を飲み込んだ。いまのところ大きな戦争も起きていないし、エースが助かったのは間違いなくリュツィのおかげと言っていいだろう。しかしとてもそんなことは思えないようで、消えたい、などとつぶやき始めた。知らん相手ではないし、というか、それなりによく知っている相手だ。海賊だがリュツィが心配になり、恐る恐る声をかける。


「リュツィ……? だ、大丈夫か?」

「ああガープやん……あんなァ、悪いけどな、こりゃあもうあかんで、やる気のうなったからわし帰るわ、あとよろしくな」


 はあ、とため息をついたリュツィは疲れ切った顔をしていた。ひらひらとわしに手を振って背を向け処刑台から立ち去ろうとして、センゴクに腕をつかまれる。どこへ行く! お前のせいだぞ! などとセンゴクが怒鳴れば、喧嘩売っといて帰れると思ってんのか、ふざけてんじゃねーぞ、などリュツィにヤジが飛ぶ。海軍からも大艦隊からもブーイングを受けて、しまいにはエースの乗ってきた軍艦から騒ぎ声が聞こえてくる。リュツィさーんだの、待てよ“無貌”まだ礼がだのとうるさい声だ。リュツィはそれらの声を一斉に受け、大きなため息をついてからとても綺麗な笑みを作って声を発した。


「おい三大将、おどれら暇やろ。一発お見舞いしてこいや」



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