「──む、“無貌”……!」


 “無貌”は悪名を世間に轟かせる海賊の一人だ。冷酷で残虐で無慈悲で。神がいないことを証明するかのごとく、人間を絶望させて殺して殺して殺して殺すような男として知られている。“白ひげ”のようにその力で縄張りを作ることもなく、“海賊王”のように畏敬を表されることもなく、なんとなく人類を蹂躙するだけの畜生。その能力は非常に高いが謎に包まれており、二つ名が表すように、一定の姿を持たない顔の無い男として世間には知れ渡っている。しかし噂ではそのどの姿も美貌であると言われていた。天使のような幼子、貴公子のような青年、騎士のような老年。そして一番に有名な、手配書に載せられた写真の姿が、悪魔的な美貌を持つ壮年の男の姿である。海賊をやっていて、その男を知らないものはいない。
 船を進めていたら無線から“無貌”が現れたなんてそんな恐ろしい言葉が聞こえてきて、私が怯えるのは当然の反応だった。先ほどまでバギーの喝により、白ひげがなんだ、海軍本部がなんだと言っていた脱獄囚たちも言葉を失って震えあがるほどだ。興奮が一気に冷めていった、そんな空気を感じる。


「“無貌”? なんだそれ」

「麦わらお前……」

「何にも知らんのか、お前さんは……」


 大海賊時代よりも前を少しでも生きていたやつなら誰もが怯える忌まわしい男だと言うのに、今時のルーキーはそんな伝説を知らないのかと一瞬思ったが、どう考えてもこいつがおかしいだけだろう。ジンベエたちも残念そうな顔をしている。実際、昔は誰もが怯えていたのだ。喧嘩を売れば殺されることは確実で、もしかしたら隣に立った人間が“無貌”かもしれなかった。ずっと仲間だと思っていた人間が明日には“無貌”と入れ替わっているかもしれないのだから。しかしいつからかぱったりと噂を聞かなくなり、忘れていたのだ。せっかく地獄から抜け出したと思っていたのにこれではやっていられない……!


「……ルフィ、おれを助けてくれたやつだ」

「そうだったのか!」


 火拳がそう答えるが、周りにはどよめきが走った。たしかに看守どもにバレないようにインペルダウンに侵入し、尚且つ火拳のふりをして出ていくことができるとしたら、伝説と謳われる男くらいなものだ。しかし、誰も“無貌”だとは思うまい。火拳を助ける理由など“無貌”にはないではないか。“白ひげ”の傘下に下ったという話は聞かないし、もし本当にそうだとしたら大々的なニュースになっているはずだ。


「おい火拳、もしかしててめェ、ロジャー船長の息子じゃねェのか」


 バギーがいきなりそう言葉を発して、火拳の肩がびくりと震えた。かなり断定的な口調であったことにも驚いたが、火拳が否定することもなく驚いている様を見れば、それが事実だということは明らかだった。周りが驚きで騒ぐ中、なんで知ってやがる、とぽつりとこぼした火拳は苦虫を噛み潰したような顔をしている。バギーは理解したような顔をして頷いていた。


「それなら納得だぜ」

「何が納得なんだ?」

「……“無貌”は、ロジャー海賊団の戦闘員だった男だ。かつての仲間の息子が危ねェから助けに来たんだろう」

「あの人は仲間思いだからなァ」


 ボスが麦わらに“無貌”についてを教えてやると、バギーのやつがうんうんと頷いて一人でいる。“無貌”が仲間思い? そんな話は聞いたことがない。気に入らないやつならば片っ端から殺していくようなタイプの人間のはずだ。仲間も例外ではないと思っていたのだが、やはり噂は噂で、実物は違うのだろうか。火拳が海賊王の息子だということにまだ騒いでいる連中を放っておいて、ボスは何かに気が付いたように視線をバギーに向けた。


「おい、“無貌”について他に知ってることはねェのか?」

「あん? リュツィさんは陽気で悪戯好きな面倒見のいい人だぜ。いや〜、おれもかなり世話になったが……えげっつねェ悪戯を何度もされてな……軽くトラウマだ」


 あの人の趣味は弱いものいじめだった……。げっそりとした顔で伝えられた“無貌”の実態は世間で噂されている印象とはまるで結びつかず、誰もが引くくらい驚いている。しかし一番驚いたのは、手配書にも載っていない名前がバギーの口からもたらされたことだった。リュツィ。聞いたことのない名前。このタイミングで出たということは、それが“無貌”の名前なのだろう。


「あとは……そうだ! キャラ付けのためにわざわざハデに口調変えたりしてたな! 普通にリュツィさんが話しだしたときはマジでビビったもんだ!」

「む、“無貌”って、そんなやつなのか?」


 バギーから伝えられる情報はことごとくイメージ像を破壊していく。話だけ聞けば恐れる必要などあるのかと問いたくなるほど違っていて、困惑していくばかりだ。話を聞いただけではただの変なおっさんではないか。噂とは所詮こういうものなのか? しかし本当に変なおっさんだというだけならば懸賞金などかけられるわけもないだろうし……。
 周りの連中も困惑しているのか、イメージと違うだの、バギーの話は“無貌”のことじゃないのでないかだのと言いたい放題だった。うそつき扱いされたことが頭に来たのか、バギーが怒鳴る。


「イメージと違うって言われてもこっちだって困るわ!! リュツィさんは温厚っつーかやる気がねェっつーか、滅多に本気で戦わねェ人だし、なんならおれらがピンチになってようやく大爆笑しながら助けに入る人だったんだよ!!」


 “無貌”が大爆笑……? 手配書の顔を思い出して、どうにもこうにも納得できなかった。優れた美貌の持ち主で、とてもではないが大爆笑をするような顔立ちをしていないのである。仮に笑ったとしても悪辣な笑みであることは想像に難くない。話を聞けば聞くほど噂とのギャップがひどくなって行き、“無貌”のことがわからなくなっていく。
 誰もが混乱しているというのに火拳やジンベエ、ボス、そしてイワンコフなど大物連中は黙り込んでいた。何か思うところがあるのかもしれない。麦わらはなにも考えていないのか、おもしろいやつだなー! なんて笑ってい
る。どこが面白いのか私にはさっぱりわからない。
 でもまあ、とバギーは息を吐き出した。その顔色はあまり良いものとは言えない。


「戦っちまえばお前らが考えてる通りの人だわなァ……あの人怒らせたら、血縁仲間隣近所ひどけりゃ同国民同種族って理由だけで皆殺しだ」


 バギーは思い出しているのだろう。顔色を悪くさせ、小刻みに身体を震わせるほどに恐ろしいその所業を。ぶるり、と想像して身体が震えた。たった一人が“無貌”の怒りを買ったことで潰える国。たった一人が“無貌”を怒らせ滅ぼされる種族。残酷に、残忍に、残虐に。お伽噺や災害のように、圧倒的な力でただただ蹂躙される。


「あの人と戦った誰もが言うぜ──悪魔、ってな」



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