ふーっ今日も仕事終わったー! とおれは自分の部屋に向かって歩いていた。今日は告白ラッシュやら父ちゃんに激似の人に会ったりしたが、多分どうにかなっただろう。海軍の顔に泥を塗るようなことはしてないはず。
 そんなふうに歩いていたら、だ。おれの部屋の前に、見知らぬ男がひとり立っていた。げええええ。マジかよ……こんな時間まで勘弁してもらえませんかねえ……。ため息をつきつつ、さてどうするかと考えていると男がおれに走りよってきた。どうやらおれが帰ってきたタイミングで、無理矢理部屋に押し入ろうとする不届きものではなかったようだ。仕事の最中でもないし、いいっちゃあいいんだけど……今日はもう何があっても面倒くせえんだよなァ……。


「あ、あの、メアリさん」

「はい、なんでしょうか?」


 どもり方まで一緒かよ。司法の塔どうなってんだよ。またヤらせてください展開だったら怒るぞおれは。
 緊張した面持ちの彼は、先ほどの男よりは余程誠実そうだが、仕事先の誰かと付き合う気はないとどれほど言えばええんや? ああ? ……いや、そんなことは誰にも言っていないんだけど。告白されてお礼言って立ち去ってたからな……先に言えばよかったか。


「おれ、その、」

「おい」


 多分そのあとは告白の流れだったと思うんだが、華麗にぶった切ってくれたのはおそらくルッチさん、だった。おれの後ろから声かけてくれたんでよくわからないけど、振り返ればそこにこれでもかと不機嫌そうな顔をしたルッチさんが立っていた。CP9はこの司法の塔に勤める人たちにとっても怖い人らしく、真っ青にさせて去っていった。もしかすると昼のブルーノさんもCP9の一員なのかな。それならあの反応にも納得が行くというものだ。
 でだ、問題は、おれを見下ろすルッチさんその人だ。どうやら、助けてくれたって空気じゃあない。なんの用なんでしょうかねぇ……おれ、早く風呂に入って寝たいんだが。


「来い」

「……はい」


 いきなり歩きだしてしまったルッチさんのあとに着いていくこと数分、なんの部屋かわからないが、ルッチさんが部屋に入ったのでそれに続いて部屋に入る。まさかこの人がおれとヤらかそうということはないだろうし、もしそうなったら本気で逃げよう。逃げられない場合は……あ、やっぱ部屋入らない方がよかったかな。
 簡素な部屋にはベッドやらの調度品のほかに、ヴァイオリンがあった。見間違いでなければこの前弾いたあのヴァイオリンのように見える。この塔に専門家がいるとは思えないがもう整備から戻ってきたのだろうか。ルッチさんは険しい顔のままそのヴァイオリンを手に取ると、おれに差し出した。


「弾け」

「えーと、それは、」

「この前の曲だ。早くしろ」


 言ってルッチさんはベッドに腰を下ろして、鋭すぎる目でおれを見てくる。ああもしかして、あれかな、途中で切れちゃったから最後まで聞きたい系の人なのかな。疲れてるから嫌と言えば嫌なんだけど、前回助けてもらってるし、これは断れねえわ。
 あの時と同じようにヴァイオリンを構えて、深呼吸。弓を引くとこの前よりも随分いい音が鳴った。

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 カクにからかうような言葉を向けられてからルッチの頭の中を巡るのは、メアリという少女のことばかりだった。たしかに見目が美しいのは認めよう。顔は整い、肢体のバランスは良い。胸はほとんどないため、女らしくはないが、それがかえって幼さを助長させて危うい見た目をしている。だからと言ってルッチが好きになるわけではない。手を出す女はどれもこれも成熟し切ったものたちであるし、たかだか見目がいいくらいで気を引かれるようでは暗殺者など務まらないだろう。
 しかし、ヴァイオリンを弾かせているときだけは話が違った。今までに味わったことのない感覚がじわりとルッチを侵食するのだ。メアリのヴァイオリンから響く音が、ルッチを蝕んでいく。他に侵されることは、ルッチにとって何より耐え難いことであるというのに、この音を止める気にはなれなかった。一本のヴァイオリンで弾いているとは思えぬほどの重厚さに加え、澱みのないはっきりとした音が耳からも肌からも染み込んでいく。
 そうしてあのとき聞くことのできなかった佳境を越え、最後まで行き着いた今、ルッチは目を閉じ、口元を手で押さえ、俯いていた。


「あの、」


 控えめな声に目蓋を開け、顔を上げる。そこには当然のようにヴァイオリンを持ったメアリの姿がある。勿論、弾き始める前と何ら変わりのない姿だ。恋愛小説のように輝いて見えるなどということあるわけがない。見目美しい少女が、困ったように立っているだけだ。
 ヴァイオリンを受け取りに立ち上がって、ぺこりと頭を下げて出ていこうとしたメアリの肩をつかんだ。華奢に見えた肩は、それなりにしっかりしているようだった。そうでもないとあの働きぶりを可能にすることはできないのだろう。


「名前は」

「……メアリ、ですが」


 メアリが驚いたような顔をするのは当然だろう。何度もその名を口にして紹介しているし、聞くにしても今更過ぎたのだ。メアリは明日には海軍本部へ帰る身である。わからないのならわからないで聞く必要もないはずなのだ。ルッチ自身もなぜそんなことを聞いたのかわからなかった。けれど、これは必要だったのだ。


「メアリ」


 自分の口で呼んだ名前は、妙な響きを持っていた。メアリは困惑した顔でルッチを見ていた。どこにでもいる、どこにでもいない小娘。認めようじゃないか──ルッチはこれが欲しいのだ。戦闘以外では波立たぬ感情を無駄に揺さぶってくれた、この生き物が。


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