吾輩はメイドである、名前はもう失くした。

 簡単に言うとおれというメイドは、元々は異世界の人間だった。そんな話をしたら気の狂った人間だと思われてしまうので誰も知らないのだが、おれは日本に生きる独身三十代男性であったのは変えることのできない事実だ。ちょっと美少女オタクが行き過ぎて付き合ってた恋人にフラれたとかマジ笑えない暗黒歴史である。ただしこの世界の人間はそんなこと誰も知らないので安心して過ごせている。
 ところでそんなふうにどうしようもない人間として生きていたおれがどうして男のくせにメイドなんてやっているかというと、気がついたら知らない世界にいたからである。しかも幼児後退して。三十ピー歳であったはずのおれは五歳くらいになり、砂浜に転がっていた。近くには自分の持っていた荷物も転がっていて、中身はそのまま。スマホもノパソもPSPもDSも、全て問題なく動いた。が、受信することはできても自分から発信することはかなわなかったのである。途方に暮れていたおれを拾ってくれたのは、一人の爺様だった。亡くなった娘さんに似ていたから、というどこぞの話にありそうな理由で。おれ、男なんだけどね。
 そして何故かメイドになった。孫のように育ててくれたのだけれど、精神的に三十も超えるタダ飯食らいというのはさすがにおれの中の社畜魂が納得してくれなかったからだ。爺様はおれに新しくメアリという名前をくれた。どう聞いても女の名前であの爺様はおれのことを女と勘違いしているらしいとわかった。そんな感じで十年過ごしていたら本名を忘れた。悲しい話だ、おれはとても薄情である。

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 そんな薄情野郎は今、海軍本部に勤めている。三大将と呼ばれる三人の大将の専属メイドだ。男なのにまたメイドか。確かに顔は可愛いけども。というか宿舎でなく軍の本部にメイドなんているのか? と思わなくもないが、爺様が寿命でお亡くなりになった折に、大将をやっているクザンさんが勤め先として紹介してくれたのである。しかしまあ、クザンさんを含め、海兵というのは濃い。階級が上がれば上がるほど濃い気がするのは気のせいだろうか。悪魔の実の自然系っていうんですか、あれ本当にチートですよね。物理攻撃効かないとか戦慄するわ、こわい。
 しかしそのおかげでここがワンピースという漫画の世界らしいことはわかった。だが、生憎おれのワンピースに対する知識は男性向け同人誌で凌辱される女性キャラとほんのりのアニメの知識だけだ。知ってて良かった悪魔の実。おそらく海賊王になろうとしている主人公のル……ルヒィ? と海軍は衝突するだろうから、おそらく原作でも出ているのだろう、とは思う。どれくらいの頻度なのかはわからないし、できれば安全なところで暮らしたいのだけれど、ここってどうなんだ? 誰か教えてえろいひと。


「笑える冗談だよ、本当」

「何がでしょう?」

「いいや、別に」


 そんなこんなで現在クザンさんのところでお仕事をしていると、いきなりぼそりと呟いたから何かと思った。軽く一息入れたいだろうと思って紅茶を持ってきたのに、独り言を呟いているとは……独り言って物悲しいよね、おれも一人暮らしをしてるときはやってた。やったあとに結構心折られちゃったりして。
 紅茶を受け取ったクザンさんは、一つため息。ん? もしかして資料不足? やだ、それじゃあおれの不備じゃん。それはまずい。慌てて、でも足音をなるべく殺して部屋を出るため、一番近場の壁に向かった。そして壁をすり抜ける。──というわけで、おれも実は能力者だったりする。カベカベの実を食べた壁人間。壁にまつわるエトセトラしかできないという何とも言えない能力だ。屋内ならそこそこ実用と悪用はできるけれど、戦闘には向いていないと思う。どうせならおれもヒエヒエとかメラメラとかそういうのがよかったなー。自分の身体が氷とか炎になるってすごいし、絶対にできない経験だと思うし。……まあ壁の通り抜けも面白いけどね。
 そんなこんなで歩いて向かった先はサカズキさんの執務室だ。クザンさんの部屋とは違ってドアをノックしてからお部屋に失礼する。サカズキさんは休憩しようとしていたのか、書類を机の端に避けていた。


「メアリか、どうしよった」

「クザン様の書類に必要な資料をお貸しいただきたく伺いました」

「なんの資料じゃ」

「サカズキ様の書棚の二段目、左から五番目の資料です」

「ちいと待っとれ」


 わざわざ出してくれるらしいサカズキさんのために緑茶を入れようと給湯室に失礼する。いやー、鍵なくても入れるってのはいいね、本当。おれってば泥棒の方が向いてるかも。そして海軍に御用になるんですね、わかります。それだけは勘弁したいし、おれは普通に社会人として生きることにする。
 緑茶とお茶菓子を持ってサカズキさんの部屋に戻るとテーブルの上に置いておいてくれたらしい。おれがサカズキさんの座っている席に緑茶とお茶菓子を持っていくと、サカズキさんは受け取ってずずずと一飲み。


「うまい」

「ありがとうございます。それでは、失礼いたします」

「ああ」


 サカズキさんが出してくれた資料を片手にクザンさんの部屋に戻れば、クザンさんは何やら小難しい顔をして書類に立ち向かっていた。もうやりたくねェ面倒くせェっていう空気を感じるのはおそらく気のせいではない。それもこれもおれが資料を用意し忘れたから……なんてことになっては困るので、横に立って声をかけた。


「クザン様、サカズキ様から資料をお預かりしてまいりました」

「え、ああ、うん。ありがと」


 顔を上げて受け取ったクザンさんはするすると資料を基に書類を作成していく。……やっぱり資料不足か。これは今月の給料に響くかもしれないな……基本外食だから給料減らされると困っちゃうんだよなあ。爺様の遺産は一生でも食いつぶすような額じゃあないからいいけど、……うーん……でもそれっておれのお金じゃないしあんまり使いたくないのよね。
 すこし仕事とは関係のないところに行きかけた思考を戻して、うず高く積まれた書類の中からボルサリーノさんが今日中に終わらせてほしいと言っていた書類を探す。なんで大将の事務仕事がこんな量になるのだろう。下っ端じゃできないような仕事が回ってきてるんだよね? それにしたって多い気がするが……まあ、直接やらないおれには関係ないか。山の中から見つけ出した必要書類を出すタイミングを計る。クザンさんがさきほどの書類を終わらせ、次の書類に手を伸ばす前に持っている書類を差し出した。


「それからこちら、ボルサリーノ様が本日までに終わらせていただきたいとのことです」

「ああ、うん、先にそっちやろうか」

「はい。それではこちらをお読みいただいた上でサインをお願いします」

「はいはい」


 渡せば素早く仕事をしてくれるクザンさんは、やらせりゃあなんでもできる人だと思う。ただ壊滅的にやる気が足りないだけみたいなので、差し引きゼロどころかマイナスになっている気がするけど。昨日もいなかったしねー、でもこういう人じゃあないと大将なんて務まらないのかもしれない、ボルサリーノさんもサカズキさんもほとんど完璧超人だものね。そうしているうちにクザンさんがサインを終わらせてくれたので、おれは早速ボルサリーノさんに届けに行くことにした。勿論壁を通っての移動である。あー楽ちん。結局普段の利便性を考えたらカベカベの実でよかったかもしれない。
 廊下を歩いて向かっていると、ちょうどボルサリーノさんの後ろ姿を見つけた。歩いているところを見ると人間のサイズ感を考えさせられる身長だと改めて思う。失礼ながら後ろから声をかけさせてもらう。


「ボルサリーノ様」

「ん? ああ、メアリ。今日は初めてだねェ、ずっとクザンのとこにいたのかい?」

「はい。それでこちらをお持ちしたのですが、お部屋にお届けしておけばよろしいでしょうか?」

「今日中に頼んでたやつ、もうできたのかァ。あ、じゃあそのまま受け取るよォ。ありがとねェ」

「いえ、それでは失礼させていただきます」


 きっちりと頭を下げてからクザンさんの部屋に戻ろうとしたら、ボルサリーノさんからお昼のお誘いを受けたがまだ就業時間中なので遠慮しておいた。……三大将の中で一番人ができているのはボルサリーノさんだと思う。けどそれと同時に一番底が知れない人でもあると思う。何を考えているのかいまいちつかみづらい。ちなみに一番わかりやすいのはサカズキさんだ。まっすぐで頑固で、一本木。
 クザンさんの部屋に戻ったとほぼ同時にぼーん、ぼーんと置き時計の音が鳴った。昼休みの時間である。ちらりとクザンさんに視線を向ければ、クザンさんは頷いてくれた。身体の力をふっと抜いてそのままソファにダイブした。うーん、柔らかい。


「うおー、お腹すいたー、クザンさんご飯いきましょーよご飯ー」

「今いいとこだから、」

「えー、クザンさんのくせに仕事やっちゃう感じですか? 昼ですよ、昼」

「お前ね、失礼なこと言ってるって気付いてる?」

「言われちゃうようなことしてるって気付いてる?」


 おれがノリで言葉を返せば、クザンさんはひくりと唇をひきつらせた。でも怒ったりはしない。クザンさんは、三大将の中で一番優しい人だ。だからこそ色々ずけずけと言ってしまうのだけれど、やっぱり彼は本気では絶対に怒らない。それはおれが可愛い顔した子供だからだろうか? こちらに来て生活がガラッと変わったせいか、おれの顔や身体は異世界にいた頃よりもよほど綺麗に可愛くなっている。あ、人間を作るのってやっぱり環境なのね、と少し悲しくなれるのはきっとこの世でおれだけだろう。
 でもクザンさんは優しい人だからきっとおれがぶっさいくでもこうして軽口を叩いてくれたに違いない。この社畜が当然、死んで来い、みたいな世界において『就業時間以外は休憩時間も含めてプライベートなので、どうしても自分でなければいけないような来客でもない限り、休日出勤や残業など仕事は一切いたしませんがよろしいですか』とおれが言い切ったときだって頷いてくれたくらいだ。
 おれがまともな人生を送っている小娘だったら、今頃クザンさんに惚れていたと思う。年上で頼りがいがあって優しくて地位も権力もあって高給取りで強くて? 舐めてんのか、理想の王子様かコラ、と貶したくなるほど完璧ではないか。けれど恋人になったりだとか、そういうのは、いい。まず理想の王子様とか別にタイプでもないし、ついでに恋愛は異世界でお腹いっぱいだ。今は特に男だと思われてんのかも甚だ疑問だし、正直女も男も面倒くさい。脳みそはピー年分の知識があるから性欲処理は一人でもできる。どうしてもダメなら適当に後腐れのない人間を選ぶことにする。最悪風俗だが、この時代背景では性病が怖いんだよなあ。


「そういえば見ましたー?」

「何を?」

「食堂に美人なおねーちゃん入ったんですよ。けしからん乳の」

「お前ね……」

「フフフ、柔らかかったですよ」

「お前何やってんだマジで」

「こけたふりして突っ込みましたけど何か」


 ドヤ顔してそう言ったらクザンさんは可哀想なものを見るような目でこっちを見てきた。いやたしかにおれ男だし本当ならマズいよ? でもおれはこういう、ラッキースケベができる環境になったのだからやらないのは勿体ないと思うんだ。現実にそんな乳のおねーちゃんいないだろ! というおねーちゃんとか普通にいるし、美人ばっかりいるすごいクオリティの高い世界なんだぞ? 二次元に来たのなら、そういうところで楽しまないでどうする……恋愛なんてしてる場合じゃない。それに今は見た目が美少女だからセクハラも全然許容されちゃうって言うね。ていうかセクハラしてるなんて思われてない。いやー、美少女フェイスって得だわ、本当。前の世界では全然そんなことなかったのになー。多少の我が儘なら許されちゃうところとか特にいい。まあ、ついてるんですけどね、股に例のブツが。


「クザンさーん、まだですかー」

「あとちょっと。ていうか先に行ったら? お腹空いてんでしょ」

「えー、嫌です。ぼっち飯寂しいですもん」


 そんなふうに我が儘を言っているのに、クザンさんは仕方ないなァって顔をして立ち上がる。本当に優しい。万人受けする顔じゃあないけれど格好いいし、絶対に女の一人や二人はいるだろう。クザンさんに釣り合う女性ってどんな人かな、きっと色っぽいに違いない。あー、紹介してくれないかなあ、クザンさん。……穴兄弟はさすがにちょっとアレか。


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