ああ可哀想だな。シズちゃんてば可哀想だなあ。





あら、生きてたの。と、とんでもなく残念そうにそう呟いた波江に、俺は昨日の一部始終を告げた。波江は最後まで黙ったままで聞いていたけど、特に興味があるわけではなさそうだった。
波江にとって、世界は弟とそれ以外に大別されている。だから、ほんとうに興味がわかないのだろう。残念だなあ、俺はこんなにこんなに楽しいのになあ!
その後本気で呆れて嫌がる波江をあの手この手で付き合わせて、服を選んでもらったり化粧品を吟味してもらったりと大変お世話してもらった。さすがは波江。それでこそ俺の助手。波江らぁっぶ!とまではいかないが!
帰ったらメイク教えてねーと笑顔で言ったら、とてもいい笑顔で死になさい変態と言われたことは不問にしといてやろうと思う。俺ってばもうほんっとやっさしーんだから。しかし連れ回しといてなんだけど、女の買い物ってほんとめんどくさいな。
「……あなた、不快だわ。ほんとうに不快。いっそ才能よね」
「ははっひどいなあ波江さん。俺なーんにも言ってないよ?」
「その顔がムカつくのよ」
波江は眉間に皺を寄せたまま、アイスティーを啜る。汗をかいたから、と適当に入ったカフェだったが、雰囲気も味もなかなか悪くない。俺が注文したのも波江と同じアイスティー。カランと氷を鳴らしながらストローでかき混ぜると、小さく波紋が広がった。
「……ねえ、波江ー」
「なにかしら」
琥珀色の液体に広がる波紋のように、俺の心に歪な模様を描くひとつの疑問。その答えを知っているのはシズちゃんと、たぶん俺だけなのだろう。でも、なんとなく波江に聞いておきたくなった。
「俺が泣くのってどんなときだと思う?」
波江はほんの一瞬だけ動きを止めてから、考え込むように顎に手をやった。そしてひとつ溜め息をついたあと、さも興味ありませんと言わんばかりにストローで氷を弄びながら口を開く。
「あなたの愛してやまない人間が、この地球上から消え去ったときじゃないかしら。平和島静雄を除いて」
あ、うん、それは泣きそうだね。うんうんと首を縦に振る俺を見ているのか見ていないのか、波江はひたすらアイスティーを流し込んでいる。さすがに歩かせすぎたかなあと思いながら、俺はぼんやりと昨日のシズちゃんの言葉を思い出していた。

てめぇで泣かせといてよお……可愛いと思ったんだ
あんな気持ち、俺は初めてだ

「やめなさい、ストロー噛むなんて子どもじゃないんだから」
「あ、うん、ごめんなさい」
いかん、ついイラッとしてしまった。不格好に歯型がついて平べったくなってしまったストローを舌でこじ開けながら、ケータイをポケットから取り出す。どぎついショッキングピンクのそれは、まあ、不愉快極まりないが今のところシズちゃん専用回線と成り下がっているものだ。忌々しい。
パカリと開いて、メール機能を呼び出す。受信ボックスに入っているのは、たったひとつのメール。昨夜簡単な挨拶を送ってから、ほぼ半日後に返ってきたそのメールは、もちろんシズちゃんからのものだ。シズちゃんの仕事が終わる時間なんて把握済み。それに合わせて送ってやったというのに半日かけるとか。なんだそれ。ほんとにもうダメ男もいいとこだってシズちゃん。
きっと、何時間も何時間も悩んでは打ち、悩んでは消し、を繰り返したのだろう。容易に想像できて笑ってしまう。その割に、文面は『すみませんでした。』っていうたったの一行だけ。なんだこれ。シズちゃん、君は俺を、もとい甘楽を口説く気はあるのかい。
ていうか、そもそも俺ほんとに謝られる覚えがないんだけどなーあ。泣かせたとかなんとか言ってたけど、俺が泣くわけないじゃんねえ。し・か・も!あの!シズちゃんの前でだぜ!?ありえないありえないありえなさすぎて笑えてくる。なにを勘違いしてんのか知らないけど、いつまでもこんな調子じゃつまんないじゃないか。
「あの平和島静雄を落とせるのかしらね」
「さーあね。ていうか、俺が落とされちゃったらどうしよー」
「……」
「無視ってさあ、時には罵倒より人を傷つけるんだよ波江」
『ええ!?平和島さん、急にどうしたんですか?謝られる覚えないですよぅ!』うん、こんなもんかな。ポチポチとケータイを弄りながらそう言うと、波江はあらごめんなさいと返してきた。ほんとにいい女だよね、君。
「波江ーこれでいいかな?」
「貸しなさい……ネカマ控えたらどう?さすがにこれは痛いわよ」
「えーそう?」
へらりと笑うと、波江は眉間に皺を刻んだままでなにやらケータイを操作しだした。普通使い慣れてないケータイっていろいろ戸惑うと思うんだけど、波江の指の動きは実に滑らかだ。なにをやらせても器用な女だなあと思っていると、おもむろにディスプレイを突きつけられる。
「えーと……『よくわからないですけど、謝らないでください。そんなことよりお話しましょうよ。平和島さんのこと、もっとよく知りたいです』……寒い……別にシズちゃんのことなんて知りたくない……」
「最初はこれくらい下手に出なさい。それに、もう送信したわ」
「あーはいはい。ありがとね」
ずるずると音を立てて最後の一滴まで飲むと、行儀が悪いとまた波江に怒られた。なんなの、君は俺のお母さんなの?そういうのはドタチンで間に合ってるよ。
「じゃ、帰ったらメイクの練習だね」
そう言って笑った俺に、波江は本日最大級の冷たい視線をくれた。


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10/08/03

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