ただ、もう少し知りたかった。ほんとうに、それだけだった。





相変わらずクソうぜえノミ蟲だ。人を食ったような笑みを浮かべ、ぺらぺらぺらぺら喋る臨也をぶん殴りたい衝動と闘いながら、俺は黙って紅茶を飲んだ。淹れてくれたねーちゃんは滅多にいねえくらいの美人だった。けど、昨日のあの人の方が。いや。いやいやいや。なに考えてんだ俺は。
「シズちゃんさっきから気持ち悪い。あ、誤解すんなよ。いつも気持ち悪いから。今日は輪をかけて気持ち悪いって意味ね。え、なに?ついに死ぬ感じ?」
「死なねえし、うるせえ。つーか、てめぇ俺の話聞く気あんのか」
「えー別に聞きたくないけど聞かなかったらシズちゃんキレるんだろ。俺だって家は大事だからね。で、なんだっけ?」
「まだなにも言ってねえだろ」
ああうぜえ。こいつ、今日は特にうぜえな。いつもうぜえけど、今日は特別うぜえ。あれ、なんか似たようなことさっき聞かなかったか。気のせいだな。うん、そうだ。考えんのもめんどくせえ。
「昨日、」
びくっとクソ蟲の体が跳ねたような気がしたが、やっぱりめんどくさかったので放置することにした。大体、俺はさっさと聞くこと聞いて池袋に帰りてえ。こんな蟲くせえとこにいつまでもいたかねえんだよ!
「人に、会ったんだけどよ」
「そ、そう」
「そいつから、てめぇの匂いがしたんだ。それに、あれを着てた」
俺が指差した方へ、臨也がのろのろと視線を向けた。椅子の背にかけられているそれは、昨日見た黒いファーコートに間違いない。臨也はしばらくコートを見つめたまま、小さく溜め息をついた。曲げられていた首がこちらに戻る。へらりと臨也は笑った。この上なくムカつく顔だった。
「……なあ、シズちゃん。回りくどいことはやめようよ。君らしくもない。言いたいことがあるなら、はっきり言えば?ほら、さっさと言えよ。俺だって暇じゃない」
「そうかよ。なら言うけどよ、あの人はてめぇの知り合いか?」
「あーあーはいはい!そうですそうで……は?なんだって?」
「だから!髪がふわっとしてて、ツリ目で、てめぇの匂いがして、てめぇのコート着てたあの綺麗な女はてめぇのなんなんだって聞いてんだよ!!」
あーだめだ、やっぱりこいつの声聞くだけで死ぬほどイライラする。つい声がでかくなっちまった。ちっとひとつ舌打ちをして臨也を見ると、いけ好かねえ赤い目を限界まで見開いて俺をガン見していた。なんだこいつ気持ち悪ぃな。死ぬのか?
「……う、嘘だろ……シズちゃん、君ってほんと……ほんとに俺の予想の斜め上ばっかり……!」
「なにをぶつぶつ言ってやがる。聞かれたことにとっとと答えろよ臨也くんよお」
「シズちゃん、この事態にはさすがの俺も同情を禁じえない」
訳わかんねえけど、こいつは今すげえ失礼なことを考えてるに違いない。絶対そうだ。俺の本能がそう告げている。三分の一殺しくらいなら許されるんじゃねえのか。いや、あの人のことをまだ聞いてないからだめだ。ここは我慢だ、俺。
「てめぇのことなんざ聞いてねえ。知ってるのか、知らねえのか、どっちだ」
だいぶ様子がおかしいことになっている臨也に詰め寄る。臨也はしばらく意味不明なことを口走りながら俺をガン見していたが、ふと口を閉じた。これは俺の機嫌的に非常に助かる。

黙った臨也はなにかを考えているようだった。しばらくそうしたあと、なにか思いついたように目を細めてゆっくりと口を開く。臨也がほざいたことは、俺にとって喜ばしい内容だった。たぶん。
「ああ知ってる。知ってるよ、シズちゃん。髪が黒くて、目がこげ茶色で、とびっきりの美人だろ?」
「そうだ。とびっきりかは知らねえが、綺麗な女だった。どことなくムカつく顔だったがな」
「……それで?わざわざ俺のとこにくるくらいだ。これで、ありがとうじゃあさようならってわけじゃないんだろ」
にたあっと臨也が笑う。俺はこいつの表情はどれもこれも気に食わないが、これは特別嫌いだった。見た瞬間に自販機投げ飛ばすくらいには大嫌いだ。ぐっと拳を握り締めた俺に、臨也はにやにやと笑みを深める。クソ、こいつわかっててやってるよなあ。
「惚れちゃったの?」
「てめえにゃ関係ねえ」
「それって肯定してるようなもんだよ、シズちゃん。いいよ、教えてあげる。彼女の名前は甘楽。俺の従妹だ」
かんら。それがあの人の名前らしい。変わった名前だと思った。俺の目の前にいるこのクソノミ蟲や、その妹と同じくらい変わった名前だ。あれか、折原の家系は変な名前つける家訓でもあんのか。うぜえ。いや、うぜえのは臨也限定だが。
「だからてめぇの匂いがしたのか?けど、クルリもマイルもこんな胸糞悪い匂いしねえだろ」
「シズちゃんの化物規格な嗅覚のことを俺に聞かないでよ。でも、甘楽は特別なんだ。彼女は妹たちよりもずっと俺に近い存在だ。だからかもね。じゃ、はいこれあげる」
そう言って、ノミ蟲は紙切れになにか書き出したかと思うと、おもむろにそれを寄越してきた。とりあえず受け取って視線を落とすと、なにやらアルファベッドと記号の羅列。そして、『甘楽』という文字。甘くて楽しい?そりゃ最高だな。
「おい、臨也。こりゃ暗号か?」
「ああルビが必要だったね。ごめんよ、シズちゃん。かんら、って読むんだ。シズちゃん。それ、甘楽のメアド。特別サービスでタダで教えてあげる!」
なにが楽しいのか今にも飛び跳ねそうな勢いの臨也はとりあえず放っておくとして。メアド、だと?
それはあれか、俺から甘楽さんに連絡を入れろとそういうことか臨也くんよ。臨也から紹介されましたとでも言えってか?昨日は泣かせてすみませんでしたって?できっかボケが!
どれからどう言えばいいのかわからずにメモを見つめ続けていたら、臨也が口を開いた。
「あ、シズちゃんのメアドは甘楽に送っといたからね。とりあえずそれ登録して、向こうからメールくるの待ってなよ。だいじょうぶ、奥手で童貞で甲斐性なしのシズちゃんが自分から女の子にメールを送れるなんて俺は少しも思っちゃいないんだからさ。そうそう、甘楽は俺の大事な従妹なんだから乱暴したら殺す。さあもう用は済んだろ?とっとと帰れ。そして二度と来るな」
臨也は無駄にいい笑顔でそう吐き捨てると、音が聞こえそうな勢いで玄関へと続くドアを指差した。てっきり窓から帰らされると思っていたので少し驚いたが、たぶんそれも俺のためじゃなくて自分のためだ。目立つから嫌だとか、通報されたら困るとか、そんな理由だろう。
とりあえず聞くことは聞けたし、これ以上ここにいる必要は確かに俺にも臨也にもなかった。それに、これ以上ここにいたら絶対こいつをぶっ殺したくなる。それは、今はだめだと思った。
臨也は言った。甘楽は特別だと。俺の大事な従妹だと。甘楽さんにとっての臨也も、そうなのかもしれない。だとしたら臨也が死ねば、あの人は、きっとまた泣くのだろう。

言うことを聞いたような格好になるのは少しばかり、いや、とんでもなく癪だったが、俺は言われるままソファから立ち上がった。そして、そのまま臨也のクソ野郎に背を向けてドアへと足を運ぶ。紙切れを見ながらドアノブに手をかけ、そのまま開こうとしたときだった。臨也にしては珍しく、呼び止めるためだけの声を俺にかけてきたのは。
「ねえ、シズちゃん。ひとつ聞かせてくれないか」
振り返らなかったから、臨也の表情は知らない。その声に含まれていたのは、純粋な興味だった。初めて見た生き物の名前を母親に尋ねる子どものようなそれに、俺は黙ったまま頷いた。
「甘楽の顔は、シズちゃんの好みだったのかい?」
臨也の問いを、俺は頭の中で噛み砕く。答えは思ったよりもすぐに出た。
「違ぇよ」
「おや?じゃあ、なにがそんなにお気に召したのかな?」
どことなくムカつきはするものの、顔は確かに綺麗だったと思う。だが、それもトムさんに聞かれてからようやく思い出した程度のことだ。あのとき、あの瞬間、俺の意識を全部根こそぎ持っていったのは、あの、
「……涙、」
「はあ?」
間の抜けたような臨也の声も、今はどうでもいい。聞こえない。口に出した途端、残酷なまでに鮮やかによみがえったのはたった一粒の涙だった。俺が泣かせた、あの人の。
「てめぇで泣かせといてよお……可愛いと思ったんだ。あんな気持ち、俺は初めてだ」
「泣く……え?は?泣いただと?」
「うるせえな。ちゃんと謝る」
「え?いや、いやそうじゃなくて……あーもういいや。うん。帰れ」
そう言った声は疲れ切っていたようにも思うが、もやもやする気持ちのせいでぼんやりとしている俺にはそれを疑問に思う理由も必要も余裕もなかった。言いたかねえが、邪魔したなと挨拶をし、俺は今度こそ臨也の匂いが染みついた胸糞悪い部屋を後にした。
あ?つーか、なんであいつ俺のメアド知ってんだ?


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10/07/18

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