嫌いで嫌いで大嫌いな天敵、平和島静雄と体のお付き合いを強制的に持たされるという悪夢から早三ケ月、今日も健やかに生きている自分を不意に殴りたくなった。どうしてこんなことになったのだろう。ぎりぎりと歯を鳴らしながら、臨也は爪を噛んだ。
「爪噛むなよ」
「うるさいよ」
「そうかよ」
なんだこのやりとり。お前は彼氏か、彼氏気取りか。なおいっそう音を大きくしながら、臨也は爪を噛みきる。それを気持ち悪そうに見ていた静雄が、せっかく綺麗な指なのによ、と小さな声で呟いた。気持ち悪いのはこちらだと臨也は思う。
「シズちゃんさあ、飽きないのかい?もう三ケ月だよ。ワンクールだよ」
「なんの話だよ。ドラマか?ああそういや幽のドラマ、そろそろ終わっちまうな」
「それこそなんの話だよ」
羽島幽平のドラマなんぞ、心の底からどうでもいい。もちろん、それが目の前の男にとって地雷であることは明確なので口には出さないが。
「一応言っとくけどよお、臨也……逃がさねえからな」
「……わかってるんじゃないか」
静雄のこういうところが、臨也は嫌いなのだ。単細胞の単純馬鹿のくせに、妙に勘が鋭い。野生の勘、というやつだろうか。これとご自慢の膂力のせいで、高校時代からどれだけの楽しみを潰されてきたことか。思い出したくもない過去にげんなりとしながら、臨也は爪からくちびるを離した。
「臨也」
「ちょっ、と、」
その瞬間、待ってましたと言わんばかりの勢いでキスを仕掛けられる。今の流れのどこをどう解釈したらこうなるのか、臨也にはさっぱりわからない。どうも、静雄は自分に触れるのが好きらしい。キスもセックスも、もしかしたら喧嘩だって、静雄にしてみればその延長でしかないのかもしれない。
相変わらず俺を愛してくれと迫る静雄が最も望んでいる言葉を、臨也は一度も口にしたことはない。それだけは、臨也にとって決して飛び越えてはならない境界線だった。臨也にとって愛すべきは、人間だけだ。静雄はその枠には当てはまらない。それを認めてしまえば、自分の中のなにかが確実に砕け散ってしまうだろう。臨也は、それが怖かった。
絡みつく視線と決して絡みはしない感情とを持て余しながらも、性感帯だけは知り尽くしてるなんてほんとうに馬鹿げてる。拒み続ける己と、追い続ける彼。可哀想のはどちらなのだろうか、なんて、愚かにも悩んでしまうのはきっと触れてくる指が無駄に優しすぎるせいだ。一から十まですべてを静雄のせいにして、臨也はぎゅっと目を瞑った。今は、もうなにも考えたくなかった。






そんなことを思ったのがつい三日前。臨也は回想を終了して、いつの間にか閉じていた瞼を静かに開いた。池袋のいわゆるラブホテル街。きらびやかながらもどこか危うい輝きを放つそこで、臨也はただただ立ち尽くしていた。
目立つバーテン服を見間違えるほど馬鹿ではない。絡みつく腕の意味がわからないほど子どもではない。ただ、わからなかった。彩度の異なる金髪が重なり合う。縦に長い図体をした男が、まだ幼さを残す女を抱きしめている。
わからない。どうしてだ。何故、自分はこんなにも動揺している。二人が抱き合ってる理由なんて、どうでもいい。興味がない。どうしてそれにここまで衝撃を受けているのかが、臨也にはさっぱりわからなかった。
「……なんだろう、これ」
胸の辺りがもやもやとする。二人から目を離すとまだマシだが、視界に入れてしまうともうだめだ。吐きそうになる。じわりじわりと喉が痛くなってくる。これはなんだ。まるで、そう、まるで、泣きだす直前のような感覚。そこまで考えて、ふとおかしくなった。泣く?どうしてだ、泣く必要なんてどこにある。
もう一度、今度はじっくりと観察するために臨也は視線を上げた。相変わらず抱き合っている二人、静雄とヴァローナは、どこからどう見ても恋人同士にしか見えない。とても自然にそう思った。なら、静雄はこれからあの娘にキスをするのだろうか。抱きしめて、愛を囁いて、セックスするんだろうか。自分にそうしたように。
「・・・っ」
だめだ、吐く。口許を片手で覆って体を折り曲げたその瞬間、肘が傍にあったポリバケツにヒットした。間抜けな音を立てて青いプラスチックが地面にぶつかるのと、菫色の瞳とサングラス越しの視線に捕まったのは同時だった。
「……臨也?」
どこか熱に浮かされたような声が、名前を呼ぶ。一瞬で背筋を這い上がったのは、嫌悪と怒りと絶望だった。記憶に残っていない最初のセックスのときすら、ここまでの吐き気には襲われなかったのではないだろうか。ああ、もうどうでもいいか。きっともう、静雄に触れられることなどないのだろうから。
「おい、臨也?お前、顔色ひでえぞ」
ヴァローナから体を離した静雄が、こちらに向かって手を伸ばしてきた。嫌だ、絶対に触られたくない。たぶん、今触られたら確実に吐く。
「嫌だ、触るな、俺に触るな、気持ち悪い、気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪い、吐き気がする」
「……なんだと?」
「君なんて大嫌いだ」
それは、嘘ではなかった。好きだと思ったことなど一度もない。幾度肌を重ねようと、湧く情などもとより持ち合わせてはいない。流される方が楽だったのは認めよう。けれど、それだけだ。
「……臨也、寝言は寝てから言えよ」
「こっちのセリフだ。シズちゃんはそろそろ目を覚ますべきだよ。俺と君がこんなことになるのがそもそも間違ってる」
「臨也、今なら許してやる。だから、黙れ」
「……ああ、そうだね。ごめん、違うよね。シズちゃんは目を覚ましたんだ。だからこんなところで可愛い女の子といちゃいちゃしてるんだもんね。悪かったよ、俺は消えるから続きでもなんでも存分にどうぞ。ああそこのホテルなんかいいんじゃない?女の子に人気だって聞いたよ。邪魔して悪かったね、それじゃあ永遠にさようなら」
気を抜けば吐きそうになるのを堪えながら、言いきった自分を誉めてやりたい。なんだか疲れてしまった。仕事も終わったし、もう新宿に帰ろう。シャワーを浴びて眠ればきっとさっぱりする。そうだ、それがいい。踵を返して、臨也は地面を蹴った。
「臨也ぁ!!」
怒号と破壊音と、わずかな悲鳴。どれもこれも綺麗に無視して、臨也はただ走る。もうどうでもいい。知らない。なにも知らない。知るもんか。どうしようもない不快感と闘いながら、臨也は夜の池袋を後にした。


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10/08/29

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