平和島静雄は恋をしていた。決して報われることはないであろう、けれどもなぜか捨てられない、そんな惨めな恋を抱え続けてもう何年になるのだろう。 ずっと目を背け続けていたその事実を、静雄はひどく現実味のない現実として噛み締めていた。 「あっ、あっ、あぅ……」 先ほどまで真っ青にしていた顔を真っ赤にして喘ぐ男の姿は、静雄の劣情を強く煽る。 晒された細くて白い首筋に噛みつくと、水から揚げられた魚のようにびくびくと臨也は身体を跳ねさせた。 閉じた瞼の縁に涙を溜めて、臨也は子どものように首を横に振る。 「シズ、ちゃ……い、やだぁ……っ」 嫌だやめろしか言わない臨也が、とても憎たらしくて愛しかった。 殺してしまいたくなる気持ちを抑え、静雄は臨也の腰を掴む手に力を込め直して乱暴に揺さぶる。 その度に聞こえる甲高い悲鳴は、やはり拒否の形にしかならなかった。 「うるせえんだよ。黙ってろ」 「ひ、ど……あ!ああっ……やだ、よ……」 臨也が泣く度に、もっと滅茶苦茶にしてしまいたい気持ちと大事に愛したい気持ちが静雄の中で葛藤を始める。 臨也が好きだ。嫌いだ。憎たらしい。愛しい。抱きしめたい。キスしたい。殺したい。抱きたい。殺したい。自分だけのものにしたい。 ぐるぐると止まることを知らない思考と快楽の間で、静雄は臨也のくちびるに噛みついた。 キスと呼ぶには乱暴すぎるその行為から、臨也は頭を振って逃れようとする。 まだ、俺から逃げようってか。じわじわと怒りが理性を焼いていく。 自分にちょっかいをかけて引っかき回し無駄に苛立たせるくせに、臨也はいつだって静雄の前から上手に逃げる。 完璧に捕まえたことなどただの一度もない。静雄はいつも思っていた。いつか、完膚なきまでに逃げ道を閉ざしてやろう。そしてそのときには、 その先は、なんだったか。殺してやる、だったか。それとも、犯してやる、だったか。たった今こうしているように。 「いや、いや、いやだ……やめろ、って、言ってんだ、ろ……!」 綺麗な顔を涙でぐちゃぐちゃにして、臨也は泣き喚く。 ここが自分の部屋ではなくて臨也の部屋でよかった、と、場違いなことを静雄は思った。 自分の部屋だったら、もしかしたら声が漏れてしまうかもしれない。 臨也のこんな声を聞いていいのは、自分だけなのだから。 「臨也ぁ……マジ、たまんねえ……」 「ひ、ぃっ」 ぐち、と奥まで突き上げると、臨也は目を見開いて口を大きく開けた。 金魚のようにぱくぱくと閉開を繰り返すくちびるに自らのそれを押しつけて、臨也の咥内に舌を突っ込んだ。 逃げる舌を絡めて吸い、かなり力加減をして噛むと、細い肩がぶるぶると震えていた。臨也は少しも気持ちよさそうではなかったが、静雄はとても気持ちがよかった。 嫌がる臨也の身体を強引に貪りながら、昨夜の出来事に思いを馳せる。 なにがあったのかは知らないが、昨日池袋で出くわしたときには、すでに臨也はだいぶ酔っていた。 「あっは!しーずーちゃーんー!なになに、こんな時間まで仕事でありますか!?おっつかれー!」 「……臨也くんよおーてめえはあれか?酔っ払いですか」 「そうだよーシズちゃんも一緒にのも?たまには殺し合い以外もいーじゃん?」 そう言ってけらけら笑う臨也は、とても気持ちよく酔っていた。胡散臭い笑みも、屁理屈を捏ね回した口上もない。 もともと臨也に憎しみ以外の情も傾けている静雄に、そんな臨也を殴り飛ばす理由はあまりなかった。 すっかり毒気を抜かれた静雄の手を引き、臨也は新宿の自宅へと機嫌よく帰路についた。 されるがままだったのは、ほとんど初めてに近い形で触れた臨也の手があまりにも心地よすぎたからだ。 これが惚れた弱味というやつかと呆れていた静雄に、臨也はゆるみきった笑みを向けた。 ぞわぞわと背筋を這いあがったものは、嫌悪ではなかった。とても悔しいことに。 「はーい、シズちゃんどーぞー!入って入って」 「……おう」 ぐいぐいと手を引く臨也に促されつつ、静雄は靴を脱いで揃える。そんなのいいから早く!と強請る臨也に、また背筋がぞわぞわした。 漠然とした不安と、妙な期待を抱きつつ、静雄はなぜか臨也の寝室に通された。 いやいや意味がわからねえ、とつっこみたかったが、不覚にもプライベートな空間の雰囲気というものにあてられたらしい。 臨也はそんな静雄の心境などお構いなしに、へらりと笑う。 「シズちゃんビール苦手だったよねーカクテルにする?」 「……ああ」 「わかった、待ってな。帰ったら殺すから!」 パタパタと足音を立てながら消えた臨也の背中を見送ってから、静雄はかけたままだったサングラスをしまった。 ビールが苦手なのを覚えていたことに、感動などしていない。少ししか。 無駄に大きなベッドに腰かけ、綺麗に整えられたベッドカバーを撫でる。ここで臨也が寝ているのかと思うと、少し興奮した。 そして、興奮した自分がとても嫌になった。なんだって男に、しかもあの折原臨也に恋などしてしまったのだろう。静雄は深く溜め息をついた。 「なになにシズちゃん、悩み事かい?」 「っ!?」 いつの間に戻ってきていたのか、静雄の顔を覗き込んだ臨也が視界を独占した。酔っているせいで赤く染まった目元が、犯罪的な色香を漂わせている。 臨也はコートをとっくに脱いでいて、黒いVネックからは白い肌がはっきりと見てとれた。浮き出た鎖骨に目がいってしまう。静雄は、顔ごと臨也から目を逸らした。 「ほら、シズちゃん。俺お手製だよ!」 そんな静雄の様子を見ても、臨也は深く追及しようとはしなかった。その代わりに、桃色の液体が入ったカクテルグラスを静雄に差し出す。 臨也の手作り、にときめかないでもなかったが、それ以上におかしなものを入れられているのではないかと疑うのは仕方のないことだ。 とりあえず受け取るだけ受け取ったものの、いつまでたっても飲もうとしない静雄を臨也が睨みつける。 もちろん普段の眼力など十分の一もない視線では、なんの効果もなかった。 「なんだよシズちゃーん。俺の酒が飲めないってのかい?」 「やべえ薬とか入れてねえだろうなあー?」 「ひっど!わかったよ、俺が先に飲んであげる」 そう言って、臨也はカクテルグラスが収められた静雄の手に自分の手を這わせた。突然触れてきた滑らかな肌の感触に驚いた静雄は、思わず手に力を込めすぎてしまう。 その結果として、グラスは粉々に砕け散り、カクテルは床にぶちまけられた。 「……シズちゃん」 「わ、悪ぃ……」 「自信作だったのに……もったいない……あ、そうだ」 なにかいいことを思いついたのか、臨也は楽しそうに手を叩いた。そして再び静雄の手に手を重ねる。 今度はなんだ?と身構えた静雄に笑みを向け、臨也は静雄の手に顔を寄せ、舐めた。 「っ、お、い!」 ぺろぺろと子猫がミルクを舐めるように、臨也は静雄の濡れた手を丁寧に舐める。手の甲や指を這う赤い舌から、静雄は目を離せなかった。 背筋がぞわぞわする。頭がくらくらする。臨也の舌が触れているという異様な状況に、静雄はひどく興奮していた。 「ん、おいし」 満足したのか、顔を上げた臨也は仕上げとばかりに自分のくちびるをぺろりと舐めた。 最早視覚の暴力だ。たとえ臨也にそんな気が微塵もなかったとしても、これはひどい。高校時代から不毛な恋に苦しんでいる自分相手に、これはない。 酔っているせいで無防備すぎる想い人に、静雄は自分でも理不尽だと思う怒りを覚えた。 「シズちゃん、もっかいつくってきてあげようか」 「……いらねえ」 「おいしいよ?」 「いらねえ。てめぇからもらう」 床に散らばるガラスの破片に触れさせないよう気をつけながら、静雄は臨也の体を引き寄せた。 細くて頼りない体。自分の前で鬱陶しく振る舞っているときは意識しないが、こうしてみると臨也は随分と華奢だった。 今なら捻り殺すこともできそうだと思いながら、静雄は臨也の濡れたくちびるに自分のそれを重ねた。 「ん、ぅ?」 間抜けな声を上げた臨也は無視して、丹念にくちびるを味わう。カクテルのせいで、まるで臨也のくちびるが甘いような錯覚に陥ってしまう。大した量ではないのに、酔ってしまいそうだった。 「シズ、う、ん、んん」 想像でしか触れられなかった臨也のくちびるを蹂躙している。下半身に熱が集中するのがわかった。 状況がさっぱりわからないらしく、目をつぶってされるがままの臨也はたまらなかった。 「臨也、好きだ。ずっとずっと好きだった……」 「シズちゃ……あっ、や、なに?やめ、ろ!」 「嫌だ。やめねえ。ずっと、こうしたかった」 もう、なにがどうなってもいい。知ったことか。俺はてめぇが欲しいんだよ、臨也。意識の深いところで、そう思った。 昨夜の臨也も大概嫌がってはいたが、酒の力というものは本能を丸裸にしてしまうらしい。最後の方は気持ちよさそうに喘いでいたから、まるで恋人になったような気分だったのに。 朝起きたらなにも覚えていなかった、なんてひどい話だ。だから、これは罰なのだ。臨也は甘んじて受けねばならないのだ。 「も……む、り……ねが、シズちゃ……ああっ……」 臨也の中から出ていくことなく、静雄はすでに二回達していた。臨也はそれ以上に精を吐き出していたから、その疲労はすさまじいのだろう。 今の臨也は、誰が見ても憐れみを覚えるほどに痛々しかった。静雄を除いて。 「……臨也……っ」 「っひ!?な、なに、でかく、して……や、いやだ、やめろ抜けばか、死ね、しねっ!ひ、あああ……!」 「お前、いつもそうしてろよ……すげえぞ、今の顔……」 「やぁっ!ああっ!あん!やだ、やだ、も、いやだあ……!ゆる、して、ゆるして、シズちゃん……あ、おれ、も、……し、しんじゃ……う……!」 頬をシーツに擦りつけ、必死に許しを請う臨也の髪にキスを落として、静雄は笑った。 うつろな瞳でそれを捉えた臨也は、やっと見えた希望の光に縋ろうとしているようだった。 懇願するように見上げてくる臨也の頬を撫で、静雄は笑う。名前のとおり、静かに静かに。 「わかった。俺があと一回イッたらな」 笑顔で下された死刑宣告に、臨也は悲鳴を上げた。 ←|戻る|→ 10/07/19 |