けたたましいアラーム音が、頭に響く。痛い。痛い痛い痛い。今すぐぱっくりと割れそうなくらいに頭が痛い。まるで頭蓋骨の内側を鈍器で好き放題に殴られている気分だ。
この感覚を、臨也は知っている。所謂二日酔いというやつだ。自分の限界を知らなかった頃に、何度か経験したことがある。
今は滅多にないことだが、そういえば昨晩は浴びるくらいに飲んだっけ、と臨也は痛む頭の片隅でぼんやりと思った。
「……おい、起きる時間じゃねぇのか」
聞き慣れた低い声がそう言った。相変わらず、耳に吸いつくような美声だと臨也は思う。そう、いっそ吐き気がするくらいには。
「波江ー……今日の予定はぜーんぶキャンセル……」
「おい、誰だ、ナミエって」
「喋るなよ、頭痛い……」
「あ?たかが二日酔いでサボってんじゃねぇよノミ蟲」
心底馬鹿にしたような口調に、心底腹が立つ。口では絶対に勝てないくせに挑発するなんてほんとうに死ねばいいと思い、臨也は再度口を開いた。
そして、そのまま固まった。つ、と背中を嫌な汗が流れていく。
薄く開いた視界にあるのは、窓から降り注ぐ日の光と見慣れた自室、そしてここに存在してはいけない金色の髪。
手慣れた仕種で煙草を吸う男は、紛うことなき平和島静雄その人だった。
「シ、……っつ、ぅ……」
驚きのあまり飛び起きた臨也だったが、全身を襲った鈍痛のせいで再びシーツの上に逆戻りすることになった。
痛い、尋常じゃなく痛い。頭の痛みも吹っ飛ぶ痛さだ。なんていうか、もう痛いとかそんなレベルじゃない。
無言で悶絶する臨也を見つめ、静雄はふぅ、と息を吐いた。煙が起きぬけの目にしみる。
不愉快だ死ねよ馬鹿と言うために開いたはずの口からは、残念なことに声が出なかった。痛いのだ、本当に。
「いいザマだなぁーいーざーやーくん?」
「なっ……んで、シズちゃんが、俺の部屋にいる、わけ?」
痛みのあまりに涙を浮かべてそう問うと、静雄は一瞬目を丸くして固まった。
そして額に青筋を浮かべながら、あろうことかベッドサイドに置かれたテーブルに煙草をぐりぐりと押しつけて消火したのだ。
買ったばっかりなのに、なんてことしてくれやがんだこの野郎!と臨也は思ったが、どう贔屓目に見ても自分が不利なことは重々承知しているので黙っていることにする。
「……まさか覚えてねぇとか言うんじゃねぇだろうな?」
「なにを?シズちゃんが俺の部屋にいるっていう怪奇現象の理由?それとも、俺の体がこんなにもズタボロな原因?残念だけど、どっちもわかんない。俺、昨日の記憶が途中からないみたいだし……」
「あ?……てめぇマジでクソだな、おい」
いよいよ静雄の表情がやばいことになっていくのを、臨也はただ見守るしかできなかった。イラついたように頭をかき、臨也を睨みつける静雄の心情など知ったことではない。
なんせ、頭も痛けりゃ体も痛いのだ。全身痛いが、なんとなく、下半身が特に痛い気がした。嫌な予感しかしないので、そこらへんは無視することとする。
「ケツ痛くねぇのかよ?」
と思ったその瞬間に、一番無視したかったことを指摘されて危うくぶち切れそうになったのだが。
「……俺の……その、下半身事情なんてどうでもいいじゃない……」
「ああ?んだよ、回りくどいんだよてめぇは。はっきり言えよ」
「言えるか!なんか大事なものをなくしそうなんだよ!」
「あーうるせぇ」
耳にかかる髪をかきあげながら、静雄は鬱陶しそうに吐き捨てる。もうこいつはマジで死ねばいい。臨也は沸騰しそうな頭の中で何度もそう繰り返した。
きっと、イライラしすぎていたのだろうと思う。臨也は目を背けて続けていた自分の体に、なんとなく視線を下としてしまった。
「……」
そしてすぐさまそれを力の限り後悔した。ぐっとくちびるを噛んで、零れそうになる悲鳴を押し殺す。
ついでに視線を窓の外に向けたりもしてみたが、見てしまったものを記憶から消すことはできそうもなかった。
「……なんなの、この大惨事……」
臨也の平らな胸元には、真っ赤な跡があちこちに散らばっていた。鬱血したそれは、所謂キスマークと呼ばれるものだ。なぜ自分の胸にそんなものがあるのかわからない。
というか、そもそもなぜ素っ裸なのか。考えたくない。全力で考えたくない。シーツを巻きつける腕に力が入る。
さらに痛くなってきた頭を片手で労わりつつ、臨也は再び静雄に視線を戻した。
先ほどまで人一人を殺しそうなくらいの雰囲気を醸し出していたはずの静雄は、なぜか無表情のままで臨也を見ていた。
否、見ている、なんて生易しいものじゃない。それこそ穴が開きそうなほどの視線を受け流せるほど、今の臨也には余裕なんてものが微塵もなかった。
「……とりあえずさ、帰ってくんない?ね、シズちゃん」
引き攣る筋肉を無理矢理に微笑みの形にしながら、臨也は猫撫で声で静雄の名を呼んだ。
自らの手駒には有効すぎるこの手が、静雄にはまるで逆効果なことなど知っている。我を忘れて怒鳴り散らして、暴れて、気がすんだら帰ってくれればいい。
この際だ、家具の三つや四つは目を瞑ろう。プライドを壊されるよりずっといい。
けれど、静雄はなにも答えなかった。
ふ、と一つ息を吐いて、じろりと臨也を睨む。その視線に込められた感情の名前が、臨也にはわからない。できれば、わかりたくない。
居心地の悪さに身を捩った臨也の腕を、静雄が掴んだ。
「臨也」
地を這うような、低い声だった。ほんとうに、反吐が出るくらいの美声だ。宝の持ち腐れじゃないのかこの野郎。
ぐるぐると頭を巡る悪口雑言は、なぜだか臨也の外側に出ていこうとはしなかった。
気持ち悪いぐらい真っすぐ見つめてくる瞳に飲み込まれそうになるのは、まだ酔いが残っているせいだと思わせてほしい。
「思い出させてやろうか?なあ臨也」
なにを、と問うより早く、くちびるを塞がれた。
入り込んでくる舌に眩暈を感じながらも、なんとなく覚えがあるその感触にふと涙が出そうになる。

あ、大事なもの、なくした

素敵で無敵な情報屋折原臨也の、とある朝の悪夢だった。


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10/06/25

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