たまに見せる心から楽しそうな笑顔が、今さらながらに可愛いと思ったんだ。





細心の注意を払って、全神経を集中させて、細く頼りない体を抱きしめた。こんな体で、よくもまあ俺に盾突くものだと思う。さらりと音を立てて流れる黒髪を掬ってキスを落とすと、信じられないと言うようにこげ茶の瞳が丸く見開かれた。それも悪くないけれど、やっぱりいつもの色が恋しい。どこまでも深くて、下手すりゃ吸い込まれそうな、忘れられない赤い色。お前にはあの色が一番似合う。
「……臨也」
その格好をしているときは、決して呼ばないようにしていた名前を口にすると、細い肩が大袈裟なくらいに跳ねた。忙しなく彷徨う視線を俺に縫いつけたくて、ピンクに染まったくちびるを親指で撫でる。かち、と臨也の歯が鳴った。



キスして泣かれたあの日から、何度メールを送っても返事はこなかった。脳裏をよぎる大粒の涙は、初めて見たそれよりもずっと心を抉るものだった。会いたい。会って、ちゃんと謝りたい。キスしたことじゃなくて、泣かせたことを。そう思いながら過ごしていた俺のケータイを鳴らしたのは、驚くべきことに甘楽ではなく情報屋だった。
『……もしもし……ああ、待って。切らないで。頼むよ』
掠れた声から、疲れていることはわかった。切る気など端からない。まさか臨也が自分から連絡してくるなんて夢にも思ってなかったんだから、切るわけがない。聞きたいことも言いたいことも山ほどあるんだ。
『俺のマンション知ってるよね。今から来れる?というか……来て』
それだけ言って、ぶつりと電話は切れた。煙草をポケットにつっこみ、サングラスをきちんとかけ直してそのまま部屋を後にする。いつもの臨也とは違って、余裕を見失ったかのように弱々しい声だった。臨也がそんなにも弱っている原因に、心当たりはない。あの日、俺がしたキス以外は。



震えるくちびるを何度もなぞり、あの日したように顔を近づける。臨也はこれまた震えているてのひらで俺の口を覆い、身を捩って離れようとしているようだった。逃がすつもりはない。
「臨也、こっち向け」
腕を掴む手に力を込めると、臨也の形のいい眉が痛みに跳ねた。なにか言いたげに開いたくちびるからは、結局どんな言葉も落ちてはこなかった。それが気に入らなくて、また抱きしめる。暴れる体を押さえつけるのは、難しいことではなかった。
「なに言いたいのかわかんねえよ。喋りゃいいじゃねえか。喉なんか痛めてねえだろ、お前」
悔しそうにくちびるを噛み、臨也が俺を睨みつけた。淡く色づいたまぶたを指で撫で、ばさばさと音がしそうなまつ毛に目を奪われる。あの日涙を落していた目元にくちづけた瞬間、頬を張られて思わず臨也を殴り飛ばしていた。
「……っ」
床に思いきり背中を打ちつけた臨也が、痛みに顔を顰める。散らばる長い黒髪と、ふわりと揺れたスカートの裾から覗いたほっせえ足に喉が鳴った。
「……最低だ、お前。マジ、死ねばいいのに」
ピンク色のくちびるから出てくるには少しばかり汚すぎる言葉だったが、 これ以上に臨也らしい言葉もないだろう。思わず込み上げる笑いは我慢しなかった。臨也の視線が、ますます険しいものになる。研ぎ澄まされたナイフにも似たその視線は実に久しぶりだ。
「いつから気づいてた」
臨也の声は、少し震えていた。



新宿への道すがら、初めて甘楽と――否、臨也と二人きりで飯を食った日のことをぼんやりと思い出していた。どこか絵空事だった俺の恋が、本物に変わった日。嫌悪と憎悪に覆われて気づけなかった感情にぶち当たった日だ。
ビール苦手ですよね、と確認されたとき、変だなと思った。そんなことを言った覚えはないし、俺の見た目からしてビール飲めないっつったら驚かれる確率の方がはるかに高い。事前に臨也に聞いていたと考えることもできたけど、それよりは同一人物だと考える方がよっぽど現実的だと思った。
だってそうだろう?あんな形容しがたい匂いをふりまいて追いかけずにはいられなくさせる人間が、俺の感情のすべてを一瞬で引っかき回してこねくり回して燃え上がらせるような人間が、二人といていいわけがない。そんなやつ、折原臨也だけで十分だ。
不思議と怒りはわかなかった。それよりも、目の前にいるのが臨也だと気づいたのにも関わらず、気づく前よりも一層ぎゅうぎゅう締めつけられる胸が苦しくてたまらなかった。眉根を寄せて困ったような顔で笑うその仕草に、ああやっぱり臨也だと思った瞬間、気づけば好きだと言っていた。女装までして、今度は俺をどうしたいのだろうかと思わないでもなかったけど、こくりと頷いたのが可愛くてそんなのは一瞬でどうでもよくなった。



「最低。最低だ。計算外すぎて笑いも出ない。遊んでるつもりが遊ばれてたなんて」
悔しそうに歯噛みしながら、臨也はぐっと髪を掴んだ。臨也本来の短い黒髪が顔をのぞかせる。臨也はかつらを撫でてから、離れた場所へ放り投げた。立ち上がって、そのまま俺に背を向ける。小さな背中だ。
「……楽しかった?女装して、演技して、馬鹿みたいだと思ってた?俺は思ってるよ、いつだって思ってた。馬鹿みたいだって、なにしてるんだろうって。なんでやめられなかったのかなあ……シズちゃんが優しすぎたからかな。まあそれも君の計算だったみたいだけど?おめでとう、大成功だよ。この俺が!この俺がまさか君のおもちゃになるなんてね!ああ傑作だ、傑作だよ!誰一人として予想できなかっただろうさ!」
「誰もそんなこと言ってねえだろ……別に、遊んでたわけじゃねえよ」
「そう?へえ、そうなんだ。なら、どういうつもりだったのかな?教えてよ、平和島さん。可愛い甘楽からのお願いだ」
「……臨也」
なんで、お前が被害者みたいな言い方するんだ。騙すつもりだったのはお前の方だろう。そう詰ってやりたかったけど、語尾が妙に震えていたのが気になって、黙って距離を詰めた。肩に手をかけ、抵抗するのに構わずに振り向かせる。いつの間にコンタクトを外したのか、俺を捉えたのは赤い目だった。
「なんで、キスなんかしたんだ。俺だってわかってたなら、なんでキスなんか……」
「手前だってわかってたからだろ。マジでわかんねえのか?……最初に言っただろ、好きだって」
「冗談はやめてくれ。君が俺を好きになるわけがない……」
「手前は……ここまで言わせといて結局それかよ!……ああ、わかった。もういいわ。めんどくせえ。しゃべるな。黙ってろ。黙って死ねよ、俺のために」
背けようとする顎を掴んで、くちびるを押し当てた。あの日と同じように、臨也が俺の肩を殴る。今度は逃がさない。殴ったせいで少し腫れている頬を撫で、舌でくちびるを割った。ひっこめようとする舌を追いかけて、吸って、噛んだ。鼻から抜けた息が甘すぎて、脳髄が痺れそうになる。
「……君は、ひどい」
くちびるを離した途端に、掠れた声で臨也が呟いた。意味がわからない。ひどいのはお前だ。とりあえず、薄い水に覆われ始めた目元にもう一度キスをした。
「ほんとにひどい。君にキスされて、俺がどんな気持ちになったと思ってるんだよ。死ねよシズちゃん。大嫌いだ」
「るっせーな、知るかよ。手前があんな顔ですり寄ってくんのが悪いんだろ。ほらさっさと観念して俺に愛されてろよ、臨也くん。俺はもう離す気ねえからよ」
「……スカイツリーがぼろぼろになっても?」
視線を少しずらして、臨也がそう言った。恥ずかしそうにしてるのがたまらなくて、もう一回キスをした。



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