「最近どこかの子猫ちゃんにご執心のようじゃない?」


そのどこか笑いを含んだような声に、安室は助手席に座るベルモットに軽く視線を向けた。

彼女が子猫ちゃんと称する人物で思い当たるものといえば、FBIのジョディ・スターリング捜査官のこと。
ご執心、という言い方には引っかかるが、あながち間違ってはいないだろう。目下安室の関心事である赤井の生死を調べるのに、彼女は重要な手がかりの一つである。
だがベルモットのまるでからかうようなその物言い。彼女の示しているのがそうではないと告げているようだった。
だとすると、考えられるのは――

「――ああ、彼女のことですか」
「表の顔のあなたが口説き落とそうとしてるらしいじゃない。今度は一体何を企んでるのかしらね?」
「わざわざ人のことを調べまわしてるんですか。あなたも大概暇な人ですね」
「あなたほどじゃないわ」

皮肉を混ぜて言えば、皮肉で返ってくる。なんともやりにくい相手ではあるが、それでも組織のメンバーの中ではまだ取っ付きやすいほうではある。本心は読めない、が。

「バーボンが興味を持つなんて、一体どんな女なのかしら?」
「別にどこにでもいるような普通の女性ですよ。ただ調査対象と親しいようなので、近づくのにちょうどいい…といったところでしょうか。それに…」
「それに?」
「彼女、からかうとなかなか楽しい反応を見せてくれるので」
「あら、遊んでるってわけ?悪い男ね…」

鮮やかなルージュの唇が弧を描く。「その評価は心外ですね」と安室もそれに表情だけで笑い返した。
彼女のことをベルモットに勘付かれたのは面倒ではあったが、実際さしてその興味を引くような人間ではないだろう。表向きは、だが。
だが明らかに何かを"知っている"ような彼女の存在を、ベルモットに知られるのは得策ではない。
一見すれば特に目立ったところもない、ただの一般女性。
けれど接すれば接するほど、彼女は違和感の塊のような存在だった。


思えば初めて会ったときから彼女――渚には違和感を覚えていた。
最初の記憶はコナンの横にいた姿。偶然道で出会ったコナンに話しかければ、こちらも偶然会ったのだという渚を紹介してくれた。
安室を初めに目にした時に、その瞳に過ぎった色は好奇心と警戒心。
好奇心は言わずもがな。わずかに頬を紅潮させてこちらを見るその仕草を見ればすぐに察しはつく。
その類の視線に安室は慣れていたので特に何を思うこともなく、「安室といいます。よろしくお願いしますね」と少し身を屈めるようにして距離を近づければ、途端に身を強張らせて一歩後ずされた。
どうやら好意と警戒心は別物のようだ。さりげなく距離を戻せば、渚はあからさまに胸を撫で下ろす。単純に人見知りな性質なのか、距離が近いのは苦手なのか。
だがそれだけではどうにも納得のいかない違和感を安室は感じていた。
このときは妙に引っかかる程度で、まだ疑うほどではなかった。喉に小骨が刺さったような気持ち悪さだけを覚えて、渚との最初の邂逅はそれで終わった。

けれど渚に会う度、疑いはどんどんを深みを増していく。
それなりに会話をする回数も増え、距離はそれなりに縮まっただろうにいつまで経っても治まらない警戒心。弱くなるどころか増す一方だ。

意外に推理力があるのだろうかと感じたのは、何度か事件に遭遇したときに、渚が犯人を静かに睨みつけていたときだ。
それが一度くらいなら偶然とも考えられたが、それだけに留まらなかった。明らかに犯人に辿り着いている。だというのに彼女は推理を披露することもなく、コナンのように言葉巧みに誘導することもなく。ただ無関心を貫いていた。
目立ちたくないのだろうか、と疑うには十分なほど。
けれど普段の渚からはそんな切れ者の気配は到底感じられず。演じてるとしたら大したものだ。安室の目を欺くほどの演技力を持つ彼女は一体何者なのか。

一度気になって渚の素性を調べてみたことがある。
どうせ何の変哲もないものが出てくるんだろうと思っていたら、その真逆。
何ヶ月か前に通り魔に遭い、一命は取りとめたものの、その時のショックで記憶喪失になってしまったらしい。元住んでいた場所もはっきりせず、未だ彼女の身元を証明する人物すら現れていない。
彼女の名前を持つ人物を片っ端から調べてみたが、それに一致する人物が浮かび上がってこない。当然そんなことは既に警察がしているだろうし、それでも身元が分かっていないということは、名前も忘れてしまい便宜上別の名が与えられたか、混乱した記憶の中で別の名を名乗っているのか、あるいは、偽名。
渚を襲ったという通り魔が未だに捕まっていないのも気にかかる。もし初めから仕組まれたものだとしたら、偽名の線も濃くなる。
疑いすぎといえばそうかもしれない。けれどあらゆる可能性を考えておくのが安室の仕事だった。

決定打となったのは、赤井の情報を掴むために変装してFBIのジョディに近づいたときのこと。
ジョディやコナンと一緒に渚がいたのは予想外だったが、彼女の動向を探るには好都合でもあった。
変装に姿を拝借した男はスリの被害に遭っていたらしく、容疑者の一人として傍でその様子を観察していたが、やはりこれまでと同じように渚の視線は時々犯人へと向けられていた。そして同じようにちらちらと自分へも。
視線が合わないようにはしていたが、安室がそれに気付かないわけがない。
普通に考えれば、ただ容疑者の一人を見ているだけのようにも思える。けれど初めの彼女の反応が、容疑者である前から自分に向けていた警戒心が、そうではないことを物語っていた。
ベルモットの施した変装がそう簡単に見破られるはずもない。現にジョディも、コナンでさえ疑う気配はなかった。
だというのに渚だけが明らかに気付いていた――まるでそれが安室の変装であると初めから知っていたかのように。


(彼女は一体、何者なのか)

取るに足らない存在なら、構わない。杞憂なら、いい。けれど万が一、自分の本来の任務に支障をきたすような存在だとしたら。
それを探るため、彼女に近づくため。警戒心こそあれど、少なからず憎からず思ってくれているらしい渚に、愛を囁くように近づいてみれば。

(まさか、より警戒される羽目になるとは)

否、その可能性も元よりあった。だがその場合は、自分に近づかれては困る何かがあると思ってもいいだろうという考えもあったからこそ試みた方法。
やはり彼女には何かあると思い、暫く探りを入れてみたが、怪しいところこそあるもののやはり普通の女性という印象は拭えない。
杞憂だったか、とそろそろこちらの警戒を緩める頃かと考えていた矢先の、先日の事件。

(何故彼女が、ベルモットの髪の毛を?)

安室はちらと横のベルモットに視線を向ける。色といい長さといい、あの日渚が拾ったものはベルモットのものに相違あるまい。
それを拾わせてしまったのは安室のミスだったかもしれないが、普通髪の毛一本に興味を示すとは思わないだろう。偶然か、それとも意図あってのものか。判断するにはまだ材料が少ない。
ひとまずは回収しておいたが、この様子ではまだまだ渚を観察対象から外すわけにはいかないようだ。
考えていることはすぐに顔に出て分かりやすいのに、どうにも本心が読めない彼女。真の姿は一体どこにあるのか。

「楽しそうね、バーボン」
「そう見えますか」
「ええ。子猫を狩るつもりが、逆に罠に落とされないようにせいぜい気をつけることね」
「そんなしくじりを、この僕がすると思います?」
「分からないわよ。女は無害な羊の皮を被りながら、息をするように嘘を吐く生き物だから…」

妖艶に笑うこの女は、まさにその類だろう。

「…肝に銘じておきますよ」

はたして彼女もその手の人間だろうか。時折無意識に漏れているらしいあの笑顔を思い出しながら、安室はアクセルを踏む足にぐっと力を込めた。

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