- ナノ -




第2章-3


猛暑の日々が続いて、夏真っ盛りの時期を通り過ぎると残暑の時期になる。
残暑といっても、まだまだ太陽の照りつける暑い時期に変わりはなく、各地で夏のイベントが盛り上がりを迎えるのがこの頃だろう。
海なら海水浴、山や川ならキャンプにバーベキュー、町村なら夏祭り。
夏と言われて思いつく定番のイベント行事には沢山の人々が訪れて賑わう事間違いない。
そして、季節を限定するものではないが、休みの期間に親子連れが遊びに行くのが遊園地。
今日も今日とて、親子やカップル、友人同士で混み合う人込みだなとパンフレットを持ちながら思った。

「えーと…メリーゴーランドが右側だから、ステージの前を通り抜けた先の小道…あっちかな」

江戸で最大のテーマパークである大江戸遊園地なだけに、アトラクションの数も多くて敷地もかなり広い。当然、どこへ行く先も人であふれかえっていて、パンフレットで道を確認しながらも前は注意して歩かないといけない。
近くにあるアトラクションとマップを照らし合わせて独り言を呟くのも仕方ないよね、と自分で許してしまう。歩いていく中でも、周囲から聞こえてくるテンションの高い声や叫びが楽しそうだなぁと心が躍った。
しばらくすると見えてくるのが、園内でも一番奥まった位置にある大きなアトラクションだ。
施設自体が大きいけれど外見は地味になっていて、マップと比較しなければパークの装飾だと思ってしまうほど目立たない。
そこへ続くゲートの手前が目的の場所であって、無事に時間通りに辿り着けたのに安心する。
数分ほど待っていると、時間通りに係員さんがやって来て私を見つけた。

「君が今回派遣された人!?良かった、来てくれて助かったよー!…あれ?君だけかい?」
「こんにちは、今回はよろしくお願いします。?、今回お話を受けたのは私だけだったと思うのですが…」
「いやいや、君の所は君だけで当たってるよ!君じゃなくて他の所からさ…上司が急に他にも依頼をしたらしくて、あと三人来る事になったらしいんだけど…遅れてるのかなぁ?」

困ったな、と呟き、右へ左へ歩いて考える係員さんは真面目に困っているようだ。
時計を見てから唸って、「仕方ない!」と言い切ったと思ったら再びこちらへ向いた。

「すまないが、残りの三人が来たら仕事を始めて貰えるかい!?内容はコレ見たら分かるようになってるから、説明も頼むよ…!」
「えっ…あ、はい…!分かりました」
「あーあ、最後の施設調整をしなくちゃいけないし、スポンサーとの宣伝と予約チケットの確認とッ、やることがいっぱいだ…!!忙しいィィー!」

押しつけられるように渡されたのはアトラクションで使用する無線機に似た子機だ。
ボタンと使用方法を確認していたら、係員さんは頭を抱えて叫んでしまう。
忙しさと焦りで相当切羽詰っているんだろう…とても大変そうだと気の毒になってしまう。

「よろしく頼んだよアルバイターさん!他の三人は自営業の人たちらしいから、すぐに分かると思うよ!」
「自営業、ですか?」
「そうそう!何でも屋?だったかな?らしいんで!」
「あ、ちょ…っ」

「よろしくねー!」と、エコーをかけながら走り去っていく係員さんへ問いかけ途中の手が中途半端に止まってしまう。自営業で何でも屋と聞いたら、思い浮かぶ人たちは限られてしまうのだけども…。けれど彼らでは無いかもしれないし、と首を横に振って思い直した。
とにかく三人組みが近くに来たら話しかけてみれば分かるだろう。
もしくは、慌てて走ってくる人たちだったら聞かずとも分かるだろうし。
協力してやれば仕事は上手くいくはずだと結論して、子機の確認に集中する。
十数分後、私の予想は良い意味で見事に当たったのだと、顔を合わせて思う事になった。

「あぁ!?ナナシさんじゃないですか!」
「おー!ナナシも遊びに来てるアルか!?」
「いや、俺らは仕事だろーが!…よぉ、奇遇だな」
「やっぱり万事屋さんだったね…こんにちはっ」

駆け足で走ってきた彼らは遠目でも誰だか分かるから、そちらを向いて出迎える。
挨拶代わりに向けられたのは、純粋に出くわした驚きだ。
私自身も驚いているけれど、出てくるのは別の感情が先だった。
本当に偶然の重なりだけども、こうやって時々彼らと鉢合わせるのは嬉しいんだ。
笑う私を不思議がる新八くんが、私の持っているモノを見て目を丸くした。

「それ、もしかしてアトラクションの道具ですか?ひょっとして今回の依頼は貴女が!?」
「ううん、違うよ。私も依頼をされた方…正確には依頼を受けた先から派遣されたんだけどね」
「お前と仕事重なる事になるとはなァ〜…江戸も狭ェもんだ」
「単に僕らが派遣会社と同レベル扱いされてるだけだと思いますよ。そんなに感慨深げにしないで下さい、恥ずかしいです」

格好つけている坂田さん相手に、ズバッとドライな新八くんが両断してしまうのは慣れてるからだろうな。
ともあれ、一緒に仕事が出来るのは心強いので持ってきた子機を神楽ちゃんへ手渡した。

「入り口は複数あるから好きに選んで良いみたい。私は君たちが選んでない方から行くから、先に好きなルートを選んで。攻略のヒントはポイント地点ごとで子機が教えてくれるから迷う事は無いと思うけど、結構暗いみたいだから気をつけてね。あと、要所ごとの感想もまとめて聞きたいって係員さんが言っていたから感じた事を覚えておくと良いかも」
「せ、説明ありがとうございます…アドバイスも助かりますけど、結構暗いってどういう事なんですか?」
「え?三人も今回の新作アトラクションのモニターを依頼されたんだよね?」
「はい。来週から正式にお披露目するから、その宣伝用の感想が欲しいって頼み込まれまして」
「オッサンが急に土下座してきたヨ。挨拶が札束だったから、銀ちゃんが即オッケーしちゃったネ」
「あの額だぞ!?受けなきゃ勿体ねェだろうが!」
「と、いう訳でして…恥ずかしながら、実はアトラクションのモニターとは聞いていたんですが、どんな内容なのかサッパリなんです…」
「なるほど。大丈夫、そんなに難しいものじゃないよ。探索して出口を目指すウォーキングメイズだから」
「よ、良かった!それなら何の準備もしていない僕らでも大丈夫ですね…!」
「元がアトラクションだし、気張らず楽しむくらいでいこうってね?」

説明を聞いて、ようやく肩の力が抜けて安心したらしい新八くんに笑ってから、張り切っている神楽ちゃんへ子機のボタンを説明する。
覗き込んでくる新八くんへも、もう一度軽く説明している間、坂田さんは鼻をほじって上の空だったけど。
使い方を十分に伝えて、準備も整ってから入り口へ続く道を示した。

「さぁ、行こう!ニュー・呪われた死の病棟ホスピタルパニックへ」
「「え」」
「!?」
「え?」

繁みに隠されるようにある血文字のアトラクション名に、新八くんと神楽ちゃんが驚いたのは分かるけど。
それ以上に後ろで坂田さんの顔が凄い引きつって、声になってないんだけど…どういうこと?
思わず聞き返してしまったら、二人が坂田さんの方を振り返った。

「まさかのお化け屋敷だったアルか。どーするネ、銀ちゃん」
「ココのホラーアトラクションって江戸でも指折りの怖さで有名ですよ…無理しない方が…」
「は、はははっ!ば、馬鹿言ってんじゃね、ねねーよ…!おお、お化け屋敷なんざ、ど、どうせ子供騙しだしィ?ぜ、ぜんっぜんっ平気だからァ銀さん楽勝で笑い止まらねェからァ!」
「いや、めちゃくちゃ足震えてますよ」
「手汗凄いネ、握らないでヨ」
「馬っ鹿、おめっ!コレ、武者震いだからァ!あぁッ日差しが熱くて汗やべェわ、マジやべェだけだから…!ねッ!?」

つまり、怖くて堪らないって事なんですね…。
とは、声に出して言えないので曖昧に笑って返すしかない。
言ってしまったら、きっと坂田さんの様子はもっと酷く面倒なものになるだろうし。
既に、滝汗ダラダラで血の気の引いている顔の精一杯の笑みと強がりが可哀想なくらいだ。
ペラペラと口ではしゃべっているけど、両手がガッチリと二人の手をホールドしている。
この人の性格上、素直に駄目だからリタイアするという方向は無いのだなぁと嘆息した。

「ルートの途中で、中断用の出口も設けられているみたいだから位置を覚えておくと便利じゃないかな」
「はい、そうしておきます。すみません、お気遣いありがとうございます…まったく、銀さんが…」
「俺が何だってぇ!?」
「いいえ、何でもありませんよ〜。本当に良いんですねっ?僕、どうなっても知りませんからね」
「邪魔になったら置いてくアルからな」
「はっはっは、そりゃこっちの台詞だコノヤロー!せいぜい暗闇でハグれねェように、しっかり手繋いで離すんじゃないで下さい!」

後半の台詞が上目線からなのか下目線からなのか…とにかく、二人のドライな視線だけが答えだった。
新八くんは坂田さんにこれ以上言うつもりはないらしく、さっさと入り口を選択して先頭へ。
そこに同じ足幅とペースで並ぶ神楽ちゃんも勇ましいなと思う。
問題は、そんな二人に引っ張られる形で引きずられるようにして暗い入り口へ消えていった姿だった。
あんな調子で大丈夫なのだろうかと思いつつも、完全に姿が見えなくなったのを確認してから私も入り口を選択した。

「…さて、最初のポイントは隔離病棟か…」

薄暗く点滅している非常口マークと狭い一本道から、配置的に非常出入口なんだと思った。
子機に内蔵されていたペンを取り外してスイッチを入れれば、僅かに視界を照らす光になる。
ペンライトの灯で数歩先は仄かな光で見えやすくなるが、それ以外は非常に暗く視界が悪い。
闇に目が慣れてくれば多少違うだろうが、それでも壁に手をついて慎重に進んでしまうだろう。
暗いのもあるが、廊下へ踏み出す自分の足音が反響して大きく響く以外何も聞こえないのだ。
そして、真っ先に五感で働くのが嗅覚。
視界も悪い、音も無い…とくれば、次に研ぎ澄まされるのは臭い。
意識せずとも廊下の奥から漂う薄い刺激臭が鼻をついて、顔をしかめさせてくれる。

(アルコール…消毒液の臭い。それに、僅かだけどサビた鉄の臭さがある)

病院へ訪れた事がある者なら絶対に嗅いだことがある特有の臭いに加えて、吐き気を覚えさせない程度の不快なサビ臭が鼻につく。
手をついている壁へペンライトをかざせば、ざらつているのが変色してひび割れているからだと分かる。
廊下は一本道であって、臭いは進む先から漂ってくるから自ずと足は竦むだろう。
後ろを向いても、既に入って来た入り口は固く閉ざされて見えなくなり、最初から壁しか無かったような状態になっている。
後にも引けず、先が見えない静寂と限られた五感を最大限に刺激して既に恐怖を十分に煽る。
よくできている、と思いつつ、ライトを握り直して廊下へ足を踏み出した。

「…!」

それから階段を上がって、出くわしたのはカウンターのある待合室だ。
奥へ光を向けると、左右にそれぞれ複数部屋があるから、ルート的にあそこが病棟だろう。
待合室とカウンターには黒ずんでいる鉄の扉が中途半端に開いていた。
精神病棟などで患者が逃亡するのを防ぐために見る、アレだ。
近づいて触ってみると、冷たくて押した反動で…ギィ、と音が鳴ってしまった。
咄嗟に周囲を確認するが、相変わらず不気味なほど静かで何もない。
カウンターの奥へライトを向けた時には、さすがに目を見張ってしまったけれど。
おびただしい血飛沫が飛び散った壁と散乱した書類に荒れたデスク。
デスクに横たわるナースは首が変な方向に曲がっており、椅子には物干しにされたような形で倒れる他のナースたち。ダラリと垂れた両手と逆さになっている何も映さない虚ろな両目が、真っ向からこちらを見ている迫力と言ったら言葉にできない。
しばしば固まって目を逸らす事が出来なかったけれど、首を横へ振ってライトを逸らした。
江戸屈指の恐怖と評判なだけあって、死に方や表情、血の垂れ方までリアルで背筋に寒いものが走る。

(本当の死体を見てるみたいだ…力の強いモノに襲われて首を曲げられて、身体を干せば…ああなる…)

多分…と、まで考えてから、ハタリと足を止めて自身の考えに眉をひそめてしまった。
鉄の扉を潜って病棟の方へ進み、部屋を確認して荒れ果てた入院ベッドを見ていく。
途中で、呻き声がしたり、叫びが遠くで聞こえたり、倒れている死体がガタリ!と急に動いたりしたけれど。
その度に驚きで身体を跳ねさせたが、どれも不意を狙う驚かしだった。
最後の病室へライトを向けて、フゥ…と溜息をついた。

(何で、私…本物みたいだなんて思ったんだろう)

見てきた血の表現や死体のリアルさに感心してしまった自分の感覚だ。
急に視界に入れてしまえば驚きで固まってはしまうけど、恐怖とまではいかないのだ。
いくら足を進めても、不気味な手術の痕やホルマリン漬けのグロテスクな生き物を見ても。
ライトを暗闇へ向けて映った先に自分がいて、それに今日一番「!」と肩を揺らしてしまった。
どうやら大きな全身鏡が設置されているようだと理解して、再び息を落とす。

「……」

ライトをもう一度向けて映るのは自分だけ。
すっかり暗さに馴染んだ目に映る闇に同化しているような薄暗い自身と、その顔を見て鏡へ手をついた。自分の顔を片手で覆い隠すように、だ。

「…そうか、私の怖いと思うもの…コレだったか」

フッと笑って漏らしたのが自嘲だと分かっていたけど、鏡から手を離して身体を背けた。
後姿が映っているんだと思う、振り返らないが。

(独りは、嫌いだな…)

自分自身の事が、一つだけ思い出せた気がした。

「次行こう…子機のポイントだと病棟を抜けて地下へ向かうのか。位置的に霊安室かな?」

気を取り直すためにも、小さく声に発して次の目的を確認するために子機の表示を見る。
薄く輝くマップと光る点が自分で、時々、現れては消える黒い点は徘徊しているお化け役か。
表示だけ恐怖を煽るためか、本当に徘徊しているから遭遇すると追いかけられるのか。
どちらもウォーキングメイズのお化け屋敷には相当の恐怖感があると思う。
私自身は冷静に見てしまっているけれどなと苦笑にした時。
後ろの奥の方から、つんざくような絶叫が木霊した。

「な、なに!?」

あまりの音量だったので、そっちにビックリしてしまって落としそうになった子機を持ち直す。
次いで、「うぎゃぁぁぁーッ!」と「出たぁあああ!!」との絶叫が二つ重なってバタバタと駆け下りていく音。
エコーをかけて遠のいていく叫びと足音に、「……」となってしまった。
聞き間違いでなければ、あの二つは新八くんと神楽ちゃんだと思う。
けれど、坂田さんと違って冷静に突き進んでいった二人が、あんな絶叫を上げるだなんて。
何より、気になったのは、二人の叫びに混じって上がっていた短い絶叫が真逆へ消えた事だ。
方向的にこちらだったけれど、あの様子だと完全に分かれてしまったんじゃないだろうか。

「……」

少しだけ考えてから、足を向けたのは進む方向とは逆…戻る方だった。
このフロアは探索し終えているから、マップを見ずとも一通り配置は頭に入っている。
声が途絶えた遠近からして、絞り込める部屋は恐らく限られる。
念のためと思いながら、廊下の始まり…鉄の扉がある方まで歩き戻る。
入ってすぐの所にある病室を覗き込んだ時、ベッド近くの壁に背をビッタリ張り付けてガタガタと震えている姿を見つけた。

「坂田さん…!」
「ひィ!?おおお、おまッ、ナナシか!?」
「はい。凄い叫びが聞こえたので戻ってみたんですけど、見つかって良かったです」
「んな事より、アレェ!アレが出たんだッアレが!!」

アレと連呼している坂田さんの顔は、完全に血の気が引いて涙目になっている。
相当パニックになっているのだろう、入る前に語っていた虚勢すらどこへやらで。
入り口に立っている私の方へ詰め寄ってきて説明しようとしているようだ。
残念な事に言葉になっていなくて、「アレが!」をひたすら繰り返している。

「そ、そーだよなッ…ココまでくりゃ何とも、ねェしィ…!アレだってよ、所詮は半透明なスタンドだろッ!?ちぃと驚いただけだからね。べ、別に銀さん怖いとか全然違うから!」

半透明なスタンドって何だろう…お化け役の事を言っているんだと思うけど、半透明は有り得ないだろうに。
とにかく落ち着かせようと、坂田さんと向かい合っている。
そう、向かい合っているのがいけなかった…何せタイミングが悪かった。
本当に突然、横の廊下からドタドタと走って来る音が聞こえて二人して顔を向けてしまったのが運の尽き。
全身血まみれの白い服を着たおぞましい顔のゾンビが「うがァがあガ」と奇声を発しながら駆けて行く。
右から左へ凄まじい速さで駆け抜けていったけど、横切るのは至近距離に近い一瞬だった。

「ッッッ!!」
「わ!?ちょッ」

猫の毛が逆立つように坂田さんの天パが凄い事になった気がすると思った時には遅く。
恐怖過ぎて叫びにすらならなかったんだろうけど、私の視界は一気に暗くなると同時に正面からの重さに耐えられなかった。
身体が前からの力に抵抗できずに倒れて、床に軽く頭をぶつけて顔をしかめる。
それから、見える天井と自分を包む温もりと、今の状況。
考えついてから、項にかかる銀色の癖っ毛に目を開いてしまった。

(なッ…何でこんな状態に!)

完全に押し倒されている上に、身動きができないくらいに抱き締められているのだ。
これには意識した時点で全身が熱くなって、顔まで上気するのが分かってしまって。

「坂田さんッ離れッ」

両手に渾身の力を入れて引き剥がそうとして、抵抗しようと。
肩へ触れた時に、伝わった感覚に手を止めてしまった。
触れている指がカタカタと小刻みになっている背中の揺れを伝えるんだ。
途端に叫びかけていた口も開いたままで、音にならずに落ちる静けさ。
駆け抜けていったゾンビの音も一切しなくなって、再び不気味さを漂わす静寂だけれども。
抱き締めてきて、顔横にかかる埋められた下から発せられる息すら震えていると分かるから。
本当に怖いのだ、と。
引き剥がそうと広げていた掌の形を変えた。
そっと触れる程度に背中へ回して触れ直す。
辛うじて肩上から出せる顔を上げてから、意識して紡いだ声色は想像以上に笑いを含んでしまっていた。

「大丈夫、坂田さん、大丈夫ですから」
「……ッ」

それから何も言わずにいる事、お互いに数十秒。
動かずにいると徐々に小刻みが無くなっていったので、回していた手を下ろすと同時にバッ!と坂田さんが起き上がる。
身動きができなかった身体が動けるようになったので私も少し遅れて起き上がると、見上げた坂田さんが両手を自身の前に変に構えて固まっている。何をしているのか分からなくて首を傾げたら、手の合間から引きつった顔の坂田さんが見えた。

「どうしたんですか?」
「わッワザとじゃねェ…ッ、好きでやった訳じゃねェェから!」

構えられている姿勢と引きつっている顔で、ようやく何なのか理解して「あぁ」と呟いた。
思い返すのは、先日、新八くんのお姉さんの黒団子騒動だ。
可哀想なほど一方的に且つ物理的に沈められていたから、仕出かした事への防衛反応という奴だろう。同時に思うのは、坂田さんって日頃からどういう女性たちと関わっているんだろう…であるけど。反射的に身構える癖が出てしまうほど返り討ちにしちゃう、物理的に強い人たちが多いのかもしれない。
立ち上がってホコリをはらってる間も、派手に肩を揺らしてビクッ!となっている坂田さん。
それに笑いを殺しながら、手を前へ差し出した。

「!?、な…っ」
「手、出して下さい」
「は、はぁ?」
「酷い事なんてしませんし、さっきの事はワザとじゃないって分かってますから。それでも、気にされているなら手を出して下さい」
「?…こうか?…うぉっ」

最初は驚いて警戒満載だったけど、私が気にしていないと言い切ったのに安心したみたい。
渋々といった感じで出された手へ、出していた私の手を重ねて握れば驚く声。
それには堪えていた笑いを漏らしてしまって、こちらを見ている坂田さんと目が合う。
だから、握っている手を引っ張って向きを変えて足を踏み出した。
後ろの方で、「オイ!」と言った坂田さんへ顔だけを向けて言い切る。

「これなら離れないですから。あ、離しませんから、坂田さんもしっかり離さないで下さいねっ」
「!…」

開かれた瞳に私の笑みが強く映ってる、うん、大丈夫!と自身でも思えた。
眉が一度だけ上げられたけど、文句が言われないから肯定なんだろうと解釈して足を進める。
もう片手で子機を確認しつつ、片手はしっかりと坂田さんと繋ぎ合って。
さっきまでと違って、不思議なほど気分が違っていた。
それから、地下へ下って霊安室に安置されている死体を一つ一つ確認していく作業。
次に、隣にあった人体実験の手術室に寝かされている欠損死体が動き出すのに追われる羽目になって。「うgxぐkdfhwッッー!?」と叫ぶ坂田さんと一緒に、二人三脚みたい状態で一気に手術室を脱出。飛び込んだ空間は今までで一番暗く、闇に慣れた目でさえ坂田さんの姿も見えなくなるほどだった。
息を切らしながらパニック状態で「!?、!?」と何やらわめている坂田さんの気配は分かる。
視界は何も情報を得られないけど、ココへ飛び込んだ時点でペンライトが消えた事は頭で情報にしている。
何も発さずに周囲へ耳を澄ませて感覚を探る中で、今も動揺している坂田さんの開きかけた手を一度だけ強く握った。ビクリと動いた指が反応してから、間があって、上がっていた短い音が無くなる。
静かになる…でも、隣にいる…見えないけど、同じくらいの強さで握り返された感触で十分だ。
それで聞こえた僅かな音とそよぐ感覚に、ハッとなって方向を定める。
どこも真っ暗で方向なんて分からない、先も見えない。
けれど、自分の肌が正確に外部から伝わる風を感じていた。
後は定めた方向へ迷いなく足を進めるだけ。
後ろから追いかけてくる音がしようが、雄叫びや不協和音がしようが意識にすら無かった。
顔に触れた感触を押し開くと同時に、身体が飲み込まれるように世界が変わった。

「ッ眩し…?」

急に体にあたる熱さと飛び込む明るさに、目が慣れるまで時間が掛かってしまう。
瞑っていた瞳を何度か開いて明るさに慣れ、視界に入った情報で外だと理解できた。
見渡せば出口と書いてあり、震えた子機に大きく『脱出おめでとう!』の表示。
どうやら無事に脱出できたみたいだと肩の力を抜いたら、横でドサッと音がした。

「坂田さん!?大丈夫ですかッ?」
「気ィ抜…いやいや!さすがの俺も少し疲れちまったわ!ちょっと疲れてるだけだから!」

よほど気が抜けたのか全身から緊張が抜けたのは丸分かりだけど、出てくる言葉の意地は変わらないみたいだ。入る前に新八くんが諦めていたように、これがこの人なんだろうなって。
緩む口元を隠さずに、腰を落として坂田さんの隣へ座って目線を合わせる。
しゃがんで息を吐いていた坂田さんがこちらを見て、「何だよ」とぶっきらぼうに言うから。

「江戸屈指の恐怖の評判は、伊達じゃ無かったですね」
「まぁ、多少は驚かされたわなァ。うん、多少な…楽しめはしなかったが、よくできてたんじゃねーの?もう二度と入りたくな…、いや、一回で飽きるけどな」
「楽しめなかったですか?私は坂田さんと合流してからは楽しかったですよ」
「俺の態度が面白かったとかか!?実は笑ってました的な!?お前ッ、根性悪ィなコノヤロー!」
「いいえ、違いますよ…そういうんじゃなくて。独りじゃありませんでしたから」
「!」
「坂田さんと一緒だったから、怖くても楽しかったです」

最後までずっと手を離さないでいてくれたし、と視線を落として繋いでいる手を見た。
それに坂田さんも目を開いたから、今、気づいたらしい。
感触に意識すらいかなくなっているくらい、ずっと繋いでいる手の指を解いて離した。
立ち上がった時、隣の向こうの方で足音と叫びが二つ聞こえたからというのもある。
あの音は、間違いなく他の二人のクリアを教えるものだろう。
モニターは大変だったけど、それ以上に覚えた楽しさと嬉しさがあったから。
浮かべる笑顔も隠す気は無くて、そよぐ風が気持ち良くて目を細める。
それから、横の静けさと向けられる視線に気づいて目だけをやったら、見事にこちらを凝視している坂田さんの珍しい表情があった。
呆けているような、固まっているような…いつものやる気無いものとは違う。

「どうかしました?」
「…いや、何でもねェ…そう!無ェよ、無ェって…無い!コレは無い!」
「?、えーと?」
「吊り橋だッ吊り橋!無ェな!無ェモンは無ェ!そうだよね!?」
「えぇっ?…うーん…無、無いんじゃないですか?」

何が無いのか全く分からないけど、自身の開きっ放しだった両手へブツブツ言ってから立ち上がって。私にまで同意を求めるから、とりあえず頷いておく。
そうしたら、「だよなァ!うん、アレはコレだから、総じて無い!」と何度も頷いて納得させているようだった。とりあえず、お化けの恐怖は無くなったみたいだから安心したのかな。

「新八くんと神楽ちゃんもゴールしたみたいですから、会いに行きましょう」
「……」
「坂田さん?」
「!…あ?お、おう…行くか」
「はいっ」

けれど、マジマジと私を凝視するのは何でかな?
気にはなったけども、すぐに坂田さんの調子が戻ったから多分、大丈夫だろう。
それから二人と合流して、脱出してきたばかりの涙目な二人と置いて行かれた坂田さんの抗議でプチ喧嘩が勃発してしまう締めくくりになった。

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