- ナノ -




一夜楼事件録


「捜査協力だぁ?」

タバコを咥えたまま土方は眉を釣り上げて、目の前に座す名前を見やる。
手元には提出された最近の報告書だ、それも名前がまとめた独自のもの。

「はい、この事件のです」
「事件ったってこりゃ…言いにくいが、正式なモンじゃねェだろうが」
「そうですね、場所は吉原。私たちの管轄が及ばない所です」
「…お前が吉原の女どもと懇意にしてるのは知ってる。あっちとこっちを繋ぐパイプ役になってる事も。だが、これとは話が別だ」

江戸の地下にある常世の街、吉原。
男は天国、女は地獄…と言われていたのはつい最近まで。
吉原の救世主が街の支配者を倒して太陽を取り戻して以来、開放的で自由になった。
それでも幕府の手が及ばない治外法権な場所であるに変わりない。
そんな地を今まで守ってきたのが、死神太夫こと月詠が率いる吉原の女自警団である百華…名前も個人的に親しくしていた。

「はっきり言おう、いくら目星が幕吏だろうが俺たちは動けねェ。助けてやれねェ理由は分かるよな」
「天導衆や幕府高官の息かかるあの地に真選組では手を出せません。そうなれば組織自体の地位も危うくなるから」

言い切った名前はついで休暇届と警察手帳をスチャリと取り出し、「なので“名前”で動きます、遊女として」と発言した。
土方の手からポロリとタバコが落ちる。

「っ遊、おまっ、ハァァア!?言ってる意味分かってんのかッ!」
「本当に遊女になるわけではないですから。あくまで、囮です。ただ万一もあります、真選組に迷惑をかけない為に休暇で警察手帳も預けていきます」

土方さんに伝えていれば安心だ、とでも言いたいのだろう。
自信満々に言い切って、「それでは」と退出していく名前を見て重い溜息をついた。

「普通、万一の心配なら自分の身だろ、あの馬鹿は…」
「そこが名前らしいですぜ」
「総悟、お前聞いてたのか」

名前と入れ違うようにスパンッと襖を開けて土方の部屋に入って来たのは沖田。
堂々と胡座をかいてお茶菓子を食べ出す様子に土方の眉間に怒りマークが浮かぶ。

「分かってて許可出したのか、珍しい」
「出してやせん、俺にゃ一切相談しやせんでしたぜ。土方マヨネーズ野郎」
「マジか。ってオイ、マヨネーズ野郎って何だ、八つ当たりするな」
「だから俺も好き勝手やりやす」

お菓子の空袋を丸めて土方の手に握らせると、名前の置いていった警察手帳だけを手に部屋を去ろうとする。
それを見送る土方…になるわけがなく。

「総悟、待てコラァァ!」

ドタバタと屯所の廊下で追いかけっこが見られたらしい。


ー貴女さまは救世主はんの良い人では?

お夏という名の年下の少女に声を掛けられたのは、名前が日輪たちと話した帰りだった。
貧しい村から身売りされて遊女として育ったと語るお夏は大人しく気立ての良い性格で、名前はすぐに打ち解けて仲良くなった。

そのお夏の同僚が最近、客をとっては次々と行方をくらませているという。
勿論、最初は吉原の自警団である月詠が中心に捜索を行っていた。
お陰で目星はつけたのだ、店の上客…幕吏の高田という男。
しかし問題はそれからだった。

「名前、本当に良いのか?やはりわっちが今からでもお夏に言って…」
「いいえ、大丈夫。な、何とかなるでしょう…うん!」

かつては上客を迎えていた楼の1つ、大部屋へ通じる廊下の隅で名前は難しい顔をしていた。
その横で月詠は心配して気にかけてくれる。
お夏たっての頼み、どうしても名前に傍にいてほしいとの理由で今回の事に協力する事になったのだ。

「しかし、…いや、主を信じていないわけでない!わっちが心配しておるのはこの男じゃ!」
「何言ってんだ、俺がいた方が安全に決まってるだろーが。第一、俺抜きでこんな話許すワケねーだろ?あ?」

怒りの表情で月詠が見た大部屋の先、杯と一升瓶を片手に顔を出すのは銀時で。
既に酒を飲んで紅い顔でヘラヘラと返す。
その様に緊張感がないため、月詠は非常に不機嫌であった。

「貴様は着飾った名前が目当てなだけじゃろ!」
「当たり前だろうが」
「開き直るな!!」

呆れ顔の名前はふと肩の力を抜いて苦笑する。2人は気がついていないが、そんな遣り取りが落ち着かせてくれる。
そこへヒョコリと顔を出した日輪が「ほら、そろそろ準備しないと」と名前を呼んだ。
まだギャーギャーと口喧嘩をしている銀時と月詠を置いて、名前は日輪に近づいた。

(高田は昔の遊郭の雰囲気を好む。度々、この店の客として遊女だった娘たちをはべらして遊ぶだけだったが)

ある日を境に、高田の相手をした娘たちの消息が何故か追えなくなってしまった。
逃げたわけでも捕まったわけでもない、煙のように消えていく。
月詠や日輪の調べで、ようやく高田が仲間である高官たちの手を使って女たちを捕えている事が分かった。
その矛先もいよいよお夏へ向いたというわけである…そのお夏を助けるため、名前が遊女に扮して加わるのだ。

「良いかい、名前さん。高田は吉原通いが長いから百華への警戒も強い、だから顔の知られてる月詠は相手に出せない」
「はい。だから私が新参者として座敷にあがって酒の相手をし、好きを見せたヤツらを一網打尽にするッってワケですね」
「フフッ、そんなに気負わないで良いよ、変に染まろうとするから上手く出来ないのさ」
「は、い…」

キリッとしていた眉間に指を突かれて、たちまち眉を下げる。
やはりお夏の様や月詠の話を思い出しても、上手く吉原の女らしく振る舞えない。
どうしたって武士として漢気が抜けないからか…自身に女としての魅力が足りないのではと凹んでしまう。
そんな名前の表情を見透かして、着飾りを手伝っていた日輪が笑った。

「大丈夫、元・吉原一の私が保証するんだから!さ、じゃ予行演習行きましょうか」
「え」

紅をひき終えて日輪が車椅子を動かして名前を引っ張る、見ようとした鏡を取り上げられて名前は慌てた。
美しい着物の裾に翻弄されながら戸惑っていると、片手で器用に名前を連れて行く日輪が「あら、何のためにあの人呼んだと思ってるんの」と言う。
え、と言われた意味が理解出来なくて冷や汗を流すと、連れて来られたのは先ほどの大部屋だった。

「お夏の準備もまだかかる、高田たちが来るにはまだ早い。なわけだから、まずは顔見知りで練習しなさい」
「え…まさか、や、無理です!日輪さんっ銀さんはっ無っ」
「じゃあ、時間にね〜」
「ちょっとォォ!?」

アワアワとしている間にウフフと素晴らしい笑いを残して去っていく日輪…とても車椅子と思えない速さだった。
唖然とした状態で残されたままの名前は、まさかのイベントに固まっているしかない。

(無理ィィ!いや絶対ッ無理ィィ!?だって銀さんだよ!?遊び慣れてるもの、いっぱい可愛い娘たち知ってるもの!)

攘夷時代は遊郭やキャバクラに行っていたし、再会前もそれなりに遊んでいたはずだ。
認めたくないし悲しくないわけがないが、幼馴染だからこそ聞かずとも想像がつく。
そういう娘を見慣れた彼の目に、半端な自身を見られたくなかった。
が、そんな葛藤を許してくれるはずもなく。

「おーい、名前ちゃん。ソコいんだろ?いつまでつっ立ってんですかァ〜、客待たしちゃ駄目だろ」
「!?う、わ!?はい!!(返事してしまったァ私の馬鹿ァァ)」

襖の向こうから聞こえた声に反射で反応してしまい、習った所作で襖を開けてしまう。
下げたままの頭の上でシャラリと簪が鳴って、激しく後悔するも既に逃げられない。
「お!」と声を上げた銀時の様子が明るかったから、酷いようにはならないかもしれないと諦めて顔を上げた。
その瞬間、想像しなかった銀時の変化に名前自身も目を見開いて呆けてしまう。

「!!」

カランッと、手から杯が落ちて酒が零れる。
すっかり出来上がって半目になっていた紅い瞳は珍しく限界まで大きく開かれ。
文字通り、釘付けというような驚きで、そんなに変だったのかと眉を下げる。

「え、っと…名前、で御座います…(違う!ありんすだって私ィィ)」
「……」

初っ端から廓言葉を出し損なって、情けない顔のまま頬を染めて静かに襖を閉める。
未だ固まったままの銀時へと近寄って、とりあえず酒だけでもついで終えようと思った。
落とされた杯を取ろうと手を伸ばすと、反して銀時の手に手首を掴まれる。

「?、銀さ…ッ、ん!っ、」

手首を強い力で引き寄せられ、後ろから回された片手が顔を上げさせた。
そのまま勢いのままに唇が奪われ、何度も深く角度を変えて迫られる。
息継ぎが出来ない程加減ないに、苦しいと抵抗しようとすると手を抑えられる。
体勢を崩して畳に雪崩れると一升瓶が音を立てて倒れた。

「?!、はぁッ…ま、銀さん!待って、どうし、たの!?」
「…どうしただ?本気かおめェは。んな姿で出てきやがって、一気に酔い覚めちまった」
「えぇ!?そんなに?!…あぁ、どうしよう…それじゃ座敷になんて上がれない…」
「何でそーなんだよ、違うだろ!ったく、相変わらず斜め上な思考回路しやがって」

くそっ、と舌打ちしながらも名前を押し倒しまま上からどかない銀時に首を傾ける。
悪態をつく口や表情とは裏腹に、裾の合間からはみ出した太ももやら首筋に這う手は止まらない。
首筋に埋められた顔は表情をわざと見せないためだろう、小さな呟きを拾えた。

「おめェの上がる座敷は俺んトコだけだろうが…な?俺だけの太夫でいろ」

低く色を含んだ声に感情が高鳴る。
しかし、すぐにキリッと瞳をしっかりさせると力任せに銀時を首元から離した。
「おわ!?」といきなりの反動で後ろへ尻餅つく形になる銀時の方へ起き上って近づく。

「それでも今は駄目。私は太夫としているんじゃない、お夏ちゃんを助けるためにいるから」
「…ハッ、やっぱ名前ちゃんだわ…」

名前の気迫に呆れ笑いを漏らした銀時の目には、強い光を宿すいつもの瞳があった。
立ち上がった名前の姿は、太夫でなく隊士のモノだ。
迷いの吹っ切れたらしい所作に、「ちょっと外の様子を見てくる」と言った名前をヒラヒラと手を振って見送る。
倒れた一升瓶を立てながら、杯を拾った。

「楼に納まる女じゃねェのが、名前ちゃんだもんな」


大部屋から外へと出て歩いていると、廊下が随分と薄暗い事に違和感を覚える。
いくら夜だからと言って、灯りをここまでつけないのはおかしい。
日輪か他の女性を探そうとして歩く内、微かに聞こえた音に瞬いた。

(声…?)

バタバタと走り、次いで、掠れるようなソレが悲鳴なのだと。
それも聞いた声だと理解して、動きづらいのも忘れて駆け出した。

「お夏ちゃん!」
「っ…名前は、ん!?」

バッと駆け寄った先は、客を迎える座敷ではなく隅にある控えの部屋。
嫌がるお夏を捕まえ、短刀を構えていたのは件の高田だった。
時間にはまだ早すぎるのに予想外の事態にお夏も驚いて動揺したのだろう。
それも手慣れた高田の狙いだったのかもしれない、この強行も。

「高田!お夏ちゃんを離せ!」
「…やはり、貴様ら遊女の分際で拙者を謀ったな!このッ」
「!?きゃぁあ!」
「!!」

完全に頭に血がのぼっているらしい高田が叫び、短刀を振り上げた事で名前も焦る。
もつれる足に構わず、脱げかけていた着物を翻してその合間に飛び込んだ。
視界が布で覆われて見えなくなれば!と、目を細くする。
が、腕に走った痛みに名前の小さな呻きが漏れてしまう。

「うぅッ!?」
「名前はん!あぁッ…腕に、刀が、腕に!」
「だい、じょうぶ…こんなのは…」

ザクリと刺さる小刀が名前の着物を無残に紅く染め上げる。
震えて泣くお夏をもう片手で庇いながら、下卑た笑いを浮かべる高田を睨みつけた。

「拙者に逆らうからだ!下賤な女が」
「貴様なんかに、ココの人たちの良さなんて分かりはしない」
「何を!遊女無勢が!」

嘲笑いに対しても、怯えどころか睨みで返す名前が相当気に食わなかったらしい。
高田が腰元の刀を引き抜き、自身の後ろ部屋に「貴様らも来い!この生意気な女を手打ちにするぞ!」と叫ぶ。
すると、後ろから顔を布で覆った2人組みが部屋へと入ってきた。

(高田の連れかッ…く、この状態ではさすがに…いや、お夏ちゃんだけは守らないと)

ギリリと唇を噛みしめて、自身の片腕に刺さる小刀を片手で握った。
武器ならある、片腕は使えないが…お夏を守る盾くらいにはなれるだろう。
最悪自身がどうなろうとも、と瞳を細くさせると、先に動いたのは2人組みだった。

「!?な、何を貴様ら!?」
「…おっと、悪ィな。俺ら、アンタの仲間じゃないんで」
「たまたま通りかかっただけの客だ」
「!」

油断していた高田を背後から足蹴にし、落ちた刀を蹴り飛ばして離す。
呆気にとられる名前の目の前で、ゆっくりと布を僅かに外した2人組みはよく知る顔だった。

「土方さんに沖田くん!?」
「そりゃ誰で?俺たちは、吉原に名高い太夫を拝みに来たただの客でィ」
「だがどうだ…遥々足を運んできたは良いが、太夫どころか下種野郎がいやがる」

倒れていた高田が「おのれェェ」と叫び、立ち上がって後ろへ距離を取る。
その腰元にはまだ脇差があり、名前が再び緊張するも土方と沖田は布の合間から続けた。

「こういう輩は、出禁だろ」
「まさか指名を許すワケねーですよねィ」

旦那?と弧を描く沖田の台詞に名前とお夏が反応するより早く、吹き飛んだ襖が高田に激突した。
正確には襖を突いた木刀が、高田を部屋から楼の外へぶっ飛ばす。
激しく荒れた部屋に立ち込める煙の合間、ゆっくりと歩いてきた背に答えはない。
煙の合間から見える表情に感情はなく、細い瞳に小さな紅い憤怒が見えた。

「銀さん」

未だ部屋に充満して消えない怒気に対して、震えるお夏から離れて名前は口を開く。
振り返った銀時の険しい顔とは対照的に、名前の表情は穏やかで優しかった。

「銀さん、大丈夫だから。ありがとう」
「…心配かけんじゃねーよ」
「ごめんね」

怒りの声にも名前は謝りつつも、片腕を抑えてヨロヨロと近づく。
ハッとなった銀時が名前へと慌てて近寄り、その腕の中へ抱き込む事でようやく力が抜けた。
腕の中に納まって瞳を閉じる様子に、銀時は溜息をついて笑みを浮かべた。
充満していた怒気はもう失せていた。

それからすぐ、楼に潜伏していた高田の仲間を月詠たちが捕えたと。
姿を消していた女たちも、捕えられていた場所から無事に救出出来たと。
後日、目を覚ました後で銀時から聞いた名前は素直に頭を下げた。

「もう無茶しません」
「お前に遊女は無理だって、アイツらも言ってたぜ」
「アイツらって、月詠さんたち!?それとも土方さんたち!?」
「どっちも」
「えぇ!?」

ショックを受ける名前を、この時ばかりは銀時もフォローしなかった。
未だ悩むその姿を見つめながら、告げてやらない心中の本音を思う。

(おめェの太夫姿は俺だけ知ってりゃ良いんだっての)

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