- ナノ -




想い溢れて(鏡花水月)


演習場の中央に立つイタチは瞳を閉じたまま佇んでいる。
周囲は木々で囲まれた森の中だが、意図的に拓かれた円形の場は上から陽光が差し込んでいた。
木漏れ日から落ちる陰りと直に照り下りる日差しの陽が境界を作り出しているように。
鳥の囀りが遠くから聞こえるだけで、他に音も気配も無い静けさだった。
枝から葉が落ちるのに合わせて風が起こるまでは。

目を見開いたイタチの両眼に写輪眼が輝く。
素早い動きで印を組み、「“火遁・豪火球の術”!」と炎を吹き出す。
標的が目の前ならば一溜りの無いであろうが、解かれた両手はクナイを並べて顔は上を向いていた。
逆光を利用して落ちてくる影が繰り出した忍刀とぶつかり合う。
落下してきた力も加わっているために、受け止めている身体がダメージを受けるが構わなかった。
真っ直ぐに紅い両眼が名前の空色を捉えていた。
瞳が合わさったと確認するまでもなく、更に紅い光を増して視界を染めた。
飛び退いた名前を基点にして森が闇一色に様変わりする。
対峙するイタチの存在すら掠れていく中、写輪眼だけが煌々と残る状況。
幻術にかけられたのは考えるまでも無かったが、闇に取り残されている名前は口元を緩めて笑い掛けた。

「!」

浮かぶ紅い眼が見開かれると共に、片手で印を結んだ名前が消えた。
存在ごと、イタチの支配する幻の世界から消え失せた。
何をしたのか握っていたクナイで判断できていた。
凄まじい洞察力をもって様々な体術や忍術を写しとる事ができる写輪眼であっても見切る事のできない術がある。
名前の得意とする“飛雷神の術”も類する一つだった。

風の一閃が闇の空間を硝子のように破壊する。
黒い破片の合間に現れた光差す森の隙間から投げ込まれた符付きのクナイが四方に打ち込まれた。
細い線が繋がるように陣を作って舞い降りた名前が術を発動させたのだと示す。
再び視線が対峙しても、再び幻術を発動するのは叶わなかった。

「幻術封じの陣か」
「ん!さっきのは影分身ね。前より早くなってるでしょ?」
「ああ。破られるとは思わなかった」

先にクナイを下ろして構えを解いたのはイタチだった。
優しい声色に名前も身体の力を抜くと発動していた結界が解ける。
今日の修練の終わりを告げていた。

月に数度、こうして修練を兼ねた実践形式の手合わせをする。
二人の仲が親しい友から恋仲になっても、こうした日々は変わらなかった。
どちらかの術が打ち消されれば、その日の勝負は終わりとの暗黙である。
朽ちて倒れている大木を椅子代わりに並んで座して忍具を確認する。
最初は己の作業に意識を集中していたが、ふと顔を上げて名前を見た。
一本のクナイを手にしたまま、静かに微笑んでいる横顔に瞬いてしまう。

「そのクナイが、どうかしたのか?」
「コレ、私が最初にお父さんに貰った三本の内に一本なの。…欠けてきたなぁって」

よく眼を凝らせば、頂にあたる部位が僅かに欠けている。
他の部分も細かな傷と欠損が見られて、握り手に刻まれている術式も掠れてかかっている。
使い込まれた年月と思い入れの深さを伝えるクナイは、飛雷神を発動させる特殊な術式クナイだ。

「そう言えば、覚えてる?初めてイタチと会った時、これで助けたんだよ」
「あれは助けたとは言わないだろう」
「あの状況じゃ誰だって助ける!ってなると思うんだけど」

イタチの訂正も聞く気は無いらしく、助けたんだよと主張を変えないらしい名前の堂々宣言。
呆れを返しつつ、「そうかもしれないな」と苦笑で肯定してしまう。
ゆっくりと思い出しても、あの一連の出会いは今でもイタチにとって鮮明に刻まれている。

「咄嗟に投げた先を想定してなくて、一緒に落ちる形で着地したんだよね」
「オレも驚いたな」
「今なら言えるんだけど…助けなきゃ!って頭の中がいっぱいで、正直まったくどうしたら良いか考えて無かったんだけど」
「そうだったのか?」
「ん!実は」

声を立てて笑いながら、次々と名前はその後の思い出を紡いでいく。
交わした握手、共に修行するのが楽しくなった事、自来也に師事した日々、シスイとイズミと共に遊んだ事。
一つ一つを丁寧に思い出すように口にする様は、楽しさと嬉しさで溢れていた。
いつの間にか相槌すら忘れて、その話を聞き入るだけになっていた。

(…そんな事もあったか)

正直、イタチにとって思い出といったものは記憶の一部でしかなかった。
己が積み重ねてきた生の記録であるだけで、特別な意識が生じるものではない。
本を読むように振り返るだけのものだと。
そう、正直思っていたのだ。
けれど…と、細めた瞳には名前の明るい笑みと語りがあった。

恐らく、自分だけでは経験どころか目を向けようとすらしなかった出来事もある。
自分の追いかける夢と、大切な弟であるサスケと、それから両親と。
もしかしたらシスイまでは己の記憶に留めていたかもしれない。
きっと、世界はそこまでだったと思う…自分だけであったなら。
名前がいる。
意識して心に染み入る想いと燻るような温かさが何というのか言葉に出来なかった。

「…」
「それで、サスケを抱っこして一緒に…イタチ?」

名前が続けていた紡ぎを止めて、イタチに首を傾げる。
元々、話すのはイタチより名前の方が多いが、微小な変化は誰より察せられるつもりだった。
何かあるのだろうかと待っていると、上げられた手が頬へ触れる。
横髪と耳の合間に差し込まれた熱がゆっくりと撫で動いた。

「名前」
「っ」

最初は特に疑問にも思わずにいたのだが、イタチが名を呼んで身体を跳ねさせてしまった。
ビクリと硬直してしまったのは、一度も聞いた事のない響きだったからだ。
幾度と名を呼ばれてきた、けれど先ほどの響きは全く違う。
「名前…」と、また紡がれた音には深くて蕩けるような甘さがあった。

先ほど、あんなに楽しく語れていた言葉が何も出てこない。
いや、何を言ったら良いか分からないで動けなかった。
その事態に名前自身が戸惑う表情を浮かべたのだが、イタチは柔らかく息を漏らして動いた。

近づいた顔に目を閉じてしまったのは反射だろう。
唇に重なった熱を受け入れながら理解すると同時に強張りが抜ける。
そっと離された感覚に瞳を開けると、至近距離に驚いているイタチの顔があった。

言葉は無い。
茫然としているのに近い硬直に、名前の方は不思議に思う方が大きくなる。
ただイタチを見つめてキョトンとしていると、「!」と眉を顰めたイタチは我に返ったようだった。
それから、「すまない」と小さく呟いて名前を引き寄せる。
イタチへと身を寄せる状態になりながら、見上げる眼前にイタチの黒い瞳がある。
腰を支える手に込められた力と自身の頬を撫で触る熱が増しているだけで十分だった。

「オレは…」
「良いよ?」
「…」
「嫌じゃない」

何かを耐えるように寄せられていた皺が名前の微笑みに緩む。
己の行為に謝罪を紡いで制しようとしていた理性は、それだけで消え失せた。
再び近づいた顔を受け入れて瞳を閉じた名前の身体が強く抱き寄せられる。
確かめるように何度も角度を変えて重ねられた。

短い時もあれば、長く深く味わうようにする事も。
最初の数回は荒々しささえあったが、すぐに力を抜いた穏やかなものへ戻った。
息継ぎの合間で開かれた隙間へ舌が差し込まれる所作さえ優しさがあった。
口内で絡み合う感覚に眉を寄せて喉を鳴らすと、絡めていた攻めが引かれる。
短い音を立てて唇が離されたと知って瞳を開けると、イタチの瞳に己の様子が反射して見えた。

「っわ、私ッ…もう、帰らなきゃ!イタチも時間でしょう!?」
「…もう夕暮れだったか」

閉じ込められていた腕の中から後退して距離を開けたまでは良い。
咄嗟に発してしまった声は変に上ずって、自身の照れを更に煽ってしまう結果になった。
潤む視界と熱くなる顔は相当情けないはずだと、先ほど見てしまった自分の顔を思い出して眉を下げる。
照れでどうにかなってしまいそうな名前と違い、夕暮れを見たイタチは静かに頷いた。
そして、距離を開けた名前の腕をとって引き寄せた。

「イタチ…っ」
「あと少し、良いだろう…?」

落された声は優しく甘過ぎて耳に満ちて、抵抗できなかった。


後日、木ノ葉の里の某場所で向き合う二人がいた。
余裕そうに構える方とイライラと怒りを耐えている方。
名前とイタチの弟たち、ナルトとサスケである。
ナルトの様子にサスケが鼻を鳴らせて笑ったのが引き金となった。

「嘘だぁぁ!俺ってば絶対信じられねーっ!」
「フン、てめーが信じまいが否定しようがねぇだろ」
「うぐぐぐ〜!信じねーってばよぉぉ!」

いい加減、負けを認めろと宣言する様は勝ち誇っているに近い。
得意げ満々なサスケと両手と両膝を地につけて負けた人みたくなっているナルトの嘆き。
行き交う人たちは声は掛けないものの、何やってんだアイツら的な視線は向けていた。

「名前さんはお前らが兄さんの話振るなり、部屋に逃げてった。そうだな?」
「イタチはお前が姉ちゃんの話振った時、凄い顔で固まったんだろ…」

お互いに主張を確認し合うように繰り返した内容は動かしようがないらしい。
それも、先日いつものように修行を終えてきたという姉または兄が起こした行動を照らし合わせてのものだった。
要は、その日だけ明らかに様子がおかしかったのだ、名前もイタチも。
これはどういう事だと互いを呼び合って情報を交換し合って出た推測は正解に近いらしい。

「義姉さんには早く家に嫁いで欲しいぜ」
「義姉さんって呼ぶなってばよー!!」

悔し泣き状態で抗議するナルトの怒りもサスケは鼻で笑い飛ばすだけだった。

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