- ナノ -




共に生きたいから(落花流水)


硝煙が混じる土埃を起こして地に躯が落ちる。
一人、続いて三人、五人…十人、と数えきれないほどの断末魔から紅く染まる世界。
見開かれたままの瞳孔を閉じる者の無いまま、ぶつかり合う侍たちを淡々と映し出していた。
斬り合い銃声が放たれる度に傷を負い、血が飛び散り、生が消える。
それでも、重々しく具足で武装した幕軍に対して怯みはしないのは血気誇る者たちであった。
後に名を馳せる攘夷戦争末期の猛者たちが初めて繰り出した、この戦に名は無い。

「何してるの!早く運んでッ!」
「は、はい…!」
「包帯と薬ありったけ持ってきてッ!!」
「あ、あのッ…!こっちの奴が…ッ息がッ」
「どいて!!」

陣の中は戦場がそのまま続いているかのような緊迫と慌ただしさに満ちていた。
呻きや泣き声に負けないほどの駆ける足音と指示を出す声が響く。
ほぼ怒鳴りに近い声を出して、自ら手を伸ばして指示を出すのは名前だった。
「はいッ…!」と、情けない顔をしていた仲間の一人がよろけながら走って陣を出て行く。
入れ替わりざまに運び込まれた者は、担架の上で全く動かなかった。
運んだ者たちは震えて顔色が土のようになっている。
彼らを押しのける形で近づいた名前は脈を測り、心臓へ耳をあててすぐに手を動かす。

「名前さん!?」
「しッ!お前、黙ってろ…っ」

驚愕して名を呼んだ男を、治療にあたっていた男が厳しい声で制する。
喉を上げて気道を確保し、名前が次に施したのは人工呼吸だった。
口から口へと息が吹き込まれる度に、男の胸が上下する。
すぐに顔を離した名前は、交差して重ねた両手で心臓に位置する胸部を何度も押して反応を見た。
すると、男の指がピクリと動いたのだ。
固唾を飲んで見守っていた何人から涙混じりの歓声が上がった。

「まだ」
「分かってる、呼吸を確保しつつ処置するから後は任せろ」

張り詰めた面持ちを変えずに短く呟いた言を拾ったのは、驚愕していた男を制した仲間だ。
頷いて場所を変わると、すぐに陣内を確認して次へと動く。
補充された薬品と包帯、ハサミを手にして端の方へと見えなくなった姿に釘付けになっていた仲間たちは、治療を専門とする隊に咎められてハッと意識を戻す。
邪魔だ、とか、手伝え、と言われて従う者たちは未だ青白さを残していたが、震えて取り乱したり泣きを見せて動けない者はいなくなっていた。
時折、彼らが視線をやる先に、治療と手当をする衛生部隊を躊躇いなく補佐する最年少の少女があったからだった。

攘夷を掲げて決起後、日も浅くして迎えた初陣は誰から見ても厳しい結果であった。
辛うじて敵である幕軍に打撃は与えたものの、その倍とも思える痛手を負わされたようなものだろう。
目の前にいる仲間を支えて退がるのが精一杯だった。
物言わぬ存在となった友の骸さえ泣く泣く見捨ててくるしかなかった。
最悪を言えば、息があって助けを発している仲間さえも見捨ててきた。
それが戦争と呼ぶものなのだと、彼らに刻みつけた戦いであった。

軍と呼べるほど真っ当なものではない。
攘夷を掲げた旗に集いはしたものの、共通するのは、幕府が行う理不尽な弾圧と天人の横暴を許さないという心、そして若いという点くらい。
生家を取り潰された浪人崩れやお尋ね者、商人や農民出も混じる組織。
名も無ければ、戦法を学んできた訳でもない殆どであるから、この初陣で受けたのは目に見えるものだけではないと。
森深くに幕を張っただけの野営地は重苦しいほどに沈み込んでいた。

天幕内で休む者もあれば、簡易的に作った寝床に身を転がす者、幹下に背を預けて浅い眠りに目を閉じる者もある。
火を起こせないため、小さく揺れる燭と雲の合間から漏れる星明りだけが葉の間から光となった。
会話も聞こえてくるが、張りは無く全体的に空気は重い。
昼の戦での疲弊もあり、また、彼らに刻みつけられた現実の重さが理由だった。

そんな静かな野営地の真ん中を歩いて、休む仲間たちの注意を引くのは銀時だ。

「おい、ヅラ」
「銀時、お前まだ起きていたのか。休める内に休んで置かぬと身がもたぬぞ」
「あーハイハイ。そんな事より名前はどこ行った?アイツ、さっきまではあっちにいただろ」

灯りのある天幕をあげて顔を覗かせた銀時に、驚いた桂だったが銀時の出された名に冷静に戻る。
指差されている外の方角は確か、物資を管理している場所である。
桂自身も、軍議に入るまでにそこで名前が仲間たちと話をしているのを見た。
その時には少なくとも近くに銀時の影も形も無かったはずだが、と考えたが言葉にはしなかった。

「名前なら、恐らく水場の方だ。何か用でもあるのか?」
「いや、何もねーよ。さぁて、俺も休むかねぇー…さすがに疲れてクタクタだわ」

大きく伸びをして見せた欠伸はワザとらしかったが、指摘した所で全て流すだけだろう。
そのまま背を向けて幕の外へと出て行こうとした銀時を呼び止めた。

「銀時、名前の事で例の輩の話を聞いたか?」
「話ぃ?」
「ああ。最初に名前の陰口を叩いていた連中だ」
「……」

桂の続けた内容に銀時から軽い返答が無くなる。
こちらを向かない背から放たれる気配にも構わず、桂は思い出しながら紡ぐ。

銀時たち村塾の出が組織へと加わった時、真っ先に問題視されたのが名前だった。
参加している誰よりも若い事だけならまだしも、よりによって女。
しかも手伝いではなく、刀を握って戦場で戦うというのだから。
向けられた驚きは、すぐに奇異と侮蔑に変わった。
女の癖に。なら良い方。
夜鷹だ。と嘲笑を飛ばして床へ来いと誘った輩さえいた。
勿論、そう発言した輩は、銀時と高杉を筆頭にした村塾出の者たちとの乱闘となった事も記憶に新しい。
それを止めに入ったのは、渦中の名前自身だった。

―私の事はどうか放って置いて下さい、本当に役に立たなければ近い戦で死に果てます。貴方たちの手なんて煩わせずに、ね

正面切って言い放たれた一言には相当な威力があった。
冷静であったからこそ余計に。
何より、それは対峙する連中だけではなく同門たちへもだった。
一部は気圧されて閉口したが、生意気な売女崩れと怒りも起こさせた。
それでも、名前は自身を庇おうとする者たちが拳を上げて仲間内で問題が起こる事を良しとしなかった。
どんなに陰口を叩かれても、馬鹿にされても。
ただ受け入れて、来たる出陣へ備えた。

「今日の戦で、誰一人あやつの悪口を言う者はいなくなったらしい」
「……」
「当然であろうな…高杉が怒るまで、アレは休んではおらん」
「……」
「衛生部隊の褒めちぎり様は凄かったぞ。前線で戦っていた者たちの殆どは名前の評価を改めている。勇敢な娘だと」
「勇敢?アイツが?」
「ああ。一様に皆、感嘆で讃えていた」

ずっと黙ったままだった銀時が反応して、顔を動かす。
幕に隠れて僅かに見える横顔から覗く眼は、仲間内では死んだ魚と称されるものだ。
真剣な桂の視線を受け止めながら、スッと前と戻される。

「んな訳あるかよ。アイツは、そんな大層なモンじゃねェ」
「そうだな」

アイツは、と小さく紡がれたようだったが、銀時は足を動かして天幕を去ってしまった。
残された桂は、納得したように微笑して腕組みを解いた。

銀時が向かったのは、桂が示した水場の方角だった。
先ほどまで見せていた、いかにも疲れているという様子は毛ほども無い。
寧ろ急ぎさえ感じさせる足取りに、通り過ぎられる仲間が驚くほど。
野営地の外れに位置する湧き水の近くに、探していた姿は簡単に見つかった。

岩の上に腰掛けて、夜空を静かに見上げているだけ。
呆けてさえ見える様子を立ち止まって見つめたが、足を進めて傍へ近づいた。
隠す気も無かったため、のぼってきた銀時に名前は目を丸くした。

「銀ちゃん?」
「こんなトコで一人寂しくなーにしてたんですか、コノヤロー」
「空、見てたんだけど…」
「星なんざ見えねェだろーが」
「見えるよ、時々ね。雲の合間から、少しだけ」
「へー」
「興味無いのに聞いたでしょ」

隣に座したと思ったら、銀時は平たい岩の上で両腕を枕に寝転んでしまう。
そんな態度をされても、名前は仕方なさそうに笑って銀時を見る。
閉じられていた瞳が片目だけ開き、見下ろしている名前と合った。
少しの沈黙と共に、名前がゆっくりと顔を背けて再び空を見上げる。

「お前も適当にして休めよ」

高杉の野郎にも怒られたんだろ、と銀時が話し掛けたのに名前は頷きだけで返した。
さっきまであった答えがすぐに無い事に、閉じていた片目も開けられる。
両目が見た横顔は穏やかで静かだったが、徐々に笑みを消して眉が下がっていた。

「…うん、休みたいけどね…けど」
「けど?」
「休むと、多分…今は駄目になっちゃうから」

仰いだまま紡ぐ言葉は震えを帯びだす。
けれど、横を向かないまま名前は岩につけている手を握り締めていた。

「思い出すんだ…私、今日…初めて人を殺めたんだって」
「……」
「刀で斬った感触が、血が、臭いがね…目に焼き付いて…でも、それ以上に沢山死なせちゃった…ッ」
「名前」
「助けてくれって…ッ、叫ばれたの、敵だったのか味方だったのか覚えてないのッ…私はッ一人抱えるのがやっとで…ッ」
「名前!」
「ッ」

見上げ続けていた視界に夜空は無く、ひたすら滲んでいた。
紡ぎ続ける声が掠れているのも、涙が流れて止まらないのも分かっている。
思い出すのだ、と己の中で何度も繰り返す。

初めて戦というものを知った日。
初めて人という存在の命を奪った日。
初めて、人と人が殺し合い、死んでいく事を突きつけられた日。
初めて、救えない命があると心に刻まれた日。

立ち止まってしまうと、休んでしまうと、駄目になる。
それは嫌だと、涙を流しながら唇を結んだ。
嗚咽なんて漏らさない、泣き叫んだり、泣き崩れたりもしない。
ただ、溢れるままに雫は流すだけ。

その手を引いて身を倒させたのは、名を呼んだ銀時。
視界が白の羽織に切り替わり、すぐ傍に銀時の匂いと温度を感じる。
瞬く視界は一瞬だけ涙を止めたが、横上から落とされた声に再び流れた。

「駄目になっちまえ」
「…銀ちゃん」
「そのまま駄目になっちまえよ。構いやしねェ、俺がいてやる」
「……」
「離れるのが嫌なら陣にいろ、戦には出るな。お前の分まで俺が護ってやる、支えてやる…なァ、名前」

いつもとは違う、銀時の真剣な声色に瞳を伏せた。
抱き寄せてくれている腕の温もりと密着して寝転ぶ岩の冷たさが身に染みる。
それ以上に、自身の中で湧き上がる感情に腕を動かした。

「!」

銀時へと抱き着く形で、腕枕から更に近づいて胸元へ顔を埋めて。
反応が伝わったが、瞳を閉じて額を寄せた。

「銀ちゃん、ありがとう。今日はゆっくり眠れると思う。ううん、これからも」

微笑みを零すと、流れる涙が少なくなった気がした。
黙ってしまった銀時が気遣ってくれた事が素直に嬉しいし、頷きたくない訳が無い。
けれど、と着物の端を握る手は緩まなかった。

「駄目になってしまったら、私は死ぬより後悔するはずだから。…だから、今は休まないよ、立ち止まらない」
「そーかよ。俺ァマジだったんだけどな」
「うん、ありがとう」
「礼だけなのね、そこは。ったく…おめーって奴はよ」
「ふふっ…」
「もう黙れ、コノヤロー」

くぐもった笑いに、イラついたような調子で銀時は抱き寄せる力を強める。
苦しそうにしていた名前だったが、すぐに力が緩められた事で自身も身体の緊張を解いていた。
瞳の涙は止まったようで、静かに閉じられたままの瞳と微かな息が続く。
寝転んだまま、銀時は夜空を仰いだ。

(知ってんだよ、お前が泣き虫な事くらい。昔っからな)

同じくらい、不屈過ぎる事も、昔からと思う。
落された溜息に応えは無い。
ただ、瞳を閉じて銀時に身を寄せる名前だけの心の声はあった。

戦の果ての未来なんて誰にも分からない。
恩師を助け出せる可能性すら手探りのようなものだ。
心が悲鳴を上げる過酷さだと思い知らされても、己の心にある感情は一つで変わらないから。

(駄目になんてならない…私は、銀ちゃんと一緒にこれからを生きたいから)

ずっと、貴方と。
と、名のつけられない感情である事を自覚しないまま微笑んだ。

[ 31/62 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]