- ナノ -




この命続く限り(坂田 銀時)


「証拠は挙がってんだ、さっさと吐いちまった方が楽だぞ」
「……」
「宝蔵 新兵衛はどこだ」

目の前の隊士が尋問しても目の前の浪士は無言を貫くままでそっぽを向く。
対して机を挟んだ隊士の冷静な態度もイライラを増して、「吐け!」と机を手で叩いた。
しかし、やはり浪士の態度は変わらない。
その様子をガラス越しで見つめ続ける土方がタバコをふかせた。

「お疲れ様です。奴は白状しましたか」
「いや、雑魚の癖して口の堅さだけは一丁前らしい。こりゃ尋問より拷問の方が良さそうだな」
「そうですか…宝蔵 新兵衛…あと一歩の所だったんですけど…」
「逃げ足だけは早ェ大将をまだ信じてやがる、野郎の武士道だけは本物らしいが?」

ハッ!と皮肉な笑いを飛ばした土方に山崎も頷きながらガラスを見やる。
ガラスはマジックミラーになっており、こちらからは見えるが、あちらからは見えない。
尋問室で尋問を受けているのは、最近追っていた過激攘夷の宝蔵一派の浪士だ。

宝蔵 新兵衛。元は下級武士の生まれだったが、幕府によってお取り潰しにされて士籍を失う。
それを逆恨みにして以来、己は武士だと豪語して武士道を振りかざし、攘夷と称して犯罪を繰り返す。
浪士崩れの成れの果てと言えば珍しくないが、当の本人が表に中々姿を見せないので知れていた。
捜査をして追い詰める真選組からすれば、武を語る臆病者であった。

「こっちはどうせ時間の問題だ、それよりも名前はまだアレについてんのか?」
「あ、はい…副長の話も伝えたんですけど、やっぱり笑って頷くだけでしたよ」
「チッ…あのバカが…また聞きやしねーか」

尋問中で口を割らない浪士に白状させるのは、己が出れば問題はない。
それよりも土方が気にするのは、別の問題だった。
アレと言えば、山崎も困った表情のまま言いにくそうに答えた。

「“宝蔵の居場所を知ってるから案内する!”だなんて主張を鵜呑みにする訳ないのに…それは名前ちゃんも分かってるはずなんですが…」
「てめーで調べもつけたんだろ、あのガキは黒で間違いねーな」
「えっ、はい!副長の推察通りでしたよ、名前ちゃんにも全部伝えました!それでも変わらないんですから、俺じゃ無理ですよ…」
「アイツが折れねェのは端から分かってんだよ。名前には背いたら即切腹だっつって、勝手な行動を取らねェよう見張っとけ」
「だから俺じゃあ無理、」
「あぁ?」
「はいッ分かりました!山崎 退ッ全身全霊で阻止してみせますゥゥ!」

何度説明しても変わらなかった名前の微笑みを思い出して、山崎は無理だと主張してみよとしたが。
ドスを効かせた土方のイライラ返しに、内心で悲鳴を上げつつ敬礼をして回れ右。
煙さえ見える勢いで戻っていく背を睨んだまま、土方がタバコをふかせて天井を仰いだ。

(宝蔵も厄介な置き土産をしてくれたもんだぜ…)

居場所を掴めないのも厄介だが、何より、捨て石にされた部下と共に残された子供。
そして、襲撃の際にあった事件と負った痛手の方が土方の頭を悩ませていた。
どの道、1番隊の指揮を負っている身としても、屯所から動く事はできない。
今の名前へ掛ける言葉も会わせる顔も思いつかなかった。

「副長!」
「どうした?」
「沖田隊長の事で病院から連絡が…!」
「!」

その時、慌てた様子で廊下から姿を現した原田の発した声。
沖田の名に意識を戻した土方は身を翻した。

―名前ッ!!
―!?、沖田くんッ!!

(アレは…名前ちゃんには相当堪えただろうし…)

未だ気まずそうに元来た道を戻る山崎は、突入の際の出来事を思い出して眉を曇らせた。
現場にいたのは同じだ、目にしてしまったからこそ余計に。
沖田の叫びと共に起こった爆風と、名前の悲痛な叫びと表情。
その後、仲間たちと共にすぐに駆け付けたが、とても見ていられる様子ではなかった。

「名前ちゃん、山崎だけども…?、名前ちゃん?」

屯所の取り調べの一室でもある扉をノックして控え目に声を掛ける。
そこに、例の子供と名前がいるはずなのだがと音がしない。
音どころか気配も?と考えてから、何かに気づいて扉を乱暴に開ける。

「!?、しッしまった!遅かったーッ!!だから俺じゃ無理だって言ったのにィィ!」

頭を抱えながら叫んでも、蛻な空である部屋から返事はない。
微笑んで頷いても、決して分かりましたと答えなかった名前はやはり思っていた通りだった。
ただ、まさかこんなに行動早いとは山崎も想像できなかっただけである。
こんな事をしている場合ではないと、大慌てで再び元来た道を走る羽目になる。
途中、土方へと電話を掛けて怒鳴り声を受けるのは避けられなかった。


人々が行き交う通りを、隊服を纏った名前と手を繋がれて歩く少年がいる。
少年は気恥ずかしそうになるべく離れて歩こうとしていたが、握っている名前は力を緩めなかったし距離は離れなかった。

「…アンタ、本当に良かったのかよ…?」
「ん?だって君は嘘をついてないんでしょう?私は信じるよ、庄吉くん」
「違ぇーよ!勝手に抜けてきたじゃんか!」

名前の答えに否定を入れたのは、まさに渦中の少年であった。
庄吉と名乗ったこの子供は、宝蔵を追い詰めるために突入した現場で浪士たちと共に発見された。
状況から、彼らが攫った人質だと見られており、庄吉自身も主張したから当初は疑わなかった。
そう、当初はである。けれども、名前にとっては真実はどうであれ問題ではなかった。

「ああ、大丈夫。私が処罰されるだけだから、庄吉くんには何もないよ」
「ソレ、全然大丈夫じゃないだろ!なに笑って言ってんの!?えぇ!?処罰って何…!?」
「切腹かなぁ…」
「えぇえぇ!?ヤバイじゃんん!!やっぱ戻ろう!戻って、あの地味な人に伝えてさ!」
「アハハ、大丈夫だって。最悪の場合はって事だから。それより、戻って見つかったら今度こそ動けなくなるよ」
「!…」
「なら、私と君で逃避行っていうのも有りでしょう?」

切腹と軽く言った名前に青ざめて動揺した庄吉が怖気づいたが、動けなくなるという返しにどもった。
大いに困るという本音を隠すこともない様子に、名前は苦笑を続けたまま歩みを止めない。
向かうのは、庄吉の言う宝蔵の隠れ場所。

「…アンタさ、何で俺の言う事信じてくれるんだ…?仲間の人たちだって、俺の事疑ってんだろ…会話聞こえてたぜ」
「そうだね、君の言う事は罠だって言い聞かされてたよ。でも、嘘は言ってないって思ったからかな」
「!…それは…そう、だけどッ…」
「それに私もどうしても会わなきゃならないからね、宝蔵には」
「……もしかして、あの時の人の事?」

やや迷った後の庄吉の問いに、名前は今度はすぐには答えない。
いや、答えられなかった…今、変わらずに微笑んでいる事を意識して曖昧に濁す。
それきり前を向いて会話を途切れさせてしまった横顔を、庄吉だけがまだ戸惑いつつ見やっていた。

―ッ…ッな、そん、なッ…ぁ…〜ッ!
―駄目だ、名前ちゃん!!君まで巻き込まれるッってぇ?!オイ、誰かッ一緒に止めて!
―押さえろ!行かせるな!!

思い返す今でも身震いするほどの爆発と衝撃だった。
唖然として震える身体のまま見上げるしかできなかった驚きは別の意味もあった。
自分を見つけて助けてくれてた勇ましい凛とした女性、その姿が嘘のような一転。
炎の燃え盛って近づけない爆発地へと、叫びにならない叫びで取り乱した様。
離して!と叫んで今にも突入しそうな状態を、駆けつけてきた隊士たちが取り押さえたのだ。

―沖田くんッッ!!!

叫ばれた名の悲痛さが今でも耳に残って離れないくらいだった。
それくらい記憶に残るほど印象に残ってならなかったのだ、名前と呼ばれる女性隊士の嘆きが。
隊士たちに抑えられても伸ばす先にあったのは、血まみれで倒れ伏している茶髪の人物。
彼が名前と相棒同士と言い合うほどの仲の良さであるのだと、地味な監察から聞いた。

「…あのさ…」

屯所の取調室で隔離されている間も、あの姿だけがずっと離れなかったからこそ迷っていた。
次に出会った名前が、ビクリと怯えた自分に対して向けてくれたのは微笑みと心配だった。
大丈夫だった?と聞かれて頭を撫でてくれた彼女相手だから、ようやく主張できたのだ。
宝蔵の居場所を知っている、案内するから助けて欲しいと。

(でも、俺は…)

対して、分かったと頷いて約束してくれた名前に今更募る罪悪感。
戸惑ってる様子は隠すつもりもないし、伝わっているはずのなのに、やっぱり態度は変わってくれなかった。

「名前さん…俺、」
「!…あ」
「え?」

やっぱり言わないと、と俯いた顔で呼んだものの、返ってきたのは小さな驚きだった。
それにビックリして顔を上げると、立ち止まった先と理由が分かった。
横にあるパチンコ店から、気怠そうに頭をかきながら出てくる銀髪がいたのだ。
「くそ、またスッちまったァ…」と呟いているあたり、パチンコで大負けしたのだろう。
こんな昼間からパチンコしているあたり、どんなニートか庄吉でも分かる呆れだったが。
それでも、完全に足を止めて見つめている名前の変化に目を奪われてしまった。

(アイツって…)

先ほどまで、安心を抱かせる穏やかな雰囲気と笑みを絶やさなかった。
庄吉が何を言っても怯えを見せても変わらなかったのに、と。
止まった足と、瞬く瞳が映しているのが横から見ても伝わる。
多分、本人は分かっていないのだろうと呟きかけた言葉を飲み込む。

「……」

騒がしい通りで、ほんの少しだけ立ち止まっている時間が長く感じられてしまうくらい。
ふと緩められた手の力に、瞬きが伏せられたので、「名前さん」と呼び掛けた。
すると、「!」と気づいたように開かれた目と振り返った表情は元に戻っていた。

「あの銀髪がどうかしたの?知り合い?」
「…何でもないの、立ち止まっちゃってごめんね。うん、知り合い」
「なんかパチンコボロ負けしてたみたいだけど、放っておいて良いの?…俺、あっちで待ってても…」
「大丈夫、行こう。今は会わない方が良いから…」
「それって…」
「さぁ、行こうか」

名前たちがいる方向とは反対方向に曲がって歩いて行ってしまう背。
怠そうに揺れる身体と銀髪が人混みに見えなくなるのを、名前は笑みを漏らして見送った。
その笑みは、庄吉たちに向けてくれていたモノに戻っていた。
だからこそ、消えていく背を、違う道を曲がりつつも庄吉は視線を向け続けていた。

それから進む足は速く、会話も嘘のように少なくなる。
人気の少ない外れの方へと進む度に、案内をする庄吉自身が表情を暗くしていた。
身を固くなり汗が流れる、心中の変化が完全に隠せなくてならなかった。
場所へ近づいているから、自分がしている事を突きつけられているから唇を噛んだ。
けれど、名前は敢えて何も言わずに庄吉の案内に従っていた。

「…ココなんだね」
「……」

辿り着いたのは、かぶき町の外れにある寂れた小屋の並ぶ場所。
人気のない袋小路を見上げて発した名前に、俯いた庄吉は答えられなかった。
それでも分かっていたように手を離して、笑みを消す。
鋭く瞳を細めて睨み、真剣な気配を向ける標的があったからだ。
「ッ」と庄吉も反応した事で、屋根の上で笑う男が見下ろしてきた。

「まさか、本当に成功するとは。真選組も所詮ただの野良犬集団だな!我らには遠く及ばぬ下賤な奴らよ」
「…お前が、宝蔵 新兵衛だな?」

いかにも嘲笑いを含んだ声で、名前を見下ろす男こそ探していた人物である宝蔵。
確認するために返せば、周囲の小屋から無数の浪士たちが抜刀状態で現れた。
それにビクリとたじろぐ庄吉に振り返らず、名前は視線を逸らさない。
映すのは宝蔵1人だった。

「いかにも。貴様らとは違う正真正銘の武士である。そして、そやつもな」
「!」
「お、俺…!」
「良くやった、お前もやる時はやれるではないか。約束通り、息子として認めてやろう」

震える庄吉に対して掛けられた宝蔵の言葉。
全てを物語内容に名前が顔を向けてきた事で、庄吉が「俺ッ俺ッ…」と怯えを隠さない。
罵られる!と、後ろへ下がった足と自身を庇うような手つきに名前が笑った。

「分かってたよ」
「えっ!」
「君も言ってたでしょう?ホラ、あの地味な監察の人。とっても優秀で頼りになるんだよ、だから全部知ってた」
「なッ…!じゃあ尚更何で、俺なんかについてきて…!俺ッアンタを騙してたんだぞ!?アンタをおびき出して、それで真選組をッ…!」
「真選組を嵌めようとしていた、だね」
「ッ!!そうだよ!!俺は、お前ら幕府の奴らが大嫌いだ!!お前らなんか天人にこびへってる奴らと変わりないじゃんか!」
「……」

驚かずに、庄吉が捨て石の浪士と共に残された意図を語る。
溜めていた事実を突きつけれて、震える庄吉は糸が切れたように叫んでいた。

「何が侍だ、武士だ!国を売って刀下げてるだけの癖に!!」
「……」
「俺たちから士籍を奪って、武士面してる紛いもの!!」
「…そう、教えられてきた?」
「ッ!!そうだよ!俺は父上を信じてるんだ!!父上に認められる武士になるんだよ!お前らなんか死んじまえ!」

言い切ってから、両拳を痛いほど握り締めているのに気づく。
こちらを向いている名前の表情が変わらないからこそ、余計に喉の奥がカラカラだった。
思っている事は全部言ってやった、今までそう思ってきたし信じてきた。
事実、物心つく頃から受けてきた仕打ちの恨みと辛さは忘れない。
けれど、と震えが止まらない。

(何で…俺…こんなに、苦しいんだよ!何で、この人だと、俺!!)

真剣な面持ちのまま、否定も罵りもしない名前が返してくれる微笑み。
ソレが最初に出会った時から全く揺らがないから胸を締め付けられて堪らない。

「君の言っている事も否定できないから、私は何も言わないよ。でもね庄吉くん…ソレは君の言葉じゃないよね?」
「う…」
「助けて欲しい、って君は私に言ってくれた。ソレは君の言葉に聞こえた、だから私は約束したんだよ」
「!!」

罠だ、話を聞くな、勝手に行動するな、と念を押さえれても全て振り払った理由。
名前も始めて口にする事で、庄吉が激しく動揺した。
俯いてフラフラと下がる足と開いた距離を、後ろを囲む武士たちが間に割ってしまう。
用済みだと言わんばかりに名前だけを囲む大人たちの背が遠く見えた。

「子供の戯言を信じたと!とことん呆れる…!やはり女は情に流されて扱い易いなァ!笑いが止まらん!」
「…そういう貴様は、危険だと分かっててずっとこの子を巻き込んできたんだな」
「子が親の為に動くなど当然の事だろう。意気地なしな出来損ないを辛うじて息子と呼んでやってきた事にこそ、感謝してほしいくらいだ」

宝蔵の台詞に、向けられた名前ではなく庄吉が顔を上げて駆け出す。
振り返らずに一目散に走り去っていくのを眺めた宝蔵は、「やはりな」と軽蔑した。

「口だけは私に倣う癖に、肝心な時に何も出来ん臆病者な役立たず。あんなガキを今まで育ててきた私の苦労よ…」
「貴様…」
「まぁ良い。餌は釣れたのだから、後は知らん。真選組、唯一の女隊士…これほど良い質は無いからな!」
「ッ!ぐッ!」
「ハハハッ、すまんすまん。先走ってしまったようだ」

言動1つ1つに、名前が俯いて握る拳が震える。
しかし、次の瞬間、そんな名前の身体を襲ったのは痛みと銃声だった。
短く呻いて崩れ落ちた身に更に掛けられた投げ縄と圧。
宝蔵に意識を持っていかれたために、避けきれなかった不意打ち。
それでも、何人かを振り払って抵抗するが、すぐに縄で首を締め付けれて地に押さえつけられた。

「コイツ…!女の癖に何て奴だ!」
「銃で撃たれたってんのに、怯みやしねェ」

浪士たちが発する言葉も関係なかった。
頭を掴んでくる手を身を逸らす事で振り払って、地から上半身を起こす。
その睨みと怒りを発する様に、何人かが怯む中で宝蔵が降り立っていた。
名前へと近づき、その胸下へと刀を突き付けて嘲笑う。

「頭を垂れて命乞いをしてみろ。さすれば、命だけは助けてやらんでもないぞ?」
「貴様らなんかに頭下げるくらいなら、刀の錆になってやる」
「つくづく気に入らん。真選組に媚は売るしか脳のない女よ、可愛げない」
「私は媚なんて売ってない…、いいや、そんな事よりも、彼らを馬鹿にするな…」
「ほう?まだ口答えするか?」

笑う宝蔵に、名前は噛んでいた唇を解いて、「貴様なんかが」と力を込めた。
撃たれた足から血が流れるのも構わずに、上半身を前へとやって叫ぶ。
突き付けられている刀が身に刺さりかけて痛みを伝えた。

「貴様なんかがッ真選組を馬鹿にするな!!彼らは武士だ!貴様らなんかとは比べものにならない、立派な!!」
「何を、生意気な!」
「貴様らとは絶対に違う…彼らは…自分のために誰かを踏みにじったりしない…!」

自分の正しさのために、他者を傷つけて奪って、それで楽しそうになんてしない。
立派な武士だと豪語しない、間違っていないなんて主張しない。

名前の浮かべた表情に、怒りに混じって過る記憶。
むしろ、彼らは、自身の掲げる信念ならば何だって護るくらいに大きく強い。

(沖田くん…)

庇って押してくれた手と、爆炎の中で意識を失っていた姿。
意識が戻らず、集中治療を受けている彼の傍にいろという土方の言葉を振り切って屯所へ戻った。
全ては、コイツと決着をつけるためなんだと縛られている身に鞭打つ気概でいる。

「フン…負け犬の戯言に耳を貸さんさ。オイ、無線は用意できているな?」
「こちらにご用意できてます」
「!…何をするつもりだ」
「言っただろう?良い質になるとな。可愛い可愛いマスコットが助けを求めれば、鬼の副長も少しは楽しませてくれるだろうな」
「…ハハ」
「!、何を笑う!?」

名前を人質にして、真選組を誘き出してハメるという目論見。
しかし、それを聞いた名前が真っ先に笑いを漏らしてしまった事で今度は宝蔵が驚く番だった。
部下が持ってきた無線を片手に、不愉快だと刀を一層近づける。
切っ先が隊服を通して痛みを伝えていたが、名前は笑んだまま答えた。

「私は人質になんてならない、そんな価値なんて無いからな」
「この状態でまだ強がるか?ソレも面白い、そのままを伝えると良い…ちょうど今、無線を繋げてやる」
「無駄に終わるだけだよ…どうしてかって?こうするから!!」
「ッ貴様!?」

鈍い音を立てて肉を貫く刃と流れる鮮血。
驚愕するのは刃を持っている宝蔵の方だった、動けずにいるのに口端を上げて近づく。
前へと身を乗り出す度に、激痛と流れる血に刀の距離が短くなっていった。
押さえつけている浪士たちが短く悲鳴を上げて、力を緩める。

「コイツ、自分から!し、信じられん!!」
「ち、致命傷だぞ!?う…ッ」
「宝蔵様!」
「ッわ、わ分かっている!騒ぐな!!くッ無線を切れ!」
「はっはい!!」

浪士たちが騒ぐことで、ようやく動いた宝蔵は握っていた刀を忌々しそうに離した。
それで名前の身も横へと崩れ落ちて血だまりが広がっていく。
まさか己から刀へと突き刺さるとは思っていなかった浪士たちの視線を受けて、名前は口端を上げていた。
そこにあるのは自棄ではなく、変わらない決意を象徴するものだから彼らはより震える。

「この女!死ぬ気でやったんじゃなく…ッ」
「ええい、黙れ!もう良いッどうせ後は死んでいくだけの残骸だ!まったく計画が狂ってしまったではないか!」

どう見ても致命傷なはずだ、なのに。
言い様の無い恐怖で呟いた浪士を一喝した宝蔵が、忌々しそうに吐き捨てて身を翻す。
同じように距離を開けた彼らの姿が、ぼんやりと霞んで見えて名前はまだ笑っていた。

(…大丈夫…私は…諦め、て…な…い…この、くら…少、たら…)

出血が多すぎて朦朧とする身体に力が入らなくても恐怖はなかった。
彼らが口にした通り、刃を受けた箇所も、流れ落ちている血も致死量に達するレベルだ。
けれども、名前にとってはどうでも良かったし、気にならなかった。
己自身の忌々しい身をよく知っているからこそ出来る手段だからと心中で自嘲する。

諦めてなんていない、彼らは逃がすつもりもない。
嘘はついていなかった、名前だけが意を違えていないと分かっていればいい。
ドクリと脈打つ心臓の気持ち悪さに左胸を地へと押し付けて瞳を閉じた。

(ただ…私が…、け…だ…から…)

自分を嫌いになっていくだけ…それだけ。
その代わり真選組の足を引っ張らないなら、宝蔵たちを出し抜けるならば安いものだ。
閉じた瞳の中で、更に過った銀色の姿に別の痛みが走ったのは気づかないフリをした。

名前は使い物にならないと判断して、刀を下げて次の案を巡らせる浪士たち。
その隙を突いたのは、通りの向こうから走って来て叫んだ庄吉だった。

「名前さん!!!」

息を切らせて、刀が刺さったまま伏している名前を視界に入れて血相を変える。
絶望を見せる様子に、宝蔵は鼻で笑った。

「今頃戻ってきたと思えば、敵の心配とは。お前もこの女に絆された口か…やはり息子とは言えんな」
「…良いよ、認めてくれなくったってもう平気だ」
「何?」
「俺はお前に認められなくったっていい!俺はッ…俺はッ…もう嫌だ!俺のために誰かを踏みにじったりしたくない!」

流れる涙を隠さないままに、心底軽蔑しきっている宝蔵の瞳から逃げずに告げた。
睨んだまま、ようやく心を占めていた正体を自覚して言い切れる。
倒れている名前を目にして遅かったと思うけれども、譲れなかった。

「アンタは間違ってる!いいや、俺もアンタも間違ってたんだッ…武士?そんな大層なものじゃない、俺たちは…犯罪者だ!」
「黙れ!!出来損ないが、それ以上、宝蔵を愚弄すると許さんぞ!!」
「黙るもんか!!名前さんや真選組の方が武士だ!侍だ!!」
「貴様ァァ!!」
「ッ」

怒りで震える宝蔵が迫っても、決して気圧されずに叫びきった。
その様が余計に怒りを煽って、憤慨する手が浪士から刀を奪って振り上げさせる。
ギラリと切っ先が日に輝いても、逃げずに拳を握って目を閉じた。
斬られる覚悟の上だ、後悔はなかった。

「よく言った、クソガキ」
「!?」
「免じて今回だけは助けてやらァ、名前に感謝しろィ」
「きッ貴様らは!!うがあッ!?」

聞き慣れない声が2つ。次に宝蔵の驚愕、それから叫びと共に吹いた衝撃。
茫然と目を開いた目の前には、凄まじい音を立てて小屋にぶつかって消えた宝蔵だった。
周囲の浪士たちが動揺する中、衝撃で崩壊した小屋が崩れ落ちる。
轟音が響く中、前へと出て行ったのは銀色だった。

「あ…ッ…う…」
「下がってろ、死にたくなかったらな」
「あ、お、沖田さん?だ、あの人…!うッ」
「怖ェか?俺も怖ェさ」

震える身体が言う事を聞かずに言葉が出て来ない。
後ろから横へ、そして前へと普通に歩いて行った背から溢れるソレが全て故に。
ふらつきながら遅れて前へと出て声を掛けてくれた沖田の声で、ようやく意識を戻す。
刀を肩へと触れさせつつ、名前の元へと歩いていく身は包帯が目立っていた。
それに弾かれたように己も動いて、「名前さん!」と近寄る。
間も全身で鳥肌が恐怖を伝えていた。

「…酷ェ…また無茶しやがって…」
「名前さんは!?名前さんは大丈夫なの!?」
「生きてはいる…名前ッ…」

傷の具合を見て眉を顰めた沖田の顔が酷く険しくなる。
弱弱しい声掛けに、僅かに反応を見せた。

「…ッ…?お…た、くん?」
「名前さん!!」
「名前!俺が分かりやすかィ!?」
「うん…沖、田くん…だ…良か、った…ッ」
「アンタ…」

瞬いて気づいた意識と視界に入った姿に、名前が紡いだ言葉。
そうして伸ばした手が心配している沖田の裾を掴んで伝えた。
微笑んだ後に伝う涙の意味に、沖田は怒りも心配も押し込んで呟いた。

「…馬鹿ですねィッ…そりゃ俺の台詞でィ」

声が震えたのを隠すようにして、また緩んだ手を掴んでやる。
その温もりに安心したのか、再び瞳を閉じて抜けた力に動いた。
刀を引き抜いて止血し、身を抱え持つ。
横で黙ったまま我慢している庄吉に、「てめーもよく見てろ」と言った。

「見てろって…あッ」

振り向かずに歩いている姿。
けれども、対峙している浪士たちの血相と後ずさりの動作が伝えていた。
相手は木刀一振り、なのに。
血管が浮き出て見えるほど握られた木刀が上へ構えられた瞬間に、「ひィ!!」と悲鳴が漏れた。

「う…?…ッひぎゃあぁあ鬼ィ!!」

真正面には崩れ落ちた小屋から這い出てきた宝蔵がいて気づく。
立ち止まった黒いブーツを辿って見上げてあるのは白い鬼だ。
化け物を見たような叫びと共に、ジタバタとして逃げようとする姿を歩みは続いた。
その間、発される言葉は1つとしてない。

「あの人、パチンコでボロ負けって…そんな風には全然、見えなかったのに…」
「よく覚えとけ。コイツに手出すって事ァ、俺たちだけじゃねェ…あの鬼も敵に回すって事だ」

釘付けになって逸らせない中、宝蔵を含めた浪士たちが次々と打ちのめされて小屋を崩壊させていった。
轟音が止んだのは、山崎の報告を受けて急行した土方たち真選組がやって来た頃だった。


「…重症ではありますが…命に別状はないそうです」
「……」
「何でもあの傷で助かったのが奇跡だと、医者は…だ、旦那?えーと…聞いてます?」
「……」
「じゃ、じゃあ俺は局長と副長に報告戻るんで、席外しますね!」

大江戸病院の一室、眠り続ける名前のベッドの横に険しい表情のまま無言を貫く銀時。
横で容態の説明をしていた山崎は、あまりの無反応に居た堪れなくなって話題を切って席を立ってしまう。
扉を閉めた後で最後に見えたのも、名前を見つめて動かない横顔だった。

「あ…あんなの見てられないよ…!こんなんばっかり俺に押し付けて副長は〜ッ…!」

当の土方は、捕らえた宝蔵や浪士たちの後始末で屯所から動けない。
近藤も病院を脱走した沖田への説教と見張りのためについていて、名前の方へは行けない。
いや、全てを含めても、一番傍にいさせてやる理由を作っているのだと山崎には分かっていた。

(名前ちゃんが傍にいて欲しい存在って…旦那しかいないし…)

こういう時に、口にせずとも名前も銀時もお互いが心から欲している存在。
それでも気まずさは拭えずに、再び深い溜息をつく山崎の労は絶えなかった。
待合室まで歩いていて、座って落ち込んでいる庄吉に声を掛けた。

「名前ちゃんは一先ず安心だから、心配いらないよ。今は眠りが必要らしいけどね」
「!…そう、ですか…良かった。…俺の我儘、聞いてくれてありがとうございます」
「お礼は俺じゃなくて目を覚ました名前ちゃんに言うと良い。君を最後まで信じたのは名前ちゃんなんだから」
「…はい」
「だから君も名前ちゃんのために旦那を呼んだんだろ?」

名前のために走って銀時を見つけ出し、助け求めて縋ったのだろう。
聞かれた内容に頷いた、事実、必死で動いたのだ身体が。
途中、病院から脱走して動いていた沖田とも合流出来たのは本当に幸運だった。

「…俺も、あんな風になれるでしょうか」
「さぁ。君次第だと思うけど、そう思ったんなら成れると思うよ俺は」
「!」
「でも、名前ちゃんみたいな真似は絶対にしない事!アレは完全な無茶だからね!?」
「…そうですね…分かってます」

名前を思い返して注意する山崎に、笑いを漏らして庄吉は再び礼を言った。

「ありがとうございます、地味な人」
「山崎だから!!」

待合室に山崎のツッコミが響いた。

一方、病室にいる銀時は相変わらず黙したまま名前を見つめていた。
静かに手を伸ばして、血の気の引いている頬へと触れる。
その身体は非常に冷たい、それでも呼吸と温もりは伝わっていた。

「……バカヤローが…」

ポツリと呟いた音は誰も拾わず、向けられる名前も寝息を立てるだけ。
銀時の浮かべている表情も、今は誰も見る者はいないのだ。
伸ばしている己の手が僅かに震えているのを自覚していた。

「……っ」
「!、名前!?」

すると、名前が小さく眉を顰めて呻いた事に反応してしまう。
身を乗り出すように近づけば、薄っすらと開いた瞳が銀時を映した。
そうして切羽詰まっているのが銀時だと分かると、浮かべられたのは微笑みだった。

「ッ」
「銀さん…」
「無茶ばっかりしやがって…俺を殺す気か!おめーはッ…」
「ごめんね…今回は、ちょっと無茶だった」
「ちょっとどころじゃねーだろ!!」
「ッ…」
「!?、痛むのか!?悪ィッ!」
「…大丈夫」

名前の意識が戻った事で、最初に込み上げたのは怒りだったが。
小さく痛みを呻く仕草に、すぐに消し飛んで心配一色になる。
今浮かべているのは酷く情けない表情だろう、銀時自身でさえ己を保てていないのは分かっていた。
しかし、名前は穏やかな笑みを変えずに手を伸ばして銀時に重ねた。
温かい手と冷たい手が絡み合って、銀時が目を見開く。

「…私は、貴方を置いていったりしない…だから、大丈夫…」
「…!お前…」
「約束してくれたじゃない…?私も、破ったりしないから…でも、心配掛けちゃって、ごめんなさい…」

どこか確信めいた発言に嘘はないから、名前からしてみれば真実なのだろう。
命さえ助かったのすら奇跡だと言われた傷だろうにと苦々しく思うが、絡められた温もりに失笑した。
どういった経緯であれ、一番欲しかった答えを名前が返したから。
今はそれ以上は問いただしてはやらないでいてやろう。

「…あぁ、けどな。今度からは、俺を頼れ…ちゃんと声掛けろ」
「!、…庄吉くんから、聞いたの?」
「何が今は会わない方が良い、だ。そういう意地っ張りは俺に必要ねーだろ」
「…うん…だったね…でもね、あの時、十分頼れたよ。銀さんの背に、力を貰ったもの」
「そういう意味じゃねーよ…ハァ…」
「?」

銀時の軽い怒りにも首を僅かに傾げつつ疑問符を飛ばして見せる。
その様子が意図的でないから怒るに怒れず、銀時から漏れたのは溜息だった。
対して、名前は再び重くなる瞼と静かに脈打つ己の身の内に瞳を閉じた。

「ごめん…少し、眠っても…良いかな…」
「!、あぁ眠れ…俺はちゃんと居っから」
「…本当?」
「たりめーだろ」

銀時の肯定に、名前は力を抜いて意識を沈ませた。
その手を銀時がしっかりと握り続けていた。

(大丈夫…眠ったら…大丈夫…)

何がなのか、その理由も決して語るつもりはないけれど。
今は銀色の温もりがあるだけで十分だった。

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