- ナノ -




不可抗力です


「あら、名前ちゃん。そこ酷い汚れだわ」
「え?」

木々が生い茂る道なき道を進む志士たちの一団、その後方から続いていた名前は振り返る。
後ろから続いていたのは納曽利で、鉄扇で口元を隠していたが見える目線が名前の着物を向けられている。
瞬いて下を向き、「あ」と気がついた。
見えづらいが腰後ろがべったりと赤黒い。

「移動するのに夢中で全然気がつかなかった…こんなに汚れてたなんて」
「さっきの戦で諸に被っちゃったんだわ」

戦の後はどうたって全身汚れてしまうから仕方ないと普段ならば気にしないが、ここまで一か所が酷く汚れるのも珍しい。
しかも場所が場所だから遠目でもかなり目立つ色で見っともなくあるだろう。
どうしたものかと名前もさすがに困った表情をする。
今は一団の最後尾を歩いているから見られる事も少ないだろうが、この先は度々移動列を交代するから見られるのは避けられない。

うーんと悩み声をあげていると、納曽利がチラリと木々の合間へ目を向けた。
「もしかしたら」と呟かれ、首を傾げる。
すると前方の集団が足を止めて、先頭をいく桂の声が響いた。

「ここでしばし休憩を取ろう!皆、足を休めるといい」

ありがたい、助かった!とあちこちから明るい声が漏れて緊張が緩む仲間たちの雰囲気が伝わる。
列をなしていた一団が足並みがそれぞれ近場の木下へ向かう様子に納曽利が名前に小声を発した。

「この下から水の音がしたわ」
「水の音ですか?私には全然聞こえなかったんですが…あ!なら皆に知らせてっ」
「し!静かに。そうじゃなくて、ね?名前ちゃん」
「!」

水場があるのならば、この熱い季節に歩き通し熱を持った身体も涼められる。
飲めない水であってもきっと仲間たちの身体を休められるだろうと顏を明るくしたが。
大きくなりそうだった声はたちまち静かにさせられてしまって驚く。
当の納曽利は悪戯っぽい笑みを浮かべて、扇を名前の耳元へ持ってきて囁いた。

「先に名前ちゃんが行って汚れを落としておいでなさいな」
「っそれは…でもやっぱり悪いですし、他の皆が来る可能性だって…」

意外な提案に目を丸くしつつも同じく小声で返せば笑い声は大丈夫と否定した。

「あんな微かな気配、言わなきゃ誰も気づかないわよ。大丈夫、名前ちゃんが戻ってくるまでアタシも皆を見張っているから」
「そうですか?う…では、ごめんなさい…」
「いいわ、気にしないで。そんな事より名前ちゃんの方が心配だもの」

う、と情けない表情には分かるも、せっかくの納曽利の気遣いも無駄にはできない。
正直、名前もこの目立ちすぎる汚れは気になって仕方がなかった。
これから移動する道のりが長距離であるだけに余計に何とかする暇もなくなっていくだろうが、やはり気にかかるものは気になる。
「アタシは乙女の味方よ」とウィンクで返す納曽利の優しさに感謝しながら身を翻した。
納曽利が示した先、木々の合間を抜けた離れた場所へ。

草の合間へと消えて行った背を見送りつつ、納曽利は優しげな瞳で鉄扇を閉じた。

「納曽利さん、見張りお疲れ様で…、ってあれ?名前さんはどうかしたんですか?」
「あら、黒子野ちゃんも見張りお疲れ様」

間を置いた後、木陰で涼む納曽利の元へ地を踏みしめて歩いてきたのは黒子野だ。
互いに最前方と最後尾の見張りを担当している役目であるため、労い合えば疑問を向けられる。
今の最後尾の見張りが名前と納曽利である事をしっているだけに黒子野は首を傾げた。
対して含みを帯びた笑みでフフと笑って、「秘密よ」と返す納曽利は優美だ。
疑問符を飛ばしながら黒子野もそれ以上追及しなかった。
こういう雰囲気を浮かべる場合は何を言ってもノラリクラリされるだけだと知っている。

「それにしても良い涼み場があって良かったです、木漏れ日が心地よいですね」
「ええ、桂ちゃんも良い判断だわ。…そう言えば、そちらこそ高杉ちゃんはどうしたのかしら」
「あぁ高杉さんなら休む前にちょっと気になる音を聞いたから確認してくるって行ってしまったんです」
「…え?」

微かな音を聞いたから確認してくると。
高杉が場を離れた事もあって桂が一団の足を止めるために休憩を入れたのだと笑んで語る黒子野。
パチクリと瞬いて固まっている納曽利の表情は余裕を保てていなかった。
「……」と無言のまま口元を更に鉄扇で隠す変化。

「?、納曽利さん?」
「…そういう事もあるわよね。たまには」
「?」

苦笑を浮かべてポソリと言い訳を口にしてみるも聞いてくれる者は黒子野以外いない。
浮かぶ動揺の汗を払うように返した。

「高杉ちゃんならセーフね!(名前ちゃんにも)」
「えぇ?」

人は開き直りとも言えるそれに、黒子野が不思議に思うしかなかった。


生い茂る木々に囲まれている合間、草を掻き分けた死角にあった。
岩が重なり合う狭い場所だが、その岩壁には細かな苔が生えている。
近づいてよく見れば濃い灰色が陽射しを受けて艶を帯びているのが分かるものだ。
湿り気を帯びた岩の表面を伝う細かな水滴が落ち流れを作る。
そんな小さな流れが幾つも合流して細やかなせせらぎを生んでいた。

(本当に湧水だ…納曽利さん、凄いなぁ)

水源というには小さすぎる、言うなれば隠れた湧水だろうか。
こんな微かな水の気配も察知した納曽利を凄いと思いながら感謝しつつ寄った。
触れる水は冷たすぎず肌にも心地よい、澄んだ綺麗な色が水底を透かしていた。
うん、と微笑んで己の着物を肌蹴させる。

武具を外し置き、髪を掻き上げてまとめる。
帯を緩めて襟を開き下ろせば腰元に落ちる上物と外気に触れる肌の感覚に身震いした。
サラシを巻いているとはいえ外でここまで肌を見せた事はない。
誰も見ていないと思っていても、どこか気恥ずかしく頬を染めながらそそくさとサラシにも手をかけた。
シュルリと音を立てて白い布が落ち、膨らみの抑えがなくなって息が軽くなる。

「…ひょっとして前より大きくなったり?」

胸元に軽く触れて己で大きさを確かめて、「うぅ…」と複雑そうな顔をする。
成長期と言えば成長期な年頃だが、胸だけは別の理由が否めず浮かぶは羞恥だけ。

―やっぱ最高だわァ…俺だけのパフェって感じ?

ニヤニヤと手を伸ばしてくる銀髪が脳裏に浮かび慌ててイメージを片手で振り払う。
宙を掻き消す仕草は傍から見たら不審に思われるだろうが、今はそちらよりも記憶抹消の方が優先で。
今度から触らせるの控えようとかも真剣に考えていた。

因みに、仲間たちと休んでいた銀時が「へっぶし!」と派手なくしゃみをして桂に「風邪か?」と嫌な顔をされていたのは別の話。

水へと手を伸ばして肌蹴させた着物をつけて汚れを落とす。
岩場から流れ落ちる水の色を染めて赤が抜けている着物を丁寧に濯ぐと気分も良かった。
手早く絞り終え、そのまま手で掬って髪やら身体を湿らせた。
水滴が熱い身体に触れて非常に心地が良い。
ほんの一時だけでも気を張らずにいられる時間を納曽利に改めて感謝しながら微笑んだ。

そして顔を上げて、目に入ってしまった光景にピシリと固まる。

「!」
「ッ」

岩場と林の境目、ちょうどそこに茫然と佇んでいる見慣れた姿。
距離で言えば本当にすぐ間近なのに何故今の今まで気がつけなかったのか。
それは名前がすっかり油断していたからと言ってしまえば仕方がないが。
とにかく普段の涼しい顔はどこへやら、瞳を限界まで見開いて明らかに茫然と驚いてますな高杉がいた。

「や…っ、ちょ!?いやぁあああ!!」
「!?待、違ッ!?」

顏に一気に熱が集中して爆発したのは恥の感情が先だったけれど。
伸びた手は傍らに置いていた武具を引っ掴んでぶん投げていた、ほぼ反射で。
その動揺に同じく狼狽した高杉は当然受け身を取れず顔面に武具がヒット。
ゴス!と凄い音がしたのは言うまでもなく、名前はサラシを巻くもなく着物を辛うじて羽織り身を隠して立ち上がった。
とにかく頭を支配する感情は恥ずかしい一色、そして次に出るのは当然。

音を立てて鞘ごと愛刀を引っ掴み、ズカズカと歩いて行く。
顏に手をあてて痛みに悶えている高杉が覆った影に気づいた時には遅し。
すぐ目の前に立ちはだかり、片手で鞘をミシミシ掴んで片手で抜刀しかけている名前の怒り顔。
もはや痛みとかどうしてこうなったなど考えるまでもなく、顔から血の気が引いて蒼くなった。

「待て、事故だ!覗くつもりなんて無かった!」
「問答無用!ホント信じられないっ…!!」

ギラリと光ったのは白刃だったか、名前の羞恥浮かぶ目だったか。
かくも必至で否定と弁解にかかる高杉の台詞も耳に入れてくれない名前の思考が完全に動揺してしまっている事は確かで。
衝動のままに動けば視界も狭まるというのは、運悪い連鎖を引き起こす。
足を踏み出した名前が踏んでしまったのは、よりにもよって高杉へヒットさせた己の武具だった。

あ、と高杉と名前の呟きが脳内で重なるも後の祭り。
不安定な足はかける重力を失って身体がバランスを崩し前へと一気に倒れる。

高杉の視界を覆うのは肌色と柔らかい感触。
次いでザクリと頭上スレスレに刺さる音。
大木を背にしていたのが幸か不幸か。
いや、幸も不幸も同時に起こってしまっている事態はエライ事になっていた。

(コイツ!!どう間違ったらこんな状態になんだ!)

髪を何本か斬り落としたであろう冷たい感触は間違いなく龍の刃だが。
視界を覆っている柔らかい感触と圧し掛かっている重さが何なのか分からない訳もない。
それはプルプルと震えを伝えている身体も理解しているのだろう。
振ってきた身体へ手を回して支えると、かえって思考は落ち着きを取戻しかけていた。

どうやったら足を踏み外して倒れて、顔面胸潰しと頭上刀突き刺しな珍事になるのか。
名前だからなるのか、と半目になりながら「おい」と声を掛けるとビクリと身体が派手に反応した。

「ッッ!?これ、はその!事故なの!?ごめんなさいィィ!!」

高杉が優しく押し返せば凄い勢いで離れ、「ううッ…!」と情けない声を漏らす真っ赤な顔。
あまりに情けない様子で項垂れている様に、クッと笑いを漏らしてしまった。
喉を鳴らせて笑った高杉をキョトンとした表情で見返す名前が瞬く。

「あぁ、事故だ。コレで相子だろ」
「!、…うん」

恥ずかしいやら情けないやら、きっと酷い顔しているはずなのに。
高杉が返した様は、そんな名前を笑うようなものではなかったから。
落ち着いた感情は素直に穏やかなものになって笑い返せた。
どちらも事故と言えば事故だが、少なくとも今回はお相子という事でと思う。

すると、急に真剣な表情になった高杉が「それより」と低く返した。

「コレは俺のせいじゃねェ」
「え?」

スッと指差された自身を見下ろして、名前の時がまた止まる。
半端に隠していたはずの着物は倒れてしまったせいで着崩れて役目を果たしておらず。
見え隠れしている白い肌と双丘をマジマジと見据える高杉に名前の悲鳴が響いた。

ひと悶着の後、名前がしばらく高杉とまともに顔を合わせられなかった理由を知るのは納曽利のみである。

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