- ナノ -




いつでも呼んで


「銀ちゃん見てみて、出来たヨー!」

離れた位置から神楽の元気の良い声が響いて、げんなりしている銀時の目がそちらへ向けられる。
死んだ魚の目を称される目は何時にも増して生気を宿していないのは、かれこれ続けているこの単調作業に気力を割かれているからであった。

「お願いします万事屋さん、我が社の壁の塗り直しをお願い出来ないでしょうか」と、全体的に小さめな中年男が遠慮がちに頼んできたペンキ塗りの依頼。
ただ白く塗り直すだけで良いから、そんなに大きくないからと補足していたから軽く引き受けたものの。

「あんのピクミン親父が!これのどこが「そんなに面積ありませんので…」だ!めちゃくちゃデケェじゃねーかァァ!」

ペンキ缶を地面に叩き置いたのが数時間前。
幾ら青筋を立てて怒っても引き受けたからにはやるしかない。
予想以上に広い色褪せた壁一面へ刷毛をひたすら走らせるに至る。

「見て見て!」と繰り返す神楽の声で、逃避していたペンキの現実に引き戻されたため気分も余計に降下。
舌打ちまで聞こえそうな不機嫌な顔で「んだよ、うっせーぞ神楽!ちゃんとや、れ…?」と言いかけた言葉は最後消えかけていた。

「……」となって眺める向こうには、壁に貼りつかされている新八の後ろ姿。
その周囲を白ペンキで縁取って、所々に数字を書き加えているらしい神楽がキメ顔のままに示した。

「犯人はお前ダ!」
「って何でだァァ!!」

間髪入れずにつっこんだのは、示された銀時ではなく壁の張り付きからガバリと起き上がって叫んだ新八本人だった。

「何で僕が被害者みたくなってんの!?何で現場検証のキープアウトみたくなってんの!?」
「新八なんて最初からそれぐらいの価値しかないネ」
「おめーも真っ白くしたろかコラァア!」

刷毛を両手に持って神楽を追い回す新八の行動に、刷毛を壁に押し付けてプルプルしている銀時の引きつり笑いは怒りを堪えているのが見てとれる。
補充のペンキ缶を持って来た名前が、「あ」と呟くと同時に音が響いた。
バキリ!と綺麗に持ち手から折れた銀時の刷毛は与えられる力に耐えられなかった。

「てめェらちゃんとやれェェー!!」

叫ぶは良いも、そのまま梯子を飛び降りて2人を捕獲しに駆け出してしまう背。
盛大に苦笑を隠せず、折れた刷毛を拾ってコレも補充しなきゃと思いつつぼやいた。

「どっちもどっちだけど」

そのまま作業を進めて更に時間が経過、朝から始めた日は真上を過ぎて傾きかける。
あと1、2時間もすれば夕焼け色に染まるだろう空を仰いだ名前は身体の向きを戻して万事屋トリオを励ました。

「ほらあと少しだし、頑張ろう?このペースなら依頼通り終えられるよ」
「名前さんの言う通りですよ。銀さんも神楽ちゃんも頑張りましょう!」
「嫌アル、お腹すいたアル。銀ちゃん、私の分も働くヨロシ」
「馬鹿言うんじゃありません、銀さんの両手塞がってるの見えてるよね、ん?これ以上無理に決まってんだろッ!」
「口と足使えヨ」

イライラと効果音まで聞こえてきそうな銀時の怒りが炸裂する前に、名前がポンと手を叩いて「休憩にしよっか!」と大きな声で提案する。
新八と銀時に文句つけていた神楽が真っ先にペンキと刷毛を放り投げて駆けてきた。
遅れてやって来る2人のツナギも所々ペンキだらけ。
名前は神楽と新八の顔についた汚れをタオルで拭いていると後ろから銀時が声を掛けてきた。

「あー…その、悪かったな…結局まる1日手伝って貰っちまって。せっかくの非番だったのによ…」
「謝る事なんてないよ、私には十分休みになってるから」

言い辛そうにしている様子から漏れたのは今日1日万事屋の依頼を手伝わせてしまった謝罪らしい。
普段めったな事では謝らない銀時の似合わない仕草が何だおかしくて、名前は軽く笑いながら否定した。
隣から、「いえ名前さんだって買い出しとかペンキ塗りまでしてくれて大変だったじゃないですか!」と新八まで銀時の弁護に回ったので目を丸くしてしまう。
しかしすぐに微笑んで答えられた内容に2人は閉口せざるを得なかった。

「こうして一緒に仕事するのが楽しいから、飛びっきりのお休みでしょう?」

顔を背けて反論しなくなった2人に名前は軽く首を傾げて疑問に思うも、ニヤニヤとする神楽だけは何故なのか分かる。

(銀さん、顔がニヤけてだらしないですけど!?)
(その言葉そっくり返すぜ?ぱっつぁん)

緩む頬を抑えきれない心の会話に対して、神楽が手を振って銀時を呼んだ。
新八から離れて近寄ると神楽がコソコソ話で言い出した事は、なんと買い出しの要求。
曰く、酢昆布おにぎりを含めた間食を買って来い、だった。
「はぁぁあ!?」と怒りの声を上げる銀時の反論は当然、見越していた範疇だったため目をキランとさせて告げる。

(買って来たらさっきの顔は見なかった事にしてやるネ)
(んなッてめッッ、汚ねェぞコノヤロー!行って参りますんで名前には内緒にして下さい!!)
(分かれば良いアル)

悪態をつきながらも次に出た小声は見事なまでの低姿勢。
300円あげるから!な下りまで付け足されている辺り、浮かべた本人も自覚するくらい緩んでいたらしい表情。
ドヤ顔をして上位をキープする神楽の雰囲気はまさにかぶき町の女王様モードであった。
髪をガシガシと掻いて焦りを平常に隠した銀時が名前へと買い出しに行ってくると告げて背を向けて歩いていく。
返事をして見送る名前は不思議そうにするしかなかった。

「銀さんから買い出しに行くって言い出すなんて珍しい…」
「好きに任せちゃいましょう、依頼内容聞かずに安易に引き受けた罰にもちょうど良いですから」
「私たちはばっちり涼んどくけどナ」
「あっちの木陰で一休みしましょう」
「そうだね」

大きく伸びをして満足そうにする神楽と木陰を指差した新八の提案に頷いて移動する。
ちょうど壁一面と通りを挟んだ向かい側にある草原に佇む大樹が1本、風で揺れて木陰を作っていた。
その下へと腰掛けて見上げれば木漏れ日が気持ち良く、葉擦れの音が耳に優しい。
少しの間、静けさに身を任せて疲れを癒していた3人だった。

と、瞳をゆっくり開けた新八が「そう言えば」と何気なく思い至った話題を深く考える事もなく口にする。

「名前さんって、いつから銀さんって呼ぶようになったんですか?」
「え?どうしたの急に」
「いや、名前さんが銀さんの事を『銀時』って呼んでいるの聞いた事ないなぁと思っちゃいまして。あ!もしかして聞いちゃいけなかったですか!?すみませ、」
「それ私も聞きたいヨ!何でアルか!?」
「神楽ちゃんんん!!」

台詞被せないで、という新八の叫びも顔を手で阻まれて変な声と共に飲み込むしかない。
名前の方へと身を乗り出して期待の瞳を向ける神楽の雰囲気は本当に純粋な好奇心なのだろう。
ワクワクと効果音さえ聞こえそうで、ハラハラとする新八の心配とは反対に名前はアハハ!と笑いを漏らした。

「私もね、小さい頃は神楽ちゃんと同じように『銀ちゃん』って呼んでたんだよ」
「マジでか!ひゃっほーい、お揃いアル!」
「うん、お揃いだね」
「(聞いても良くて良かった…!)え、じゃあ今は『銀さん』ですか?」

ほっと胸を撫で下ろしている新八の仕草を内心だけで苦笑しながら頷いて肯定する。
続けられた肯定と次に思い浮かんだ疑問に、新八も神楽も同時に首を傾げたのも自然で。
名前は1度だけ木漏れ日を見上げてから顔を戻して、立てた指を口元にあてて秘密ねと微笑んだ。

「これはね、銀さんにも言った事ないんだけど新八くんと神楽ちゃんには教えてあげる」
「おぉ!聞きたいアル!」
「は、はい!秘密ですねっ…!」

秘密だと聞けば、途端にソワソワな期待が抑えられないらしい様子はあどけない。
周囲に人気はないけれど、顔を近づかせ合わせるのは秘密の会議をしているようで。
言葉を紡ぐ声色も小さめになりながらも、名前の脳裏には思い出が今でも鮮明に思い出せた。

「私も最初は『銀ちゃん』が大好きだった、ただの幼い女の子だったの。幼馴染だったし途中から家族のように育った時期もあったから、恥ずかしながら実に14〜5くらいまで」
「それって名前さんにとって銀さんは家族みたいなものだったって事ですか?」
「銀ちゃんは生殺しだったネ」
「ちょ、直球ストレートォォ」
「新八くん、間違ってないから私の三振で良いの…」
「名前さん、申し訳なかったんですね!!めちゃくちゃ火の玉見えますけどッッ」

真剣な神楽の台詞がグサリと名前に刺さったのが新八にも見えた。
変わらず笑んでいるもどこか、ボーン…と効果音が聞こえそうな雰囲気にツッコミも緩めになってしまった。
ゴホン!と喉を鳴らす仕草で姿勢を正した名前が気を改める。

「まだ戦に出始めて間もない頃だったかな…私がヘマをしちゃって敵軍に崖へ追い詰められた事があったんだ」
「!名前さんが!?」
「当時は気概だけが先走った子供だったんだよ、私も。特に女1人だったから、仲間の志士たちにも負けて堪るか!って変な焦りもあってね」

仲間たちも躊躇する攻めにくい地形で先陣きって勝手に奇襲に及んだ。
思い返せば今の自分で一喝してやりたいくらい考えなしな行動であったと思うけれども。
当時は本当に必死だったのだ、幼馴染3人との本気の口喧嘩に半ば押し切り勝つ形で参戦していた。
おまけに志士たちも女と最初から舐めてかかっていた節もあって余計に。

(いや、それよりも一番怖かったのは…)

2人には「反抗期だったんだ」と告げながらも、内心に掠める攘夷時代の自身を隠す。

刀を握って戦場を駆ける事も、恐ろしい天人の軍勢を数多も相手にする事も。
最悪、自身が怪我や死ぬ事すら正直何とも思っていなかった。
ただただ何より怖かった事は1つだけ。それは今も変わっていないけれども。

(置いて行かれるのは嫌だ、傷つくのを黙って見送るのは嫌だ)

誰よりも大切だった銀時が…そして幼馴染2人が。名前にとって、自身の存在よりもずっと重かった。

「弾き飛ばされて崖に身を浮かせた時は、「あ、これは」って死を覚悟したな正直…。でも、その時だったよ…銀さんが私を抱き込んで一緒に落ちたのは」

名前!!!とつんざくような呼びを聞いたのは、昔にも今にもあれが最後ではないだろうか。
大きく見開く視界は銀時の白で覆われて、落下しながら河へと沈んだ感覚を思い出せる。
言葉のない新八と神楽の表情は真剣だった。

「水の中で意識が薄れて、それから目を開けた時…視界に入ったのは私を見下ろしてる銀さんの表情だった。それで初めて気がつけた…ああ、この人はこんなにも、って」

視線を下げて最後ははっきりと告げなかったのは、紡ぐ言葉が見つからなかったからだったが。
2人にはしっかりと伝わったようで、頷いて相槌を打ってくれた。

見下ろす表情と自身の頬に触れた手、そして身の上に乗り上げている逞しい身体に目が醒めたと思う。
そのまま攻めも怒りもせずに、一心に力強く抱きしめてきた大きな背に手を回して世界が変わった。

「あの時から、私にとって『銀ちゃん』は『銀さん』になったの」

締めくくった名前の浮かべる表情に新八と神楽も息を呑んで見入る。
それほど幸せそうだと思えた、微笑みが。

「なんか分かるかもしれないアル!」
「いや神楽ちゃん分かってないよね、何となくしか掴んでないよね」
「うっさいヨ、少なくともお前(童貞)よりは理解してるアル」
「おいィィィ今何て書いて呼んだゴルァアア!!」

冷たい目を向ける神楽の胸倉を掴んでギャーギャー怒る新八のやり取りは名前の知るいつものもので。
真剣な内緒話が通常の空気に戻ってちょうど良いなと思いながら傍観していると、遠くから歩いてくる銀時の姿が見えた。
「ほら、銀さん帰ってきたみたいだから迎えに行こうか」と促して呼ぶ。
大樹の下から壁の元へと戻って銀時と合流し、労っていると神楽が「あ」と呟いた。

「そう言えば、もう1つ聞いてないヨ」
「あん?いきなり何の話だ神楽」
「銀ちゃんは黙っとくヨロシ。名前、じゃあ何で今は銀ちゃんをそのまま名前で呼ばないアルか?」
「あ、聞きそびれてましたね」
「え!?…えーっと、それは…ッ」
「それは是非とも銀さんも聞きたいなァ?名前ちゃーん」
「ッッ」

油断していたため、神楽のいきなりのぶっこみに驚くしかなく。
前後の話など知らないはずなのに、瞬時にニヤニヤと悪巧みモードな銀時の意地悪い笑みに驚きは焦りになる。
それは取り繕う暇を失う結果となり、万事屋トリオの視線を集中して逃げられなくなってしまった。
口をパクパクして眉を下げて困っている名前の表情は非常に珍しい。
新八と神楽は純粋な好奇心による問い詰め、銀時だけが変わらず余裕な態度のままニヤニヤしていた。

「そっそれは…、いや、ね!今更ね…!変えられないからって…っ」
「嘘はいけねーなァ嘘は。正直に言ってみ?名前ちゃんは銀さんが好き過g、 「うわぁあああ!!!」 ぐわばちょぉ!?」

ガスッッ!!と銀時の顔面に買い物袋がヒットして変な声が最後になった。
肩を動かして息を整えている名前は怒り顔であるも、真っ赤に染まっていて迫力がない。
一連の流れをばっちり眺めていた新八と神楽は、「あぁ…」と今日1番の冷静で生暖かい目を向けていた。

「ちょッ…2人ともそんな目で見ないで!違うの!これは違うからね!誤解しないでね!?」
「分かってます、大丈夫です。名前さんは銀さんが大好き過ぎなんですね」
「恥ずかしくて名前が普通に呼べないレベルアルか。大丈夫、ちゃんと分かったヨ」
「だから違うってぇぇーッ!」

名前の必死な否定もとい弁解も説得力はあるだろうか、いや、ない。
倒れていた銀時が身を起こして顔を摩りつつ、「いやでも夜は呼ぶも、」と言いかけて再び名前の叫びで掻き消された。

そんな騒がしさを続ける事しばらく。
夕日が地平線にきてようやく、ペンキ塗りが終わっていないのに大慌てしたらしい。

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