君しかいません
名前がソレを見つけてしまったのは、運が悪かったと言えばそれまでかもしれない。
たまたま訪れた日に銀時たちは依頼が入って万事屋を留守にしていた。
たまたま新八も片付ける暇がない程に忙しさが続いたらしく、事務所内には読みかけのジャンプやら雑誌、飲んだイチゴ牛乳の空などのゴミで散らかっていた。
だから、3人が帰ってくる前にたまたま軽く掃除をしてしまおうと思ってしまった。
「……」
黙するままに微妙な表情で名前が戸惑ってしまうは、ジャンプを積み片付けていた隅に隠すように置かれていた冊子。
疑問に思って手にしてしまったが運の尽き…少なくとも不慣れな名前には気まずくしかならない、所謂エロ本の部類だ。
中身をめくらずとも、表紙だけでどんなジャンルなのかまで丸わかりであるから、どういった顔をして良いか分からなくなって1人気まずくなるばかり。
普段の冷静さがあったなら、すぐ様もとに戻して見なかった事にするのだが。
(これってつまり…銀さんの好きな女性のタイプって事になる?)
気恥ずかしさに直視しないで逸らしていた目は横の棚の上に置かれた結野アナフィギュアを目にとめて、ふと思考が至る。
いつもお天気お姉さんである結野アナに夢中なのだと新八が呆れた声で語った記憶も思い出された故に。
正直、銀時は名前といる際は他の女性への夢中になるような仕草をあまり見せない。
新八や神楽が呆れ返るのだと語る結野アナに熱中している様さえ軽くしか見た事がない。
名前にとってそれは嬉しいという感情もあるも、同時にどこか大きな不安に駆られてしまうものがあった。
自分が傍にいてしまう事で銀時に気を使わせてしまっているのではないか。
色事に不慣れな自分が銀時の好みに相応しくないのではないか。
前々から感じていた不安で初めてエロ本を直視し、真剣な目で見つめてしまった。
「えーと…巨乳なナースさんと複、いやいやそこは関係ないし!こっちは美人警官?セクシーくノ一の悩殺…うん」
コスプレやら過激なプレイものとかは別として、表紙からまず分かる事は、皆セクシーでボンッキュッボンな美人お色気系の女性ばかりという事。
夜で言うなら艶やかな蝶だろう。
名前はふと自身を思い出して、眉を下げた後で首を横に振って否定した。
とても自分とは正反対の女性たちではないかと溜息をつく。
可愛さや綺麗さ、セクシーや清楚といった女性それぞれの魅力の違いと言えばそうなるからそこは別に落ち込めない。
ただ端的にショックなのは、自分が銀時の好みのタイプではないという事実だ。
「……」
少しだけ顔を伏せて、雑誌を元の位置に隠し戻して作業を再開する。
それは、外から階段を上がってくる気配がしたからであり。
テキパキと残りを片付けて気持ちを切り替えた名前だった。
「お帰りなさい、銀さ…って!?」
「おー、銀さんが帰ったぜーッひくっ名前ちゃーん!」
ガラガラと戸が開くのを聞いて出迎えたまでは良かった。
まさか帰ってきた状態が酔っ払いモードであると予想できなかっただけで。
名前が驚いている間に、ガバリと両手を広げてご機嫌に抱き締めかかってくる銀時。
そのまま掛かってくる重さを支えきれず、後退して壁に背をついてしまった。
「もう銀さんっまだ夕方だよ!?一体どこでこんなに飲んで…それに新八くんと神楽ちゃんは?」
「あァー?ひっく…長谷川さんとよー、飲み比べになっちまって、銀さんもう舞い上がってまぁーす!」
(駄目だ、ほぼ会話にならない…)
しゃっくりを繰り返してご機嫌に名前を抱き閉じ込めて名を連呼する口から強い酒気。
真っ赤な顔と高い体温だけでも、相当飲んで酔っているのだと分かる。
「名前ー」と首に擦り寄りいつにも増して甘え全開に見えてしまうのは酔いのせいもあるのだろうが。
仕方なく支えながら居間の方へと戻る中、「新八くんと神楽ちゃんは?」とゆっくり聞き取りやすいように要点だけ紡ぐ。
するとトロンとした目のまま、「長谷川さん送りに行った」とだけ答えがあった。
要は長谷川ことマダオの方が酔いが酷かったのかもしれない。
(動ける銀さんは放置して行っちゃったのかな、2人とも)
目に浮かぶは、「この酔っ払いが」と唾を吐いて呆れる神楽と溜息全開な新八。
2人が酔い潰れたマダオを本当に連れて行ったのか定かではない(逆に公園あたりに放置している可能性も十分ある)。
名前が苦笑しつつもひっつき虫状態な銀時を支えてようやく事務所にしている居間の長椅子に辿り着く。
水を持ってくるからと長椅子へ銀時を押して離そうとした時、予想外にも身体はしっかりした力で引っ張られた。
「!、ちょ、銀さん?」
「水より名前ちゃんが欲しい」
「えっ…」
背中に長椅子の感触と上には天井、もとい覆い被さってニヤリとする銀時の酔い顔。
まだ頬やのしかかる身体が熱い事から酔いが醒めていないのは確かでも。
本気なのか前戯なのか、名前を押し倒す力は抵抗してもすぐには退かないレベルなのは分かる。
「いや駄目だよ、こんな時間だしきっと新八くんたちも帰っん!」
夕方の頃合い、新八と神楽たちもすぐに戻ってくるはずだからと冷静な考えも口ごと封じられて。
話すために口を開いていたから、口内へ差し込まれる舌も受け入れるしかなく。
んぅ、と瞳を細めてくぐもれば、合わさる唇を味わうように角度を変え、頭を固定する手が髪で遊ぶ。
正直、クラクラするくらい気持ちの良いキスなのだと名前自身も熱が高まって。
だから、ふと先ほどまで胸の奥に沈めていた不安が刺激されて我に返ってしまった。
(酔っていてもこうなのに)
こんなに色事に手慣れているのに、自分は銀時が望むよう応えられていない。
そうだ、タイプではないからこそ余計に。
1度過ってしまった不安は普段考えないよう押し込めているからこそ浮き出やすく。
離れた口は弧を描き、銀時が何気なしに発した言葉が留め金に触れてしまった。
「やっぱいつまでも初心なァ?おめーは」
戸惑う名前の様が、身体を重ねる前戯の前の緊張や恥ずかしさととった些細なもの。
それでも身体を震わせて反応した名前は、力を入れて銀時を押し離した。
いきなり力が加わった事で予想していなかった銀時は押されるままに身を上げてしまう。
もう片手を長椅子に掛けて起き上がりながら眉を下げた。
そんな名前の変わり様に違和感を覚えながらも、酔いでフワフワとする思考は深く考えに至らずヘラリと笑って返す。
「いきなりどうしたって、あ、もっと激しいのがお好みでしたっけ。なら銀さん張り切っちゃうぜ?」
「……」
「名前ちゃー、…名前?」
僅かに伏せられていた名前が顔を向けた時に、目にした銀時の軽口がようやく消える。
下げられた眉と浮かべられた笑みはいつも見慣れた輝くものでなく悲しさからくるもの。
目を開いて一気に思考がハッキリした銀時が喉を鳴らすと、瞬いた名前が何かに辿り着いたように答える。
「ごめんね、いつまでも慣れなくて…だからもう私とはこういう風にしない方が良いと思うんだ」
「は…?おい、マジで一体どうしちまったんだ。え、怒ってんの?銀さん、何かしちまった!?」
「ううん。ただ…私は銀さんに相応しくないんだなって…」
「!」
ポツリと紡いだ言葉は真剣を帯びているのが聞き返さずとも伝わる。
悲しく微笑む表情も真剣なものに変わったから、名前が真面目にそう発したのだと理解した時。
考えるより先に銀時の感情を覆ったのは自身でも考えるより冷たい感覚だった。
細められた瞳のままに、一言出た「本気で言ってんのか」は意識するよりも低く響く。
一瞬だけ息を詰めた名前の様子が分かったが、名前もキリッとして「うん」と頷いた事で止められなくなる。
互いに見つめ合う沈黙、なのに取り巻く空気は先ほどの甘さが嘘のように張り詰めて。
ピリピリとする雰囲気の中で、先に流れを変えたのは銀時のあからさまな溜息だった。
盛大な音と共にガシガシと頭をかいて放つ空気が幾分か軽くなる。
なのに名前は逆に益々気持ちを沈ませてしまった。
(また、気を遣わせてしまった)
手をギュッと握ってから立ち上がり背を向けて歩き出す。
急な名前の行動に勿論、銀時も「!」と反応して驚いた目を向けるが名前は軽く振り返ってアハハと微笑んで謝った。
「ごめん、ちょっと出てくるね」と。
聞いた銀時がどんな表情をしたのかは、すぐに前へ顔を戻したから見えなかった。
ただ、「ッ…」と声を上げようとして止まった音が聞こえた。
そのまま重い足取りのまま、名前は自身の気持ちに無理やり蓋をしたまま玄関から外へ出る。
ガラリと戸が閉まると同時に、残された銀時は苦虫を噛み潰したような百面相を繰り返した後で「あーッ…くそッ!」と短く叫んだ。
新八と神楽が帰る前のタイミングで良かったと、宛てもなく通りを歩きながら思う。
かぶき町の大通りに近い道ひいては人の行き交いが多い中をわざと選んで進んだ。
そうすれば、どんどん重くなってしまう不安を余計な感情に変えずに済むからで。
昔から何かに酷く悩んだ時、誰にも話せない時、そうやって何かに紛れる事で隠してきた癖だ。
(独りでいると、私はきっと耐えられなくなるから…)
自分として保つべき意思が揺らいでしまう、堪えている感情さえ汚いままに爆発してしまうだろう。
ポツリと振ってきた雨が夕立だと理解した時、空を見上げつつ小走りに通りを抜けた。
名前が雨宿りにしたのは公園内にある屋根付きのベンチだった。
ちょうど着いた時には土砂降りになったせいもあって、公園には既に人の気配はない。
てっきり雨宿りしている子供や連れの大人もいると思ったが、宛てが外れて1人でいる事に息をつく。
こうなっては動きようもないし大人しく待っているしかないだろう。
再び沈みそうになる思考を振り払うように、濡れた水滴を払う動作で衣服を軽くはためかせた。
「!、誰…?」
その時だ、ベンチの後ろ下からガサゴソと音が聞こえて人の気配がしたのは。
ハッとなった名前が癖で身構えつつ声を発すると、「うー…」と呻きに近い答えと頭を摩りながら起きる動作があった。
のそりとゆっくり姿を現したのは名前もよく知る存在で、安堵しつつ力を抜いて笑った。
「長谷川さん、こんな所で酔いつぶれてたんですか」
「うぅー…頭いてェな…おお?…、って名前ちゃんじゃねェの!」
「はい、こんにちは」
「アレ、何でこんな所に?いや寧ろ俺は何でこんな所で寝てたんだっけ?そもそも何でこんな頭痛いんだっけ?」
(頭のタンコブって事は…神楽ちゃん?)
どうやら頭を摩っているのは酔い覚めのせいだけではないらしいと名前だけが想像をつけながら答えは言わなかった。
いや、言えなかったに近い…恐らくキレた神楽あたりがぶっ飛ばしてココに放置した可能性が高いから。
何となく申し訳なく思いながら、「大丈夫ですか、冷やします?」と言ってハンカチを取り出す。
ベンチに併設されている水飲み場へと足を向けてハンカチを濡らし、マダオの元へと戻って差し出した。
どうぞと笑いながら渡すと、一瞬呆けたマダオだったが「ありがとう」と礼を返して受け取る。
マダオがタンコブを冷やしている間、名前も隣へと腰掛けて静かに公園を見つめる。
雨は止みそうになかった。
「…なぁ名前ちゃん…あの、俺の勘違いだったら申し訳ないんだけど…その、何かあったりした?」
「!…アハハ…私、やっぱり酷い顔しちゃってますか」
「いやいや!酷い顔とか全然ないってマジで!ただ、こう雰囲気がねっ!俺の知ってる奴に似てたもんで何となく!」
静寂の後、非常に聞きづらそうに切り出してきたマダオに、名前は小さく反応して苦笑を浮かべて肯定した。
その様に慌てて両手を振って否定しつつ励ましてくれる様子に、「いいんです」と返す。
「その、私も聞いても良いですか?雰囲気が似てる人って…」
「え、ああ!ハツ…俺の家内だよ」
「!、マダ…長谷川さんの奥さんですか」
「あれ、今マダオって言った?言おうとした?」
目を丸くしてマダオを見る名前には、マダオのマダオ呼びに対するツッコミは綺麗にスルーされているらしい。
変わらず純粋な疑問の目を向けられたままで、「……」となったマダオだったが気を取り直して語った。
「似てるって言っても、こう落ち込んで…いや、物思いに沈んでいるって言うのかな?よく俺がさせちゃってるから分かるだけでさ!」
曰く、幕府官僚のお家に婿入りした時から何かと苦労ばかりかけてきた事。
銀時たちへの依頼の中でハタ皇子をぶん殴って首になり夜逃げされた事。
マダオ真っ盛りでもいつかは寄りを戻したいと思っている事。
「俺は駄目なトコばっかりで、よく出来た妻のハツにゃ申し訳ない事ばっかりだよ…はぁ…でも名前ちゃんまでそんな顔してるんじゃ、悩みは銀さんだろう?」
「!、それはッ…長谷…マダオさんは凄いですね。分かっちゃうんですか」
「アレ今長谷川さんて言いかけてた?何で訂正しちゃった?」
が、やっぱり名前はスルーだった。
ガックシと肩を落としつつ、マダオも語りを戻して続ける。
「やっぱりなぁ…だからだね、ハツと同じだって思ったのは」
「?」
「俺を心配してくれたり、俺で悩んでるのにそっくりだなぁって。でも、意外だなぁ
…あんな銀さんのマダオっぷりも全部受け止めちゃう自慢の嫁さんが一体何に悩んで、」
「っ、待って下さい!今、何て?」
語られた単語に反応して聞き返してしまった声は割と大きかったらしい。
驚いて固まってしまったマダオだったが、「ああ!」と気がついた。
ぐっと真剣な表情で一心にマダオの答えを待つ名前は、その焦点が後ろにある事に気がつけなかったが。
ゴクリと喉を鳴らせたマダオがゆっくりと紡ぐのに合わせて途中から声は重なった。
「銀さん、俺と飲みに行く度にずっと自慢しながら話してるよ名前ちゃんの事…しっかりしてて気立ても良くて俺の自慢の、」
「嫁だってな」
「!?な、銀さんんッ!?」
パシャリと濡れた足音が真近に踏み出されたので、雨に紛れていた気配がはっきりする。驚いた名前が振り返った先、そこには全身びしょ濡れ状態な銀時がいた。
いきなりの登場に思考が追いつかなかったが、未だ屋根に入りきれておらず雨に打たれている様を見てハッとなり駆け寄る。
何でこんなずぶ濡れに。
風邪を引いたら大変だ。
そんな思考と心配が真っ先に身体を動かして手を伸ばした。
向かってくる名前の表情を見ていた銀時は力を抜いた苦笑で先に動く。
「わっ!ちょっ!?」
「名前ちゃんが良いんだよ」
反応して止まりそうになった名前を引き寄せて腕の中に閉じ込めつつ言い放った。
先ほどは言えなかった感情を。
「名前しかいねェんだよ」と強く続く言に名前は返しを飲み込んで聞き入る形になって。
「お前が何に悩んでんだか分からねェし、無理に聞いたりしねェ…けどな、これだけは言わせろ。俺に相応しいとか相応しくないとか、そういう問題じゃねェから」
「私……」
「俺が欲しいのはおめーだけなの、銀さんが愛しくて堪んねーのは名前、お前だけだコノヤロー」
相応しくないとか勝手な理由で離れようとすんな、と最後は小さく囁かれて。
(そうか…)
と、名前も胸を覆っていた不安が穏やかになるのを感じながら、その胸に額をつけて瞳を閉じ腕を回す。
抱き締めが肯定を示す事で、銀時も緊張の張り詰めをやっと緩ませた。
「…私、貴方の好みにはなれないから駄目なんだって理由をつけて逃げていたの。本当はただ嫉妬していただけなんだ…ごめんね」
「…はぁ。嫉妬?そんなの俺ァ年中無休でしてますけど、名前ちゃんが知らねーだけですけど?悪いか、別に隠す必要なんざねーだろうが」
「…そう、だったね」
顔を上げて浮かべた苦笑は銀時の嫌う名前の笑いではなかった。
対して、昔から変わらないよなと片手を振ってヤレヤレと示すようにする。
昔から自分の事になると色々考えて変に空回る癖。
本当に俺に弱いよなァコイツは、とだけ内心で笑みを作ってしまった。
「お前はお前のままで俺の傍にいてくれや。余計な事ァ気にする必要なんざ何もねェんだからよ」
「うん」
そう言われた後で額へ落とされたキスを受け入れながら、名前も今度は素直に頷けた。
いつの間にか止んだらしい雨の雲間から光が屋根を射し、ベンチにはマダオの姿もいつの間にか消えていた。
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