休日の部活の後、通話アプリに入っていたメッセージを読んで、渋々足を運んでみれば、そこには地獄絵図と言っても過言ではない光景が広がっていた。
散乱した調理器具、異臭を放つオーブン、消し炭になった黒い塊…多分、あれはスポンジになる予定だったモノ、何故か固まらず白い液体のままの生クリーム…。
唯一無事なのは、大ぶりのいちごくらいだろうか。その惨劇の中、小さく縮こまって佇んでいる琴子は、さっきから俯いたままだ。
「……ケーキ、作ろうと思って…」
絞り出すような声は震えていた。溜息を吐きながら覗き込むと、琴子のあまり見られない顔が見られた。ほんの少し噛みしめられた唇は震えていて、目には瞬きをしたら零れそうなくらい、涙が溜まっている。あ、もう……。
あーあ。僕は手を伸ばして、溢れてしまった涙を指で掬った。
「お菓子作りのセンス壊滅的なのに、ムリするからだよ」
「…今回は、作りたかった」
「……はいはい。とりあえず、片付けしようか?」
ポンと頭に手を置けば、それに答えるように、琴子はグスッと鼻を啜った。
普段なら、絶対にお菓子作りをしようなんて、彼女は思わないだろう。
だって、見ての通りの腕前だし、自分でも向いていない事が良く解っているから。
でも、それでも今日、琴子がケーキを作りたかった理由を、僕は知ってる。
だってそれは、僕に一番、関係がある事だから。
「どうしたらこんなに黒くなるのか」
「……オーブンの設定、間違えた」
「どうして固まらないのか」
「……それは、私も知りたい…」
なんて事をぽつりぽつりと話していたら、なんだか少し、ほんの少しだけ、楽しくなってきて、僕の口元は思わず緩む。バカだなぁと思う。毎年のように、買ってくればそれで済むのに。
「…こんなもんかな」
「……お手数を、おかけしまして…」
「ホントだよ。でも久々にやった。地獄の片付け」
「面目ない…」
「武士か」
「かたじけない」
「もういいから」
「ウィッス」
ちらりと時計を見ると、もう21時を回っていた。
クイッと服の裾が引かれて視線を落とすと、琴子がへらっと笑いながら、僕を見上げていた。
「コンビニ行ってくる。もしかしたら、ケーキ、あるかも」
「…今の時期は売ってないんじゃない?モンブランとかなら、可能性あるけど…」
「でも、行ってみなくちゃわかんないから。蛍ちゃん待って「待ってると思った?バカなの?」
悪態をついたつもりなのに、琴子は何故か嬉しそうに笑った。
簡単に身支度をして、玄関を出ると、金木犀の香りが鼻をくすぐった。秋の夜空は澄んでいて、いつもより大きな満月が僕らを見下ろしていた。歩幅が違うのに、合わせなくても勝手に合うのは、きっと生まれた時からずっと一緒だったから。でも、去年と少し違うのは、ひと肌が恋しくなるような気温に、自然に絡む指先。
「毎年買ってるのに、なんで今回に限って作る気になったんだか」
「そんなの、決まってる」
どちらが催促をしたわけでもなく、自然に歩みを止める足。
見下ろした琴子は、なんだかここ最近で、すごく可愛くなったような気がする。
いや、こんなこと本人には絶対言わないけど。
「“幼馴染”から“恋人”になって、初めての誕生日だからだよ」
「……あっそ」
「うん」
ああ、こんな笑顔、家で見せてほしかった。
コンビニに着く頃、僕はもうケーキなんて割とどうでもよくなっていて、帰ったらプレゼントと称して、君からの口付けをもらおうと思った。