57. 少女の覚醒 ノトーリアスBIG




ヴィスカとミスタが銃のメンテナンスをしている間、ナランチャが2人組の刺客であるティッツァーノとスクアーロを仕留めにかかっていた。
敵襲にいち早く気付いたジョルノがその事を2人に伝えに行き、無事に3名がブチャラティ達と合流する頃には、勝利は既に護衛チームの手中にあった。
すぐに新たな追手が出されるとは思えない今この時こそヴェネツィアを脱出するチャンスだと考えたブチャラティは、ボートを出して次の目的地へ向かうよう指示をする。

向かうはサルディニアーー…、トリッシュがボスに関する重要な手がかりを思い出した地。

"ボスの過去"
それをいち早く見つける事が、護衛チームの勝利へと繋がる唯一の希望だった。



ヴェネツィアのマルコ・ポーロ空港へ着いてすぐ、たっぷり7人が乗れる大きさの個人用のジェットを確保し、アバッキオのムーディ・ブルースが操縦士をつとめる事になった。
約2時間近いフライトの始まり直前、滑走路の向こうからやって来た怪しい風貌の男(ーー潰れたカエルのように酷く不格好だった、)がミスタの銃でハチの巣にされた事を除けば、空の旅は快適そのものだった。


「あ…えっと、トリッシュ、ごめんね。開いた…よ」

お手洗いの後、席に戻ろうとトイレのドアを開けると、まるで待ち構えていたかのようなトリッシュがヴィスカの前に立ちはだかる。
ただでさえ大きな瞳がより一層強く開かれていて、ヴィスカはたじろいでしまった。
流石にブチャラティもトイレまでは着いてこないらしく、客席の一番後ろから、かろうじてと言った感じでこちらの様子をうかがっているだけだ。

「ええ、そんなの分かるわ。用があるのはトイレじゃないの」
「…えーと?」
「……貴方に一言、謝りたくて。あたし、貴方が居なくなってしまった時、ーー貴方を疑って、ブチャラティたちに向かって、酷い事言ったの」
「ーー…うん」
「それはヴィスカを傷つけるような事だった。あたしを守ろうと必死になってくれた人へ、言う言葉じゃなかったわ」
「そうだったんだ」
「……ごめんなさい」

素直に謝るトリッシュに、ヴィスカは表情を和らげた。

「ーー…今この場で一番大変なのはトリッシュよ。だから、心が乱されるのは仕方ない事だと思う。私はそれに対して、怒ったりはしない」
「……貴方って、つくづく大人な対応するのね。少しは怒ってくれた方が、あたしが惨めにならなくて済むのに」

トリッシュは眉を下げて笑う。皮肉が効いた彼女の返しに、ヴィスカもまた口の端を上げた。
するとトリッシュはトイレ横にある小さな給湯スペースにするりと入り込む。チラリと振り返ってこちらを見ている様子からすると、どうやら彼女の話にはまだ続きがあるらしい。
ヴィスカはブチャラティに目で合図を送ってから、彼女に続いた。

「ねぇヴィスカ。さっき貴方には両親が居ないって言ってたじゃない」
「ああー…その話?」
「ちょっと気になったの。今のあたしと、似てるなって思ってーー…」
「ーー…」

母親を失って間もなくして、実の父親に殺されかけたトリッシュ。
彼女にとって今の今、本当の意味で両親を失ったと言えるのかもしれない。強がりを言って気丈に振舞っているが、その瞳には不安の色も見える。

「失くして初めて気づく事だらけだわ。貴方って……結構タフなのね」
「んー、私だけじゃないよ。ここにいる皆、みんなーー何かしらの暗い過去を抱えているわ。もちろんリーダーだって」
「ーー……そうなのね」
「それに、トリッシュだって凄いと思うけど。安全な場所にいる事だってできたのに、こうして私たちに着いてくる事を選んだでしょ」

その言葉を受けて、トリッシュの表情は曇った。

「あたしの場合は別だもの」
「ーー別って、何が?」
「あたしは…あたしが何者から生まれたか知りたい、ってだけで行動している。……でも貴方は違うわ」
「ーー…」
「ーーどうしてここまで、何かのためにーー誰かのために頑張ろうと思えるの?」

"何があなたを、そんなに変えさせたの?"

どこか遠くを見つめながらトリッシュはそう言って、それきり口を閉ざしてしまって。
ヴィスカは彼女にかけるべき言葉を探した。

ーー最初は、トリッシュの事を感情を読み解くのが難しい娘だと思っていた。その部分についてだけ言えば、今も変わらないかもしれない。
けれどこうして一緒に時を過ごしてきて、見えてくる部分もある。この彼女の言葉の裏には、"変わりたい"という意図が含まれているように思えるのだ。
自分の中に潜む問題の"答え"となるものを見つけたがっているような。

少女の不安を帯びた姿は、過去の自分に少し似ているな、とヴィスカは思う。

「ーートリッシュ、あのね」

この回答が彼女にとっての"正解"になるかどうかは分からないが、少しでもトリッシュの助けになれば。
そう思ったヴィスカは、正直に伝えた。

真っ暗の中、ただ闇雲に生きてきた。だからこそ、その中で見えた光はどんな僅かな光だとしても大きく眩しく見える。
その光が今の自分の居場所で、自分を連れ出してくれたブチャラティーー、ひいては、仲間の元である事。
ブチャラティという男は自分に夢を見せ続けてくれる。だからどんなに苦しくても、立ち止まったりはできないのだと。

「ーーだからたとえ今がどんなに辛くても、トリッシュ自身の光を見つけるの。それは自分自身の目的とかーーそれこそ"覚悟"でもあるのかもしれない。それが見つかったらきっと、驚くほど変わるわ。自分を取り巻く世界も、自分自身も」

そう伝えるとトリッシュは暫く考え込んだあとーー納得したのかそうでは無いのかは分からないがーーこくんと、頷いたように見えた。

「光ーーね」

しかしそう言ったっきり無言になってしまって。
あぁ、また彼女が何を考えているのか分からなくなってしまったーーと思っていると。

「ねぇ、ヴィスカって、あのミスタとかいう男が好きだとてっきり思っていたけれど、やっぱりブチャラティの事が好きなのね」
「ーーは!?!?」

トリッシュの緩んだ口元から出てきた言葉は突拍子もない事で、ヴィスカは目を丸くさせた。
反面トリッシュはその大きな丸い目をきゅっと細める。

「えーー…、な、何、突然」
「突然も何も、そう思っただけよ。今の話で」
「ーー……」
「あなたの話、とってもありがたかったわ。でも、それとこれとは別。ーーこの際だから言わせてもらうけど」
「ーーはい…」
「あなたのどっちつかずな所を見ていると、もやもやするのよ。あたし自身を見てるみたいで。だから、今ここではっきり言ってちょうだい。ーーそうすればあたしのこの気まぐれな不機嫌も収まるから」

ねぇ、どっちなの。
トリッシュのぐいと乗り出した身体が、ヴィスカの緊張を煽る。

「どっちって、どっちも大切でみんな好きよ。ーー仲間として」
「……ふうん?」
「ブチャラティは人として尊敬してるし、ミスタはーー」
「人として尊敬してる?ーーとても"それだけ"には見えないわ」
「ーーッ‥‥…!」

ジロリと見つめるトリッシュの瞳は疑惑の念でいっぱいで、ヴィスカは思わず目線を逸らした。
この瞳は分かる。"何かを暴きたがっている"表情だと。迫りくる圧に対抗し、ヴィスカはすかさず彼女の話にすり替えた。

「それよりも、トリッシュの方こそどうなの?」
「アタシの方って、何がよ?」
「ブチャラティの事。好きなんでしょ?」
「ーー…ッ」


「おーい、トリッシュ?ヴィスカ?そこで何してる。大丈夫か?」

お互いが共に譲らないこの状況で、2人の"闘い"をまるで牽制するかのようなブチャラティの声が、遠くから彼女たちの耳に届いた。
2人は半分強張った顔を突き合わせる。

「ブチャラティに呼ばれてるわよ、…トリッシュ」
「あなたの名前も呼んでるけど?…ヴィスカ」
「先に呼ばれたのはあなたでしょ」

「「……」」

若干にして数秒の間。
無言で見つめ合っていた2人はとうとうお互いの引きつった顔に耐え切れなくなり、同時にクスリと噴き出した。

「ヴィスカ、ありがとう」
「ーーそれは何についてのお礼?」
「そうねーーいろいろ、よ」

やっぱりトリッシュの考えている事はよく分からないな、とヴィスカは思う。
けれど彼女が白い歯を見せて笑っているのを見る限り、何かしら彼女のためになったのだと思いたかった。
トリッシュはそのうち、自分自身をもっと"開花"させていくのかもしれない。

ーー幸か不幸かそんなヴィスカの予感は、すぐに現実となる。

給湯室での"井戸端会議"の後、事態は一変した。
なんとジェットに搭乗する前にミスタが倒した男のスタンドが機内で暴れまわる事になったのだ。





ヴィスカとトリッシュの2人が給湯室にいる間、機内ではジョルノが備え付けの冷蔵庫内に不審な"指"を発見していた頃だった。
ブチャラティが指の入った冷蔵庫ごと機外に投棄してしまったらしいがーー、異変はまだ終わっていなかった。

「ジョルノーー…?」

自分の座席付近に戻ってみれば、ヴィスカはジョルノの様子がおかしいことに気づき声をかける。
前かがみになったジョルノの腕から、不気味な肉片がーーそれこそ文字通り"生えていて"、おどろおどろしく蠢いているのだ。

「何コレーーッ!!?」

驚きの交じったヴィスカの声とジョルノの呻き声に、その場の全員の視線が2人に向いた。

「信じられない……冷蔵庫に指を持ち込んだのは、"僕"だった」
「ジョルノ、すぐに腕をーーッ」
「ヴィスカ!!僕に近づくな!!」
「でも!早くしないと全身にーーッ」

ジョルノの牽制にヴィスカがたじろいで一歩引いた途端、何の合図も無しに銃声が響いた。
何が起こったのか理解するのは容易かった。見れば、ジョルノの右腕は肘の下から丸ごと全部無くなっている。
"肉片がついた腕ごと"ミスタが打ち取ったらしい。目を丸くするヴィスカを横目に、ミスタは依然として銃を構えながら、ジョルノを感情の欠いた眼で見つめている。

「早く新しい右腕を創るんだな、ジョルノ」
「………助かりました、ミスタ」
「ヴィスカ、危ねェから早くこっちに来い」

ミスタにつられたのか、ジョルノもまた"形式上"とも言えるような抑揚のない礼を述べた。
蒼白になった顔面には張り付いたような笑みが浮かんでいたが、言葉程に余裕は感じられない。

壁に張り付いたままゆっくりと落ちて行く気味の悪い肉片を、ヴィスカをはじめ一同は束の間、呆然と見つめる。

「これは…いったいどういう事だジョルノーーッ!」
「ブチャラティ……あの男は"死ぬために"やって来たんだ……"わざと撃たれて"死んだのです」

困惑するブチャラティを前に、ジョルノは半ば確信して言い切った。
この不可解な肉片は、ジェットに搭乗する前にミスタが殺したはずの男のスタンドであって、その男の残された生命エネルギーなのだと。
その僅かなエネルギーで身体を動かし、自分の肉体を糧として食らって成長をした。
"本体は死んでいるのに、エネルギーだけが生き続けている"、常識を超えたスタンドであると。

その事実はヴィスカにとって、何か胸の内をざわざわとくすぐるものがあった。その言葉には嫌な感覚というか、不穏な響きがある。
それがジョルノの言う通り、常識を超えていて理解しがたいからなのか、それとも別の部分で引っかかりをもたらしているのかが分からない。

(本体が死んでも、エネルギーだけが…生きる……何かを糧として……)

そしてもし、このジョルノの"仮定"が本当ならば、本体が居なくなったスタンドを、どうやって倒すと言うのだろうか。

「ミスタ、まだこのスタンド、死んではーー」

言いかけたのと、ミスタが血を吹き出して膝から倒れ落ちたのはほぼ同時だった。

「ミスタ!!?」
「ク……ソッ……」
「なんでッーー!?」

見れば、あろうことか、肉片の中から意識を失っているピストルズが何体か顔を覗かせていた。
動き出したスタンドに対し、すかさず攻撃を仕掛けたのはナランチャだった。
エアロスミスを発現させて撃ち捉えようと試みるも、ピストルズ動揺、機体ごと肉片に捉えらえてしまい、ナランチャもミスタと同様の結果を辿った。
横で倒れた2人を目の端に捉えながら、ヴィスカは慎重に身構える。ジョルノの腕が庇う様にゆっくりと前に差し出された。

「こ、こいつーー……」

ブチャラティは苦虫を噛みつぶしたような顔をして、小さく呟いた。
機内はすっかり静まり返っている。皆、今やすっかり大人しくなっている肉塊を見つめているのだ。
今は大人しいと言う事はつまりーーこのスタンド、何か"きっかけ"があって行動を起こしている。それは恐らく、ヴィスカだけではなく、ブチャラティもジョルノも分かっているはずだ。

ただ、次の"きっかけ"がいつやってくるのかは分からない。
だからこそヴィスカはこうして"銃をいつでも撃てる状態"にしようと、銃口を肉片に向けたのだが。

「ヴィスカ!!駄目だ!!"撃鉄を引いちゃいけない"!!」
「えーーーッ」

その答えを誰よりも早く理解したのはジョルノだった。
しかし、彼が制するよりもスタンドが飛び掛かって行く方が早かった。
ヴィスカの親指の"動き"につられたスタンドは銃身目掛けて飛んで行き、そのまま両腕を飲み込むように這って行ってーー

ヴィスカの記憶は、そこでぷつりと途絶えた。












「ヴィスカーー、ヴィスカ、大丈夫ですか」
「ん……ジョルノ…?」
「気が付きましたか?」
「ジョルノッ!?そうだ、腕、腕はーーッ!?」
「僕は大丈夫ですよ。ほら、このとおり」

飛び起きたヴィスカを見て、ジョルノは自分の両腕を見せて、愛する女性の安堵のため息を愛おしんだ。

「よ、良かったーー……」

ヴィスカの記憶だと、あの時ジョルノは身を挺して自分を助けようとした結果、左腕を伸ばしたのだ。
だから今、両腕が綺麗に目の前で揃っている事に酷く安心していた。

「そうだ、ミスタと…ナランチャ…それに皆はーー…」
「2人とも治癒済みです。後は目が覚めるのを待つだけで。この飛行機はいづれ墜落します。今はブチャラティ、アバッキオ、トリッシュの3人が亀の外でーー各々のスタンドを使って、無事に着陸できるよう工夫してくれています」
「そうーー‥‥…ん?トリッシュが…?」
「はい。それについてはまた落ち着いたら話します。彼女をはじめ、全員無事なので安心してください」
「ブチャラティも無事だよね?」
「ーー…はい、僕が見る限りは」
「よかった…」

結論から述べると、意識を失ったヴィスカをはじめ全員に命の別状は無かった。
その現状に彼女は胸をなでおろし、重い頭をソファに沈める。その姿に対し、ジョルノは申し訳なさそうに声を潜めた。

「あの時、僕のかけ声がほんの少し早ければ……」
「ジョルノのせいじゃないよ。気にしないで。私も判断を早まったから。迷惑かけて…ごめんね」
「だけどーー、」

ヴィスカは手を伸ばし、しゃがんでいるジョルノの髪をふわりと撫でた。
大丈夫、ありがとう、の声と共に。

「ねぇヴィスカ。そうやって、子供扱いをするのはやめてほしいんですけど」
「別に子ども扱いなんかじゃーー……」
「それともそれは、君の愛情表現ですか」
「そんなんじゃ、あ、ないーーよ……」
「……ヴィスカ?」
「ーー…」
「……おやすみ」

また深い眠りに落ちて行くヴィスカを見て、ジョルノはその瞼に優しいキスを落とす。
それから彼は、隣のソファで身体を横にしているミスタとナランチャへ歩み寄った。ーー各々の治癒の"最後の仕上げ"に取り掛かかるべく。



両腕を失ったジョルノを助けーー結果的に全員を救う事になるのがトリッシュであったなんて、誰が想像しえただろう。
トリッシュは自分自身に向き合い、自分のためでなく、"残されたみんなのため"に行動を起こす覚悟を決めたのだ。

ヴィスカとしては、給湯室で交わした会話の"何かしら"が、トリッシュの背中を後押ししたのでは無いかと、心ながらに思っている。
けれど、それを誰かにーーましてや、トリッシュに直接口にすることは無かった。
お礼はあの時の笑顔と共に貰っていたのだから。



こうして奇妙で不可解な不死のスタンド、ノトーリアス・BIGとの闘いは幕を閉じた。

のちーー1人も欠ける事無く全員を乗せた飛行機は、壊滅的な被害を負いつつ、サルディニア島北東沖約50kmの地点で墜落する事となる。
全員は無事に脱出できたものの、不運にもこの墜落のニュースは一帯のテレビで放映されることになってしまった。
ニュースを耳にしたのはボスも例外ではない。
ヴェネツィアのとあるホテルでこの事実を知った彼は、アバッキオのM・ブルースに自分の正体が"リプレイ"されるのを阻止するため、自らサルディニア島に向かう決心をしたのであった。




57.少女の覚醒 ノトーリアスBIG end
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