【番外編・ブチャラティ】一番星のささやき


番外編。ブチャラティ


ノトーリアス・BIGとの闘いから一命をとりとめた一向は無事サルディニア島へ到着し、トリッシュがボスの手がかりを思い出した地であるエメラルド色の海岸ーー通称"カーラ・ディ・ヴォルペ"に向かった。
飛行機の墜落は組織から自分たちの足取りを完全に絶てた、という面においてあまりにも僥倖だった。
当分の追手の心配は無いと思われる中、一向は海岸の離れにある休暇用の別宅を隠れ家とし、そこで暫く身を潜める事にする。

トリッシュは必ず"ボスに関する決定的な何か"を思い出すだろうという確信めいた予感はあったものの、彼女1人に負担を背負わせるのはどうなのかという問題になり、各々は情報収集や偵察など出来る事に精を出す姿勢は見せていた。
ヴィスカは都合上ジョルノやミスタと行動を共にすることが多かったが、中でもずっとブチャラティの様子が気がかりだった。
目に見えて疲れているのはもちろん、仲間の誰かが話しかけても上の空でいる事も増えたからだ。


事件ーーが起こったのは、島についてから2日目の晩の事。
この日も特に進展が無いまま1日が終わろうとしていてーー、全員の表情に多少なりともの"焦り"が見え始めていた頃だった。

「……ヴィスカ、いいか?」

深夜と呼ぶにはまだ少し早い時間帯。そろそろ寝支度をと思っていたヴィスカの部屋に、急な来客があった。
声の主はすぐに分かったため、ベッドから立ち上がり扉まで向かう。

「ブチャラティ?どうしたの?」

ドアを開けると、雪崩れ込んでくるように倒れて来るブチャラティに、ヴィスカは思わず声を張りあげた。

「きゃあっ、ど、どうしたの!?」
「ーー…‥分からない。分からないんだが、少し、こうさせてくれないか」
「え…とーー…」
「……頼む」

ヴィスカは戸惑った。それもそのはず、自分の肩に頭を預けているブチャラティは、腰にもゆるく腕を巻き付けていたのだ。
この状況に彼女は理解が追い付かない。一般的に言えばつまりこれはーー、傍から見れば"抱き着かれている"という状態になる。
閉じ切っていない扉にヴィスカは目をやった。こんな所を誰かにーー特にミスタやジョルノに見られては面倒だ。

「ーー…悪い、困らせたな」

身体を固まらせる彼女に対し、ブチャラティは気まずそうに口を開く。

「いや、その、ーー……まず、扉を閉めた方が…?良いのかなって」
「あぁーー…なるほど、すまない」

ブチャラティの身体の力が抜けた隙に、ヴィスカは腕を伸ばして、出来る限りの力を持ってして、扉をそっと閉めた。
廊下に人影を確認する余裕は無かった。

「急にどうしたの?」

疲れ果てているブチャラティをベッドにとりあえず座らせ、ヴィスカは部屋の隅にあった古い丸イスを目の前に持ってきて、そこに腰かける。
うつむきがちなブチャラティの顔を覗き込むと、その表情は酷く焦れていた。
なんというかーー、自分自身に対して苛立っているように見える。目の下の隈が、朝よりもずっと強い。

(ーー私の精神力がもっと強ければ、こんな事にはなっていないのに)

ヴィスカは膝の上に置かれた両こぶしに力を込めた。
日中もタイミングを見計らっては自室にこもり、20分から1時間程度の休憩を挟むようにしている。
自分とブチャラティの身体が多少なりとも影響し合っている今、こうして身体を休められる時に休んでいた方が良いというのは、カミカゼの2人も口を揃えて言っていた事だった。
けれども、それが直接的にブチャラティのためになっているかと言われると、今の様子からするとーーとてもそうは思えない。

「この所…時々ーー、記憶が途切れている事が多いんだ」
「えーー…記憶が?」
「あぁ。それにーー」
「それに…?」
「ーー…君の顔が思い浮かぶ。ふとした時に。一旦そうなってしまうと、君の面影が離れなくて、苦しくなる。気づくと、もうその事しか考えられなくなる」
「ーーブチャラティ、それはーー……、」
「ボスを倒さなきゃならないって時に、何を言ってると怒られるかもしれない。ただーー…ヴィスカ」

ブチャラティは酷く苦しそうな顔をしたかと思えば、膝に置かれたヴィスカの両手をそっと掴んだ。

「こうして君に触れると、君が欲しくてたまらなくなるんだ。欲しくて、欲しくて、どうにかなりそうな程に」

俺はどこか、おかしくなっちまったらしい。
そう続けるや否や、ブチャラティは掴んでいたヴィスカの手をそのまま力任せに引っ張り、自分の胸に引き寄せた。
そしてくるめるように抱きすくめ、両腕一杯に力を入れる。

「ーーんっ、」
「頼む。少しで良い」
「少しって、」
「ずっとこうしたかった」
「……」

その甘い囁きに、本来であればヴィスカは動揺するところだったかもしれない。
けれど、彼女はすっかり黙り込んでしまう。ブチャラティの腕も身体も驚く程に冷たかったのだ。まるでアイスコーヒーのグラスをずっと手に掴んでいたかのようなーーそんな冷たさが全身まで伝っている。
魂だって器だって戻っているはずなのに、どうしてブチャラティの様態がますます悪化していく一方なのか、ヴィスカには分かりかねた。
今の彼には、生きる上で"糧"となるーー"何か"が必要なのかもしれない。

それはヴィスカに、飛行機にいたあの不可解なスタンドを思わせた。

あの肉片がジョルノの肉体を欲したようにーーブチャラティもまた、自分の何かを求めているのだろうか?
それは"自分の中に取り残された器の半分"なのか、はたまた"肉体"なのか。
ーーその両方?

「きゃっ」

抱きしめているだけなのなら良かった。けれどブチャラティは一歩その先へ進もうとした。
ベッドに押し倒されて胸を掴まれたはずみで、ヴィスカは小さく声を漏らす。その声に反応してか、ブチャラティの瞳孔は大きく見開かれた。

「ブチャラティ、ま、待って!!」
「最初は我慢をしようと思っていたんだ。でもそれも限界なんだ。君が他の男に触れるところを、もう見て見ぬ振りができない」
「んっ…」
「日中もミスタやジョルノとどこで何をしている?」
「ブチャラティ…、く、苦しい…」
「考えれば考える程、不安でしょうがないんだーー…、俺はーーヴィスカ、君がーー!」

堰を切った様に話し出したブチャラティが、その最後の言葉を言い切きらない内に、ヴィスカは手を伸ばしてその口をそっと塞いだ。
これ以上ブチャラティに、"彼らしくないふるまい"をさせるのは気が引ける。多少荒っぽくとも、彼の名誉を傷つけないためにはこうするしかなかった。

「大丈夫。ブチャラティ。あなたは何もおかしくなんか無い。ただーー…きっと疲れているだけなんだと思う」
「俺がーー疲れている…」
「組織を裏切って、ここにいる仲間の全員の責任を背負ってる。これ以上にないプレッシャーと疲労の中で、今までずっと気丈に振舞ってきたからーーだからーー…これは"しょうがないこと"なのよ」
「ーーしょうがない、事……だと?」
「そうよ。ーー…今の貴方にはーー…母親のような誰かが必要なのかもしれない」

その言葉に、ブチャラティは辛そうに目を細める。

「ヴィスカーーーそれは違う。俺は君を"母親代わり"に抱きしめていた訳じゃあない」
「違くなんかないわ。そう考えれば、自分の行動の全てに"筋が通る"じゃない。あなたの"おかしな行動"に言い訳ができるのよ?護衛対象のトリッシュには甘えられないけれど、仲間である私になら、それができる。そうでしょ」
「おい、なんだってそんな事を言うんだ!?そうじゃあない!!」

断固として譲らない彼を前に、ヴィスカもつられて声を荒げる。

「あっそう!たとえそうじゃなくっても、あの"天下のブローノ・ブチャラティ"がッ、たった1人の女にこんな様で!女々しいったら無いわね!!」
「なッーーー!!君はどうして俺の気持ちを跳ね返すような事ばかり言うんだ!!やっぱり俺じゃあ駄目なのか!?」
「はあ!?一体何の話!?駄目とか、そう言うんじゃーー!」
「じゃあ何に恐れている?」
「ーーッ!」
「ヴィスカ。俺は君が欲しい。それは間違い無く言える。俺が君に求めているのは、母親の面影では無く、君自身だ。俺は君の深い所と繋がりたい。それに言い訳をして拒んでいるのは君の方だぞ!!」
「だって、それはーーッ!」



「俺が、君の事をーー…好きだと言ってもか?」



たっぷりの息と共に吐かれたその言葉は、ヴィスカの頭の中を漂い、長く尾を引く余韻となって残った。

ブチャラティに恋人がいたら、こうして毎晩、愛の囁きを耳元で聞くのだろう。
手を繋ぎ合って、お互いの目指す輝かしい未来の話をしながら。

だからこそあまりにも場違いだった。
言うべき場所も、言うべき人間も、全部が全部、"間違っている"。

ほんの一瞬、今この状況をすべて忘れて心を熱くしてしまった自分を、ヴィスカはとても恥ずべき存在だと思えた。


「さっきはそのーー、無理矢理、力で…すまなかった。抑えきれなかった」
「……」
「あんな事の後で、君が信用できないのは分かる」
「……」
「おい、何で泣くんだ!?」
「……だってーー、そんなの"違う"から」
「違うーー……俺がおかしくなっちまったから、そんな事を言うのか」
「そういう事じゃあない!!」
「なぁ、1つだけ確かな事を言わせてもらう。俺はこんな風になってしまう前から…君への気持ちは変わらない」
「ーー…」
「それだけはーー間違いが無い。それでも俺のこの感情は、ヴィスカにとって"違う"のか」

それっきりだった。
まるでスイッチが切れたかのように、ブチャラティは言葉の途中でぱたりとベッドの上に倒れ込んでしまって。

「え…!?ブチャラティ?……ブチャラティ!!」

あまりにも突然の事だったから、驚いたヴィスカは大声を出してブチャラティをゆする。
しかし、その胸が上下している事に気づくのに時間はかからなかった。小さな寝息さえ聞こえてくる。ブチャラティはただ眠りに落ちているだけだ。

(ーー…びっくり…した…)

すっかり身体の力が抜けてしまったヴィスカは、ベッドの上で眠る男の寝顔を見つめた。
苦しそうでもなく、穏やかさを取り戻している訳でもない。
その表情は、特に形容すべき言葉も見当たらなくーー、"ただ眠っている"としか言えなかった。

(大丈夫みたいだけど、でもーー…)

この状況の中で、考えるべき事がヴィスカには山のようにあった。
まず第一に彼を運べる誰かを呼びに行かなくてはいけない。
ブチャラティを運べる程の力があって、この状況を見ても落ち着いていられる人間。ーー今となっては、このチームでそんな人間は一人しかいなかった。
きっとまだ起きているだろう。彼の事だ、ブチャラティの安全を確認しないまま床に就くなんてしないはず。

依然として冷たいままの身体に、ヴィスカは手を伸ばす。

(ーー……)

今晩の出来事で唯一ブチャラティらしいのは、この寝顔くらいかもしれない。
ノックをして部屋に入ってきてからベッドに倒れ込むまで、彼によく似たーー誰か別の人間と話しているような気分で、ヴィスカはずっと落ち着かなかった。
自分をこんなに求めて来るブチャラティの姿に、強い違和感があったというだけの話ではない。
態度も、喋り方も、気の使い方ひとつでさえ、それは紛れもなくブチャラティであったけれど、根本となる部分が本来の彼では無かった。

まるで何事も無かったかのように規則正しく寝息を立てている姿は、彼女に複雑な想いを抱かせこそするが、それよりも心の大半を占めていたのは、大きな"安堵"だったのかもしれない。

額にかかる髪をさらりと撫で、ヴィスカはブチャラティを見つめる。
そしてその額に、小さなキスを1つ落とした。


"それでも俺のこの感情は、ヴィスカにとって「違う」のか"


(ーー……)


夜、星を見上げる際、折に触れてヴィスカは考える事がある。
"実体のない輝き"、それをただ、自分は見ているに過ぎないのかもしれないと。
たとえどの星より強く美しく輝いていても、それが今でもそこに存在するとは限らない事を、彼女はよく知っている。

今、彼女の頭を巡る数々のブチャラティの言葉は、あるか無いかも分からないような遠い夜空の星々を思い起こさていた。


「明日はーー元気になるといいね」


それからヴィスカは、どこにも寄り道をする事なくーー唯一の頼みの綱であるアバッキオの寝室へと真っ直ぐに向かった。




side story 一番星のささやき end

[ 70/95 ]

[*prev] [next#]

いいね!(clap)


[目次へ]
[しおりを挟む]






TOP


- ナノ -