09

朝、出稼ぎに来た漁港で仕事に出ようとキラウシが準備をしていたら浜の向こうに柵が見えた。横を通り過ぎるやん衆の男が「アイヌの兄ちゃん、あそこは良い所だぞ」とどこかニヤついた顔で声をかけてくる。良い所とは何か、キラウシがもう一度その方を向けば柵の向こうに女が立っているのが目に入る。ジッと見ればそれは綺麗な女だった。その女を見ていたら数年前に会ったきりのろくに似ているなと思った。よく目を凝らして見てみる。あの女…似ているのではない、柵の向こうの彼女はろくではないのか。

「ろくだよな?」

キラウシが柵に近づき声をかけてみる。

「キラウシニシパ…」
「やっぱりろくだ!」

やはり女は、ろくだった。

「何故こんな所にキラウシニシパがいるの?」

柵のすぐ側までやって来たキラウシを見てろくはとても驚いた。

「今はそこの漁港に出稼ぎに来ていてるんだ」

キラウシが話してくれた事情によると今彼のコタンは蝗害などの自然災害により貧困に困っていて、キラウシだけじゃなくコタンの若い衆などは各々出稼ぎに出ているという。キラウシも季節労働者としてこの港に働きに来ているのだった。

「まさかろくに会えるなんて思いもしなかったよ」
「うん、私もよ…」

まさか自分が出稼ぎに来た港とろくが居る場所がこんなにも近くだなんてキラウシはとても驚いた。しかし驚いたのはそれだけではない。前回再会した時もろくは成長していたが、今会ったろくは更に美しくなっている。少女だった頃の面影をほんの少し残して大人の女性になっていたからキラウシは少し見とれてしまった。

「ろくはそこに住んでいるのか?」
「…ええ、そうよ」
「そうか…ならしばらくは毎日会えるな」
「えっ」

キラウシは柵の向こうが花街だと言う事を知らないのだろうか。季節労働者としてこの港で働いている間は毎日会えると嬉しそうに微笑む。

「…あ、仕事が始まる合図だ」
「キラウシニシパ、」
「じゃあまたなろく」

そうしていると漁港の方からおい行くぞと男達の声が聞こえてきた。キラウシはろくに手を振りながら急いで港に戻っていく。

まさか、こんな所で再び会えるなんて。
遠ざかっていくキラウシの背を見つめながらろくは胸が苦しくなる。もう二度と会えないと思っていたキラウシがそこに居る。毎日会える所にいる。あの時これが最後だと決めたはずなのに、どうしてこんな事が起こるのだろうか。

「または無いって、言ったのに…」

遊女となった身でキラウシには会いたくないと思っていたのにこうもあっさりと再び出会ってしまった。だけどすぐ近くに居るとは言え会いに行かねばいいだけだ、そう思ったろくだったが翌朝早くに起きてあの柵の場所に行ってみたらそこにはキラウシが待っていて、ろくは立てた誓いよりもキラウシに会いたい気持ちが勝ってしまった。

「キラウシニシパ」
「ろく!」

それからキラウシとろくの逢瀬が始まった。
早朝、他の遊女たちがまだ眠る頃ろくは静かに店を出てキラウシに会いに行く。キラウシもまた仕事が始まる前にろくの元にやってくる。逢瀬と言っても柵を挟んで少しばかり会話を交わすだけで、その会話も天気とか漁の事とか他愛のないものだ。それでもろくはキラウシと話せるのが楽しくて出来る限りいつもの場所までやって来た。

「今日は寒いね」
「ああ、身体を壊さないようになろく」
「私は大丈夫よ、それよりキラウシニシパこそ気をつけてね」

約束や待ち合わせはしていないがこうして仕事に出る前にろくに会いに行くのがキラウシの日課になった。ろくが来れない日もあるがキラウシは毎朝この場所に来てろくを待った。ろくは向こう側から出て来れないと言うから敷地を取り囲む柵を隔てながら二人は会話を楽しむ。

「…あ、もう仕事が始まるみたいよ」
「そうだな、じゃあまたなろく」
「うん」

それはほんの数分だけの逢瀬。
だがそれでも十分にろくは嬉しかった。ろくはあの日キラウシと会ってもこれが最後になるだろうと彼への想いを捨てたはずだった。だが遊女と言えどろくはまだ年若い娘。キラウシへの恋心を捨ててしまう事は出来なかった。キラウシと話せた日はそれは嬉しそうに店へと帰って行くのだった。


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