08

初見世を迎えたろくはそれはそれは瞬く間に人気の遊女となった。

元々器量が良かったろくだから花魁だった姐を継いで売れっ子になるだろうと楼主の期待も高かったがろくはその期待に答え立派な遊女となった。
あの頃のどこか生意気な態度でよく店から脱走しようとしていた少女はどこへやら…今のろくはどうすれば男が喜ぶかを良く理解した美しい遊女で、明るく良く笑うろくを目当てに沢山の男達が店に通った。

「ようろく」

そしてこの菊田杢太郎も、ろく目当てに店を訪れる男のうちの一人である。

「ようこそいらっしゃいませ菊田さま」
「なーにが菊田さまだ、らくしない事言うんじゃねぇよ」

座敷に入るとニッコリと微笑んで淑やかに頭を下げるろく。そんなろくを見て菊田は飲んでいた酒を吹き出しそうになりながらそう言って笑えばろくは顔を上げて「じゃあこっちの方がいい?」と目を細める。

「おい菊田、また来たのか」

それは到底客に対して使う言葉使いではない。だが菊田は昔のように言ってもらえる方が嬉しくて笑う。

「ああ、また来てやったぜ」

あれから数年が経った。
菊田とろくの関係は未だに続いていて菊田が店に来た時は必ずろくを指名しその日は一晩中ろくと居る。他愛のない話をして二人でのんびりだらだらと過ごすのだ。

「ねえ菊田」
「んー?」
「菊田ってどうして私の事抱かないの?」

酒が入るとそんな話をする事もある。
来ると必ずろくを指名すると言うのに菊田は一度もろくを抱いた事がなかった。抱くどころか接吻さえした事も無く精々頭を撫でるとか抱き締めるとか触れる程度だ。二人の関係は出会った頃とそう変わりはない。

「他の男達は店に来れば必ず私を抱くわよ、そんな事しないのは菊田だけよ」

ろくはもう生娘ではない。初見世を終えてからは同じ年頃の遊女達と同じように色んな男と床を共にした。なのに菊田はろくを抱かない。こうして酒を飲みながら静かに過ごせるだけで満足とばかりにしている。

「まぁ、ガキの頃から知ってる女だからなぁ…」

余裕がある風の態度を取る菊田だが、本当は抱きたいと言う気持ちは山々だ。欲求をぶちまけたいと言う訳ではない、愛しい女を前にそう思うのはごく当然の事だろう。しかし菊田には菊田なりに思う事があるようで。

「他の客のように金でろくの事は抱きたくないって事さ」
「へぇ純情なのね」

そう言って猪口の酒をグイと飲み干すとまるで他人事のようにろくは言う。

「おい気付いてないのか、こう見えて本気なんだぞ?」
「本気?」
「本気でお前に惚れてるって事だよ」
「誰に?」
「相変わらずクソガキだなぁ」

菊田がそう言ってろくの頭をポンと撫でれば、ろくは菊田に寄りかかり二人は笑う。二人の距離は一番近くていつもこれぐらいだ。しかし今はこれで満足だと菊田は思う。笑っているろくを近くで見れたらそれで良い。そう思いながら菊田はろくの元に通った。

二人の関係は出会った頃と変わらない…いやほんの少し変わったのは菊田がろくを想う気持ちだろうか。



そうしてまた時は流れて行った。



「また来るよろく」
「ええ、待ってるわね」

朝日が昇る前の早朝、常連客を花街の門のところで見送ったろくは男の姿が見えなくなると冷えた身体を暖めるように肩を擦る。

「…うう、朝夕はだいぶ冷えてきたわね…」

季節は冬になろうとしていた。ハァと吐く息が白くなりそろそろ朝起きるのが辛い季節になってくると思いながらろくは静かな花街の外れを歩く。ろくの店から少し離れたこの花街の外れは海辺に近くてたまにこうして朝早く歩いていると波の音がとても心地よい。

しばらく外と花街を隔てた柵の近くを歩いていると遠くから活気のある声が聞こえた。これは漁港で働く人々の声だろう。花街の近くにある漁港は季節によってとても賑やかになる。ニシンやサケ、コンブ漁が盛んな時期には出稼ぎに来る男もたくさん居て、そうなれば花街も忙しくなり賑わうから楼主の笑顔も増える事だろう。

「…眩しい」

朝日が昇ってきたのを見てそろそろ戻って一眠りしようとろくが店に戻ろうとすれば。

「ろく?」

フと聞こえた懐かしい声。

「ろくだよな?」

ろくが辺りをキョロキョロと見渡した。その声は柵の向こうから聞こえて来て浜辺の方から一人の男がこちらに近づいてくる。その男の顔が分かるとろくは目を見開いた。

「キラウシニシパ…?」
「やっぱりろくだ!」

そこにいたのは、キラウシだった。

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