10

日が落ちて花街に明かりがついた。

「あら菊田さんいらっしゃい!」
「菊田さんだわ!」

菊田が店にやって来れば馴染みの遊女達がきゃあと色めき立って菊田の回りを取り囲んだ。

「菊田さん久しぶりじゃないか〜会えなくて寂しかったんだよ?」
「あら杢太郎さんじゃないの!今日は私と一晩共にしておくれよ」
「いや私を買ってくださいまし〜」

軍の人間で格好も良く女達に横暴な態度をとらない菊田は遊女達によくもてる。数人の遊女が菊田の側までやって来てろくより少しばかり年上の遊女が菊田の腕に自分の腕を回し色目を使うと菊田はニコリと笑う。

「あーまた今度な」
「もうまたそんな顔で誤魔化して!いつも今度今度って、その今度はいつになったら来るんだよ!」

しかし菊田はそんな遊女達の誘いをいつも断る。遊女達が不快にならないように甘い笑顔で言えば大体の遊女は文句を言いつつも許してしまう。菊田に腕をほどかれて置いてけぼりにされてもどこか嬉しそうだ。

「あんた、菊田さんを狙ったところで無駄さ。あの人が指名するのはいつだって決まってるだろ」
「そりゃ分かってるけどさ。あわよくばって思うじゃないか、もしもがあるかもしれないだろ」
「ないない。あの人に限ってそんな事はないね」

この店のほとんどの女は誘ったところで菊田はろく以外指名しないと言う事を知っている。あわよくばと思い声を掛けてみる遊女もいるが自分らを選んでくれないと言う事は分かっているから断られても悔しいとか残念と言う気持ちはあまりなかった。菊田が良い顔をするだけで女達は満足するのだ。

「ほら見なよ、菊田さんを」
「あら、あんなににやけちまって」

店に長くいる年上の姐さん達の中には菊田の事を格好良いと騒ぎ立てるより菊田とろくの関係を微笑ましく思いながら見守っていた者達もいる。彼女達から見ればろくを指名し座敷へと向かう菊田の顔はなんと嬉しそうな事か。きっと会えるのを楽しみにしていたに違いないと菊田の表情に優しさを感じていた。

しかし、その日は違った。
顔見知りの遊女が菊田さんと声を掛けたら「よう」と言ってくれる。だがその表情は暗くどこか険しい。

「菊田さん、今日は違う子をご指名かい?」
「いや、いつもと同じさ」

ろくと会うのにそんな表情をしている菊田を見たのは初めてかもしれないと付き合いの長い遊女は思った。ここ最近彼女達から見てろくの様子が変わったと言う事はないが菊田は何かあったのだろうか、まさか軍の関係で北海道を離れる事になったとか…。余計な詮索かもしれないがその遊女は少し二人の事が気になってしまった。

そして菊田がいつもと違うというのを感じたのは、いつものように座敷で一緒に過ごすろくもだった。

「どうしたの菊田、疲れてるの?」
「まあな」

いつもより口数少ない菊田を見てろくなりに少し気をつかった。

「肩でも揉んであげようか」
「ほう、気が利くな」
「別にこれぐらい気が利くって事もないでしょう」

ろくが菊田の後ろに回ろうとした時、菊田は飲んでいた酒をおいてろく、と呼ぶ。

「なに?」
「随分と機嫌が良いみたいだな」
「そう?」

ろくは何事もないように首をかしげる。しかしそんなろくを見て菊田は目を細めた。

「何か良い事でもあったのか?」
「別になにも、良い事なんてないわ」
「好きな男でも出来たか」
「まさか」

好きな男と言われろくは笑う。

「私が客に惚れるとでも?」
「それはないだろうな」

長いことろくと過ごしてきたが、客に惚れられることはあってもまさかろくが惚れるなんて事はないだろうと菊田は思う。ないと確実に言いきれる事でもないがなんとなく分かるのだ。だってろくには危険をおかしてまで、一生に一度のお願いをしてまで会いたくてたまならかった男が居たのだから。

「なら」

好きだった男に再会でもしたのか?

「え?」

ろくは笑うのを止めて菊田を見る。

「あのアイヌの男…今そこの港に来てるだろう」
「どうして知ってるの」
「偶然見かけたんだよ」

知らないとかそんな事ないとか、そういう事を言っても今の菊田には通用しないと言う事をろくは彼の表情を見て分かった。

「あの男と会ってるのか」
「…会ってるって言っても、話をするだけよ」
「話をするだけ?」
「そうよ。話って言っても柵越しだし、内容だってなんてない事だもの。菊田から咎められるような事はしてない」

ろくがそう言うと菊田はハァと大きなため息をついた。

「お前なぁ…」

菊田がキラウシを見たのは本当に偶然だった。部下と共に港に立ち寄った時にやん衆同士の喧嘩が起こってたまたま止めに入ったらその場にキラウシが居たのだ。キラウシを見てどうしてこの男がここにと思った。それと同時にまさかろくと再会したのでは…と嫌な予感がした。近頃会いに行くとろくの機嫌がどことなく良かったのは、このせいだったのか…。

「ろくがあのアイヌと会っちまった、それだけで大きな問題だろうが」
「どうしてよ」

ろくは惚けるつもりなのかと思うと菊田は少し苛ついた様子でろくを見た。

「ろくがあの男に頼んで足抜けするかもしれないだろう」
「そんな事するわけないでしょう!!」

菊田にそう言われろくはついついカッとなり声を上げる。

「キラウシニシパとは…本当に話をしてるだけよ。遊女だって事も言ってない、ここから逃げたいからお願いなんて、するわけないじゃない」
「…いや、信用出来ねぇな。大口叩くがろくはまだガキだ、昔好きだった男と再会して一緒になりたいって気持ちを思い出したかもしれねぇだろ」
「私はもうガキじゃない」
「ガキだから話すだけで満足とか子供染みた事言ってあの男とこそこそ会ってんだろうが」
「なによ…」
「お前の事だ、どうせ菊田には関係無いとでも言うんだろ」
「…だって、そうじゃない」

大人げないかもしれない。だがいつまでもそんな事を言うろくを見て菊田はカッとなってしまった。

「ああ俺には関係無いかもしれねーな」

だがな。

「お前がどう想おうとあいつと一緒にはなれないんだぞ!」

どうしても苛立ちを押さえることが出来ず遂にそんな事を言ってしまう。菊田の声に一瞬ビクッと身体を強張らせたろくだったギュウと拳を握りしめキッと菊田を見ると声を震わせた。

「そんな事、分かってるわよ」

ろくは足抜けなんて、そんなたいそれたこと端から考えていなかった。本当にキラウシと話せるだけで満足だったのだ。しかし菊田に言われ現実を改めて思い知った。遊女は好いた男とは一緒になれない…それどころか年季が明けない限り、身請けでもされない限り花街から出る事さえ叶わないだろう。そして身請けされると言う事は、身請けしてくれた男と一緒になると言う事。やはり遊女は好きな男とは一緒にはなれない…。

「子供じゃないんだから、私だって分かるわ…」
「どうだかな」

今日の菊田は機嫌が悪いのか、いつもよりしつこく突っかかってくる。

「店の奴らは立派な遊女になったと言っているがろくはまだ心のどこかで遊女にはなりきれてないんだよ」

ろくの機嫌が良い理由に男が絡んでいたのに嫉妬したのか。

「だから些細な事で想いを振り返しちまうんだ、なんだかんだ言いながら過去を捨てきれない、大人になりきれてない。要するにガキのままなんだ」

そう言い捨てると自分で猪口に酒を継ぎ足しグイと一気に流し込んだ。ろくは黙って菊田を見ている。何か言いたそうに菊田を見つめ、菊田はろくとは目を合わさず手元を見ている。

「じゃあ、菊田が手伝ってよ」

しばらくの沈黙を破ったのはろくだった。

「菊田が私を大人にしてよ」

その言葉に驚いて菊田は顔を上げろくを見る。

「大人になりきれないのは菊田のせいよ。こうして座敷に来るのに菊田は私の事を抱かない、いつまで経っても昔のようにガキ呼ばわりするだけ。他の男達は自分の欲求に正直よ、そうじゃないのは菊田だけよ。子供扱いしてるのは菊田じゃない」
「ろく…」
「私のことただの遊女だと思って抱いてよ」
「…俺は、ろくの事を遊女だと思って接した事はない」
「じゃあ何なの、私の事いつまでも不幸なガキだと思って同情してるの?」
「違う、」
「菊田の言う通り私はまだ大人になりきれてなくて子供みたいな考えをしているのかもしれないわ。でも菊田に抱かれたら変われると思うの」

ろくはズイと菊田に近寄った。菊田の顔のすぐ側には綺麗なろくがあり菊田がグッと耐えるように唇を噛み締める。

「菊田が私を大人にしてよ」
「…嫌だね」

菊田とろくの思いがすれ違う。菊田は愛情故にろくをガキ呼ばわりして金でろくの事を抱きたくないとろくの事を愛しく思っている。だからいくらろくから頼まれても、そんな事でろくを抱きたくはない。ろくの恋した相手が現れ再び想いを募らせるろくを見て大人になれと言ってしまったが、別に菊田はろくに大人になっては欲しくないのだ。自分には生意気な口を叩く昔のままのろくで十分…だがそんな想いはろくには伝わらない。

「なら二度と会いに来ないで」

そう言い捨てて菊田を睨むろく。

「菊田の顔なんて見たくもない」

ろくは菊田の腕を軽く小突いた。

「菊田の馬鹿」
「ろく…」

ろくの生意気な言葉は昔から聞いてきた。

「菊田なんて大嫌い…!」

しかしその言葉がこれ程グサリと胸に刺さったのは、長い付き合いの中でこの日が初めてだった。

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