推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 19

 こまめにメッセージアプリとメールを確認するが、肝心の相手からの連絡はない。あまりに気にするものだから、同僚には彼氏かと疑われてしまったくらいだ。そんな余裕はない。返事が来ないまま2月に突入してしまった。
 結局三連休は日曜に勉強会へ強制連行されることとなり、東都へ行けなかった。連休をなんだと思ってやがる、と悪態をつきそうになったのは許してほしい。勉強会後の現地での飲み会が終わり、帰路についた。

 最寄り駅に着く頃には酔いもすっかり冷めて、近くに住む可愛い先輩とも別れてマンションのオートロックを解除する。ああもうすぐ日付を跨いでしまう。エレベーターに乗って上がり、深夜なのでヒールの音が響かないよう自分の部屋に向けてゆったりと歩く。鍵穴に鍵を挿して、施錠されていないことに気付き血の気が引いた。まじか。出がけに鍵をかけた記憶はある。降谷さんに貰ったネックレスを握って勇気を出してそろりとドアをあけると、玄関には見慣れない男物の革靴が一足。その先の暗い空間に、人の気配。泥棒だと靴は脱がないだろうし、まさか降谷さん? 仮にそうだとして、あからさまな出血の形跡はないので最悪の事態は避けているといいが。
 犯罪者の可能性も捨てきれず、できるだけ音を立てずに入ってパンプスを脱ぎ、足音を消してリビングに向かう。意を決して明かりをつけると、寒い部屋の壁に背を預けてスーツ姿の降谷さんが座り込んでいた。片足を投げ出し、もう片方の足を曲げて両腕を預けて顔を埋めている。背が高くて筋肉質なはずの降谷さんが、どうしてか小さく見えた。
「だ、大丈夫ですか!?」
 鞄を落として慌てて駆け寄る。
「悠宇」
 弱々しい声で呼ばれて、表情が分からないままに抱き締められた。力が強くて、少し苦しいがそれどころではない。何があったの、まさか、私は。私は。
 失敗した。
 ゾクリとして、手足の感覚が無くなったみたい。
「悠宇、」
 降谷さんが絞り出すように名前を繰り返す。
 絶望的な思いで永遠にも感じられる数分が経って、降谷さんの謝罪が沈黙を破った。
「ごめん。悠宇、ごめん」
「どう、しましたか」
 震える声で問いかける。
「逝ってしまったんだ」
 私は、救えなかった。私だけが知ってたのに。
「幼なじみも、かけがえのない同期も。みんな」
 エレーナ先生、萩原研二、諸伏景光、松田陣平、それから伊達航。何の因果か、それぞれの理由で死んでしまった。誰も、何も救えなかった。
「非道いことを言う。
 ──僕の、楔になってくれ」
 じわりと眼の奥から熱いものがこみあげてくるのを必死で耐える。非道いのは、私の方。最後の一人さえ助けられなかった無力で馬鹿な私。もっとちゃんと全てを捨てて、やらなければできなかったのに。あんな手紙でどこか油断してしまうなんて。物語の強制力があるとかないとかいうレベルにすら達していない。あの程度、怠慢に過ぎない。
「僕がただの降谷零で居られる場所はもう、君しか、悠宇しかいないんだ。その証がほしい」
 腕の力が強くなって、心も体も痛い。でも、この人の心はもっともっと傷ついている。血を流している。
「もう、僕は僕が分からなくなりそうなんだ。だから帰るべき場所が欲しい。ここだという確かな場所が欲しい。ごめん、本当にごめん。当分一緒には居られない。苦労も心配も迷惑もかける。でも、全部終わったら必ず迎えに来るから」
 震える手でなんとか降谷さんの体を抱き締め返す。
「籍を、入れたい」
 ──そっか、私は、彼女だったのか。
「……はい、零さん」
 苦しげに吐き出された言葉にすとんと落ちて、初めて零さんの名前を自ら口にした。途端にがばりと体が離れ、揺らぐアイスブルーの瞳と視線が合う。
「意味が、分かってるのか」
「はい」
 私はなんだってするし、どうだってなってやる。あの日告げた言葉に一欠片だって嘘偽りはない。──まさかこんな形になるとは夢にも思っていなかったけれど。貴方がそれを望むのなら、必要なら、紙の上だけでも結婚しようじゃないか。世間の目? 制約が増える? そんなの、私が望んだことに付随する些末な事象に過ぎない。片手を伸ばして冷たい零さんの頬にそっと添えた。
「人はいつか死ぬ。でも、私は零さんより先には死なない」
 それがたった今から、私の最優先事項。
「……待っててくれるのか」
「はい」
「いつまで?」
「いつまでも」
 きっと長い長い一年終わる頃には、解決しているはず。でもその事は言えない。それに、仮にそうでなくともいつまでも待つくらいの気概はある。
「本当に?」
「はい、ずっと。私がこんな嘘を吐くと思いますか?」
「……思わない」
「でしょ?」
 無理矢理笑って、もう片方の手も零さんの頬に触れる。
「こんなに冷えて。体は資本、なんでしょ。風邪引いちゃいますよ」
「……そう、だな」
 ぱっと立ち上がり、エアコンをつけて炬燵のスイッチも入れる。
「あたたかいものを飲みましょうか」
 できるだけ穏やかな声を出した。
 鍋に少しのお湯を入れて茶葉を抽出し、ミルクと砂糖をたっぷり。沸騰させないように温まるのを待つ。……恋人だったなんて微塵も気付いてなかったことは墓場まで持ってかんとな。いやとまじですまんかった。完成したロイヤルミルクティーを二つに分けて、一つをそっとテーブルに置いた。
「どうぞ」
「ありがとう」
 その頃には零さんは多少回復したようで、泣きそうだった瞳が光を取り戻している。一口飲んで息をついたのをみて、自分の分のティーカップを持ち上げた。
「話しておかなければならないことがある」
「はい」
 返事をして、きちんと顔を見て話すために隣ではなく正面に座る。
「僕の所属は警察庁警備局警備企画課だ」
 目をしっかり合わせて会話が始まった。そっか、ここでカミングアウトが来るんか。
「そして、公安警察の潜入捜査官だ」
 そこまで包み隠さず言ってくれるなんて、予想外で瞠目する。
「外では安室透という名前の私立探偵で通している。どうやら君は何かを察しているみたいだが、仕事柄言えないことが多い。今までのようにあまり詮索しないでくれ。それから僕のことを周りに言うのも控えて欲しい」
 情報量が多く、零さんは区切って私に考える時間をくれている様だが生憎想定の範囲内だ。私立探偵安室透と組織の探り屋バーボン、公安警察降谷零のトリプルフェイス。それから、私の前にいる降谷零さん。立場は分かっている。
「……続けてください」
「ここ数年追っている組織の情勢が変わればますます会えなくなるだろうし、連絡が取れないことも増える。何年かかるか分からないし、はっきり言って危険も多い。細心の注意を払っても、何らかの拍子に巻き込んでしまう可能性もある」
「……はい」
「だから籍を入れても組織を瓦解させて落ち着くまでは一緒に暮らすことはできないし、もちろん式も挙げられない。夫らしいことは何一つと言っていいほどしてやれない」
「分かりました」
 今度は零さんが沈黙する。
「話してくださってありがとうございます。分かりました。それで、籍を入れて、少しでも愛する人の力になれるんなら本望です。
 私は、この国の、日本のために頑張る零さんを尊敬します。微力ながらに支えたいと思っています。私だって妻らしいことはできません。そういう形で今隣に立って支えられるだけの強さも権力も聡明さも、何も持ち合わせていません。──そんな私でいいのなら、結婚しましょう」
「悠宇がいいんだ」
「なら決まりですね」
 ふふ、と笑って緊張を解き、ミルクティーを飲む。零さんもそれに倣う。
「時間は有限です、建設的な話を始めましょ」
 白い紙とボールペンを棚から出して今度は零さんの右隣に入り込む。それから一番上にTo Doリストと大きく書いた。その真下に悠宇、少し開けた隣に数字のゼロを並べて表を作る。切り替えが早いな、と零さんがやっと笑った。空いた左手に零さんの右手が絡んで手の甲を指の腹が往復して少し擽ったいが、力を抜いて好きにさせて話を続ける。
「詳しくないですけど、婚姻届だけ出せば良いんじゃないですよね。少なくとも戸籍謄本は必要そう。あと証人……は零さんの方で探して貰うことになりますかねー」
 婚姻届、戸籍、証人と書いてそれぞれの横に対応する丸をつけた。
「ああ、そうだな。提出もこちらですることになる」
「所属の方に届出とかもいります?」
「それもこちらで手配しておく」
「あとは……あ、ここ引越しましょうか。零さんからすると例え何度も来るところじゃなくても、セーフハウスとして安心できるくらいのセキュリティとかアクセスの良さって必要じゃないですか?」
「……よくそこまで、直ぐに思いついたな」
「あれ、今舐められてました?」
「褒めたんだぞ」
「えー?」
「こちらで物件をピックアップして今度送る」
「了解です。んー、私が今やれること案外少ない?」
 戸籍取ってきて、婚姻届書くだけやん。物件探し、零さんに丸。
「その後が忙しくなるだろう」
 零さんが呆れたように言うのを聞きつつ、引越し準備、と書いて自分の名前の方に丸をつける。
「そや、入籍日直後に休みとらなあかんのか。免許証から何から変わるし……職場の手続きの方も近々確認しときます」
「ああ、そうだな」
 そこから急に難しい顔になった。
「悠宇のご両親にはさすがに挨拶しないわけにはいかないな」
 そういうとこ義理堅いなあ。そんなリスク背負わんでいいのに。
「あー、今度うまく話しておくんで大丈夫です」
「殴られるかな」
「あはは、ないない」
「それはそれでどうなんだ。娘に対して放任主義すぎやしないか?」
 またあははと笑って流す。零さんは自分のことだけ考えてればいいんです。

「……なあ、明日は暇か?」
「暇ですけど」
 即答したものの、なになに怖いと身構えた。
「買いたいものがあるんだ。一緒に来てくれないか」
「買いたいもの?」
 オウム返しすると、降谷さんが首肯する。
「ああ。婚約時計って知ってるか?」
「婚約指輪の代わりに腕時計、ということですか?」
 聞き馴染みのない言葉だが、名前からするにその辺だろうと検討をつけて返事した。
「そうだ。本当は婚約指輪も結婚指輪もプレゼントしてやりたいし、つけたいんだが仕事柄少し厳しくてね。常時つけているのは僕の伴侶の存在を晒す状態になるのは付け込む隙を与えることに他ならないし、君にとっても危険だ。隠し持っていたところで、見つかればむしろその大切さを強調するだけだ。その点腕時計だとまだあまり一般的ではない分、君に直結しにくいだろうから──」
「ちょうどいいですよ、病院務めだと指輪って衛生的に気兼ねしちゃって。規定では結婚指輪だけ例外でつけれるんですけどね、やっぱり気分的に。……でも、いいんですか。私が証をつけていても」
「僕がそうしたいんだ」
 頬を緩める零さんは美しい。
「ちゃんとしたプロポーズは、全て終わった時に改めてさせてくれ」
「……はい」



 トントン拍子に話は進み、手続きの日取りと引越しの関係や挨拶、年度末は忙しくそれどころではなくなることを鑑みて、四月に入籍することになった。事実上、婚約期間を置くことになったのだ。一通りやることが決まって落ち着き、どうせ先なんだったら縁起のいい日で、ということになって調べて私は天赦日を希望した。天がすべての罪を赦すという最上の吉日だという。私は伊達さんを守れなかった咎人であるという誰にも言えない罪を抱えている。それでいて零さんの伴侶となろうとしているのだから、少しでも打ち消すにはそういう日がいい。ただの自己満足やけど。もちろん、零さんの仕事の状態によってその限りではないのことは言うまでもない。
「色んな日があるんですね、知りませんでした」
 零さんにもたれかってスマホをつついて調べている。人肌が安心するようで、ずっと手や頭を撫でられているよりはとこの状態に落ち着いたのだ。どっちにしろ心臓に悪いけど。
「大安や仏滅は有名だが、一粒万倍日や母倉日はこういう機会がないと触れる人は少ないかもしれないな」
「いざ調べてみると、本当に色々ですね。語呂合わせも、十一月二十二日はいい夫婦の日くらいしかイメージなかったですし」
「四月二十二日もよい夫婦の日だからな。二月二日は夫婦の日だし、十月十日は永遠に、十二月四日でいつも幸せなんてのもあったな」
「あ」
 画面をスクロールして止まる。
「どうした?」
「日付変わってるから二月十一日じゃないですか、今日って」
 そうだな、と零さんが相槌を打つ。私は体を捻って視線を零さんに移し、小さく笑いかける。
「ふたりで一緒に生きていく、の日らしいですよ」

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