推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 20

 その日は体を重ねることなく、ハグとキスを何度も何度もした。向かい合って抱き締められた状態で零さんが眠りに落ちて、初めてその草臥れた寝顔を見た。こんな顔させたくなかったんやけどな。泣いて欲しくないし、笑ってて欲しい。幸せになって欲しい。──泣かせたくない。笑顔を守りたい。幸せにしたい。今度こそは間違えたくない。
 推しの隣に立つものとして相応しくなるため、生き方を変えなければ。
 写真に残せないこの人の姿を目に焼き付けた。無力な私では他の人まで手が回らない。だからせめて、降谷零その人だけは。
 柔らかな髪を撫でて決意を強くする。起きないのは、本当に信用されているからか、極限まで追い詰められたからか。
 降谷零はこれから、国を愛し、赤井秀一を憎み生きていく。助けられたはずの親友を見捨てたと思って、憎む。──いつか私もそんな風に憎まれるんだろうか。あの女なら、と。平穏な日々に至るまで、あるいは他の拠り所を見つけるまでは何がなんでも隠さないと。

 重い視線をペンギンちゃんに移す。その背中からはケーブルが生えていて、コンセントに繋がっている。零さんはこれが発信器だと告白して、頭を下げて謝った。巻き込む可能性から、常に身につけているストラップに仕込んだのだと続け、そんなところだろうと予想していたので、今後も持ち歩くことを迷うまでもなく宣言した。日記帳を開く度にスマホを布団の中に沈めていたのは無意味だったらしい。そう思うとなかなか頓珍漢な行動をよくしていた。そういうオプションはあれど、このペンギンちゃんを選んだのは他の誰でもなく零さんなのだと言われた時は驚いて嘘やん、と思わず声をあげたくらいだ。お陰で今まで以上にペンギンちゃんが大切なものになった。

 色々なことがありすぎて冴えた頭ではさっぱり眠れる気がせず、明日からのことを考える。零さんとどの程度一緒に居れて、零さんはいつ呼び出されるのか。腕時計を買いに行くのはウィッグなり化粧なりで雰囲気を変えた方がいいのか。その前に、婚姻届か。調べたところ、ネットからダウンロードすることもできるようなので取りに行く手間が省ける。書いて渡しておいて、住民票も送るか誰かに預けるかだろうか。
 先の事を考えていないと、伊達さんを救えなかった罪悪感で潰れてしまいそうだ。交通事故で亡くなったその人と、後を追った恋人。見捨てた私。そんな私は幸せになれない。なってはいけない。ただ降谷零の笑顔の糧になればいい。そのためにここにある。私を踏み台に降谷零が前へ進めるように。

 スマホが光り、メッセージの受信を知らせたが零さんに抱きしめられている以上離れられない。こんな時間に、誰だろう。そう言えば、安室透という新たな連絡先が追加されたことを思い出す。頭に叩き込んだ連絡先とはまた別のもので、探偵のクライアントという名目になっている。安室透とはいえ、何があってもスマホという情報の塊を無くせないというプレッシャーが強まった。いい機会だからアドレス整理して、漏洩の元となりうる不要な人間関係は切ってもいいかもしれない。その前に自分と安室透に関して緻密な設定を考えておかなければ、その場その場で矛盾のない誰かの仮面を被るなどという芸当はできないと思い至った。東京の探偵さんに依頼する内容って何さ。東京に行ったはずの人探しか? 誰を身代わりにしよう。ヲタバレ回避しようとすると三井くんしか咄嗟には浮かばんぞ。

 うだうだと考えていれば夜明けが来て、その頃にようやく微睡んだ。



 目が覚めた途端、ばちりと目が合った。
「……おはようございます」
「おはよう、悠宇」
「……いつから起きてました?」
「いつからだと思う?」
「考えたくないですね」
「なら答えないでおこうかな」
 ちゅ、と額にキスして零さんが起きあがる。今日も推しが尊い。時計を見れば九時半だ。零さん、そこそこ眠れてるといいんやけど。
「シャワー借りるぞ」
「ゆっくりどーぞ」
 スウェット姿の零さんが浴室に消えたので、顔を洗って綺麗めなファッションと化粧に取り掛かる。グレンチェックのパンツにタートルニット、それから零さんにもらったネックレス。可愛いではなく強いと思われたくて、敢えてパンツスタイルを選んだ。家を出やすい様にバッグとコートも準備しておいたし、完璧。零さんの見ていないところで食事の準備をするのは気が引けたので、紅茶の準備をしながら婚姻届を印刷した。書き損じを想定して二枚。零さんを待ちながら、当分は無縁だと思っていたそれにさくさく記入していく。不思議と全く緊張感はなかった。あまりに現実味がないからだろう。
 ガシガシとタオルで髪を拭きながら出てきた半裸の零さんにときめきながら、動揺を隠して話しかける。相変わらず犯罪級のイケメンで惚れ惚れするわ。
「あ、ご、はんどうします? 微妙な時間ですよね」
「ブランチに出ようか。その後、腕時計を見に──ちょっと待て何だそれは。いや、分かるがどういうことだ」
 驚く零さんが見ているのは私ではなく私の手元らしい。
「これですか? はやいとこ書いて零さんに渡しておこうと思いまして。窓口行かなくても入手できるっていい時代ですよねえ」
 年寄りじみたことを言うと、溜息をついて零さんが私の頭をぽんと撫でた。
「悠宇の行動力には、時々驚かされるな」
「ごめんなさい、一緒に書きたかったですか?」
 そういうタイプには見えへんけどなあ。
「──いや? 効率的だ。君らしくていいなと思っただけだ」
「お褒めに預かり光栄です」
 最後に判子を押して、自分の分はおしまい。さて、手持ち無沙汰になった。女性が身だしなみを整えるのには準備がかかると踏んだであろう零さんを裏切る速度である。推しを待たせるとか有り得なくない?
「……もう一枚書いときます?」
「僕が書き損じるとでも?」
「思いません」
 赤井秀一関係以外で失敗する降谷零とか微塵も想像が出来ない。



 結局お互い変装することなく零さんの決めた町屋カフェで食事をして、そのあと腕時計を選んだ。予想通りというか、安心安定日本メーカーの最高峰レーベルである。正直言ってペアで車が買えるお値段でめちゃめちゃ気が引けたし途中とても帰りたかった。けれど零さんのエスコートはそれを許してくれないし、店員さんとどんどん話が進んでやっぱりとは言い出せない空気になった。貧乏性のチキンですまんかったな。最初の店であっさりと決まって対となるものをつけて出て、ひやりとした感覚と重さを感じた。やっと、この人は本気なんやなあ、と実感が出てきた。
 肩を並べて歩いた。手を繋ぐでもなく一定の距離を置いて歩いているのだが、私よりずっと背の高い零さんが歩幅を合わせてくれているのは今更で、でも合わせて貰わないと追いつけないみたいでちょっと淋しかった。



 そしてタイムリミットが訪れた。
 家まで送ると零さんは言ってくれたが、信号待ちでメールを見るなり舌打ちをしてスリリングな方向転換をした。うおお完全に油断してた……!
「悪い、送れなくなった」
「招集お疲れ様です?」
「少し飛ばす、舌を噛むなよ」
 そこから道路交通法を無視して一番近い駅に急行し、その近くで急停止する。いやこれ少しとかじゃなかったんですけど。だいぶかっ飛ばしてます自覚して。意図を判断してすぐさまシートベルトを外した。
「お急ぎなのにすみま──」
 言い切る前に零さんの強い抱擁で自由を奪われる。
「悠宇」
「……零さん、いってらっしゃい」
 触れるだけのキスがひとつ。
「ああ。いってくる」

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