推しに尽くしたい話 | ナノ


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 僕の彼女がこんなにも可愛いと誰かに自慢したい。いや、誰にも言いたくない。わざわざ教えてやる必要などない。そんな二律背反を抱きつつ、情事の果てに僕の腕の中で意識を失った悠宇の髪を梳いた。彼女の表情は穏やかで、つきりと胸が痛んだ。
「ごめん、好きだよ」
 潜入捜査官であることを伝えていない。その立場上、表立って恋人として振る舞うことは不可能だ。罪悪感が先立って、ベッドの中じゃない、好きのまっすぐな一言さえ直接ぶつけることができなかった。その癖衝動のままに連れ込み、身体を重ねた。情事の最中に呼び方を変え、僕のことも名前で呼ばせた。狡いなと我ながら思う。
 出会いが出会いだから、聡い彼女は不穏な立ち位置を折り込み済みで僕に好意を抱いている。そんなことは百も承知だ。それに甘えて恋人という地位をもぎ取った。光の中にいる彼女に僕は相応しくないと思っていたのに。
 小さく首を降って、腕にぎゅうと力を込めた。それでも、今だけは。

 アラームより先に目が覚めたのは半ば奇跡だ。彼女を起こさずに済んだので、そっと抜け出してシャワーを浴びる。部下の進捗確認に本庁に寄って、それからはバーボンとして少し遠出しなければならない。スーツを着て仕事のスイッチを入れる。書き置きを残して部屋を出るつもりだったけれど、足は彼女のところに向かった。
 そっと悠宇の髪に触れ、掻き上げて隠されていた寝顔を見つめた。この国を守る。その使命の中に、また一つの意味が加わった。君がいるこの国を守りたい。伏せられた瞼にキスをする。瞼へのキスは、憧憬。彼女の真っ直ぐさと、怜悧さ、笑顔に僕は焦がれている。
「ん……」
 思いの外眠りの浅いタイミングだったらしく、目を覚まさせてしまった。ぼうと不思議そうに僕を見上げ、瞠目した。軽い混乱を見せる姿に、悪いことをしてしまったな、と思った。それでもすぐに「おはようございます」と挨拶をする。
「おはよう、悠宇。まだゆっくり寝てろ。チェックアウトまでまだ時間がある。無理させてしまったしな」
 慌てて起き上がりかけた悠宇を布団に優しく押し戻すと、まだ頭が回っていないのか、言葉を発しかけてきゅっと口を結んだ。
「悪いが先に出る。また連絡する」
 また起き上がりそうな悠宇の頭を撫でてベッドを離れ、振り返らずに部屋を出た。

 本庁で昨晩出来上がった報告書に目を通していくつかの書類にサインし、帰宅して服を着替えて、車に乗る。赤信号でケータイをちらりと見たけれど、目当てのメールは届いていなかった。
「気を抜くな、バーボン」
 自分を叱咤して、内ポケットにケータイをしまった。



 バーボンとしての仕事は少し長く、確実な場所でケータイを見れたのは四日経ってからだ。
『昨晩は食事から何から、ありがとうございました。お仕事頑張ってください』
 今までと何ら変わらぬ簡素な文面で、安心半分、落ち込み半分だ。あまりに恋人らしい文面では罪悪感が募るが、いくらなんでも簡素すぎやしないだろうか。悠宇のことだから単に照れているのかもな、と昨晩知った恥ずかしがる姿を思い出す。色恋沙汰にはどうも奥手らしい。友人付き合いとしては仕事を考えれば適切だが、今は距離を測りかねているのだろう。
『元気にしているか? 返事が遅くなってすまない。励ましありがとう。今日仕事に区切りがついたところなんだ。
 会って一年の日に悠宇と過ごせて嬉しかったよ。次に会える日を楽しみにしている』
 少し迷って、最後の一文を消して送信した。

 返信は簡素で、それでも、付け加えられた「私もです」の文字に小さくガッツポーズをした。メールを打っては消す姿が目に浮かんだ。普段から少し考えてから話すことが少なくない。立場を得たのだ、これから少しずつ率直な本心を引き出せるようになるのだと決意した。その矢先に、公安案件が飛び込んできたのだが。



 いつ連絡が来るかも分からない状況では悠宇と電話する余裕などなく、少しの罪悪感と共にGPSで彼女が働いていることを確認したりしていた。一年の区切りで迂闊と言って差し支えないほどに距離を縮めたが、拉致などの身の危険は差し迫ってはいないようだ。残業している日と、ジムに行っている日と、図書館の日もある。家にいる時間が短いタイプだと思っていたが、最近は少し家に反応がある機会が増えたので、今の仕事が一段落したら探りを入れてみるのも悪くない。

 ある昼休み、数日間ぶりに彼女のGPSを調べると、東都に反応があった。おい、聞いてないぞ。いや、報告の義務はないんだが、と目を閉じて息を吐く。
 調べてみると、毛利探偵事務所とポアロという喫茶店のテナントの入った建物だった。調べてみると、探偵事務所の方は元警視庁捜査一課強行犯係の刑事が退職して私立探偵として開いた事務所のようだが、その評判は決して良くない。ならば、昼時という時間からしてもその下の喫茶店が現在地と考えて間違いないだろう。特段有名店でもなさそうだが。そこまで調べた頃には彼女は店を出る時だった。初対面の日にカルボナーラの有名な店に行っていたし、今までの話しぶりからしても、外食の際は下調べをして行く傾向にあると思っていたが、何か縁があるのかもしれない。あるいは、単に友人が米花町に住んでいたなどという理由かもしれない。この犯罪じみた行動に見切りを付け、業務に戻った。仕事を片付けよう。もし会う時間が作れそうなら電話をしてみようか。

 翌日、夜には時間が作れる可能性が僅かに生まれたので、大阪に戻ってはいないかと現在地を確認し、その場所を調べると大御所アニメーション会社の特別展が開催されている建物だ。
「これが目的か」
 以前話題にあがったことがある、と納得して、少し追加で調べると上がってきた情報に舌打ちをした。殺人事件が発生して、刑事部の捜査一課が調査に向かっている。気付くと手がケータイに伸びていた。
「──風見」
 現場からそう遠くないところにいるはずの部下に電話をかけ、移動の指示を飛ばす。風見なら説明の手間が省ける。
「進藤悠宇、ですか」
「以前君に調査を指示をした女性だ」
「……ああ、あの」
 思い出したらしく、それでも困惑気味の声を出した。
「容姿は覚えているな?」
 彼女の現在地である部屋を伝えて「見つけたら報告しろ」と言った。
「報告って、降谷さ──」
 要件を伝えて通話を切り、目の前の報告書に取り掛かった。私用に使ったことは後で労うとして、今は一刻も早く業務を終えることが優先だ。

 風見からの着信に手を止める。
「僕だ」
「すみません、かなりの人混みで標的を見つけられませんでした」
「……そうか」
 少し低い声が出た。
「じ、事件の詳細は確認しました。彼女とも、こちらとも無縁のようですが、お聞きになりますか?」
「いや、そう判断したのならいい。もう戻って構わない」
 要件だけ述べて通話を切った。事件が公安に纏わるものだとはそもそもあまり考慮していないのだ。少し肝が冷えたが、巻き込まれていないのなら、本当に関係ないのだろう。それで充分だ。
 どうにか手元の業務が終わりそうになったという時、ベルモットからのメールが届いて舌打ちをした。あの女が来日したなんてニュースは入ってきていないぞ。彼女との逢瀬は諦めるほかないようだ。わざわざ危険を犯す必要はない。毎月も会えなかろうが、彼女は咎めたりはしないのだ。感情は、どうあれな。恋しく思ってくれているのだろうか。それとも変わらず過ごしているのだろうか。

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