推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 9

 絶賛脳天気モードの彼女は僕の仕事の心配だけをしている。大丈夫だと言って店に足を向けると、一瞬疑いの視線を向けられたもののすぐに納得したようについてきた。他の客から一番遠いカウンター席に並び、スコッチとカクテルをオーダーする。
「友達から連絡はあったか?」
「ああ、大丈夫ですよ」
 へらりと愛想笑いをする。どう大丈夫なのか説明はされなかった。攻め方を変えるか。必要な情報は彼女がどうしたくて、どうするつもりかなのだ。
「そうか……明日はどういう予定なんだ?」
 適当に主要駅を選んだものの、本来泊まる予定だった場所の路線すら聞き出せていない。
「明日は図書館です」
 思いがけない返答に首を傾げた。曰く、好きな作家の絶版本が東都にしかない。それが推しなんだろうかと思案しつつも、その実態に心当たりはあった。京都で会った時に酔って饒舌になった彼女が強く語った──いや、彼女に語らせたある女性作家だ。あの時も図書館の話題から行き当たったのだが、再び話題に上がる程度には執着しているにしても、どうも推しという彼女の概念にはそぐわない気がする。尽くす、という行動にどう足掻いても結びつかないのだ。
 二週間前、喫茶店で標的近くに陣取った際のフェイクのためとかこつけて、数冊を読んでみた。知らない作家で彼女の興味の手広さに舌を巻きつつ、面白さとセンスに感心し、それでもやはり目的の情報ではないと結論が出ている。
 それでも読んだことを伝えると、彼女は目を剥いた。どうも彼女は僕に時間が無いと思い込んでいる。そんな余裕はどこからだ、と顔に書いてあった。こういうところは分かりやすくて、素直な表情に笑いそうになった。彼女の正直さにつられて、つい頬が緩んでしまう。

 さらに饒舌にさせるべく口当たりのいいアルコールを勧めると、悠宇さんは疑うどころか全幅の信頼をもってそれを頼み、美味しいと頬を染め、にこにこと話をした。悪くないペースだ。今回は大阪のバーのような失態はもう犯さない。どんな発言も受け流せるよう心積りをしている。
「学生時代の同期ですよ」
「ほー……」
 赤ら顔の彼女に改めて今日会っていた友人のことを尋ねると、あっさりと話し始めた。
「学生……まあ大学ですね。就職がこっちで、久々に会ってきました」
「出身がこっちだったのか?」
「いえ、そういうわけじゃないんですけど。イベントって東京が多いじゃないですか。そういう利便性で」
「思い切った理由だな」
「あはは、そういう行動力のあるタイプなんです。趣味限定ですけど」
「ライブか?」
「んー、まあ、そうですねえ。ライブとか、舞台とか、ミュージカルとか。挨拶付きの上映とかも」
「へえ。学生の時からそうなのか?」
「そうですね、遠征するタイプ」
「悠宇さんはそういうのはないのか?」
「うーん……たまーに、くらいですね。むしろ大阪に来たら行くかな、ってタイプです」
「旅行とかあまりしない?」
「好きですし、誘われれば行きますよ。学生の時みたいに年に何度も行けたりはしませんが」
「あちこちから誘われてそうだな」
「そうでもないですよ。だいたい固定メンバーです」
「そうなのか?」
「そうですよ。旅行は片手人数です。そんなもんじゃないですかね。仲良い同期とか友達とかって少ないものですよ」
 同意を求められ、頷いた。
「ライフステージが変わると色々変わって、散って……まあ京都くらいならまだいいですけど、東京とか各地に散ったりもしてますし」
「悠宇さんの仲良い同期って、どんな人だ?」
 脳内に報告書を展開しつつ尋ねる。手元のグラスの中でぱちりと氷が小さく爆ぜた。
「いつも企画発案してくれるしっかりさんとか、才能の無駄遣いなフリーダムゲーマーとか、常に笑顔を振りまく性格イケメンとか?」
「ええと、全員女性?」
「はい」
 イケメンという言葉に反応してしまったが、彼女は至極当然そうに頷いた。
「なんだか濃そうな表現だな」
「あはは、みんなめっちゃおもしろくて優しい人達ですけど、まあ、そうですね。もしかしたら薄くはないかもしれないですね」
 彼女から語られる友人に少し興味はあるが、この時間を見知らぬ他人に使うのはちょっともったいなくて、ふと沈黙が降りた。
「降谷さんの同期にはどんな人がいます?」
 悠宇さんのこちらで会った学生時代の同期について尋ねれば、僕の同期の話になるのは大して不自然なことではなかった。想定の範囲内ではあるはずなのに、それでも少しも動揺しなかったと言えば嘘になる。名前を呼ばれた今よりも、あの日が勝ってしまったのがその証左だ。
「……そうだな、幼なじみがずっと一緒だったよ」
 悠宇さんにならいいか、とぽつりと吐き出した。僕は明かせない現実を一人で受け止めたつもりで、受け止め切れていないのだろう。自分に言い聞かせるように警察学校時代を振り返ると、悠宇さんが傷ついた顔をしていた。頭のいい人だ、過去形で話したことで現状を悟ったようだ。あの頃が一番楽しかったのは事実だし、けれど二つの爆発事件は過去だ。酷く空虚な気持ちにはなったが、少しずつ気持ちの整理がついている。感傷的になることもあるが、少なくとも仕事に支障は来さない。ヒロの自殺を止めなかった赤井を憎んでいるし、その点はまだ割り切れてはいないが、それは僕とあいつの問題だ。伊達は姿を消した僕に、未だに時々メールを送ってくる。
「警察学校の同期だったんだ。みんなで無茶やって、よく教官に叱られたよ」
「そうなんですね。意外とやんちゃしてたんですね」
「まあ、よく馬鹿はやったな」
 瞼の裏で、あの日々は爛々と輝いている。
「……すいません。嫌なら答えなくても良かったんです」
「いや、大丈夫だ」
 吐き出した僕よりも、受け止めた悠宇さんの方がきずついた顔をしていた。
「……悪い、変な空気になったな。そんな顔させたかったんじゃないんだ」
 熱い頬に手を伸ばしたはいいが少し躊躇われて、指先で
彼女の肌に触れ、親指でそっと目の下を撫でる。悠宇さんが傷つくようなことは何も無い。なんでもない日々を笑って過ごしてほしい。
「悠宇さんには笑っていてほしい」
 言うつもりはさらさらなかったが、告白紛いの言葉が口をついて出た。いつか全てが落ち着いた時に、もっと雰囲気も場所も考えて、お互い素面の時に。そう思っていたんだがな、と内心苦笑を禁じ得ない。
 悠宇さんの瞳が揺らぐ。僕の臆病な手に自分の両手をそっと重ね、眉尻を下げたまま、目を細めて口元を歪める。
「あなたが、それを望むなら」
 焦がれた黒の双眸が、視線が、僕を捉える。
「あなたがそう望むのなら私はなんだってするし、どうだってなってやりますよ」
 君は僕をどうしたいんだ、と唇が音を発さず小さく動く。
 破壊力抜群の殺し文句がぐっさりと突き刺さった。一度目で伝わったのに、ほんの微かに震える手から伝わる緊張にも心臓を掴まれる。
「? なんですか?」
「いや──ありがとう」
「どういたしまして?」
 不思議そうに首を傾げる彼女の手を離す。このあとを決意したのにちょっと名残惜しい。僕が望むままに、なってくれるんだろう。僕のものになってくれるんだろう。
「もういい時間だな。出ようか」
「そうですねえ」
 彼女がちらりと腕時計に視線を落とし、考え込む表情を作った。その瞳に先程の熱など欠片もない。熱は僕だけに向いている──なんてな。
「上に部屋をとってある」
「は?」
 ぽかんとこちらを見上げる悠宇さんに部屋の鍵を見せつけた。
「ちょ、え?」
「行くぞ」
 手を引いて有無を言わせず連行する。と言っても、飲ませた自負はあるのであくまでスマートに、だ。せっかく好意と括るには強い強く真っ直ぐな感情を抱いてくれているのに、こんなところで幻滅されては堪らない。それでも高揚した気分は鎮まることはなく、エレベーターで耐えきれず口付けをして、悠宇さんの漏れる吐息に欲情する。彼女のためにとった部屋に当初と違う目的で連れ込み、ベッドに押し倒す。性急すぎて引かれるだろうかという思考が頭の片隅にあるが、止まらなかった。拒否権を与えつつも口付けを深くすれば、躊躇っていた悠宇さんが恐る恐る舌を絡め返してきたことでひどく心が弾んだ。
 拒否権をシャワーに使ったのには思わず吹き出した。初めてが酔いながらというのは騙すようで好まないなと思い直して、顔を林檎のように真っ赤にした彼女をバスルームに促した。

prev / next

[ back to top ]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -