推しに尽くしたい話 | ナノ


▼ 11

 結局悠宇は僕にメール一つ寄越さないまま、大阪に帰ってしまった。
 翌晩、どうにか比較的真っ当な時間に仕事に区切りをつけられた。声を聞きたい。話したい。知りたい。車に乗り込み、駐車場で携帯電話を取り出した。現在地は家だと先程確認したところだ。
「──もしもし?」
「僕だ」
「あ、はい。こんばんは。えーと、大丈夫なんですか? お忙しいんやと思ってたんですが」
 少し早口に、いつも通り僕を心配する。
「あまり連絡できなくて悪かったな。今は大丈夫だ」
「いえいえ、そんな。どうかしました?」
「日曜にこっちで悠宇を見かけた気がしてな」
 嘘を交えながら切り込むと、あっさりとした返事が返ってきた。
「そうですけど、え、近くいはったんですか? 全然気付きませんでした」
「まあな。また一人旅だったのか?」
「分かります? 気楽だと気づいちゃいました」
「次は一言声をかけろよ、時間を作れるかもしれない」
 彼女に会いたいと、僕だって思うよ。あはは、と悠宇は殊更明るく笑った。
「期待はしないでおきますね」
 僕の多忙さを理由にあげて取り付け島もない。そりゃないだろ、とまずは譲歩して約束させよう。
「とにかくそれはそれ、これはこれだ。連絡してくれないと都合のつけようもないだろ」
 電話の向こうで物音がして、悠宇が何かをしているらしい。おいちゃんと聞いているのか。いいな、と念を押す。
「はあい」
 珍しい抜けた返事をする。パタンと閉じる微かな音は冷蔵か。旅行の目的を尋ねかけたところで聞こえた息遣いに、彼女は殺人事件に遭遇して疲れているはずなんだと思い至った。水分補給の音ではない。冷やしている。
「悠宇、大丈夫か?」
「なにがですかー?」と抜けた声でとぼけた。
「体調悪いだろう。さっきからいつもと違うぞ」
 ぐっと言葉に詰まったくせに、そんなことないと再び虚勢を張った。嘘だ本当だなんだと押し問答を繰り返し、これではただでさえ体調の優れない悠宇に追い討ちをかけるだけだと溜め息がこぼれた。
「強情だな。今日は早く寝ろよ」
「なんともないですから」
「あまり無理をするな。また電話する。おやすみ」
「……はい、おやすみなさい」
 こんなつもりじゃなかった。悠宇は自分の不調を隠す、としっかり脳にインプットした。

 翌日にメールをしてみると、やはり出勤している。その程度の不調なのか、無理をしているのか、どっちだろう。夜、家にいる時間を狙って電話をしてみたけれど、出てくれなかった。
「無理をしている、で間違いないな」
 どうせ指摘される、気遣われたくない、なんて思っているのだろう。強固な砦を崩すことは骨が折れそうだが、まあ、恋人の立場を利用しつつ挑むとしよう。……あの日のことは夢じゃない、よな。恋人。あまりに悠宇の対応が変わらないものだから時折心配になる。
 毎日メールのやり取りはできても、着信には反応がないまま週末に突入した。土曜の昼過ぎにしては珍しく自宅にいたので、少しほっとした。そこで休めたらしく、翌週帰宅後にかけた電話にはやっと応えてくれた。
「こ、こんばんは!」
 すぐに弾んだ声が聞こえた。
「もう大丈夫か?」
「なんのことですか?」
「……まあ、いい」
 あくまでしらばっくれるつもりらしい。
「最近はどうだ?」
「そうですねえ、同僚が有給とって旅行に行ってしまったので、代わりにお仕事三昧です。持ちつ持たれつですね。仕方ない。あ、でも自炊も筋トレも欠かしてませんよ!」
「元気そうで何よりだ」
「めっちゃ元気ですよ」
 くすくすと笑う。
「今部屋か?」
「はい。晩御飯を終えたところです」
「今日は何?」
「えーっと、チーズハンバーグ、です」
「いいな」
 頷いて、メニューから完全回復を確認する。
「ハンバーグとサラダとご飯とすまし汁、面白みのないメニューですけど」
「仕事忙しいのにそれだろう?」
「ハンバーグってミニサイズにしたらお弁当に回せるじゃないですか。あとおすましのお出汁は教えていただいたやつを使ってますよ。めちゃめちゃ重宝してます! ま、時間が時間なんでご飯はちゃんと控えめなんですけどね」
「ああ、十一時前か」
「寝る三時間前まで、って言いますけど真っ当に働いてる限り難しいですよねえ」
「随分帰るのが遅いんだな」
 僕が言えた義理ではないが、定時とは程遠い業務体制だ。
「あはは、あなたほどじゃないですよ。高々知れてます。例えば今日やって、帰って筋トレしてからのご飯ですし。タンパク質とはって感じのメニューですけどね」
 あなた、ね。名前で呼ぶのを恥ずかしがっているのだろうか。慣れて欲しい。
「……ああ、トレーニング後三十分以内がゴールデンタイムにタンパク質摂取というのは半分嘘だぞ。筋肉にタンパク質が吸収されるのは運動後の数時間以内とされているが、その後も二十四時間くらい効果は続くぞ」
「え」
「まあ運動の方は寝る三時間前以上前が好ましいがな。ストレッチならともかく、悠宇の日課だと交感神経が優位になって寝付きが悪くなる……と、この辺りは知っているか」
「タンパク質の話は勘違いしてましたし。さすが、博識……気をつけます」
「どこまで求めるかにもよるが、同じやるなら効率良い方がいいんだろう?」
「もちろんです!」
 悠宇が力強く頷いた。効率重視でリスク回避が基本スタイルらしいが、目的地と動機が分からない。
「最近忙しいんだよな。よく続いてるな」
「一回サボるとやめちゃいそうで怖いんですよ。一日サボると取り返すのに三日かかるって言うじゃないですか。それに大したメニューでもないですし」
「どこまで鍛えたいんだ?」
「えっ」
 何故そこで驚く。やっぱりちょっと変わってる。
「前は筋肉は裏切らないとからなんとか言ってたが」
「言ったかもしれないですね……」
「レベルをあげて物理で殴るとか」
「なんか、あー、マ、ッチョさんに言われるとすごく居た堪れないんですが」
 はは、と乾いた笑い声をあげた。一瞬言葉が詰まったのは、僕の筋肉というより裸体を思い浮かべてしまったからだろうかと見当をつける。
「ともあれ実用的な筋肉が欲しいんですよ」
「何を想定してるんだ?」
「いろいろですかね」
「具体的には?」
「どこにどんな人が生息してるか分かったもんじゃないですからね。物騒なご時世で……と、いや、あの、警察とか探偵とか皆さんが頑張ってくださっているのはもちろん十二分に知ってるつもりなんですけど、それはそれこれはこれというか、事件は起きるというか、規模が小さい方が処理も言いやろうしみたいな」
 失言だと思ったのか、少し早口に弁明を始めた。
「それくらいで不快に思ったりしないぞ。犯罪発生率が上がってるのも事実だしな……だが検挙率も高いからな。何かが抑止力になってどうにか減っていくといいんが……」
「あと二、三年くらいしたら減ってそうですけどね。いや、これは願望ですけど」
「願望か」
「東京、やっぱりなかなか大変そうですよね」
 僕が守ってやるから大丈夫だ、と言えれば良かったのに。
「三年なら頑張れる気がする?」
「あ、はい。そんな気がするような気がしますです、はい」
 尻すぼみの煮え切らない言葉だ。二、三年。東京。……もしや三十をラインに東都に来るとこを視野に入れている? 顎に手を当て、思考を巡らせる。
 転職は三十歳までというのは未経験職の話だから、資格持ちの悠宇の場合はあてはまらない。雇用契約の縛りか仕事の区切りか何かあるのだろうか。あるいは同棲……いや結婚か? 年齢を考えれば妥当か。
「──気が早いな」
「うぐ、なんか適当なこと言ってすみません。未来は未定ですよね。将来は分かんないですよね」
「いや、今のは……」
 欲が尽きない僕への自嘲の呟きなんだ。完全に先走った。
「あはは、大丈夫です。未来は切り開くもんですから」
「……うん」
「その為の筋肉です!」
「あ、うん……」
 その結論に戻ってくるのか。きっぱりと言い切る声に、くすりと笑みがこぼれる。電話越しでも悠宇の笑顔が目に浮かぶ。
「逞しいな」
 そこがいいんだよな。
「もしもの時の為に日々努力、と言いたいんですけど飛び飛びですよー。やりたいことがいっぱいありすぎて。目移りしちゃいますね。時間は有限なのに優先順位つけるのが難しくって。ついでにもうすぐ忘年会シーズンでもありますしね」
 今日も推しの正体は掴めなさそうだ。

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