Raison d'être | ナノ


▼ 虚の微睡み

 桜が咲く、別れと出会いの季節。それは、呪術師になった元社畜には縁のない表現であった。去るものも死ぬ者はいつだっている。高専に足を運ぶことはありつつも、一学年片手に満たない小規模では、春は出会いとなるはずもない。ただの日常であり、とある一日に相違ない。
「七海」
「なんですか」
 同じ呪術師である彼女と並んで廊下を歩く。お互い疲労の色を滲ませている。
「眠い」
「そうですか」
 私は淡々とした声で同期に応えた。二人揃って十二連勤でしっかり酷使されていて、思考は鈍くなっている。連勤と果ての報告を終え、一刻も早く帰りたいと心を一つにしていた。
「車の中で爆睡しそう」
 私もです、という言葉を飲み込んだ。個人として同意したい心情と社会人として褒められたものでは無いという理性が共存し、しかし疲れた脳は答えを出すことを放棄した結果だった。
「吉田が送ってくれるはずだし」
 目を擦りつつ、彼女は補助監督の名前を挙げて言った。補助監督は補助監督で仕事があるはずだが、彼は連勤の私達を気遣って進言してくれていた。高専起点では家が近しい方向──そういった理由で、私と彼女は一纏めの車に乗ることが少なからずある。今回もそのパターンだろう。

 外に出ると朝日が眩しく、彼女は目を少し細めた。それから少し歩き、待っていた車に乗り込む。運転席の彼に私の家に向かうよう指示した。
 宣言通りに彼女は車内で夢の世界に旅立ち、私のマンションについても瞼を持ち上げる素振りを見せなかった。
「この後仕事あるんでしたよね」
「あ、はい」
 深々と溜息をつく。
「……彼女は私が家に届けます」
「よろしくお願いします」
 救世主、とドライバーの目が語っていた。
「ちなみに、どうするんですか?」
「そうですね。水でもかけて起こしてタクシーに乗せましょうか」
「えっ?」
「では。ここまでご苦労さまでした」
「え、あ──なるほど。お疲れ様でした!」
 一人勝手に納得した補助監督の車から彼女を引きずり下ろして肩に担いだ。去りゆく車を見ながら、口を開く。
「いつまで狸寝入りしてるんですか」
「ん、ありがと」
 もぞもぞと動いた彼女を地面に下ろした。
「でもこのあと、七海と寝たかったから」
 彼女は私の気なんて知らないで、こちらを見上げてへにゃりと微笑んだ。文字通りの睡眠を意図するのは承知でも、揺らぐものがある。
 私達の関係性は仕事の相性がいい同僚と認知されている。させている。事実、恋人関係でもない。だからここで降りる口実が浮かばず、寝たフリという雑な手段を取ってこちらに丸投げしたのだろう。サングラスに手をやり、フー、と息をつく。言い訳するこちらの身にもなれ。
 本当に頭から冷たいシャワーでも浴びせましょうか。
「え? それはエイプリルフール的なやつですよね? ね? いや七海が嘘とか……ないな……」
 口に出ていたようだ。やはり疲れている。無視してベッドに潜り込むべく道路から足を動かすと、彼女は雛鳥のようにちょこちょことついてくる。怯えは一瞬で消えたようだった。
「佳蓮さん」
「んー?」
「……私もアナタと寝たいですよ」
 エレベーターで今更落とした呟きに、馬鹿な彼女は満足気に笑った。私は溜息を飲み込んだ。

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