▼ 猫の日
スーパー猫の日に書いた、ご都合呪霊で猫語しか喋れない七海の相棒
***
「にゃぁあ」
間抜けな溜息がこぼれた。まったく、迂闊だった。同行者だった五条さんには死ぬほど笑われながら連行された先は東京都立呪術高等専門学校──つまり硝子さんの診察を受け、そして恙無く終えたところだ。
五条さんが未だにやにや笑っている。何も好き好んで間抜けな溜息をついたわけではない。
身体に異常はなし。言い換えれば、処置の余地がないということである。私は椅子に座ったまま項垂れた。
「──ま、影響は今日一日ってところかな」
「にゃ、にゃにゃん」
え、それは困ります。とても困る。
「にゃん、にゃにゃにゃにゃにゃにゃにゃ」
次の任務があるのだ。
「いや何言ってるか分かんねーよ」
「にゃん、にゃにゃにゃ、にゃんにゃん」
自分を指し、手で七と三を作り、時計をさして今度はパーを作る。そして最後に私の術式の象徴、刀印でアピールだ。
「……五時から七海と次の仕事、か?」
「にゃん!」
硝子さんの言葉にコクコクと頷く。無事に伝わったようだ。五時まであと一時間もないのは絶望的だった。
「まあ身体や術式に影響はないが」
「でもにゃんしか喋れないじゃん」
「にゃーー!」
そうなのだ。任務までもう幾許の時間もない。ガラリと部屋の扉が開き、開きかけた口を閉じて振り向く。これ以上の人に残念な女の姿を晒したくはない。
「にゃにゃにゃ!」
あ、しまった。うっかり言葉を発してしまった。当然猫語を解さぬ彼は不可解そうに微かに眉をひそめた。
「お、保護者登場」
「彼女の保護者のつもりで私を呼んだんですか。違います」
煩わしげに五条さんに言ったのは、私の相棒・七海建人その人である。そのままズカズカと長いコンパスで私に歩み寄った。
「怪我は?」
ぶんぶんと首を横に振った。
「体調も問題ありませんか」
今度は指でオッケーマークを作る。
「結構。では行きますよ」
もう待機しています、と補助監督の名前を挙げた。五条さんから一切の説明は受けていないようだ。
「私が呼ばれた理由に関しては、道中に彼女から聞きますので」
七海が五条さんに告げる。うーん、無理かな。まあどうとでもなるか、と立ち上がった。
***
とにかくすぐに来いと五条さんに呼びつけられて向かった先には、ケロッとした顔の彼女が居た。家入さんの治療済みなのか、大事はないようだ。奇声を発したの後に沈黙する彼女を早々に次の任務に連れ出す。
あと任せた、と出がけに家入さんが言ったのが少し引っかかってはいた。必要なら彼女の口から直接聞けば充分、移動中の車内で構わないだろう──という己の判断を悔いることになる。
今日一日くらい言葉を話せなくなったらしい。術式に関しては問題ないという。
まあ大丈夫だよ、と彼女がメッセージアプリを介して伝えてきた。
近距離型の私と、中遠距離を得意とする彼女。調査ではなく祓いだけの任務内容と呪霊の等級と数。それらを合算し、彼女を任務に連れていくことにした。だって彼女は呪術師なのだから。
「にゃん!」
「……は?」
問題なく全ての呪霊を祓い終えた時、彼女が私に笑顔を向けた。
「にゃあ! にゃにゃにゃ」
慌てた様子の彼女に、全てを理解した。そして同時に「あとは任せた」の意味も理解した。
「一切話せなくなったのではなく、その猫のような話し方しかできないんですね」
にゃあにゃあ鳴きながらしきりに頷く。私と二人の任務で良かった、と心底思った。
***
私は補助監督という役職の新人で、慣れぬ仕事に日夜奮闘している。今日はあの七海建人一級呪術師の補助だ。いや、七海術師一人ではなく、相棒を謳う彼女も一緒なわけだが。
なんでも先程の任務で彼女は話せなくなったらしい。不安な人だなあ。しかしその上で、七海術師は連れていくという判断を下していた。既に車内だったので引き返せなかった、というのもあるかもしれない。
面倒見がいいなあ、流石七海術師だ、そもそも彼だけで充分なんだろう、などと考えながら運転をして、今回の呪霊の内容を説明する。
正直、興味があったのだ。大人だ紳士だいい人だといい噂ばかりの彼と、自称相棒だペットだと噂のある彼女。会話もなしにどうするんだろう、本当に大丈夫なのだろうか。
本来の待機場所より近くに寄り、双眼鏡で二人の様子を伺う。そして圧倒された。
彼等に言葉などそもそも不要だったのだ。言葉を交わさずとも息ぴったりで、あっという間に呪霊を片付けてしまった。
彼女が七海術師に笑みを向けている。おっと、こうしちゃいられない。見つかる前に待機場所に戻らなければ。
事前情報通りだったとのことでその先の報告を引き受け、呪術師のお二人は直帰するとのことだ。そしてさすが七海術師、喋れない彼女のタクシーに同乗してくれるらしい。本来は私が送るべきなのだが、それでは仕事が遅れてしまうでしょう、とのご配慮をいただいた。
次も七海術師の補助がいいなあ。
***
二人での仕事が終わり、私の家で時間を過ごすのは珍しいことでもない。人語を話せぬ彼女に配慮し、寄り道せずの直帰だ。夕食はあるもので適当に作ろう。
「にゃにゃーん」
外で言葉を発せなかったのが苦痛だったのか。部屋に入るなり、猫語でしゃべった。
「お疲れ様でした」
にゃあにゃあ鳴くばかりの彼女だが、ジェスチャーも混じえると意思疎通自体は概ね可能だった。
「なんですか? ──そうですね、お腹がすきましたね」
「にゃ」
「パスタでもいいですか?」
「にゃあ」
「作るので待っていてください」
「にゃにゃ、にゃあ」
「では付け合せの方をお願いします」
普段の行動パターンを知っているだけに、不思議と会話は成り立った。
彼女がスープの準備をしている間にさっと汗を流し、交代で彼女がシャワールームに消えたのでその間にパスタソースを作りつつ、スープの味も整える。戻ってきた彼女がサラダを作って、二人で食べた。
「にゃにゃ」
トマトパスタをごくんと飲み込むと、へらりと彼女がこちらに笑みを向ける。おいしい、と言っているのだろう。
「それはよかった」
「にゃん」
私が受け応えをすると、いつも以上に嬉々としている。
「ああ、スープは熱いので気を付けてくださいね」
「にゃ?」
「猫舌でないのなら杞憂ですが」
「にゃ、にゃにゃん……にゃっ!」
目をぱちくりさせ、おそるおそるスープを掬い、そっと飲んで問題ないとばかりににこりと頷く。
「大丈夫そうですね」
「にゃー」
「今更ですが、味覚も変わりないですか?」
「にゃにゃあ」
こくこくとしきりに頷く。
「体への影響は本当に言葉だけみたいですね」
「にゃあん」
クソ、可愛いな。鳴いているのをもっと見たくて話しかけたり返事をしているなんて、思いもしないのだろう。
食後はリビングで並んで本を読んだ。彼女はいつも通りだ。
「佳蓮さん」
「にゃ?」
名前を呼ぶと、彼女は顔上げて不思議そうに目を瞬かせた。
「いえ、なんでもありません」
「にゃん」
訳すなら「そっか」か。彼女の視線が活字に戻る。
猫のアナタも可愛らしいが、私が脳内補完した会話ではなく、アナタ自身の言葉をはやく聞きたい。
prev / next