散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第九夜

 珍しく一日予定のない休日だったのだけれど、透に会うことを考慮し、起床後そこそこにマキシワンピに着替えて溜まった家事を片付けた。これを機に不要な物をあれこれと断捨離してゴミ袋にせっせと詰め込んでやると、見えないところが大半だったはずなのに、些か部屋がすっきりしたように思う。それでもまだ満足はいかない。ここに住みかけた当初からは家具も物も増えて色も一部不揃いなのが目立つ。本の重量で変形したカラーボックスも、本棚にしたいが面倒でそのままだ。
「よし引っ越そう」
 先週の夢で適当に挙げた案だが、むしろ確定事項に感じた。心機一転というやつだ。
「本棚は確定として……ベッド、変えようかな」
 学生時代から使っている安いベッドだ。これを機に変えるのも悪くない。どうせなら、シングルベッドからセミダブルにしようか。夢の中でその広さと快適さは学んでしまったし。

***

「ハァイ、透」
「なんか変なもの食べた?」
「失敬な」
 暢気な挨拶をしたら渋面が返ってきた。
「悪い悪い、久しぶり、桜ちゃん」
 大して悪びれた風もなく透が笑った。
「元気そうだな」
「今日はおやすみだったからねえ」
「転職に成功したのかと思った」
「シンプルにおやすみ!」
「転職する気ある?」
「あるあるめっちゃある超あるどこの誰よりもある」
「……まあ、いいけど」
「さあ恒例行事のお時間だよ!」
 勢いよくテーブルに手を着いて立ち上がり、軽い足取りでいつものスタート地点、窓へと向かう。
「ベランダベランダベランダ!」
 流れ星は見えてないけれど三回唱えてカーテンを開く。願ったベランダはなく、かといって庭が広がっているなどということもなく、見慣れた乳白色の空間が広がっている。
「チッ」
「舌打ちしない」
 窘められたが軽く肩を竦めて返事し、カーテンを閉めた。



「なーんもなかったねえ」
「トイレットペーパー増やせただろ」
「そうだったそうだった。ありがとう」
「どういたしまして?」
 収穫はそれだけだ。今度もギターは得られなかった。ちゃんとフレットとかペグとかパーツを勉強してきたのだが、無意味だったらしい。実験は失敗だ。透も期待はしていなかったのだろう。特段肩を落とすでもなく、そうだよなあ、と小さく呟いて受け入れていた。あまり深くは聞かなかったが、今回も練習してくれていたらしい。「来年」からはこの話題は避けようと決めた。つまらないことに囚われて時間を浪費させたくはない。そして軽い検索をしただけの私とは比べるべくもない。なんかごめんね!
 年上らしいことを何もできてないな、とひどく罪悪感を覚えるのが恒のはずだが、ことこの特殊空間では、透ではそうならない。長らく潜在意識だと思って接していたからか、不思議とそういったマイナスの感情は生まれなかった。むしろ、年に一度のお姉さんの為に折に触れてギターをかき鳴らしているのかと思うと、それはもう若くて可愛くて嬉しい。何故か私の隣を新たな定位置として獲得したらしい透の見えもしない顔を一瞥する。
 けれど、それとこれとは別で、実らない努力はさせたくない。聴いてくれる人に、聴ける人にその労力を使ってもらいたいものだ。わざわざ言わなくとも、多分親友くんを筆頭に誰かに披露しているとは思うけど。浪人してなければ大学生になるんだし、勉強とサークル活動に勤しんでおくれ。
「そう言えば、無事に志望校、合格した」
 タイミングのいい話題に満面の笑みを浮かべた。薄手のミリタリージャケットにボーダーのカットソー、黒のスキニーは確かに大学生っぽいなと勝手に納得した。どの年齢層でも特段珍しくもない服装なだけだけど。
「おめでとう! 透なら大丈夫って信じてたけど、でも、それでも良かったあ。本当に、おめでとう」
「……ありがとう」
「ん? どうした?」
 手で口元を覆い、いまいちリアクションの悪い透に首を傾げる。
「いや、そんなに手放しで喜んでくれるとは思わなかったから」と言って視線を逸らした。照れているらしい。
「そりゃ喜ぶでしょ。頑張ったね。あ、親友くんの方は?」
「あいつも、合格」
 聞けば仲良くとーだいと略される国公立に進学したらしい。微妙に土地名が違うから、東亰の略かもしれない。詳しくは聞かずに適当に頷いておいた。
「小学校からずっと一緒になるんだっけ?」
「ああ。お互い警察官目指してるし、多分これからも、かな」
「心強いね」
「うん」
 こくんと頷いた。目標をブレずに見据えて生きている。そして彼が夢を掴む姿は容易に想像できた。有能二人は日本を守ってくれるらしい。まあ私のいる日本じゃないけど。過去だか未来だかパラレルワールドだか異世界だか知らないけど、いないことに相違はない。
「僕、高校卒業したんだ」
「……そうだね?」
 何を言い出す気だこの子は。実は高校卒業せずに大学に入る珍しいルートを辿る予定だった? お姉さんそんな前提一言も聞いてないんだけど。
「十八歳だ」
「うん」
「一人暮らしだってしてる」
「えらいね」
 褒めたのに、不機嫌そうに唸った。
「違う。子供じゃないって言いたいんだ」
「生意気な未成年だなあ」
「桜ちゃん、いくつだよ」
「女は秘密を纏って美しくなるんだよ」
 ドヤ顔で言ってみたけど、あれ、なんか間違えた気がする。どこの名言だっけ? まあいいか。透も神妙な顔してるっぽいしこのまま押し通そう。
「ふふ、どう? 魔性の女っぽかった?」
「桜ちゃんが?」
 似合わないかそうかそうか。
「おい喧嘩売ってんのか。よっしゃ買うぞオラ」
「キャラブレ激しいけど大丈夫?」
「分かった、私は小悪魔みたいな芸当はできない。無理したって認めるから残念な目で見るのはやめて!」
 顔を覆ってオーバーに机に突っ伏す。回避活動は大事だ。
「さくらちゃん」
 甘い囁き声が耳に届き、驚いて飛び起きた。目を白黒させる私を見て、透が口角を吊り上げた。
「大人で遊ぶな! あーもー、透の方が小悪魔の才能ある気がするな」
「子供に振り回される大人?」
 子供という発言に余程カチンときたらしい。だからってこんな手にでなくたっていいだろう。靄とくぐもった声という圧倒的なディスアドバンテージを乗り越える腰にクる声だった。お姉さん驚き通り越してちょっと引いてる。どこで覚えてきたの。どんな高校生活送ってたの。汗と友情の眩しいアオハルの裏側で何を学んだの。警察官じゃなくてもその声を使うお仕事でも生きていけそうだな。
「そうやって女の子を食ってく大学生になるのか……」
 いるいる、こういう奴。雰囲気イケメンにありがち。もちろん偏見である。
「は?」
「ゲーム感覚でやっちゃダメだよ。そのうち刺されるよ。とーだい? で高身長で筋肉質で、これでもし顔まで良かったら何人斬りみたいなの余裕で狙えそうだけど、透はやらないと思うけど、やめてね。いつか泥沼になったって報告を聞くとか私嫌だよ」
 どんどん渋い顔になっていく透に釘を刺す。
「……あれ、もしや既になってたりする?」
「なってるわけないだろ!」
 声を荒らげ、がしりと私の二の腕を掴んだ。
「おぉう、そうか、ならないのならまあいいけどってちょっと痛い痛い! 馬鹿力!」
 ギリギリと握られた腕が悲鳴をあげる。なんだコイツ。握力いくつだよ。テニスで鍛えたの。鍛えすぎでしょ。
「デリカシーのない桜ちゃんが悪い」
「いや透には言われたくな──いたた私が悪かったごめんってば!」
 苦し紛れに謝ると、ぱっと腕が離された。握り潰された二の腕をさする。
「ねえ知ってる? 強要した自白は無効なんだよ」
「よっぽど僕を怒らせたいみたいだな」
「透の将来がとっても不安だわ! この子に権力を与えてはならないのよ!」
 顔を手で覆っておよおよと嘆くと、舌打ちされた。期待してなかったけど乗ってくれない。
「私の舌打ちは指摘したのにー。ダブスタ良くないよ?」
「今日は随分と揚げ足取りが好きだな」
 顔をあげたせいで、今度は両頬を摘まれることになった。
「ひょーる、ふぁかにゃふぁにぇをひゅるひゃ」
「え? 何、全然分からないなあ。……なんか、すげえ伸びるな」
「いひゃい! ふぁか!」
「反省しろ」
 伝わってんじゃねえか。
「……なあ、ワザとだよな」
「んー?」
 溜息と共に伸びた頬が戻され、そのまま顔に両手を添えられた。白い靄に視界が包み込まれ、唇に暖かいものが一瞬触れる。
「そんなに言わせたくないなら、行動で示すだけだ」
 透は堂々と宣った。茫然自失、という言葉が今の私にはぴったりだろう。淡い感情があることには薄々気付いていたけれど。まさか、彦星と織姫よろしく年に一度しか接触のない相手に本気だとは誰が思うか。しかも顔の見えない、年嵩の女を相手に。同じ世に生きない存在に。最初に比べれば関係性の改善は明らかだが、まさか、特別な感情が篭ってるなんて。
 彼の黒歴史になりかねない、と雰囲気に流された言葉を言わせるつもりは更々ない。回避活動しなければ。吊り橋効果だかストックホルム症候群だかと似たようなもので、特殊な環境がもたらす心理効果だ。子供だから騙されるし、騙されたことにも気付かないんだ。周章狼狽しながらも、どうにか体裁は取り繕うべく情けない声はあげない。かと言ってうまい返しは浮かばない。どう足掻いたら社畜が男子高校生、じゃない大学生に本気で懸想されるというのだ。私の人生計画にそんなものは入っていない。よって対処法のシュミレーションなどもない。
 とうに情なんて湧いているのに。その気持ちに名前はつけていない。この部屋の外みたいに、先行き不明で漠然としている。時の流れの違いを知っているから、変化を予期しているから、逃げているのかもしれない。
「好きだよ、桜ちゃん」
 私が話さないことに痺れを切らせたのか、透が切ない声をあげる。
「ありがとう。でも」
「ごめんは聞きたくない」
「ええ。でも、透は勘違いしてるんだよ」
「するだろ!」
 自覚があるなら、なんでよ。
「自由気ままで、赴くままに動いて、笑って、喋って、それが桜ちゃんだ。嘘偽りない感情だけで接してくれる。僕をそのまま受け入れてくれる。でも、そういう姿を晒すのはこの部屋でだけなんだろ。外ではもっと取り繕って、したくもない愛想笑い貼り付けて働いてるんだろ。ここだけが、僕の前だけが素を出す場所なんだろ。そんな特別扱いされたら、勘違いしたくもなる」
「……ああ」
 零れた嘆息は納得だ。勘違いって、そういうことか。首を掻いてちょっと悩み、心の中でもう一度溜息をついた。
「でも、それは恋じゃないよ」
 はっきりと拒絶してあげるのが優しさというものだろう。ぐっと透が黙った。
「環境の作用もあるだろうし。年の差とか、距離とか。ロミオとジュリエット効果、だったかな。障害があるほど燃えるってやつ。好いてくれるのはもちろん嬉しいけどね」
「けどっ!」
 次があるとは限らないよ。喉まで出かかった、最近は見ないようにしていた残酷な言葉を飲み込む。
「そういうしがらみを取っ払って、ただの人間同士として一緒にいたんだよな……?」
 最初は、潜在意識が生み出した存在だと思ってたから。でもその態度をそのまま続けていたから、こうなってしまったらしい。一人間同士だと思っていたから、子供扱いが不服なのか。身体は大人に成長した上でそれだから不満なのか。理解した。
「そうだね。でも関係性の名前は難しいね」と優しく肯定する。
「大学、今年からでしょ。これから沢山、色んな人に会うよ。知り合うよ。年齢も学部も、所属も性格も仕事もね。交友関係が今から広がるって時に、夢に囚われてちゃだめだよ。人生経験を積んで、そうだね、せめて初めて会った日の私と同じくらいの歳になってからかな。その時の気持ちでまた考えよう」
 初めても何も今も二十八だけどね。歳が近いと知るとこの青二才は暴走しかねないからもう暫く黙っておこう。合理的秘匿だ。この部屋で快適に過ごすため、お互いの為だ。年の差は十、増してや未成年。私を犯罪者にするつもりなのかな?
「……桜ちゃん、年齢教えてくれないじゃないか」
「うん。だからうまく引き出してね」
 にっこりと笑うと、がくりと項垂れた。私が言う時は、多分、彼が自分の世界で相手を見つけた時だろう。
「悪魔か……」
「なんとでもおっしゃい」
 あっはっはと大口開いて笑う。
「んで? 学部どこだっけ?」
 キスも告白もなかったように、この一年の透の話を聞いた。安定の成績優秀っぷりだった。受験期の記憶なんてきれいさっぱりなくなっていたので、新鮮な気持ちで聞けて楽しかった。始まった新居での生活は特段トラブルもなく進んでいるらしい。相変わらずのハイスペックさんめ。

 いっぱい話をして、笑って、おどけて、おちょくって。それでも、眠らなけらばこの部屋は終わらない。離れたがくっつくような距離で眠らなければならない。透が成長しすぎなのだ。
「よし寝よう! じゃあ、おやすみ」
 気まずさとか知ったこっちゃないと布団の端に潜り込んだ。私の早業に呆気に取られたものの、頭をがしがしと掻いて躊躇いを見せつつ、横に靄が入ってきた。
「……こっち向かないの」
「はいはい」
 一応配慮してみたんだけど、要らなかったらしい。寝返りをうつと、透の右手が伸びてきて、顔に触れる。ぺたぺたと不躾に頬や鼻、唇を触りまくった。
「何?」
「いや……ちゃんと人間だなって」
「はあ?」
「先に言い出したのは桜ちゃんだぞ。ふさふさだったらとかって」
「よく覚えてるなあ」
「記憶力は良い方だな」
 その通り過ぎて何も言えない。
「私は悪い方かな」
「うん」
「突然のように肯定されると腹立つな」
 透はくすくす笑って、右手を布団の中に戻した。
「おやすみ、桜ちゃん」
「……おやすみ、透」
 同い年になった頃、もしまだ想ってくれていたとして。透に絆されないと言い切る自信はないな、と思いながら瞼を閉じた。

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