散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第十夜

「はーい、それでは今晩も透と一緒にこの珍妙怪奇な部屋をプレイいこうと思いまーす。しかし透、開幕早々惚けてるけど大丈夫? お疲れモード? 今日は透にコントローラーを握ってもらおうと思ってるんですけど、いやー、いけるかなー。ふふ、今宵の命運やいかに! メインプレイヤーは私が今決めただけなんですけどね。はは、まあ彼は有能なんで、多分なんとかしてくれるでしょう。私は高みの見物しとくんで」
 出会い頭に実況者ごっこを始めて草生やしてたら、全然ついてきてくれなかった。哀しい。
「……どうした?」
 たっぷり間を開けた末の友人の引き攣った顔にめげる私ではない。自他ともに認めるルーム限定のフリーダム女だ。
「うん? ただのゲーム実況ごっこだけど」
 にっこりと笑って告げると、透が眉間に皺を寄せたと認識する。
「監視前提のサービスか? 悪趣味」
「闇のゲームにしないでくれるかな? えー、本日は私半日出勤のためスラックスにストライプのブラウスというオフィスカジュアルな格好でお送りしております。え? どうでもいいって? ちなみに相方はジーパンにシャツ、テーラードジャケットです。スタイルいいから似合うなあ。顔が見えないのが残念でなりません。見たいような、見たくないような、ちょっと複雑な気持ちですが果たして頭部の靄がなくなる日はくるのか」
「どういう意味だ」
 よいしょと立ち上がる。イケメンだったらそれはそれで微妙な気持ちになる。我フツメン所望す。
「んふふふ、はーい、そんじゃま早速やっていきましょう。一通り部屋のチェックから。基本はやっぱり押さえておきたいですからね。今回で、ええと、そう記念すべき十回目なんですけど、まーいい加減慣れですね。こういう時にこそうっかり見落とししちゃったりしますよねー。あっフラグじゃないフラグじゃないよ、させないよっ! まあ適宜手分けしてサクッとかつ漏れなく片付けちゃおう」
 一人でケラケラと笑いつつ実況を無理矢理続行させ、冷めた視線をガン無視して何も得られない部屋の探索をした。
「机には付箋とボールペン。窓の外は──ああ残念、いつも通り深い霧のような空間だね。はい力を入れてもびくともしないこの窓、一体どんな力が作用しているのか、もう常識なんて捨てないといけないのがこの部屋だからね。ははは、ちゃんとカーテンも閉めとこうね。はい次いきまーす」

「はーい、ということで今回も一回通りの探索では何の成果も得られませんでした!」
「それまだやるのか」
 サービス精神旺盛なもので。転職活動は順調なり。探索を逐一喋りながらやるものだから、透がだんだん面倒くさそうにしている。
「ところですがね、もうね、我々は本当に諦めが悪いので」
「ホー、誰がなんだって? いつもすぐに寝ようとするのはどこの誰だ?」
「あははっ、怖いなあ。えー、訂正。透は諦めが悪いので、この部屋に立ち向かっていこうと思います。今回のテーマはずばり、料理です!」
「料理?」
「前前々回になるかな、の放送をご視聴くださった皆様はご存知かと思うんですけど、この部屋でおにぎりを作ることに成功してるんですよね」
「視聴くださった皆様って、最高に嫌な響きだな」
「気になる方は是非そちらも見てくださいねー! チャンネル登録もお願いしまーす。とまあ過去の動画の宣伝はそこそこにしておいて、メインの方に移っていきましょうか」
「その妙ちくりんな設定いつまでやんの?」
 今どき小学生なりたいものランキングに入るYouTuberごっこはお気に召さないらしい。大学生と言っても真面目にやってそうだなあ。だらだら動画みたりって想像できないもんな。ま、無視してやれる所まで走りきってやるんだ。
「食材と調理器具。それからやる気。このあたりをできるだけ整えて何作るか決めていくかー」
「聞け」
「なんだか透はご機嫌斜めだねえ、ははは」
「誰のせいだ……桜ちゃんが分からなくなってきた……」
「ふっふっふ、私は単純な女じゃないのよ。さあまずはあるものの確認から」
 ボウル、鍋、フライパン。菜箸にフライ返しに泡立て器。調理器具を取り出して並べていく。
「前おにぎり握ってくれたけど、透って料理とかやってるの?」
 棚を漁りながら見上げると、透はふいと視線を逸らした。
「そのうち」
「よーし、ならまあいい機会やし、やってみよっか」
「……桜ちゃんの手料理が食べたい」
「やる気ないだけだね? 男子大学生、最初にやらなきゃやらないかあ。忙しいの?」
「そこそこ。講義とバイトと、あとボクシングとかもやってるし」
「文武両道だなあ。えらいねえ。そりゃ余裕ないねえ」
「そのうち、絶対やる」
「ふうん? 一人暮らしだと食材の使い切りとか考えれば惣菜とかの方が、拘わるよりコスパ良さそうだよね。透ってやりかけたら熱中しそうだし。今は優先順位低いのかな。やりかけたらハマったりして、ふふ。そんな透にもう一つスキルを獲得してもらおうかな。家庭科レベルの知識はちゃんとどうせあるでしょ。きっとみんなそっちの方がいいよねー?」
 思いつくままに喋りながらもせっせと手を動かして、あるものを並べた。うんうん二人で唸って悩んで絞り出せた材料は、米、味噌、三分の一程度残った牛乳、未開封の小麦粉、卵が四つ、砂糖、塩、胡椒だ。さらにバターの捻出に成功した時は奇跡だ透の手を取って飛び跳ねんがばかりに大喜びした。
「予定変更! 料理じゃなくてお菓子作りです!」
「太るぞ」
「え? 透、これ夢だよ?」
 はあ、と溜息をつかれた。
「レベルシステムでもあるのかな。虚無から出せるものが回を追うごとに増えていってますねー」
「完全にゲーム脳だ。まあ、完全否定もできないけどな」
「でしょでしょ。経験値だかタッグスキルだかスコアだか知らないけど、なんかありそうだよねえ。いつか多分解けるよ、透が」
「僕かよ」
「さておき今回はスイーツ回なんで」
「はいはい、分かったよ。それで、レシピどうするんだ? まさか覚えてたりしないよな?」
「スコーンとかは雑でもできるからいいんだけど……パウンドケーキかな」
「パウンドケーキ?」
 小麦粉を片手で弾ませつつ、透が首を傾げる。
「そう。別名カトルカールって言ってね、何語だったかな。お菓子だからフランス語かな。でもこの清々しいまでの雑さはイギリスっぽいよね。まあなんでもいいや、砂糖とバターと小麦粉と卵を同じ量を混ぜて焼くだけ。今回はアレンジはなしで、プレーンなのにしようね。焼き時間はまあ、大体で。竹串刺して確かめながらでいけるでしょ」
「型はどうするんだ?」
「出せなきゃ牛乳パックとクッキングシートでなんとかなるよ。レベルアップした我々なんでね、ホチキスくらい生み出せるっしょ」
「なるほどな……」
 ちょっぴり感心した様子の透に、ようやく年上らしいことが言えたぞ見よ崇めろと内心ふんぞり返った。
 パウンドケーキの型は入手できなかったけど、測りもないけど、ホチキスと篩と追加のボウル、包丁、おまけでカッターとハサミとシャーペンとのり入手できたので上等だろう。ティーバッグをゲットできたのもかなりポイントが高い。
「ただ計りがないのは致命的なんじゃないのか」
 使う予定の器具と材料以外は元の場所に戻し、キッチンに並び立ち、私は腕組みした。
「……卵は一個約五十グラム。バターはグラムの線が入ってる親切設計。砂糖と小麦粉は……雰囲気だね」
「結局目分量か」
 ひどく不安そうに頭を押さえている。
「食べれない物ができることはないよ。安心しな」
「信じていいんだな?」
「私は信じてるよ、透」
「え……」
 透を見上げて不敵な笑みを浮かべた。
「泡立て器係頑張ってね!」
「ああ、うん……そうだよな……」
「さ、手を丁寧に洗うよ! 透、ジャケット脱いどいたら?」
 その後めちゃめちゃ混ぜてもらった。さすがは趣味ボクシング。私は早々にギブアップして実況に徹した。鍛えてる奴は一味違うぜ。
 ちなみに、その後私が泡立て器を手にしたのは洗い物をする時だ。

「はい、それではあとはオーブンさんに頑張っていただくだけですね! 百八十度でまずは十分です」
 監督兼アシスト桜、メイン作業透で作り上げた生地を透がオーブンに入れる。
「まずは?」
「一度取り出して、真ん中に切れ目を入れるというワンステップがあるからね」
「へえ。十分……と」
「やらなくてもいいけど、折角思い出したからやろうよ」
「そうだな」
 スイッチを押して、待つ間にお片付けをしよう。洗って拭いて、きちんと戻す。
「なんか無意識にいつもやってるけどさ、夢でもちゃんとしまうってとっても律儀だよね。褒められたい」
 小麦粉とクッキングシートを棚に戻す。
「勝手に使ってる前提がなければな」
「それ言っちゃだめだよ」
 口は悪いが、なんだかんだ楽しそうにパウンドケーキ作りをしていたので良しとする。機会があればなんでも楽しめるタイプだろう。来週、いや来年には新たな趣味の結果を聞けるかもしれない。
「さてあとは飲み物かな」
 透は凄く微妙な顔をしていたが、牛乳パックを使う為に中身を捨てるのは忍びない。勿体ないお化けが出るぞ。せっせとメレンゲを作ってくれている間にティーバッグを使ってアイスティーを作るべく抽出し、後で私の分にだけミルクをいれようと別に置いている。なんでそういう度胸はあるんだいつか食中毒で苦しむぞとくどくど言われたが、右から左に受け流した。夢だってば。そんな想像しないに限る。
「はーい、ではこちらが用意しておいたアイスティーです。ストレートの透の分は早めにティーバッグを取り出しておき、私の分はミルクを入れるのでしっかりめに抽出しているので明らかに色が違うね! うふふ、どうですかこの細やかな気遣い」
 冷蔵庫を覗き、透に見て見てと指さす。
「はいはいありがとう」
「じゃ、洗い物は私の担当で待っててもらいましょう」
「いや、一緒にやるぞ」
「だってメレンゲやってくれたんだし、休憩してなよ。疲れたでしょ?」
「やらせる気しかなかったくせに」
「だってベーキングパウダーないんだもの」
 嘘つけ、さすがにバトンタッチ申し出たけど離さなかったじゃん。楽しそうに混ぜてたじゃん。それをなかったことにする透をしっしと追い払い、シンクの前に立つ。ボウルを洗っていると、真後ろに透が立った。私は振り返らない。
 一年で、しかも大学生になって、次に向かったかなと思ったんだけどなあ。雰囲気破壊のYouTuberごっこでもあった。楽しく時間を過ごす為の策だったけど、そろそろ打ち止めかな。
 不毛な恋だよ。
「あ」
「何」
 ぴとりとくっつこうとした透が止まる。
「そいや、例の女医さんどうなったの?」
「今それ言うかあ?」
 するりと離れ、透が溜息をついた。
「今思い出した」
「行方知れずだよ」
「え」
 手が止まり、水がボウルに降り注ぎ続ける。
「おい、水跳ねてるぞ」
「おおう」
 手を動かし、洗い物を続ける。
「病院なくなったの?」
「それだけなら良かったんだが……」と言葉を濁す。
「もしかして、事件性あり?」
「そう踏んでる」
 嫌な話だな、と前を向いたまま思いっきり顔を顰めた。ハイスペックと不運とトラブル人生と、そんなところでバランス取らなくたっていいじゃない。
「色々調べてみたんだが、学生が入手できる情報にも限界があるし、いい加減手詰まりなんだ」と言って頬を掻いた。
「もしかして、それで警察官?」
「軽蔑した?」とちょっぴり弱々しく尋ねる。
「んなわけないじゃん。大切な人が心配でそれだけ行動に移せるのは透のいいところだよ。だからって無理しちゃダメだけど。無茶するくらいが透らしいといえばらしいからなあ。まあ親友くんがいるから下手なことにならないか」
 勝手に納得してうんうんと頷きながらゴムベラを洗う。ハイスペ透と仲良くできる同じくらいハイスペで優しい男らしい。悩み事を内に秘めるタイプらしく透が心配していた。どうも御家族の不幸にトラウマがあるらしい。これにはさすがのフリーダム桜も迂闊な慰めはできなかった。毎度彼の話を楽しそうにしていて、内容からするに絆が強そうだから多分お互いがいいストッパーになるだろうと予想している。期待している。
「でもまさかそれだけって訳じゃないでしょ?」
「もちろん」
「だよね。警察ってどう考えても制約が厳しいから人探しのベストアンサーではないでしょ。まあ透の進路をとやかく言うつもりもないけどね。……これで透の住む世界では警察官は自由だよとか言われたらどうしよう」
「警察官ならアクセスし放題、なんでことはないぞ。パイプくらいは作れるだろうが」
「ハマる人が権力者だといいよね」
「どう意味だ?」
「未だに喧嘩っぱやいところ、相変わらずでしょ。治す気もないのかもしれないけどさ。殴り愛で親交深めるタイプ継続中って言われてもちょっと納得できちゃうし。可愛げあるよね、そういう尖ってるところ。真っ直ぐでさ」
「褒められてる気がしない」
「あはは」
 私は笑った。透はむくれた。
「必要な時は愛想良くしてるぞ」
「だろうね。私にはそんなつまんないことすんなよ」
「言われなくても」
「ならいい。それでこそ私が好き勝手振る舞えるってもんだ」
「何それ、自分のため?」
「当然でしょ」
 洗い物を終えて、手を拭いて調理器具を収納していく。透はいつの間にかカーペットの上で胡座をかいていた。

「そろそろかな。ちょっといい匂いしてきたね」
 二人でオーブンレンジを覗き込み、十分までの少しの時間を待った。チンとレンジが鳴る。
「はい、それでは運命の十分が経過しました。ほんのりきつね色に焼けて来てるね。現状優勝の予感しかしないわ。我々天才では?」
 ミトンはないのでタオルを装備すると透に取り上げられた。
「はしゃぎすぎ。火傷しそう」
「そうだった私は監督だったね。任せたよー、んふふ。役割分担って大事だよね」
 透が慎重に取り出し、そのまま私の指示で真ん中に切れ目を入れる。それをまたオーブンに戻して、今度は三十分だ。
「透、お菓子作りの経験は?」
「調理実習があったけど、うちの班は女子が張り切ってた」
「実質初か。楽しみだね」
「まあな」
 こくんとはにかんで頷いた。素直に育ってくれてお姉さん嬉しいよ。
「焼けるまでどうしよっか」と定位置に座り込んで透に視線を送った。
「そうだな……」
 透がベッドに放っていたジャケットを回収してそのまベッドに腰掛ける。物理的距離が確保されて一安心だ。パワーじゃ勝てないのは火を見るより明らかだし。
「桜ちゃん、その格好寒くないのか?」
「え? ああ、地球温暖化は深刻な問題だよね」
「……そう、だな?」
 透が曖昧に首を傾げた。
「桜ちゃん」
「何?」
「夢のサイクルって規則的だよな?」
「うん」
「そう」
 それ以上は聞かれなかったが、心臓バクバクだ。実は年の差マッハで詰まってきてるよなんて先週の流れて絶対に言えない。いや、待て。ぴくりと眉が動く。透が首を傾げた理由は本当にそれだけだろうか。推理と仮説の立案は私の担当じゃないと勝手に思ってるんだけど。首を掻いて、頭を小さく振る。
 ──まさか、本当に透の世界って未来だったりしない?
 時の流れが違うんだから、それくらい有りうる。高度に情報化された未来なら警察官が独自のネットワークにアクセスして恋していた女医さんの行方を探れるのかもしれない。あまり良く覚えてないけれど、住所が違ったのも、名前が変わったのかもしれない。パラレルワールドじゃなくて、タイムトラベルみたいなものだとしたら。地球温暖化は解決の目処が立った問題かもしれないし、世界における日本という国の立ち位置も今と違ってくるのかもしれない。情勢が今とかけ離れているかもしれない。
 ぴたりと当て嵌る。絆創膏一つとっても、もっと有効なものが一般的だったとしたら。曲が知られてないのも、世代が違うからだとしたら。
 これがこの部屋の答えなんだ。
「桜ちゃん?」
「えっうん、何!?」
「急に黙るし。反応ないし。何を考えた?」
 些か尖った声だ。
「いや、なんか不思議な縁だなとしみじみ思ってさ」
 冗談じゃなく、想像以上に年の差は大きいのかも。それこそ桁違いかも。桜お姉さんじゃなくて桜おばあちゃんだった……?
「それだけ?」
「初期設定考えて年の差に打ちひしがれた」
「ばか」
「うるせえ泣くぞ」
 ばたりと倒れて腕で顔を覆う私に軽い罵倒が降ってくる。まじでちょっと泣きそうなんだぞ。
「いつにも増して起伏激しいけど、何かあったのか?」
 力なく首を振る。想像以上の年の差の気配を察知して、いつも以上につまらない現実の話なんかしたくない。週が明ければまた肩身の狭い仕事の日々だ。転職を宣言しただけに風当たりが強い。あれこれと乞われるがままにしょい込んできた業務をしっかり引き継いでおかなければ、転職後も何かと面倒を起こしうる上司がいる。後輩は可愛いのにな。だからずるずると残ってしまっていたわけなんだけど。ああ、面倒だ。
「桜ちゃん」と幾許か優しくなった声で呼び、近付いてくる。
 金曜に先輩のミスを発見して、指摘してしまった。根に持つ野郎だから、月曜はまだねちねちとつまらない話を聞いて、詰られ、お前みたいな出しゃばりは他じゃやっていけないだとか上下関係がどうとか無駄な時間を過ごす羽目になる。つまるところ、私は夢を長引かせて少しでも現実から離れたかったのだ。だから料理なんて、お菓子作りなんてものを提案した。
 逃げるばかりの人生だ。生まれ変わったら追いかける側になりたいな。
「……ばかなこと頼んでいい?」
 私はずるい。透を潜在意識から他人、そして友人と認識して、淡い感情を把握した上で、弱いところを晒して付け込むのだ。
「何?」
「手握って」
 左腕で顔を隠したまま、右手を横に投げ出す。息を引き取る直前みたいに、両の手で包んで欲しかった。何かを託すというより、縋るというより、この場合はエナジードレインだけど。
「若いエネルギーを寄越せぇ……」
 潰れた声を絞り出すと、透がくすりと笑った。
「悪い魔女みたい」と言って、手が取られる。
 恋人つなぎだった。違う違うそうじゃない。
「魔女さん、他に願いは?」
「私がいいって言うまで透が知ってる物語話して」
「はいはい。百物語でいい?」
「怖いの無理やだ却下そんなことしたら一生恨む」
「何か意外だな……」
「ハッピーエンド限定で。透の好きなミステリは人が死ぬからなし。だからって昔話とか古典もなし。有名なのでいいから楽しい話」
 あれこれ注文を付けると、結構元気そうだけどな、と苦笑いした。
「しょうがないな」
 透が話してくれた宇宙を題材にした冒険物語は、私の知らない話だ。やっぱり未来に生きているのかな。
 オーブンが焼き上がりを知らせて話が打ち止めになる。
「ありがと」
 手を離して起き上がり、目一杯の笑顔を向けた。
「さあさあいい匂いがしていますね。お腹が空いてきましたよ! もぐもぐタイムだね。うまく焼けてるかなー、わくわくするなー」
 蘇った私はYouTuberに戻った。
「さあ、オープン!」
 開くとぶわりと焼き菓子の甘く香ばしい匂いがする。
「ああもう最高の匂いがしてますねー。有名店の美味しいお菓子もいいけど、家で作るお菓子ってそれはそれでまた別のものとして素晴らしいよね。中まで焼けたか、見てみましょう。竹串はないのでお箸で代用します」
 火傷しないように取り出して、ど真ん中に穴をあけたが、生焼けの生地が付いてくることはない。
「完成です!」
 床に座ったままの透にお箸を見せつけてはしゃいだ。
「あ、間違えたこっちこっち」
 おいでおいでと手招きして、パウンドケーキを型から取り外す。あっちぃと叫んだのはご愛嬌だ。
「ほんとはちゃんと冷ましてした方がいいんだけど、待ちきれないしいいよね」
「雑だな……僕の初お菓子作りがこんなことに……」
「それもまた人生」
「桜ちゃんの所為だからな!?」
「えへへ」
「褒めてない」
「さ、切るよー」
 大体等間隔に八個に切り分けて、端を薄く切って行儀悪くぱくりと口に入れた。
「んー、幸せの味がする……」
「おい、フライング」
「あはは毒見だよ」
「食い意地張ってるだけだろ」
「だから毒見だってば。この部屋のもの食べるの不安そうだったし?」
「もう諦めてる」
「やっと慣れたか」
「感化されてしまった、って気分かな」
「えー」
 肩を竦めて薄いパウンドケーキの残りを口に放り込み、咀嚼し、嚥下する。
「うん、焼きたてやっぱうまいわ」
「ほら机で食べるぞ」
「はーい」
 二切ずつ食べて、紅茶を飲んで、残った半分はラップしておいた。次に残ってるかの実験だと透が言っていた。おばあちゃんは腐らないか心配ですよ。
 お腹が膨れると眠くなってきて、今回の幕引きを提案した。
「はい、じゃあ今回の放送はこれまで。次回、お楽しみに!」
「それまだやってたのか」
「それではおやすみなさい」
「おやすみ」
 何とか自制心を働かせて透と触れ合わずに目を閉じると、はしゃぎつかれたのか、すぐに意識が沈んだ。

***

「私が、おばあちゃん……」
 むくりと起き上がって、深々と溜息をついた。まだひどくダメージを受けている。ちらりと時計を見ると予定より長く眠ってしまっていたようで、もう昼近い。急いで朝ごはんを詰め込んで出ないと、カットの予約に間に合わない。朝はしっかり派の私だけれど、胸がいっぱいで食欲は沸かなかった。
「あーーどんな浦島太郎だよ」
 ちくしょう、気付きたくなかった。

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