散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第八夜

「……ああ、透か。こんばんは」
 認識が少し遅れた。三次会まで行って帰ったはいいが、布団まで辿り着く前に眠ってしまったらしい。ワイドパンツにブラウスという昼間の服装いつもの流れだからいいとして、問題は顔だ。化粧を落とした記憶がないのが悔やまれる。うとうとしながら実は達成してないかなと期待してみた。
「こんばんは。どうかしたのか?」
「いや、寝落ちパターン」
「ああ。仕事?」
「職場飲み会──を離脱して友達と合流して飲んでた」
「ちょっと心配して損した!」
「ふふふ、ありがと」
「ちょっとだからな。なんだそのへらへらした笑い方は……」
「酔っ払いだからねー」
 だらしなく笑いかけて、のそりと立ってベッドにダイブする。
「おい」
「んー、何?」
「いつもの確認はどうした」
「そだったねえ」
 返事はしてみたものの、立ち上がるのがひどく億劫だ。このまま布団に包まれてしまいたい。
「ああもう、早々に寝るな!」
 ちょっと苛立たしげな透が私の腕を掴んで引き起こす。
「わ、と」
 あまり力の入っていない人間を難なく起こすとは、なかなかのパワーだ。ちょこんとベッドに腰掛け、背の高い靄を見上げる。目はあったと思うのに、何度見ても顔だけは認識できない。首を掻き、あは、と誤魔化すように笑った。淋しいとちょっぴり思ってしまったのはアルコールのせいだ。
「ごめんごめん」
「謝るなら立て」
「はいはい。その前にお水ちょうだい」
 甘えた声を出すと、透は深々と溜息をついて、コップに水を入れて渡してくれた。
「ほら」
「ありがと」
 一息に水を胃に流し込むと、手元からコップが回収された。酔っ払いへの信用のなさだろうか。切ない。空で取り残され、ぐーぱー、そして狐でパクパクと無駄に動かしてみたけれど、リアクションはない。白濁の中でも、さすがに後ろに目はついていないらしい。
「……ギター、出すんだろ」
「あ」
 完全に忘れていた。
「うん。そうだったね」
「今完全に忘れてただろ。誤魔化されないぞ」
 ギターの構造を勉強しようと思ったことすら丸ごと抜けてました。弦が六本あることはギリギリ知っているけど、あの指で押さえる所の名前すら曖昧だし、何個に分かれているかも知らないままだ。フレッシュみたいな名前だったとは思うんだけどな。
「もーちょっとしてから、じゃだめ?」
「……分かったから、ベッドから降りてくれ。そのまま眠られたら困る」
「そりゃそうか」
 立ち上がってみると、水分補給で思いの外気分はましになっている。夢だからかもしれない。うん、その前に夢にまで引きずるアルコールって何さ。面倒くせえな。
「桜ちゃん?」
「さくっと探索しちゃおうか」
「どっちだよ」
「常に情報は更新されるんだよ」
「はいはい」
 ぞんざいに相槌を打って、握手するように手を繋いで窓際までの短い距離を歩く。完全に介護されている。信用がない。お姉さん哀しいぞ。これ放置したらすぐ寝るとか思われてるよね。諦めてされるがままにして、手を繋いだまま簡単にぐるりと部屋の探索を終えた。
「新しい物はなし、ゴミは消えてる……特に変わった所はないな」
 前回色々と物が増えたキッチンに向かい、透が唸った。私がぽやっとしている間に、多分透の目はあちこちを観察しているのだろう。顎に手をやる透から視線を外し、部屋にギターを念じまくってみた。場所が違うのか、念じ方なのか、上から命令するのか下からお願いするのか、目を閉じたり開いたり色々試してみたけれど、どこにも目当ての楽器は現れてはくれない。
「……ダメ、かあ」
「そうか」
 いつの間にか透はキッチンから私に意識が移っていたらしい。
「何か飲みながら考えようか。前おにぎりできたし、できるんじゃないかな」
「そうだな」
 食器棚やキッチンでマグカップを願ったけれど、終ぞ出てくることはなかった。強欲に前から欲しかったお洒落なマグカップで念じてみたり、使い慣れたネイビーの花柄も駄目だったし、キャラクター物は案の定としても、シンプルな白ならばと次々脳内で切り替えながらお祈りしてみたんだけどなあ。透もマグカップ、マグカップ、と呟きながら横で念じてくれたけれど。ううむ。手を繋ぐなどという一体感でどうこうというわけでもないらしい。親密度アップで自由度があがる、みたいなゲーム展開は却下らしい。協力技を発揮したかった。
「マグカップがないんじゃなあ」
「耐熱ガラスと信じて、コップでいれてみよっか」
「そういうご都合主義はあるんだな」
「うっかり普通のコップにお湯入れたことあるけど、割れなかったよ」
「そっちの体験があるのか……」
「コーヒー? 紅茶? 緑茶? どれでいく?」
「緑茶。カフェイン摂取する気か?」
「確かに。となると急須と茶漉か」
「……やるだけやる価値はあるだろ」
 ちょっと詰まって答えたあたり、伴う難関に気付いていなかったのだろう。あまり期待はできなさそうだ。
「粉末タイプなら溶かすだけだけどな」と付け加えたのは、多分今考えたのだろうが指摘はしないでおいた。
「緑茶か、昆布茶か。私梅昆布茶の方がいいな。いつもストックしてるくらいには好き」
「はいはい、梅昆布茶ね」
 成功しました。うん、分からん。
「とりあえず透グッジョブ」
「……うん」

 電気ケトルはないのでちょっとめんどくさいけど小鍋でお湯を沸かした。ちょっと冷ましてから怖々コップで梅昆布茶を作る。
 体を定位置たるテーブルの前に移動させると、透が隣に滑り込んできた。
「うん?」
「怪しくなったら起こそうと思って」
 そう言ってまた手を繋いできた。さすがにここまでくれば、単に透が人肌恋しくて動いているのだと察しがついた。また喧嘩したのだろうか。春だもんな。人が入れ替わる時期だ。そういうこともあるかもしれない。透は結構我が強いんだから。意見が対立すれば、それをいなすこともなく愚直に真っ向からぶつかっていく。若さ、ってやつだろう。毎週聞く透の話はいつもキラキラしている。私みたいなもやもや鬱々のつまんない大人にはならないでもらいたいものだ。自分で考えててつらくなってきたな。
「……なんだよ」
 私の沈黙に耐えかねて、見えもしない顔を覗き込んできた。近付いてもやっぱり瞳を認識することはできない。
「信用なさすぎ」
 空いた手を靄に突っ込んで、頭をがしがしと撫でた。髪に触れる感触はある。──い髪だな。触れる感触はあるのに、その髪質すらうまく認識できない。思考の一部が塗りつぶされている。肝が冷えて一瞬止まった手をまた動かして、髪をぐしゃぐしゃにする。
「おい」
 不機嫌そうな声をあげるが一切抵抗はしない。
「ギター、ダメだったねえ」
「予想はついてた」
「また練習してくれたの?」
「……多少」
「ええと、受験生になるんだっけ? 無理しちゃダメだよ」
「問題ない」
「うん清々しいまでの即答。本当に透は努力家だねえ」
 成績優秀者さんめ、と心の中で呟いて梅昆布茶を啜る。あったかい。
「どこ行きたいか決まってるの? 大学?」
「ああ。決めてる」
「目標決まってるのか。なりたい職業とかもある?」
 ぐ、と繋いだ手に力が籠る。
「警察官になる」
「ふうん。かっこいいな」
 素直な感想なのだけれど、透はちょっと首を傾げた。
「目標とか、夢とか、そういうの。ちゃんと見えてちゃんと目指せるの、すごくかっこいいよ」
「桜ちゃんにはないのか」
「……うーん。短期目標ばっかりなんだよね」
 眩しい若人に話すのはちょっと恥ずかしい人生だ。仕事にかまけて恋だの愛だの言ったのはいつだったか。透も、先生の話もそれ以外の恋の話もしない。汗と友情のキラメキだけど、私にはそのどちらもない。
「極端な話、恙無く仕事を終えたい、とか。あのスイーツを食べたいとか、ゆっくり旅行にいきたいとか」
「……仕事、もしかしてまだ変わってない?」
 はは、と乾いた笑いで肯定する。あんな職場にあと年単位なんて考えたくはないな。ううん、益々もって時の流れの違いを言い出しづらい。別にわざわざ言う必要もないか。そうこれは夢で、顔の見えない他人なんだから。
 潜在意識なんかじゃない。透は、他人なんだ。
「──愚痴、聞こうか?」
「いいよ。草臥れた社会人のしょーもない話なんて」
「けど桜ちゃんの話だろ」
 真面目な声だ。ああ、将来に対する不安があるんだろうか。既に悪い見本になっていそうだ。やり甲斐なんて幻想だまずは金と休みだ、なんて本心をぶちまけるのは教育上大変よろしくない。このペースだと夏本番には社会人なんだし。
「まあただのしがないOLしてるんだけど。次、何やろうかなあって考えてるところだよ。仕事内容と、人間関係と、あとは引越しとかもあるかな。色々考えないとね」
「一人暮らし……だっけ」
「そうだよ」
「……結婚、とかは」
 ぎゅうと手に力が入る。妙齢(想像)の女性に気軽には聞けないらしい。愛いやつめ。これで私がアラサー後半とかだったらもう地雷もいい所な話題だからな。
「ははは。いつかね」
「……相手、どんな人?」
「えっとねー、優しくってー、料理が上手でー、包容力があってー、ついでに背が高くってー、何より笑顔が素敵な人!」
「ふーん」
 つまらなさそうに頷く透に、にやりと笑いかける。
「──を、募集しています」
「募集中かよ!」
「募集中だよ。新しい仕事始めたら探すの」
 がくりと靄が項垂れる。騙されてくれるのが本当に可愛い。
「随分注文が多いな」
「やだなあ、顔と金は二の次だよ。どれほど慎ましい好みか気付いてもらいたいなあ」
「ホォー……」
「そりゃイケメン高収入は魅力的だけど。それで残ってる人なんて絶対難アリだよ。性格か、周りか、本人の趣味嗜好かはさておき」
「それも、そうか……」
「まあ笑顔だけは譲れないけどね! 一緒にいるなら、やっぱ幸せでなくっちゃ」
 酔いは醒めたと思っていたのに何故か必要もないのに暴露した好みだが、透は上機嫌に頷く。御理解いただけたようで何よりだ。
「とまあ私のつまんない性癖は置いといてさ」
「つまらないのか?」
「私の仕事も好みもつまらないでしょ。聞きたい?」
「うん」
 即座に首肯されてしまった。さすがに馬鹿正直に職場の愚痴をぶつけるのは忍びない。実りがなさすぎる。
「えーと、そうだね。今ね、次の仕事を何にしようか考えてるところ。職種変えるならこのタイミングだなって。OLの基本技能はあるから続けるのが一番今まで得たものを使えるけど、SE……システムエンジニアだね、そういう畑違いなところを目指すのも面白いかもしれないし。公務員狙うのもいいよね。専門学校に今更戻るだけのゆとりはないから、看護師とか保育士とか栄養士は難しいけど。ふふ、こう思うと透は可能性の塊だなあ」
 私とは違って、さ。見たくもない感情が自分の中にある。他人と比べてどうする。私は私だろうに。
「桜ちゃん、昔の夢は何?」
「……なんだったかな、忘れちゃったよ」
 そう言えばそうだ。もっと可愛らしい夢を抱いていた頃もあったような気がする。結婚して、共働きなら共働きで、あるいは専業主婦で、子供産んで、育てて。そんな人生プランを漠然と想像していた時期もある。喫茶店のウエイトレスやりたいとか、花屋さんとか、そういう職業を想像していた頃もあるはずなのだけれど。今や唯唯諾諾と生きてきて、ブラック勤務も長らく。夢とかそういうふわふわしたものが浮かばなくなって、語らなくなってからどれくらいが経つだろう。思考を止めればあとは衰えるのみだ。働きすぎはよくないな。
「つまんない人間になっちゃったなあ」
 しみじみとした呟きが落ちる。繋いだ手を引かれ、気付けば透にぎゅうと抱き締められていた。前回のお返しだろうか。とっくに逆転した体格差。すっぽりと他人の腕に包まれる温かさは、奇妙な同胞だから、透だから、心地よかった。
「疲れてるんだろ。頑張り過ぎなんじゃないのか」
「……うん。ありがとう、透」
 どくどくと拍動する心臓から彼の緊張が響く。心音に安らぐ。なるほど、私も人肌恋しかったらしい。歳上の威厳をどうにか回復したいけれど、まあ、数分後の自分に託すとしよう。



「元気出た。転職活動頑張るよ」
「その前にスキルアップするんじゃなかったか?」
 そんなこと言ったっけ。失業手当なんて発想は高校生にないか。となると片手間のスキルアップという発想になるのかも。曖昧に笑う。説明は放棄だ。
「ううん、まあ、そうだねえ。順番難しいね」
 SEなんてその典型だ。新卒ならともかく、中途採用ならある程度の技能は身につけておきたい。退職即就職か、無職期間を設けるか悩みどころだ。
「ケセラセラ、かな」
「なるようになる? それでいいのか」
「なるようにしかならない」
「やる気あるのかないのかどっちなんだ」
「あっはっは。メリハリって大事でしょ」
 切り替えに関しては年の功というか、高校生に比べたら自分の機嫌の取り方は分かっている。
「透は最近何してるの?」
「僕の話、気になる?」
「なるなる」
 順風満帆と言って差し支えない透の近況を聞きつつ、穏やかな時間を過ごした。
 喧嘩括弧仮の内容も進路や色恋の悩み事も出てこなかった。頼られなくなったのかと思うとちょっと淋しい。

***

「ん、よし」
 目覚めはすっきりとしていた。
 退職、転職。頑張ろう。恋人も結婚も、透の方があっさり先にしちゃったりして。
 あと数ヶ月は人生の先輩としてイイところ見せてやらないとな。

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