散る夢で君と二人 | ナノ


▼ 第七夜

「こんばんは」
「……こんばんは」
 今週の透も成長は著しい。高二になるんだったか。草臥れた体を叱咤してのルーチンワークの探索の行き着く先はキッチンだ。今のところ、具現化の成功率が高いから、最後にじっくり確かめようという話になったからだ。正直言うとさっさと終わらせて私は眠りたい。夢の中で昼間の疲れを引き摺るなんて本当に毎週毎週めんどくさいところにだけ律儀でイラッとする。部屋を脳内で罵倒していたら、ぐるる、と私のお腹が鳴った。
「あ」
「桜ちゃん……?」
 キッチンで隣に立つ透に見下ろされる。顔を見ずに、はは、と首を掻いた。要らないことにカロリーを消費するなというお告げだろうか。
「晩御飯食べる前に寝ちゃったんだよねえ」
 開き直って、がさごそとキッチン探索を開始する。
「いでよ米っ!!」
 高らかに叫びながらシンクの下の扉を開け放つと、果たして、そこに本当に米櫃は存在した。
「……おおう、本当にあった」
「桜ちゃんの食い意地がこの部屋に伝わったのか」
 わざとらしく溜息をついて、透が言った。
「うんうん言い方ってあるよね」
「桜ちゃんって一人暮らしだっけ?」
「そうだけど」
「お米、そこに保管するタイプか」
「うん」
「虫が沸くしカビるぞ」
「えっ」
「米の保管は多湿を避けた冷暗所……十度から十五度くらいだな、密閉容器が基本だ。これから夏にかけて味も劣化する」
「詳しいなあ」
「普通だ」
「まあいいや。食べてみよう」
 かぱりとその蓋を開くと、透が引いていた。なんかデジャヴ。
「……牛乳でお腹壊さなかったし、いけるでしょ」
「夢で空腹を満たそうとする根性に呆れただけだ」
「だってまじでお腹すいてるの。塩あるから塩むすびできるじゃん。日本人塩振っときゃだいたい何とかなるから。最後の晩餐に食べたいものランキング絶対米でしょ。白米おにぎり寿司の米づくし! 多分きっと恐らく」
「雰囲気で語るな。だが概ね同意する」
「よしきた食べ盛り。食うぞ」
「僕も食べるのか……」
「あったりまえでしょ。ええと、ボウルボウル」
 米櫃の隣の扉を開き、金属のボウルを取り出して米をカップで二合投入する。お米を研いだら炊飯器が美味しく炊いてくれるのを待つだけだ。この際早炊でいい。
「待て、桜ちゃん。そんな自然にボウルを増やさないでくれ」
「あらら」
 なるほど、空腹は人間を盲目にする。完全に自宅の気分だった。反省はしていない。
「まあいいじゃん。細かいことは気にしなーい」
「どこが細かいんだ……今までの流れを考えたくれ……」
「三大欲求の前では些末な問題なのだよ」
 呻く透を余所に、もしかすると靄で伝わってないしたり顔で言うと、ひょいと私のお米が取り上げられる。
「ほんっと雑だな。貸して」
「えー」
「すり切り量ってすらないじゃないか」
「だいたいでいいよ。夢だし」
「こういう時だけ都合いいな。どうせ習慣だろ……なんだ、ザルはないのか」とボウルを覗き込む。
 図星だ。いや、余力のあった昔はきちんと量っていたし、研ぎ方も幾分今より丁寧だったように思う。
「どうせ自分しか食べないってなると、どうしても手抜きに流れていくよねえ」
 ふうん、と透が相槌を打ち、ざらっと米を米櫃に戻した。ひどい。立ち上がりざまにロングシャツの袖を捲って一段と引き締まった気がする腕を晒し、手を水で洗っている。
「おお、えらい」
「基本だろ」
「私、この流れならハンドソープも出せる気がする!」
「そりゃどー、も……」
 シンクの端に厨二病よろしくお巫山戯で手を翳してみたら、ぽんとそれが現れた。
「……今までの苦労って、なんだったんだろうねえ」
 少し居た堪れない空気で、透が丁寧に手を洗った。よく見るときちんと爪も切りそろえられている。ばっちりだ。靄っ子まじ有能。
「食器洗剤と、あとはスポンジも欲しいなあ」
 お部屋にお願いしてみたが、ハンドソープの隣に洗剤が出現しただけだ。
「スポンジはねえのかよ。気が利かないな」
「桜ちゃん、タオル欲しい」
「いや私に言われても……」
「いける気がするって言っただろ」
「頑張れ私の想像力。タオル掛けと白いふかふかタオル!」
「食べるために必死だな」
 くっくと透が笑う。こっちは大真面目なのに。 タオル掛けが先に出て、うんうん唸ってみたけれどふかふかタオルは出てこない。貧相な自分の脳味噌を思って物悲しくなった。
「ふかふかが良くないんじゃないか?」
「確かに。この部屋に高望みしすぎたんかな。あれです、粗品でもらうかんじのでお願いします」
 アドバイスを受けて手を組んでお祈りしてみると、今度こそ想像通りにタオルが現れた。
「やるな」と言って、宙ぶらりんで待機していた手に残った水分をタオルで拭き取る。
「なんだろうこの絶妙な手抜きというか……」
 空虚な部屋に、少しずつ生活感が生まれていく奇妙な感覚に眉を顰めた。一方の透は丁寧にすり切り二杯、二合のお米を量ってボウルに移し替えてこちらを意味ありげに見上げた。
「分かってるよ? 正確無比に量って、水はお米に直接あてずに入れて、猫の手で優しく研いで数回洗う。それから……ええと、そうだ一・二倍の水に二時間浸水してから、スイッチオン!」
「へえ、目盛り以外でもやれるんだな」
 呼吸するようにこき下ろすなこいつ。なんとか数字を絞り出したというのにこの塩対応である。ちなみに出典は某お米ソングだが、精米時期や米の品種で変わると知ったあたりで結構どうでも良くなった。つまり料理は誤差があっても問題ないのだ。
「はじめチョロチョロなかパッパ、赤子が泣くとも蓋取るな、でしょ。土鍋で炊いたことはないけど。はるか昔に飯盒炊爨ではやったかな。あんま覚えてないや」
 家庭科も一緒、と付け加える。何分とか知らねえ。有事にググればよし。
「ぬるま湯スタートで浸水は時短しよう。あと早炊で」
「……塩むすびがそれでいいのか」
「炊いてる間に何か出せるかも」
「タオル出せずに唸ってた人間の発言とは思えないんだが」
 少し渋りつつも、なんだかんだ私の指示通りに動いてくれる。単に自分は食べないつもりなのかもしれない。有りうる。
 そして透の予想に反して冷蔵庫から味噌の入手に成功したのだけれど、お椀は一つが限界だったし、出汁も具材も得られなかった。
「物足りない……」
「これだけ獲得できたんだから、今年は充分すぎるくらいだろ」
 必死の探索でどうにか食器棚で見つけたしゃもじと、棚で入手したラップと、試しに願ってみたら隣に出現したアルミホイルとクッキングシート。確かに今までからすると著しいまでの躍進だけど。
「出汁も具もない味噌汁なんて……いっそインスタントだったらなあ。やめた、塩むすびにしようか」
「要らないの?」
「うん。お椀も一つしかないしねえ」
 そう溜息をついたところで、炊飯器がピーッと音を発した。
「よっし、飯!」
 気分は完全に深夜テンションでガッツポーズをキメた私と、平常モードの透の温度差は激しい。
「桜ちゃん、この一時間それしか考えてなかったもんな。お腹すぐ鳴るし」
「うるさい」
 炊飯器を開くと、つやつやのふっくら炊きたてご飯が現れた。うんうん、お米の炊けるほんのり甘い匂いがしてたからそろそろご対面だと思ってたよ。
 一つずつ、塩むすびを作る。ラップの上で塩とご飯を混ぜる。ちょっと控えめにしておいた私に対して、以外にも透は大きめのものを作ろうとしている。私が毒味してやろうという気概でいたので、咄嗟に言葉が出なかった。
「あっつ!」
「炊きたてだからな」
「透はなんで大丈夫なの? おばあちゃんなの? 一瞬なら油の中に手を入れても大丈夫とか言ったりする?」
「桜ちゃんのおばあちゃんに対する偏見だけはよく分かった」
 透は平然と三角おにぎりを生み出している。頭部は白い真ん丸なのに、手元は白い綺麗な三角なのがちょっとおかしくてくすりと笑う。
「何?」
「いや、なんでもない」
 くすくす笑いながら、私は丸いおにぎりを作った。
「爆弾おにぎりならぬ靄おにぎりってことで」
「食べ物で遊ぶな」
「遊んでるんじゃないよ、ちょっとした遊び心を取り入れただけだよ」
「はいはい」
 透は雑に頷いて、私が見せつけたおにぎりをするりと取り上げた。
「え?」
「はい」
 代わりに私の手には先程透が握った塩むすびが押し付けられる。
「ありがとう。……ん?」
「ほら、食べて。お腹空いてるんだろ?」と明るいで言う。
 こいつ、最初っから私に食べさせる気でこのサイズ握ってたな。なるほど毒味はさせる気だったのか。まあ、いいけど。
「いただきまーす」
 二回り大きくなったおにぎりを、ぱくりと食べる。私が首を傾げると、ラップを開いた透も不思議そうにした。
「どうした?」
「いや……」
「待て、もう騙されないぞ」
「美味しい、って言おうとしただけなんだけど」
 不服を顔にしっかり出して伝えると、ちょっと気圧されたように透が視線を逸らした。
「……それは、良かった」
「ひねくれたねえ、透は」
「今までの桜ちゃんの行いのせいだろ。美味しいってリアクションじゃなかったし」
「塩っぱいとか、別の味がするんじゃないかとか、ちょっと身構えたのに」
「まさか、隣で見てたくせに僕が何かしたと思ったのか?」
「うん」
 正直に言うと、不貞腐れたようにばくりと大口で塩むすびを齧った。私が火傷しかけて作った結晶の三分の一が靄の中に吸い込まれて消えてしまった。いや、すごく雑に作ったから、交換として成り立ってないと思うんだけどな。透が私を気遣ってきちんと作った塩むすびをくれたんだろう、と察しがついている。
「……美味しい?」
「うん」
「ならいいや」
 キッチンで立ったまま二人で行儀悪く塩むすびを食べるのも、たまには、悪くないと思った。なんだかんだでお互い交換した塩むすびをぺろりと平らげて、食欲を満たした。どれだけ簡単でも、誰かとご飯を作るなんて随分と久々で、食欲以外の何かまで満たされてしまった。
「あー、お腹膨れたら眠くなっちゃうな」
「桜ちゃんならそう言うと思った」
「夢くらい怠惰に生きようぜー?」
「はいはい」
 珍しく、透は眠ることに、この夢を終わらせることに乗り気だ。獲得した物品に関して小難しい考察でもするのかと思ったんだけどな。もう七回目で、お互い好意的に思っているのは会話の端々と、見えないはずの表情で分かっている。でもたったの七回では、そして一年の成長の前では、読み違えがたくさんある。
 そんなことを考えながら、促されるがままに布団に入り込む。隣に透が潜り込んできた。向き合って、二つの靄が繋がる。
「──ん? この手、何?」
 私の手に、透の手が重ねられた。少しひやりとした布団の中でとても暖かい。
「ちょっと」
 少し俯き加減にされると、全く表情が分からなくなってしまう。
「……なんかあった?」
 透は顔をあげない。
「喧嘩でもした?」
 少し間を空けて、こくんと透が頷いた。
「お話したい?」
 今度は微かに首を横に振る。
「そっかあ」
 どうしようか。怪我らしい怪我はしてなかったように思う。また外見差別を受けてしまったのか、親友か、意外と恋の悩みかもしれない。
「嫌なら言ってね」
 そう前置きして、目の前の大きな体を抱き締めた。得体の知れない部屋でふんわりとした慰めされたって、どうせ響かない。私にやれることはこれくらいのものだ。びくりとしてから、透は私の方に体を少しだけ寄せた。正解だったらしい。
 数分かもう少しそうしていて、ぐりぐりと透が靄を私の肩に押し付ける。
「……ギター、結構練習した」
「へえ。嬉しいなあ」
「たくさん、弾けるようになった」
「うん」
「たくさん歌える」
「うん。次が楽しみだなあ」
「……ギターあるかな」
「生み出せるように、お互い頑張ろっか」
 私のギターへの理解が浅いからでは無いかと思うと、一年間練習した透にちょっと悪い気がしてくる。
「うん」
 少しずつ透が饒舌になり、高校生になって頑張ったこと、部活、文化祭と体育祭という懐かしいイベントの話を聞くうちに身体は離れて、それでも、靄と靄の手は繋がったまま眠りに落ちた。

***

「──やっばい寝過ごした!!」
 日曜、私は友達との約束に遅刻して平謝りする羽目になり、ギターのことは完全に頭から抜け落ちてしまった。

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