第11話 03
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翅が唸りつつも頷いている。未來も「はい」と頷いた。
「鏡の中にあった鬼の気配は、そういった類のものとは違ったと思います」
『だろ』
『そうでしょうな。私めも同じ意見にございますが、季忌命は相次郎様に接触した事があるのでございます。その際、九死に一生で退けてくださったのが浄香様でございますゆえ』
全員の時が止まった。
季忌命が操作したかのように、綺麗にぴったりと。微動だにせず。
ただ海理だけはわけが分からなさそうに首を捻っていたけれど。
『浄香? なんだよそのトランプのピエロみたいな名前した奴』
「まさかそれで体がなくなったなんて」
『おお、お知り合いでしたか。そうなのです。隻様に預けられている印籠こそ、その浄香様をお守りするための綱。それを沙谷見の血の者以外に触れられる事は断じてなりません。万が一幻生に触れられ、鍵を開けられてしまいますと、浄香様の残された肉片では生きられる事など到底叶いませんゆえ』
大暴露。開け放たれている夏の民家で、見事な個人情報保護法など赤っ恥な大放出。
固まる隻に視線が集まり――というより、隻のズボンのポケットに注目が集まり、隻自身が普段無造作に入れているポケットに手を置いて、固まった。
ここに人一人分の命が、無造作に入っていたと思うと……無造作に突っ込んでいたと思うと……。
「……と、とりっくおあとりーと」
「ハロウィン!? そこでハロウィン!? エイプリルフールじゃなくて!?」
「あ、う、うんそれ。それじゃないよな?」
「困惑しすぎだよ!? 俺でもびびるけどな!?」
翅の見事に焦った突っ込みにすらろくな反応ができない。いつきが遠い顔で目をすがめ、万理は複雑そうな顔。千理は溜息を一つ。
「じゃあ間違いなく七十超えてるんすねあの猫。ぶっ!?」
「女性の年齢を軽々しく口にしてはいけません!!」
未來と悟子の異口同音に、響基が苦い顔で頷いていた。翅がさらに渋い顔。
「ずっと肌身離さず持ち歩いてたものが女性の命ってどうだよ……」
「……入れる場所変えるか……ぶら下げるぐらいしかないだろもう」
「命吊り下げ?」
「そんな縁起でもない……」
万理が頭を痛めた顔。海理が考え込み、座敷童の秋穗がうとうとしたままいつきに寄りかかっていたはずなのに、ふと目を開けて周囲を見渡している。ひっしといつきにしがみついているその姿に、隻は驚いた。
「どうした?」
「……変なの、近い」
翅が顔を引き攣らせた。隼が庭のほうへと顔を向け、怪訝な顔をしている。
「特にないみたいだぞ? 翅待望のホラー系」
「待望してない!」
「入れない……って、言ってる」
全員が言葉を失った。
沈黙が居間を覆い、秋穗が不思議そうにいつきを見上げている。昨日よりさらに顔色がいいいつきも表情が固い。
「う、噂すれば影……とか、そんな……」
「座敷童……何が近いか分かるか?」
「……秋穗、なの」
「ぅ……秋穗、分かるか?」
葛藤の末いつきが負けた。その事で微笑む余裕すら誰も持てない。
秋穗はこくりと頷き、玄関ではなく屋根の上を示した。
「猫さん」
「浄香あああああああああああああああああああああああああっ!!」
ぽてん。
雑草が幾分か少なくなった庭先に、白と茶色と焦げ茶色とオレンジ色をした何かが落ちた。
千理が見に行き、首根っこを掴んで拾い上げ、見せてくる。
元気がない猫。雌の猫。
『腹……減った……鳥……』
『幻生になってる以上、ここの結界に反応して入れねーみたいだしな。主に許可もらわねーと到底無理だしよ』
誰が、いつ、どこで、どうやって許可した。
頬と眉を不機嫌に引くつかせる隻の目の前、結李羽が苦笑して、余りものの刺身を出してやっていた。白尾ノ鴉が身を細めて隻の肩に停まり、震えていたから。
『まったく、私がその印籠から半径二十キロと離れられない事を知らずにとはいえ、飛行機に乗ると聞いた時は青ざめたではないか!』
刺身を口にいそいそと入れ、租借が終わった浄香がねちねちと小言を連発し始めたではないか。新幹線に飛び乗って幻術が解けかけるのを必死で耐え、東京駅からは必死で走り、空港からこの周辺へと先回りをしたとかどうとうか。
術が崩壊してしまう最大の原因は距離が関係しているとはいえ、隻達が乗ったのはジェット機。飛行機に乗っている間中、いったいどうやって術を維持し続けたというのだろう。
……吐き気と術が解けるのを必死で持ち堪えて、一時間ほど耐久レース? 無理。
『浄香様は相変わらず無茶をなさいますな』
『黙れ鴉。人のトップシークレットを簡単に話しおって』
「それって、俺達のじじいと知り合いだったっていうところからか?」
途端に刺身を口に入れる猫はだんまりを決め込んだ。地雷だったのかと溜息をついた傍、海理が隣に浮いてくる。
『浄香……だったか?』
「ああ。俺と千理が最初に会った時、助けてくれた奴なんだけど」
『なんだってノーブルアイ≠ノそんな名前ついてるんだよ』
海理が微妙そうな顔をしているそば、いつきがぎょっとした顔をしているではないか。
「ノーブルアイって……嘘だろ、戦前に活躍した天才幻術使いの名前じゃなかったか?」
『正確には通り名だけどな。名前は誰も知らねーよ』
海理が不機嫌そうに腕組みをしている。話が読めない隻と千理は顔を見合わせ、翅とともに響基へと目を向けて――
放心顔の響基に目を疑った。
「知ってるのか?」
「あ、ああ、うん。阿苑の異国での血縁……で、まあ……十五の時既に、ドラゴンとかグリフォンとかを操ってた天才で、戦時前に日本に渡ってきた後、戦争中にも跋扈してた妖怪を倒してくれてた英傑だって……俺達、対幻獣・聖獣(イリュジオン)で知らない者は千理ぐらいだな」
「ひっで!? なんすかその言い草! そりゃ知らなかったけどね!?」
浄香は髭を不機嫌に揺らし、海理を見上げている。いつきは言葉に出ない以上に穴が開くほど浄香を見ている始末だ。
『その名も知らん、忘れた。私が今呼ばれている名は浄香ただ一つ。他の呼び名などいらんわ』
『ノーブルアイは当時でもかなりツンデレって聞いてたけど健在なんだな』
『ツッ!? 貴様滅すぞ!!』
『はっ、誰が消されてたまるかってんだターコ。自然成仏がお好みなんだよ。まさかあんたが生きてるなんてビビったぜ』
目を据わらせる隻は視線を逸らした。千理も苦い顔をしている。
「その有名な英傑の生死の鍵を預かってた隻さん達のおじいさんって、何者なんすか、マジで」
「俺達が聞きたいって……」
隼と途方にくれた声音まで被ってしまう。浄香が苛立たしげに『あれはただの道楽な霊視能力者だ』と呟いている。
『……事がばれなければ語らないのが約束だったのだがな。知られた以上、契約に従って話すしかあるまい』
『それも、印籠を媒介に刻まれた契約の一つだったのですかな』
白尾ノ鴉に尋ねられ、渋々頷いている浄香。結李羽が戸惑ったように隻の隣に腰を下ろしてきて、隻は無意識に頭を撫でてやった。
なんだか、昨日からどうにも結李羽が落ち着かないような。
『戦後の復興に忙しい東京の地で、当時神隠しから帰ってきて、戦争から難を逃れていたお前達の祖父に遭ってな。衣を出していたにもかかわらず見つけられ、幽霊かといぶかしまれ、挙句声をかけられたのがきっかけだ』
その遭うというのは、災難だったと捉えていいのだろうか。
『当時の奴は、家族の消息も知らない上、戦争が終わったばかりのせいで孤児だった。ここの老夫婦が養子として引き取った後は私も顔を合わせていない。ただ一度を除いてな』
翅と目が合った。
もしかしてという感覚が、背を駆ける。
『私が探していた神隠しの土地――お前達を案内したあの神社で、あの道楽と再会する羽目になった。その後、私ではなく相次郎を狙って動いていた鬼と遭遇し、退けはしたものの、体を八つ裂きにされてしまった』
だから、留華蘇陽――永咲の知り合いだったというあの土地神は、隻と隼の祖父を知っていたのか。
『もう死ぬはずだったのに、あの馬鹿は私と会わない間に調べていた幻術の契約を用いて、私を現世に留めた。その代わり契約で、お前達子孫にもし、霊視能力ではなく幻術使いとしての能力が目覚めれば=Aその子を守ってくれと強制された。死のうにもその印籠を壊さなければ私の魂はここに繋がれたまま。肉片もその中で止術を用いて息の根を止める事すら叶わない。だからお前達について回っていただけだ』
――東京に一度戻ってきたあの時も追いかけてきたのは、そのせいだったのか。
三年前京都に行く事になった隻についてきたのも。隼ではなく、隻の傍に残ったのも。
静まり返ったその空気の中、白尾ノ鴉が項垂れ、隻と隼をそれぞれ見上げて『どうか、お間違えのないようお願い致します』と訴えてくる。
『相次郎様は子孫である隻様と隼様、その先の代も見据え、そして浄香様の生きる意味を与えるため、契約を強制的にでも取り交わされたのでございます。先ほどご説明差し上げました季忌命は、表立って知られてはおらずとも強力な鬼。浄香様もこのままでは狙われる対象となるのです。どうか両者それぞれのお力添えを、ぶしつけではありますが相次郎様に代わりまして、私めからお願い申し上げます』
頭を下げる代わり、白い尾が冠のように、頭の向こうから覗いている。
しばし黙る一同の中、翅の声が響いた。
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