とある兄妹の一日
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「づ〜が〜れ〜だ〜! 家。家に帰ろう。さっさと帰ろう!」
「はいはい。そう思うならさっさと依頼の物見つけような」
 精霊使い兼盗賊の少女フィアが駄々をこねた。慣れた様子で神官戦士の青年エイドが促す。
 ふたりは兄妹だ。当然顔立ちも少し似ているし、髪の色も目の色も同じ翡翠色で、とてもきれいな色をしている。
 けれど、ふたりの性格は反対だ。見事に反対だ。
 兄のエイドは几帳面で真面目な不器用だけどかっこいいタイプ。
 妹のフィアはマイペースで面倒くさがりやの器用な愛くるしいタイプ。
 端から見ればふたりの性格を足して二で割れば完璧なのではないかとさえ思える。
 ただ、本当にそうしてしまったら、単なる平均的な人間とも言えるような気がすると、この兄妹は思っていた。
 ついでに言えば彼らは本来なら、互いを極端に嫌っている。理由は単純。反りが合わないから。
 こう言えばああだの、ああ言えばこうだの。例えば兄が「もう少し慎重にやれ」と言えば、妹は「そんなに気を張り詰めてたら肩がこっちゃうでしょー」という感じで。
 けれど、こうして今一緒に行動しているのにはちょっとした理由があった。
 それは昨日の依頼が原因である。

『ふうん……その花が必要なのね?』
『フィア、失礼だぞ。……よろしければ、理由をお聞かせ願えますか?』
『この花があれば、風邪の治りが早まると聞いたので。孫に煎じて飲ませようかと思いましてな』

 しわくちゃの老人は、自分達の村に最近やってきた老夫婦の片割れで、どうも都会の生活に疲れたからと引越しを決意したのだとか。
 このニベイの村周辺で取れるという薬草を採取してきてほしいというこの依頼。フィアは場所を知っているから、その場所をエイドに教えて楽をしようとしていたようだが、エイドがその場所を聞いた途端に「おまえでないと取りにくい場所だろうが」と早速口論開始。
 他の人に頼ればよかったのにとフィアは文句をつけたかったが、この村での腕利きは自分達なのだ。真っ先に頼ってもらったのは嬉しいが、彼女から言わせれば面倒くさい。
 対してエイドは協力的に動こうとする。けれど、フィアのいう場所は何となくその周辺は分かるも、詳細については疑問符が浮かぶ森の中。あそこはフィアと彼女の友達がよく行っている場所だから、鉢合わせした瞬間に喧嘩を繰り広げないよう、エイドが気を利かせているのだ。当然、そんな気配りなんてフィアは全く知らないだろう。
 結局、エイドは兄の威厳と特権を活かしてフィアを連れて行く事に。詳細を教えてくれと言っても、面倒くさがって中途半端にしか教えてくれないだろうからだ。
 正直今でも起こりそうな喧嘩に、フィアもエイドも内心うんざりしている。
 喧嘩したいわけじゃないのに……。
「とにかくだ。さっさと探すぞ」
「この先だから行ってらっしゃーい」
「ダメだ、おまえも来い」
「い・や」
 カチン
 エイドの表情があからさまに固まる。
「こっから先兄をひとりで行かせると?」
「だって、お兄ちゃん神官剣士でしょ。怪我しても自力で治せるじゃないの」
「前衛がいないと祈りもろくにできないの知ってるだろ!」
「だったら何で最初からあたし以外の子を連れてこなかったのよ。こうなるって分かってるんじゃないの? いい加減にさー」
「他の奴を連れて行って怪我させたら親に申し訳立たないだろ! 遠足じゃないんだぞ、依頼だ依頼! 他人巻き込んでごめんなさいじゃ済まないかもしれないんだぞ!」
「じゃあ、あたしはいいわけ? 巻き込んじゃっても」
「おまえだからまだ頼れるって話なんだろうが!」
 睨み合いが続く。鴉ですら鳴き声を上げて呆れるより、飛び去った方が時間の短縮だと羽ばたいていってしまうくらい、長く睨み続ける。
 やがてどちらともなく視線を逸らし、ため息をつく。
「……付き合ってくれたら今日の晩御飯は」
「いい。お兄ちゃんがやったら全部の料理焦土(しょうど)にしちゃうもん。どうせならお風呂お願い」
「……分かった」
 さすがに妹も十五になれば多少融通(ゆうずう)が利くようにはなった。利くようにはなったのだが……。
「ついでに明日の家の掃除と洗濯物もお願いね。あ、あたしの下着は除(の)けておいて。お兄ちゃんにやられるなんて絶対に嫌だし」
「……明日はミサがあるんだぞ、そんなに」
「だったらあたし行かなーい」
 ……これで融通が少し利くようになった方なんだ。我慢。我慢しろエイド・シャディ十八歳。堪えろ。ここで切れたら確実にこいつは動かなくなる……!
「……分かった」
 自分でも分かるほど、とてつもなく低い声が出た。この後のフィアの笑顔には毎度毎度腹が煮えくり返る。
 けれど、今は依頼を受けているのだ。ひとまず我慢して、エイドは妹を連れて奥へと向かっていった。

 ニベイの村の周囲は森が三方を、谷が一方を囲んでいる上に、崖の一部は分かれて森の中の方にも多少入り込んでいる。そして入り込んでいるもののほとんどは木の根などによって橋が架かるほど狭いものではあるが、深さはかなりあるし、下手に落ち葉などに隠れて見えなかったりしたら、足をとられたり、最悪下に落ちて帰ってこない事もありえるのだ。
 そんな地形だからこそ、森の案内人は最低ひとり必要だ。しかし、その案内人でも分からない場所があったりもする。村では、森での単独行動は厳禁なのだ。
 だから今更どちらか片方でも単独行動をすれば、互いが危険だ。その事は重々承知しているから、先ほどのフィアの言葉に、エイドはかなり憤然としていた。
 でも、またここで機嫌を損ねられたら今度こそ和解できる自信がない。今はあの老人とその孫のためにも、我慢せねば。
 今回集める花は崖などの風通しのいい場所に生えているのだが、地元であるエイド達も詳しい名前は分からない。老人はすらすらと名前を言っていたが、正直自分達でもおつむの悪さは筋金入りだと思っているふたりが覚えてきたはずがない。その花を指すのなら「これ」だの「あの花」だので十分というものだ。
 ふと、先を歩いているフィアが立ち止まった。盗賊や精霊使いを兼ねているだけでなく、狩人としての腕も確かで、この辺の地形で彼女の知らないところはない。たぶん。
「どうかしたのか?」
「たぶんこの辺だよ、一番近い崖。足下注意ね」
 言われて、エイドは足元を見る。辺りは腐葉土や枯れ葉などでどこも同じにしか見えない。地元の自分でもこうなのだから、本当にフィアに来てもらって助かると思う。口にも顔にも出さないが。
 そんな兄の様子を見ていたのだろう。フィアはすぐそばの木へと近づき、周りの土を払い始めた。すぐ下に空洞が見え、そこから手の届く範囲で払い始めると、下層の土は暗くて底の見えない闇へと消えていくではないか。注意しながら覗き込むと、横幅はおそらくフィアの身長分ぐらいはあるかもしれない。深さは――もはや考えたくもない。
「ね?」
「あ、ああ……」
 場所まで暗記しているのか、この妹は。
 けろりとしながら先へと進んでいく妹の足をたどるようにして進んでいく。しかし、彼女の進む道はどうしてか崖のすぐそばが多くてとても危なっかしい。何度か足を踏み外しそうになって、エイドは冷や汗をかく。
 森の歩き方は小さい頃に慣れていたはずだが、最近神官としての技量を問われ、よく村の小さな神殿で診療をしている事が多いせいかすっかり感覚が鈍ってしまったようだ。
 それにしても妹だし年頃だから、言いづらい事のひとつでもあるが――
 猿か、こいつは……
 気にしなくていいのならすっぱり言ってしまいそうにもなる。すらすらと歩いているとはいえ、どうも隠れた崖のよけ方は木の上を駆けていく猿のようだ。きっと猿が二足歩行で木の上を歩けたのなら、こんな感じなのではないかと思うぐらいに。
 こんな土地だからこそ不思議ではない光景かもしれない。けれど、それは何も人間だけの話ではないのだ。
 ちょうど今目の前に現れた浮遊している光のように。
「あっちゃー、狂った精霊さんだ」
 口調が軽い。いくらなんでもマイペースすぎるだろう。
 この土地では何故か、万物に宿るといわれる精霊達が周辺に比べて狂いやすい。狂った精霊達は実体化して生き物に襲いかかったり、自身が司るもの――例えば水の精霊なら水を操り、攻撃してくる事がある。
 そしてこの精霊の場合は光。光の精霊は自らが球となり輝いているため、特別それで悪さをするような事はない。が
「のわっ!?」
「ひゃー」
 エイドとフィアはさっと避けた。光の精霊が突進してきたのだ。あれにぶつかると大火傷を負ってしまうため、エイドは肝を冷やす。
 確かに自分は癒しの術を心得ている。だからといってそれは使わないに越した事はない。
 しかしここは足場がとても悪い。どこに崖の裂け目がきているのかさっぱりだし、襲いかかってきている相手に合わせて「どこそこに避けて」なんて指示をフィアから受けるわけにもいかない。もう勘を頼りにしかできないのだ。
 また精霊が突進してくる。今度はフィアに向けてだ。エイドは緊迫した表情で妹を見たが、彼女は渋い表情をしているまま避けようとしない。兄は顔を青くする。
「馬鹿、避けろ!」
 フィアは精霊使いだから別の精霊を呼んで対抗策を打てるかもしれない。けれどそのための時間があまりにもなさすぎる。彼女は一か八かでしゃがんで避ける。
 光球はフィアの頭上を通り過ぎて急カーブし、再び彼女に向けて突進してきた。
 何で避けないんだ……!? エイドは焦る。こちら側に戻ってくれば、確か崖はないはずでは……。
 しかし、そんな事を考えている時間なんて今は必要ない。エイドは神に祈り、奇跡を乞う。
「豊穣の女神 その暖かなる抱擁 美しき息吹を愚かなる我が身にもたらす事を許したまえ!」
 剣に不可思議な光が宿る。木の根を選んで飛び石のように移動し、フィアが再びジャンプして避けた後、エイドは突っこんでくる獲物に切りつけようとする。
「! お兄ちゃん、それダメ!」
 フィアの静止が聞こえるか否か、剣が精霊に当たった瞬間それからすさまじい衝撃波が発生する。
 吹っ飛ばされたエイドは木に叩きつけられ、さらに手のひらがじくじくと痛んでいるのに気づく。はっとして見ると、血がにじんで焼けただれているではないか。
 そんな。触れていないはずの場所が火傷するなんて……!?
 けれど、視界内にはもうあの精霊はいない。エネルギーを放出して消滅したのだろう。それを考えると、まあ仕方がないかと思う程度の怪我だ。気に留める必要は――
「……フィア?」
 いつもなら呆れるか、心配するか、怒るかするはずのマイペースな声が聞こえてこない。もう一度視線をさまよわせて――妹がどこにもいない事に気づく。
 そういえば、さっき攻撃するなというような声が聞こえていたような……。エイドは顔を青くした。
「フィア、いるなら返事しろ!」
 聞こえてこない。どれだけ耳を澄ませても、聞こえてくるのは滅多に吹かない風が葉を揺らす音と、動物が崖を跳び越えて生まれる鈍い音や乾いた音。
 まさか……。神官戦士は慌ててフィアがいた場所へ向けて体を無理やり動かす。
 さっきの衝撃波でどこかに飛ばされたのか? あいつ軽いし、まさか……!
 両親がいなくなってから喧嘩ばかりしていた。でも、正直言って片方がいない時間はやけに空白を感じるほど、いつの間にかどちらかが一緒に行動する事が当たり前になっていた。
 今更その事に気づくなんて、俺は兄失格じゃないか……!
 しかも妹の忠告すら聞かなくて。精霊に関してはあちらの方が専門家だというのに、だ。
「フィア!」
 妹がいたはずの木の根まで行ってみて、エイドは顔をさらに青くする。
 木の根の先端に近い部分を、人の手が握っている。まだ瑞々しくて、見覚えのある細さ。屈んで崖を覗きこめば、片手だけで自分の体を支えている少女の姿が見える。
「人の……忠告、ちゃんと聞いてよね……」
「後で謝るから手を貸せ!」
 木の根を自身の鎧にひっかけて、さらに右手で掴む。左手をフィアに伸ばすも、彼女は空いているはずの右手を伸ばそうとしない。エイドの右の手の平が擦れて痛みが生じるが、気に留めずに手を伸ばす。
「何やってるんだ、早く手を――」
「ちょっと待って」
 鋭い制止の声を聞いて、エイドは不安になりつつもさらに身を乗り出すだけにとどめた。けれど、じれったくて待つに待てない。
 やっと手が伸びてきた。エイドはほっとしてその手を掴もうとしたが――その手に握られているものを見て固まる。
 探していた薬草の花だ。それも一本や二本ではない。五、六本は採ってある。これだけの量があれば、結構な効力が期待できると聞いてはいたが……。
「何やってるの? 早く取ってよ、お兄ちゃん」
「――!」
 エイドはかっとなって、薬草ではなくフィアの手首を掴んだ。火傷の痛みを無視して力任せに引っ張り上げる。
 驚いた顔の盗賊精霊使いが釣り上がってきた。やがて驚きから痛みに歪む妹の表情を無視して、エイドは睨む。
「お前何考えてるんだ!」
「何って、薬草見えたからついでに採っただけで……」
「おやじが同じ事をやってどうなったか忘れたのか!?」
 途端にフィアの表情が暗くなった。手を離して妹を地面に預けるも、彼は高ぶった怒りを止めない。
「それを助けようとした母さんはどうなった!? 言ってみろ! 同じ事をお前はやったんだぞ!」
「……だから……何」
「今度はおまえがいなくなるつもりか!? また誰かが傷つくのをどこかで見るつもりなのか!? おやじ達みたいに」
「どうせ誰も傷ついたりなんかしないもん!」
 悲痛な声が森に広がって沈んでいった。声を荒げていた兄を怯えるように見上げながらも、フィアは目いっぱいに涙を溜めて睨みつける。
「みんなから嫌われてるんだ、あたし……一緒にいるみんなは精霊使いのあたしの事、なんて言ってると思う? 盗賊の技能を使えるあたしの事、何て言ってると思う……? コソ泥≠セよ。お兄ちゃんがいないところでいつもいつもコソ泥≠チて言われるの。精霊が運んでくる声がたまたま聞こえてくるだけで気持ち悪い顔されるんだよ。誰からも好かれてないんだよ。お兄ちゃんみたいに頼りにされてるわけじゃない!」
 エイドの中で、さらに怒りが生まれたのが分かった。けれど、必死にそれを飲みこむ。
「……知らないと思ってたのか」
「本当に知らなかったんじゃない」
「知ってるに決まってるだろ」
 フィアは固まった。同時に彼女も怒りを隠せなくなってくる。
「ならなん」
「俺も言われてる。忘れたのか。俺がハーフエルフなの」
 フィアははっとして口をつぐんだ。
 フィアが精霊の声を聞けるのも、結局は母親が人と妖精の間に生まれたハーフエルフであったから。人間の血が濃く出たとはいえ、結局はエルフの血が入っている。そんなフィアが人の容姿であったのに対し、兄のエイドは逆にエルフの血も強く出た。
 だからいつもは下ろしている長い髪をミサの時にのみ結わいていると、小さく尖った耳が覗く。本来人間であれば丸く、本来エルフであれば長い耳。中途半端な長さで、混血と呼ばれてどちらの種属からも差別を受けやすいのだ。
 神官を務められていなければ、今頃はフィア以上にひどい仕打ちだったかもしれない。実際、神の声を聞くまでは、フィアをかばってたくさんのいじめを肩代わりしていた事も、彼女は思い出した。
 そして、今も。
「自分だけが特別ひどい事をされてると思うなよ」
「……お兄ちゃんは、村出て行こうなんて……考えた事、ないの?」
 互いに落ち着いてきたのが分かって、フィアはぽつりと尋ねた。エイドは呆れたように首を振る。
「ばーか。それじゃいじめから逃げてるだけだろう。おやじ達があそこに住むって決めてたぐらいだ。きっといい事もあるだろ」
「……普段はまじめなのに、こういうときだけアバウトだね」
「おまえも、いつもはマイペースなのにこういうときだけはひねくれ者だな」
 フィアはむっとする。反論して口を開こうとして――エイドが苦笑しているのを見て頬を膨らませる。
「少なくともおまえの事はこれまでどおり守ってやる。兄妹の片割れがいないと、何かと暇だしな。いてっ」
「もうそんなに守ってもらうような歳じゃないもん」
 素直じゃない。エイドはむかっ腹を立てたが、それが自分にも言えている事を思い出して口をつぐんだ。
 これでまた言い返したら、人生初の仲直りかもしれないこの瞬間を、完膚なきまでにぶち壊してしまいそうだったから。

「おお、これです! いやはや、ありがとうございます……! こんなに数をそろえていただけるとは」
「神官として当然の事をしたまでです」
「よく言うよね〜、お兄ちゃん大した事やってないのに」
 また余計な事を。エイドは睨むも、フィアは知らんぷりだ。老人が楽しげに笑う。
 あの後、結局火傷の痛みで剣を握るのがしんどいと思ったエイドは、その場で神から授かった癒しの力を駆使して傷を治す。フィアの案内で森から帰還したが、結局道中どちらの手柄かで口論を繰り広げていた。
 そして今に至る。
「これであのぼんくら息子にも、あなた方への仕打ちを止めるよう強調できますわい」
「……へ?」
 エイドの間抜けな声に、老人はおかしげに笑いながらたたずまいを直す。
「ずいぶんと昔――それこそエイド君が生まれたばかりにしかお会いしておりませんでしたからな。その後は都会で孫の治療の面倒を見ておったので、フィアちゃんとも今回お会いするのが初めてでしたが……いやはや、おふたりともよく立派にご成長なされた」
 にこやかに、嬉しそうに語る老人の姿に、エイドもフィアも目を丸くする。丸くして、兄妹そろって互いを見合わせて――フィアがおずおずと、老人に振り向いた。
「えっと……おじいちゃん、誰?」
「フィア……聞き方が違うだろ」
「いえいえ、そのままで接してくださる方がありがたい。わしは先代の、この村の村長を勤めさせていただいた者でございます」
 ……沈黙五分。
「そっ……そ……!」
「村長―――っ!?」

「――とまあ、お恥ずかしい話。この村の改善に努めたいと思いまして外の世界に行ってみれば、見事に足を悪くしてしまいましてな」
「は、はぁ……」
「そして知らせを受けて戻ってみれば、後を継いだはずの息子はぼんくらになり下がり……こうしてあなた方に迷惑をかけてしまうとは。本当に申し訳ない」
「え、え、別におじいちゃんのせいじゃないよ!」
 深々と頭を下げられ、フィアもエイドも恐縮する。慌てて両手を振りながら止めるフィアに、エイドは久々に共感を覚えた。
「そうです。それに俺達は自分達から変わろうとしていません。それなのに、周りの者を責めるのも違うような気がしますが」
「しかし、あなた方に対する仕打ちは、いくらあなた方が変わろうとしなかったからといってやっていい事とは天と地をひっくり返しても言える事ではありませぬ。それは差別を助長するだけでしかなく、何よりこうして差別を受けながらも村に貢献(こうけん)してくださっているお二人にやっていいものとは到底言えない事ですぞ」
 そこまで貢献した覚えはない。二人揃ってそう言えば、老人は首を振る。
「例えそうだとして。だからといって、差別は許されるものなのでしょうかな? 否、許されるはずがない。もともとこの村はそういった事を受け、ある者は奴隷制度から逃げ出し、ある者は種族差別により家を追われた、そんな者達の子孫なのです。それが今になって、自分達の先祖が受けてきた苦痛を同じ村の一員に向けてやっていいものなのか。そんな事をやっていい種族など、生き物などいるはずがございません」
 これほど熱く、自分達の仕打ちに対しての反感を語る人がいるとは思っていなかった。エイドもフィアも、こそばゆい感じがして体をわずかに動かす。佇(たたず)まいを直すとまではいかないし、居心地が悪いわけでもない。でも、何だかこそばゆいのだ。
「ですからなおの事、今回あなた方に動いてもらいたかった。この老人の無礼をお許しいただきたい」
「いえ、むしろありがとうございます」
 再び頭を下げた老人に、エイドは首を振って笑いかける。
 自分のために慈善活動を行ったわけじゃない。神のために行ったわけでもない。
 そしてあの時妹を助けたのも、老人や神のためじゃない。
 フィアもそうだった。気恥ずかしそうに笑いながらも、自分の身を捨ててもいいから、などと思っていた事は悟られたくなかった。
 そういった行動は、本当にただの自己満足でしかなくて。
「あたし達は自己満足でしか動いてないよ。それなのに、こんな見返りもらえるんなら、もうちょっと悪さしておけばよかったかな?」
 ほほう? 老人は顔を上げ、いたずらっ気を含んだ笑みを見せる。
「例えば、どんなものでしょうかな?」
「お兄ちゃんに崖の場所を教えないとか?」
「お前殺す気か!」
 本気で顔を青くする神官戦士に、老人もフィアも大声で笑った。

「何だかなぁ……」
 エイドは教会の裏手にある小さな庭園で、居心地が悪そうに呟く。今の今まで感じていた視線がある程度変わったこの状況が落ち着かないのだ。
 昨日、今までエイドが、フィアの友達だと思っていた外へと出かける連中が、実はフィアの技能だけを利用していたという事実を知って憤慨した。その家族に対して癒しの力を使わないでおこうかとも思ったほどだ。
 けれど、今日――あの依頼から見て翌日。自分の属する宗教のミサに出席していたその家族らが、間も置かずに次から次へと謝りに来た。目を白黒させるエイドと丁度真後ろで口論の途中だったフィアは、あまりの変わりぶりに口をあんぐりと開ける始末。
 しかし全員が全員そうとまではいかない。この村は比較的新しい村で、先々代の村人達が築いたものだ。それだけに、仲間意識はまだわずかにもろい部分がある。
 先代の村長だと名乗っていた老人の働きかけだろう。今日の村長は渋い顔でハーフエルフと人間のこの兄妹に謝ってきた。そんなこの村長も、やはり差別じみた視線は忘れていない。エイドはかまわず、逆に睨み返してやった。
「あ、お兄ちゃんみーっけ」
 こっそり抜け出したきたというのに、何故この妹は見つけるのが早いのか。エイドは内心げんなりして振り返る。
「ぶふっ!?」
「あははっ、かかったかかったー」
 見事に水の精霊を駆使して水鉄砲を飛ばしてくれる。せっかくミサのためだけに結わいた髪がびしょ濡れになり、服までもがびしょびしょだ。
「……フィア……」
 低い声が出る。精霊使いはにっこり笑った。
「ミサ抜け出してるお兄ちゃんが悪い」
「ちゃんと司祭様に許可もらってるに決まってるだろ! フォースぶつけるぞ!」
 神の力を借りて作り出す衝撃波をぶつけると脅しても、妹は知らん振りだ。
「あたし、さっき告られちゃった」
「人の話を――は?」
 三度瞬き。フィアは困ったように笑う。
 何故だ。おやじが昔、「娘が旅立つのを想像すると涙が出る」と言ったのが頭よぎったぞ。
「いつも一緒についてきてた、狩人の子がいたでしょ? 今更すぎるし、しかも他の人達に交じってあたしの事いろいろ言ってきてたの。それに正直言ってタイプでもないし――」
「……こ、断るのか?」
 ……何故だ。何で声が嬉しそうなんだ、俺。
「うん。どっちにするか迷ってる」
「……あ、そう」
「もしかして心配になった?」
「んなわけあるかっ」
 そっぽを向いて、けれど微妙にしっくりこない感じに、エイドは重いため息をついたのだった。


平成二十一年五月頃執筆



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