Understand―理解を怖れた私へ―
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「はー……」
 千尋は盛大にため息をついた。あまりにも重たく、あまりにも軽く。
 平均より少し小さい背で、平均より少し整った顔立ち。平均より少し勉強ができて、平均より少し歌が得意。
 特筆するならば歌を歌ったり、歌詞のようなものを書くことが好き。真面目そうな顔つきで、よく周りからは近寄りがたいオーラを放っていると言われるくらい。運動能力に関しては――さっぱりであることが挙げられるだろうか。
 それでもどこにでもいそうな高校生でしかなくて、今年十八になるというのに、何故か十五に見られてしまう。
 さすがにもう言われなれはしたが、それでも何かぐさりと来るものがある。年下に言われることに関しては、特に。
 そう。何だかんだで、彼女は授業が始まる直前に出会った下級生に
「えっ、先輩だったんですか!? すみません、てっきり年下かと思っちゃいました」
 そう言われたばかりだった。
 体育で合同授業でもなければ、許しただろう。制服や顔立ちに気を取られて、上靴で判別できる程度にしかなっていない学校の区分けもよくないといえるのだから。
 けれど体育であれば、ズボンやジャージの色が学年ごとに違うのは当たり前。そんなタイミングよく体操服を忘れて上級生側の集団に入り込もうとする馬鹿は、市内の高校を見渡したって一人いるかどうかだろう。
 確かに自分はよくふらふらしていて危なっかしいとか、ぼけっとしていて天然じみているとか、散々に言われている。けれど、さすがにそんな阿呆なことはしないと断言できる。できるのに……!
「はぁ……」
「よし、富岡。今ため息をついたということは問題解けたんだな? これを解いてくれ」
「えっ!? ち、ちが――!」
「ん? 分からんのか?」
「いやまだ解きあげてないんです!」
 途端にクラスのあちこちから笑い声が聞こえてきた。恥ずかしさのあまり顔が真っ赤になる。
 いじめだ。今日に限ってこんないじめはない。とりあえず急いで解きあげた数学の問題を、急いで口に出して解答した。

 独りで昼食をとるのは今では日課だ。中学の頃や高校の初めは友達と共に食事していたが、中学の友達がこの学校にいなかったこともあって、いつの間にかここでできた友達とも疎遠になっていた。今ではただのクラスメイト。淋しくないといえば嘘だが、かといって今さら一緒に食べたいとも言いづらい。
 原因が何なのかは何となく分かる。ここ数年はまっている歌詞作りに夢中になっていて、授業中でも暇さえあれば書いているほどなのだ。
 しかも現実主義者であるから、周りからすればどう接していいか扱いづらいのだろう。話しかけてもあまり会話が続かないから、途中で冷めてしまうのも無理はない。
 正直、中学でよく友達ができたなと彼女自身思ってしまうぐらいなのだから。
 一応頑張ったつもりだが、今では諦めて独りで好きなことをやっている。
 丁度この時間もそうなのだが、今はシャーペンが進んでいなかった。
「……どうしよ、書けない……」
 つい昨日まで好きなことがどんどん書けていたのに、何故か今日は一回も歌詞を書けていないのだ。
 今までこんなことはなかった。楽しいくらいたくさんの作品を書いて、たくさんの評価をもらって研究して、また書いて――そんな毎日だったからこそ、何故今書けなくなるのだろうと不安になる。
 まさか、昨日言われたことと、今日体育の時間に言われたことが響いているのだろうか。

『千尋の詩はね……何だか、疲れてる感じがするな。共感できないわけじゃないけどさ。選ぶ題材もいいと思う。でもね、疲れてるんだよ。あんた、誰にも頼らないところあるじゃん?』

 昨日言われたことがそれだった。ようやく寒さが抜けてきた5月の中旬。けれど、話していたその友達の言葉を聞いた後から、どうにも心の中が拭きぬけたように寒かった。
 何でかなぁ……。千尋はじっと考える。疲れたことなんて、体育の時間が終わった時以外覚えがない。
 とにかくシャーペンは握っている。思いつくままに書いてみよう。


『飛べない鳥』

鳥は風を感じていますか
私は感じていません
あなたは水を知っていますか
私は知らずにここにいます

導をなくして飛び立てずにいる私は
鳥であることすら忘れていて
導をなくしても歩いてゆけるあなたは
人であることを忘れていない

 ……
 ……

 違う。こんなのが書きたかったわけじゃない。千尋は愕然とした。
 友達に指摘されたことがそのまま現れている。疲れたような言葉しか書けていない。
 どうして……?
「……あれ、千尋? 珍しいね。いつもなら机にかじりついてる感じで書いてるのに」
 一年の頃から一緒のクラスメイトの亜理紗が物珍しそうに話しかけてくる。いつもは気を遣ってくれているのか滅多に来ることはないが、それでも千尋と話す回数は誰よりも多い。何かと同じ班だのパートナーだのと、偶然かどうか怪しいぐらいグループを組まされることが多いのだ。千尋の真後ろの出席番号ということもあるのだろう。
「うん……なんかね、書けないんだ」
「え? 珍し――って、書いてるじゃん」
「ううん、いつも以上の失敗作」
 亜理紗は目を見開いた。今まで千尋の歌詞をそんなに見てきているわけではないが、始めたばかりの頃と最近の作品を見比べて、たった三、四年で上げた力量とは思えないと感嘆していたうちのひとりだ。それには今までつまずくことなく積み重ねてこれた、成長という名の成功例があったからだと、亜理紗は知っている。
 もっとも、千尋はいつも失敗作だと言っては、処分するか笑いものにしようと見せるだけ。本人曰く、過去の作品ほど自分を辱めるものはないというが、努力した証を簡単に捨ててしまうのは、亜理紗にとっては眉間にしわを寄せる思いでもある。
 ひとまず歌詞を読んでみて、亜理紗は不思議そうに千尋の方を振り返った。
「何かあったの? 内容、いつもより沈んでない?」
「やっぱ、そう見える?」
 改めて言われると、それはそれでぐさりと来るものがある。けれど、事実は事実だと割り切って、千尋は頷いた。
「昨日ね、友達に別の失敗作見せたんだ。そしたら、『あんたの詩は疲れてる感じがある』って言われちゃって」
「疲れてる感じかぁ……うん。分かるわそれ」
 亜理紗は迷うことなく頷く。オブラートに包むことなく放たれる言葉は彼女の悪い癖ではあるが、逆に男子からはストレートな方がいいと、好意を持たれている面もある。
 そう分かってはいても、今日に限って刺さる棘の数が多い気がする。
「何ていうかさ。あんた書いてることが大人になりすぎてんのよ。もうちょっと子供でいいっていうかさ、アタシたちって結局はまだ成人してないわけじゃん? まだ子供の夢もってていいわけよ」
「……就職希望者とは思えない発言ですこと」
 ぼそりと呟いても、亜理紗は笑うだけだ。こんなに開き直れる彼女が本当に羨ましい。多少は開き直るより現実見ろとも言いたくなるが。
「それにさ。あんたこの内容、自分を作ってない?」
「……え?」
 千尋はぽかんとした。開いた口を、苦笑した亜理紗が持ち上げて閉じさせる。
「だからね。あんた、自分の本心隠してないかって。前々から思ってたんだけど、最初の頃はアタシたちと一緒にご飯食べてたのに、いつの間にか独りになってたじゃん? 一緒に食べたそうにこっち見てたけど、声かけにも来なかったしさ」
「そ、それは……!」
 千尋は顔を真っ赤にする。まさかばれていたなんて。恥ずかしくて、自分の失態が許せない。
 亜理紗はにやりと笑った。
「はい、そこ」
「……はひ?」
 自分でも間抜けな声が出たと思った。亜理紗はにやにやと笑いながら、千尋の額を小突いた。
「自分の失敗を何より嫌う。そして成功しても失敗だと言って次のステップを踏みたがる。あんたのいいところだけど、それだけじゃ成長しないよ。失敗して、成功してこその自分でしょ」
 何が言いたいのか分からない。混乱する千尋の表情は、今にも泣きそうだ。
「上手く行ったところは自分で誉めな? 失敗した失敗したって自分を追い込んでばっかじゃ、成長だって行き詰るに決まってるよ。あんたが今書けないのは、そうして自分に負担をかけてきたからなんじゃない?」
 千尋は何も返せない。中学の友達ほど長く一緒にいるわけでもないのに、最初から自分を知っているようで。自分でも知らない心の内を見透かされたようで、彼女は視線を逸らす。
「そ、そんなこと……失敗作は失敗作でしょ。どこも上手くなんかないし、現実はげんじ――」
「そのネガティブ思考も程々に」
 ピシッ。今度はデコピンが飛んでくる。音は軽いくせに威力が大きくて、思わず首が後ろに持っていかれた。笑い声がすぐに飛んできて、千尋は涙目になりながらも怒った顔で亜理紗を睨む。
「な、何すんの!」
「あんたの上手いところは、現実をしっかりと見て、だけど自己表現を忘れないところだよ」
 そんなわけない。心の中で否定して首を振るも、亜理紗は気づいていないのか続ける。
「あんたは直感が鋭いところがあるから、他人にかなり気を遣ってるよね。いじめも受けたことあるから、現実がどれほど冷たいのかもよく知ってる。でもさ。昔あんたが書いてた歌詞読んでると、冷たい現実の中でも楽しさを忘れないあんたが出てる気がしたんだ」
 千尋は今度こそ現実で首を振った。
「そんなわけない! うちは現実しか見てないもん!」
「そっかな? ……じゃあこれはそうだって言える?」
 鞄を取りに行って戻ってきた亜理紗の手には、折り目の端が切れた紙が握られていた。内容を読んで千尋は顔を真っ赤にする。

『空』
どこまでもどこまでも遠い空
届くことはないと思い続けていた
どこまでもどこまでも続く空
届かないんじゃない ここで触れている

泣いてる時 空は怒ったような雷だけど
笑う時には 空も笑ったように晴れ渡ってる
いつもそばにいてくれる 見守ってくれる

一緒に怒って 一緒に笑って 一緒に泣いて
空も感情を持っている
一緒に考え 一緒に触れて
空も一緒に歩いてゆこう


「ちょっ……まだ持ってたの!?」
「いやあ、初々しいですねぇ」
 笑顔の亜理紗に飛びついて紙を奪い取ろうとするも、彼女は素早く鞄にしまいこんで自分の机においてしまう。千尋が人の荷物を漁ることができない性格だということを知ったやり口だ。
「思い出した? あんた、こんだけきれいな言葉書いてたんだよ。まっすぐで、優しくて。でも、どこか現実を忘れていないような、ね」
 亜理紗の言葉に、千尋は首を振る。
「だから……あの時のうちは単なる馬鹿だったんであって」
「馬鹿なら馬鹿でいいじゃん。背伸びする必要なし」
 断言されると弱い千尋。しばらく唸って睨みつけて――やがて観念したようにため息をつく。
「どうすればいいのぉ……」
「ありのままを書いたら? あんたならできるよ。自分をもっと信じればね」
 あと、今の力量を意識してるなら、その力量で書こうとすること。無理に書いたって、上手くはならないよ。ゲーマーらしい発言に、千尋はじっと考えて、やがて苦笑する。
「ようするに、ボスを倒すにはそれ相応の力量をつけてから。ってこと?」
「ご明察」
 おどけたように言われて、千尋は笑った。そして何となく気づいた。
 そうだ。
 家に帰ったら、これを書いてみよう。

「おはよ!」
 次の日。千尋は笑顔で亜里沙たちのグループに近づいた。男子も交じっていて、丁度今このグループで、イラストや小説、ゲームなどの話で盛り上がっていたようだ。
 亜理紗が真っ先に千尋に気づいて、笑顔で返す。
「おはよ。その顔だと、一件落着したの?」
「んー……まだびみょーかな?」
「何だ、何の話?」
 茶色混じりの黒髪の男子だ。かなり顔立ちも性格もいいし人当たりもいいのに、中身はゲームオタクなのだから、そのギャップで大抵の連中は引いているという曰(いわく)の持ち主である。
 けれど千尋は実をいうと、この男子のことが気になってもいた。一番最初に千尋に声をかけてくれた男子だから、ということもある。
「昨日さ、千尋全然ペンが進んでなかったでしょ?」
「あ、そういやそうだな。いつもならガリ勉って感じで何か書いてるのに」
 こちらは外見がおとなしいのに中身は活発な男子。髪を二つに結わいた女子も思い出したように頷く。こちらはイラストを描いていた。
「そうだよね。富岡さん、何かあったの?」
 こんなに自分を見てくれる人たちがいたんだ。千尋はこそばゆくてはにかんだ。
「ちょっとね。スランプ起こしちゃってて。亜理紗に話したら」
「なるほど。『すっぱり切られ』たか」
「うっわ失礼しちゃう」
 うんうんと頷いてロングの女子が悟ると、亜理紗が苦笑して突っこむ。途端に笑いが弾けた。
「――で、真相は?」
「今までのよくないところを『すっぱり切られ』ました」
「アドバイスって言え、裏切り者!」
 またも笑いが弾ける。周りの連中がそろそろうるさそうな目で見てきそうなところで、亜理紗が静まるよう合図する。
「話戻すとさ。千尋の言葉って、何かと背伸びしがちでしょ? だから、歳相応でいけばいいって言っただけよ」
「亜理紗もそうだったもんねぇ」
 二つ結びの女子だ。千尋は目を丸くする。
「そうなの?」
「そーそー。ひどかったよー、中学入ったばかりの頃って、まだ言葉を半分覚えたぐらいでしょ? それなのに『貫禄つかずの顔って羨ましいよねー。美人薄命とかいけそうだし、童顔って憧れるわー』とか。理解できないわけじゃなかったけど、いきなりぺらぺらしゃべられたら返答に詰まるよねー」
「五寸釘は三本まででお願いします」
 ほら、また言ったー。今度こそ、笑わないようにしていた連中まで吹きだす始末。千尋も笑みを隠せない。
「なぁーんだ。人のこと言えなかったんだ」
「お黙んなさい、真面目童顔っ」
 笑いながら飛ばす冗談が、迎え入れてくれたようで。千尋は笑顔でいっぱいになる。
「そういやさ。富岡、今手に持ってるのって、歌詞?」
 千尋が気になっている方の男子が目敏く気づいて尋ねてくる。自信なさげに頷いて、一同が集っているテーブルにそれを乗せた。覗いてきたみんなに聞こえないように「下手だけど……」と呟きながら。
 しばらくは読みふけっていた彼女らだったが、やがて感嘆したような声が返ってくる。
「すごい、私これ好きだよ!」
「伝わるねー。分かるわ、この気持ち」
「今までの富岡だったら、この部分書かなかったんじゃね?」
「俺ここの部分好きだなぁ。しばらく見ないうちにまた腕上げたんだな。すごいよ」
 誉められて、千尋は嬉しくて頬を染める。横に亜理紗がやってきて、こっそり耳打ちしてきた。
「実体験、丸見えだぞ」
「お黙んなさい?」
 千尋と亜理紗は互いを見合わせ、くすくすと笑った。

『understand』
いつからだろう 周りに馴染んだの
いつからだろう 楽しさ覚えたの
誰かと一緒にいることで
誰かの暖かさに触れて
いつからだろう さびしさを感じたのは
いつからだろう 人を信じなくなったのは
騙され騙してでも信じてほしくて
いつの間にか泣いてた

本当のことばかり口にしても
それは優しさじゃない
嘘ばかりはよくなくても
やさしい嘘だってあるのに

いつからだろう 人が離れていったのは
いつからだろう 人を求めたのは
ひとりを怖れ でも突き放すなんてこと
何度も繰り返してた
どうしてだろう 人のやさしさを
どこかでもう 諦めていたんだ

疲れているなかで背伸びしても
それは疲れを増やすだけ
たまにもらえる勇気が
やさしさだと気づいたよ

何も言えずにうずくまるだけの報酬は
孤独で
日だまりに足をのばす
勇気の報酬は 笑顔だと知った

日溜まりから弾かれても またあしたへ踏み出すなら
誰かがそれを見てくれる 共に歩んでくれる

本当のことばかり口にしても
それはやさしさじゃない
嘘ばかりはよくなくても
やさしい嘘だってあるからと
疲れている僕に手を伸ばす君が
やすらぎを与えてくれて
たまにもらえる勇気が
やさしさだと気づいたよ

そろそろ踏み出そう
友達という日溜まりへ


平成21年9月頃執筆



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