▼H法案 始動

『世界は女性によって新生する!』


─ああ、はじまった

駅前の大型ビジョンに映る、新しい総理大臣を見上げ、俺は立ち尽くす。 ビジョンに向かって野次を飛ばす声が、あちらこちらからあがり、街を覆いつくす、そんな勢いだ。
折角入間さんの守る横浜に遊びに来たのに、まさかこんなタイミングで。
戸惑いが、聞くに耐えない暴言に変わり始める喧騒から、逃げるようにイヤホンを嵌め直しビジョンに背を向けた。



──────


やらかした…。 いや、迷子ではない…けど、やらかしたんだよ。 なにをって? あー…こう、入間さんに怒られそうなこと、かな? HAHAHA…笑い事じゃない。


あの後駅から遠ざかるように大通りを歩いていた。 そこまではよかったんだけど、あちこちでただ街にいただけの女性に向かって喚きたてる男達にイライラしてしょうがなかった。
あんな女性改革、一般人が情報を知っているわけがない。 訳がわからないのに性別は関係ない。 だというのに、何故身近に居たからといって他人に当たるのか。
同じ男がごめん…でも俺が入ったところで助けられないしなぁ…。 イライラと罪悪感。 混ざって気持ちが悪い。
誤魔化すようにイヤホンの音量を上げようとした。 だが、微かに声が耳に入った。
聞き間違いか? うーん…。 何もないならそれに越したことはないけど…一応。
片耳からイヤホンを外し、声のした方…細い、大通りから外れた道を覗きこんだ。



───────



「やめてください…!」


嘘やん。 覗きこんだ先に広がっていた光景は、俺が絡まれるものより悪質なナンパ。 表の騒ぎに便乗したのか? 最悪だな。
警察も表側にかかりきりだろうから、呼んでくるのは難しい。 しっかし、女の子1人に対して大勢で囲いこむか? 普通。 男としてありえねーわ…ってあれ?
囲まれている女の子。 男共の間から見えた顔に、記憶を掘り起こす。

真っ白な髪に、兎のような赤い目の特徴。 カラーリングだけで言えば別の人物を思わせるが、学生服を着た女の子である点からして、その思い浮かんだ人物─碧棺左馬刻の妹なんじゃ…?


そんな風にもしかしてを考えていると、事態はまずい方に進んでしまっている。 妹ちゃん(仮)の腕を掴んで、より表通りから遠ざかろうとしていた。
これは悠々と考えている場合じゃない。 ええい、ままよ!


始めた頃よりも自然と出来るようになったパルクールで跳び跳ね、妹ちゃん(仮)と取り囲んでいる男共の間に着地する。
まさか上から人が降ってくるなんて思わなかっただろう。 男共が呆けた一瞬、妹ちゃん(仮)を掴んでいた腕を捻り、そしてそのまま、解放された妹ちゃん(仮)の手をとる。


「走って!」
「っは、はい!」


咄嗟のことだったけれど、男達よりも先に気を取り直してくれてよかった。
細い路地をあっちへこっちへ曲がる。 だが相手は土地勘があるようで、なかなか上手く巻くことが出来ない。 妹ちゃん(仮)も着いてきてくれているが、息があがり始めている。 どうする。 焦りを押さえつけて、思考を巡らせる。
ふと、漂う匂いに気づいた。 これならいけるかもしれない。
匂いに近づくように、2度角を曲がる。 そこは予想通り、大通りから1本ずれた飲食店の裏。 男達もまだ見えてない。
荷物が雑多に置かれている所に無理矢理隙間を作り、妹ちゃん(仮)を隠す。 髪色が見えなくなるように、着ていたパーカーを被せるのも忘れない。 黒のパーカーでよかった。


「俺があいつら引き付けるから、少し待ってから大通りに出な」
「っそんな! それじゃあ、あなたが危なすぎます!」
「大丈夫。 逃げるのは慣れてるから」


逃げるのに慣れてるなんて、苦笑しか出てこない。 男達の声も近づいてきてるし、そろそろ行かねば。
被せたパーカーのずれを直し、声から遠ざかるように走り出した。


──────


男共は思っていた以上にしつこかった。
1度身を潜めて巻いたのだが、そこで話していた内容が予想の範囲外で、微かに動いてしまったもんだから、そこから気付かれ鬼ごっこの再スタート。 流石に疲れてきた…詰みそう…。
一応咄嗟の判断で、スマホの録音機能をオンにしたから証拠はある。 警察に、行ければ…!


だが、疲れのせいで後ろから来ている足音が減っていることに気付けなかった。
曲がり角のすぐにあるゴミ箱の影。 そこから男が1人、飛び出し、手に持つ"何か"を振り回す。 防ごうとした腕と、防ぎきれずかすった頬が熱を持つ。

男の手にあった"何か"は、ナイフだった。
熱を持ったように感じた部分は刃が当たったようで、血が滴る。
さっき法案が変わったばっかだぞ。 武器持ってんなよ、くそ。
ギリッと奥歯が軋む。 俺を切りつけた男は狂ったように高笑いしていて、症状の1つだろうが腹が立つ。
前にも後ろにも危ない奴。 片腕は使えないし、どっちかを潰すしか道はない。
そうなれば、人数の少ない方に勝機は傾く。 例え相手が武器を持っていようと。

正面突破。 男の顔面に勢いをつけて回し蹴り。
大きな音をたてて、ゴミ箱を巻き込み吹っ飛んだ。 打ち所悪くないといいけど、気にしてる暇はない。 走って右へ左へ。 追ってくる音が聞こえなくなったくらいに、物陰を見つけて倒れるように座り込む。
後は110番して、それから、それから―
血が結構流れてしまったのか、酸欠か、意識がぼんやりしてくる。 どうにかスマホのロックを開けて、指を滑らせて。



「………はい、入間ですが」
「…………………」
「あの? もしもし、聞こえていますか?」


打ち込んだのは3桁じゃなく、何度も打ち込んでは、かけなかった11桁。
間違いか?と怪訝そうな声が聞こえて焦る。 このままでは切られてしまう。 声を、出さなければ。 視界も霞んできてしまった。


「もしもし? 間違っては「………い、るま、さん」………名字くん?」
「すみま、せん。 ちょっと…やらかして……」
「っ怪我してるのか!? どこにいる!」
「駅、まえ…から、かんらんしゃが、ひだり…み、えて…」
「駅前…観覧車…? 横浜にいるのか…!」
「………」
「名字くん…?名字くん!返事をしなさい、名前!」


そこまで伝えて、スマホを持つ手から力が抜けた。 カシャンとスマホが落ちた音がしたが、もう指1本動かせない。
入間さんが名前を呼ぶ声が遠くなり、意識を手放した。

back next
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -