思案


何か、変。
利吉くんの言い回しはさっきからどうも理不尽だ。
「土井先生ならななしさんにそこまで溜め込ませることもなかったでしょうに」
「利吉くん、何が言いたいの?」
「・・・」
「はっきり言ってよ」
「ななしさんは何故土井先生から大木先生に乗り換えたんですか」
さすがにカチンときた。正確には私がカチンとくるような言い回しをわざとしていた。
今、利吉くんにあからさまな喧嘩を売られている。
「乗り換えるって何? 土井先生にフラれたんだからどうしようも無いじゃん」
「土井先生にも多少の非はありますけど…あんなの単なる放言でしょう」
「放言? ふざけないでよ。あれを放言とするなら何を別れ話とするのさ」
「ななしさん、あんなに土井先生を好いてらっしゃったじゃないですか。その後でよく大木先生をすぐ好きになれますね」
「そうだね土井先生のことまだ好きだからねありのまま言わせてもらうなら感情押し込めただけだからね」
「ならあのままで良かったじゃないですか」
「あのままで良かったよ。私はそのつもりだったよ」
プチッ、と音が聞こえたのはその瞬間。
「どうして!」
きっかけは分からない。けど、利吉くんの堪忍袋の緒を切ってしまったらしい。私が。
「どうしてななしさんは土井先生をそこまで好いておきながらあの人の気持ちが分からないんですか!?」
「えっ」
「私は許せません!」
日頃クールな彼が荒々しく床を叩いた。底が抜けそうな音に不覚にも驚いてしまう。
「あの人の処へ強引に押し掛けたのはあなたです! あの人の処を淡々と去ったのもあなたです! あんな優しい人の心を奪っておきながらあの人の立場に立って少しも考えられないあなたを、私は許せません!」
「利吉く、」
「あの人が今どんなに苦しんでるか知りもしないで、大木先生と幸せに暮らしてるあなたを、私は…!」
感情が前のめりになったせいで言葉が追い付かないらしい、最後の言葉を詰まらせてしまう彼。
正直、利吉くんが何を言わんとしてるのか難しくてよく分からなかった。普段めったに感情的になることの無い彼がこれだけ捲くし立ててるのだから、出来る限り分かってあげたいとは思う。私に対して何かよっぽど不満があるんだろう。子供の駄々を前にするのと一緒で、私の怒りはどこか遠くへ去ってしまった。
「ごめん、落ち着いて」
もう一度最初から噛み砕いて説明してほしい。出来ることなら次はもう少しゆっくりで。何を怒ってるのか理解してあげたいと本気で思うから。
「…っ、もういいです」
だけど意志の疎通は図れなかった。利吉くんはどこか諦めたように溜め息を吐くと、いつもの冷静さを取り戻して腰を上げる。
「そんなこと言わないで。話しようよ。私、頑張って理解するから。一回で分かってあげられなくてごめん」
「いくら話してもななしさんにはどうせ伝わりません」
「諦めないでよ。私は勘が悪いから、ちゃんと言ってくれなきゃ一生分かんない」
「次の仕事へ行かなきゃならないので」
一直線に玄関へ向かう利吉くん。これはもう駄目だ。決定的だ。私いま嫌われたな。
「・・・」
彼は戸に手を掛けると数拍、開けることをためらった。私へ背を見せたままぼんやりした声で話し出す。
「…すみません」
「え」
「感情的になってしまって」
いくら年下といえど、そこは彼も理性ある大人だから。この僅かな距離で今さっきの言動を後悔し出したらしい。
「土井先生は…私にとって兄のような存在なんです」
「利吉くん、」
「だから土井先生には幸せになってほしかった。…私のワガママです。忘れてください」
それだけ言い切ると利吉くんは戸を開け放ち、あっという間に雨の中へ消えてしまった。





炭櫃を前に一人ぼんやりする。雨音だけが響く室内で両の指先が落ち着きなく絡んだり離れたり。
利吉くんは何を言いたかったんだろう。私に何を伝えたかったんだろう。彼のことだ、仕事が暇なんてきっと方便で、本当はそれを伝えるため忙しい合間を縫って来たに違いない。どう考えても理解力の足りなかった私が悪い。
彼の伝えたかった真実に少しでも近づこうと、さっき貰った言葉を必死に整理する。足りない脳味噌が恨めしい。
『あの人が今どんなに苦しんでるか知りもしないで、』
…土井先生はいま苦しんでる? どうして? なんで? 単純に病気か何かだろうか。でもそうだとしたらさすがにきり丸あたりが知らせに来てるだろう、あの子は私の本心を知ってるはずだから。
精神的なこと、なんだろうか。だけど土井先生が精神的に参ってしまう原因て? 仕事がうまくいってないとか? それとも周りのみんなに冷やかされてるから? いいやそんなことじゃ土井先生は参ったりしないだろう。たとえ胃炎に苦しむことはあっても、あの人はそんなヤワな理由で潰れたりしない。長い間そばに居たからこそ、あの人の芯の強さはこれでもよく知ってるつもりだ。
『あんな優しい人の心を奪っておきながら』
分からない。利吉くんは、私が土井先生の心を奪ったって言ってた。それって逆だよね。単に言い間違えただけ?
たとえ土井先生がいま学園で何かに苦しんでるとしても、きっと原因は私じゃない。でも利吉くんは私が原因だとたぶん思ったんだ。だから、こうして私を責めに来た。…まあこのあたりが妥当な事実だろうな。
『あの人の立場に立って少しも考えられないあなたを、』
土井先生の立場に立って。
考えたこと、ある。
あるよたくさん。利吉くんが私をどう見てたのか知らないけど、今まで数えきれないぐらい考えてきたよ。だってそれをしてみなきゃまずどうやって先生を口説くべきか思い付きさえしなかったもの。
ぶっちゃけ、本音を言うなら。私だって、私だってさ、

土井先生ってばひょっとして脈ありかな?って勘違いする瞬間もあったよ。今までに。

そりゃあ私は昔友人に太鼓判押されたぐらいのニブチンだし、デリカシーの無い駄目女だけど。これでも人生無駄に長生きしてんだ。期待してもいいのかな?って思うことぐらいあったよ、土井先生の態度にさ。
だけど所詮は勘違いなんだ。現にいつもそうだったんだ。土井先生は私の誘いにいつも気付かないフリをして、距離を置いちゃあ指一本触れてくれなかった。これってフラグ?と期待した端から簡単にへし折ってくれてた。だからある時を境に期待するのはやめにした。結構早い段階で諦めた。土井先生はもともとああいう誰にでも優しい性格なんだ、って自分の中で結論付けたその時から、彼の行動すべてに納得がいくようになった。きっと土井先生は意図せずに思わせぶりな態度取っちゃう人で、いつも相手の女性を勘違いさせちゃうタイプなんだろう、と。だからイケメンの癖して「女性経験少ないです」とか「モテません」なんてさらりと言ってのけちゃう人なんだろう、と。
利吉くんはきっと知らないんだ。いくら土井先生が兄のような存在だったとしても、あの人の恋愛に対しての価値観まで見通せてるわけがない。
あの人のあの優しさは私だけに向けられたものじゃないんだよ。あの人は、みんなに優しい人なんだ。
『土井先生のことまだ好きだからね』
咄嗟に吐き出した台詞が自分を追いつめてくる。うっかりするとまた蓋が開きそうで怖い。私のこの感情は、今はもう表に出ちゃいけないものだ。感情の上塗り作業が綺麗に完了するまで、心の奥底に仕舞われていてほしかったのに。利吉くんてばなんてモンを掘り起こしてくれたんだか。
 ――ガタン
不意に戸の開く音が聞こえた。考え事から意識を戻して振り向けば、ここ数日恋しくて仕方なかった旦那様が全身ずぶ濡れで立っていた。
「おかえりなさい」
雅さんはそのまま後ろ手で乱暴に戸を閉めると、土間で上衣を脱ぎ雑巾のように絞り出した。
「雨の忍務は寒くて敵わん!」
開口一番。「ただいま」より先にそんなことを叫ぶ。仕事が忙しい彼にとって、私が寂しがってた数日なんて数時間程度にしか感じてないのかも。
「…薄情者〜」
「は? なんじゃ帰って来るなり」
「水も滴るナンチャラじゃん。今日は?またすぐ出る?」
「いや、今日はもう店仕舞いだ。急ぎの仕事は終わった」
「あ、そう。どうする? 働き詰めで疲れてんだろうから布団敷こうか? お風呂入んなら準備するけど」
「メシ食いたい。忍者食ばっかでイイカゲン腹減った」
「んじゃ今から作るよ。私もお昼まだ食べてないから一緒食べよ」
今回の報酬であろう銭束を床へ放る彼。私の方も痛む身体を上げて箪笥まで歩いた。引き出しから手拭いと着替えを取り出し、玄関へと向かう。
「忍装束、ここ入れといて。ご飯のあとに洗っとくから」
手拭いと着替えを彼の前へ置き、傍にあった桶を手繰り寄せて抱えれば、ん、と生返事しながら身に付けているものをぽんぽん放り込んでくる雅さん。よっぽど寒いのか間髪入れずに部屋へ上がろうとするから、慌てて引き留め手拭いで容赦なく頭をワシャワシャした。少し不服そうにその手拭いを受け取ってから、雅さんは面倒臭げに自分の身体を拭き始める。その隙に忍装束が入った桶を部屋の隅へと追いやった。
「もし私がご飯作ってる間にやることなかったら、ラビちゃんの爪切ってくんない? さっき逃げられちゃってさ」
「おう」
思い出しがてらにお願いすれば雅さんは着替えながら適当な返事をする。ほんとに聞いてくれてんのかなコレ。
「髪が乾くまで火種の傍に居なよ。炭櫃の周りあったかいからラビちゃんも逃げないだろうし」
ご飯は何にしよう。雑炊でいいかな、簡単だし。
袴を穿いて腰紐を結ぶ様を見届けてから反転すると、背後から「誰かに出迎えられるってのはいいもんだな」なんて安直な惚気が聞こえてきた。


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