自己暗示


炭櫃を挟んで雅さんと向かい合わせ。私の右隣にはラビちゃん。みんなで一緒にご飯を食べるなんて随分と久し振りだ。
雑炊を啜りつつ隣のラビちゃんをちらりと盗み見る。案の定、まあるい足先から柿の種みたいな爪が見えた。
「雅さんてばやっぱり聞いてない」
「あ?」
「ラビちゃんの爪切ってって頼んだじゃんよぅ」
「知らん。頼まれとらんぞ」
「もういいですー」
「何が」
「最初っから私が切りゃ良かったんだもんね」
「何をムクれとんだ」
「ムクれてません」
「嘘つけ」
「ムクれてないったらムクれてない。私がいつムクれましたか。何時何分何秒ですか」
「一年は組かお前は」
「大木先生のばーかばーか!」
「へいへい」
「・・・」
「あー…ったく、分かった! 切りゃいいんだろ切りゃ!」
雑炊を口いっぱいに掻っ込んでから空になった椀をその場へ置き、勢いよく立ち上がる雅さん。そのまま箪笥まで一直線に歩くと引き出しからハサミを取り出して、私の隣に居るラビちゃんを抱えて座った。ゴハンを中断されたラビちゃんの眉間に分かりやすいほど皺が寄る。
「ホントいいって、あとで私がやるから。食べ終わったんなら寝なよ。疲れてんでしょ?」
「ムクれとんじゃなかったか」
「冗談に決まってんじゃん。どんだけ心狭いと思われてんだ私」
「笑えん冗談やめろ。こっちゃ新妻の機嫌取るために四六時必死なんだぞ」
「何それ。言ってて恥ずかしくね?」
「…ムクれていいか」
寝たら勿体無いしな、なんて呟きながら爪を切り始める雅さんにラビちゃんはムスッとするだけだった。
こんな時、ラビちゃんの頭の良さを思い知る。私が爪切りしようとすれば全力で逃げるくせ、雅さんがするとなると大人しく腕の中に納まってるんだから。自分の飼い主が誰だかよく分かってる証拠だ。まあ顔は思いっきり不機嫌だけども。
私の方も最後の一口を啜って椀を置いた。口を動かしながら何となく、爪切りに夢中な右隣の横顔を見やる。今更だけど雅さんて鼻筋通ってるよなあ羨ましい。ヒゲ伸びてっけどいいか、今日はもうどこも行かないって言ってたしな。それに雨だし。口の中の物を飲み下したところでお茶が飲みたいなあなんて思ったけど、なんだかまったりし過ぎて立ち上がるのも億劫になってきた。いいや、雅さんが爪切り終わらせてから淹れることにしよう。
『何故土井先生から大木先生に乗り換えたんですか』
不意に利吉くんの言葉が思い出る。やだなもう、なんでこんな時に思い出すんだろ。なんか自分から幸せボケを切り崩してるみたいだ。
「どうした?」
ひたすら見詰める私が気になったのか、手を止めて視線を合わせてくる雅さん。よそ見したらラビちゃんの身ィ切っちゃうよ。
「んーん。なんでもない」
顔を横に振って素知らぬフリをした。けど、
『あの人が今どんなに苦しんでるか知りもしないで、大木先生と幸せに暮らしてるあなたを、私は…!』
記憶の中の利吉くんはそれを許してくれない。脳裏でやたらに私を責めてくる。
目の前の雅さんは途端に怪訝な顔をした。あ、これはマズい。雅さんがこんな顔するってことは私たぶん表情に出ちゃったんだ。やっちまった。
「いい男だなと思ってさー見惚れちゃってさー。気にしないで」
「…誰か来たのか」
どうしてこの人はこういうところで勘が良いんだろう。善法寺くんの言ってた通り、肝心なことはいつだって話す前から見透かされてしまう。
どうしよう、ちょっと厄介。
「べつに誰も」
目を逸らしながらすっとぼけたら雅さんは果然これが気に入らなかったらしい。唐突に顎を掴まれて強引に視線を交わされた。なんだか彼が私の店へ来店した時を思い出す。
あー…もう無理だこりゃ。どうせ私がこの人に嘘つくなんて出来やしないんだ。奥底まで探るような彼の瞳に早々観念することを決めた。
「…来たよさっき。利吉くんが」
解放されたラビちゃんが視界の端でゴハンを再開する。今度は雅さんの眉間に皺が寄った。
雅さんは何も訊かず、そうか、と溢すだけだった。利吉くんが何をしに来た?とも、利吉くんに何を話された?とも訊いてこない。たぶん雅さんは分かってる。利吉くんがどういうつもりで来て、何を話していったのか。
ここまで来て気付いたけどなんだか浮気がバレた時のような空気だ。少し気まずい。いやべつに浮気でもなんでも無いんだけどさ。あれ?でも相手が利吉くんの時点で雅さん的には浮気を疑っても仕方ないのか?
『大木先生、その腕を見込まれて各城から入隊のオファーが殺到してるんです』
…雅さんが何も訊いてこないから、あえて私も何も言わない。何を話されたとも、何を話したとも言わない。言ってあげない。だって悔しい。出来ることなら知りたくなかった。いや、本当は知りたかったけど。でもそれは他人から聞かされるんじゃなく雅さん本人から伝えて欲しかった。
他人から聞かされるぐらいなら知らないままでいたかったんだ。
「雅さ、」
場を繋ぐ為に名前を呼び掛けた瞬間。急に視界が変わってみせる。慣れた感触に、ああ抱き寄せられたんだ、と理解するのは早かった。
「雅さん?」
肩口に顔を寄せられて表情が窺えない。顔を覗こうと身を捩ったけど、いっそう強く抱き締められて身動きが取れなかった。少し痛いぐらい。
いつもの豪快な声とは極端に違う声がぽつり、耳元で囁く。
「機嫌、取らせてくれ」
彼は身体ごと私の方へ向き直るとその両脚まで伸ばし、全身で私を包んできた。会うことすら久し振りだったからこうして抱き締められることもモチロン久し振りで、私の方も妙に嬉しくなってくる。温かさに安堵しながら応えるように彼の背へ腕を回した。
「いいよ」
機嫌取りされるまでもなく、この時点で半分ぐらい機嫌直ったから私ってば恐ろしく単純だ。
「これでも仕事は選んどる。悪事には加担しとらん」
「うん」
「外で出されるモンにはいつも手ェ付けん。忍者食で済ますから毒に当たることもない」
「うん」
「知り合いと敵になるような任は避けとる。利吉くんとは…むしろここしばらくは一緒に働くかもな」
「うん」
ああ、ほら、やっぱり。
『どうせあの人のことだ、ななしさんが寂しがっていることにもとっくの昔に気付いてるでしょう』
雅さんは全部分かってた。寂しさだけじゃない、私の不満も不安も全部。私はもうそれだけで満足だ。
「城には、勤めん。ここへ帰って来られんなら稼ぐ気すら起きんからな」
「…うん」
『大木先生は、本当にななしさんのことを大切に想ってらっしゃるのでしょうか』
あの時、咄嗟のことで利吉くんに言葉を返せなかった。だけど言い切れる。雅さんは私のことを凄く大事にしてくれてる。今この時だって痛いほど伝わってきてる。むしろちょっと重いぐらいに。
私は何を不満に思ってたんだろう。機嫌の直りように自分自身、至極単純だとは思うけれど。だって私の不安を理解していた時点で、きっと雅さんの方でも負い目を感じてたに違いないんだ。私を寂しがらせてることについて気に病んでたんだろうな。ツラいのは私だけじゃなかった。
「教えてくれてありがとう」
「おう」
こんなに素敵な旦那様からこれだけ想われて。私ほどの幸せ者が居るもんかって自分で思う。
思う、のに、

『土井先生なら…こんなに家を空けたりはしなかったでしょう』

利吉くんの言葉はまるで全てが警報のようで。
私の頭から片時も離れてくれない。
「ななし?」
「雅さんはぬくいねえ」
たぶん、それは。
離れてくれないのは。
底の方に押し込めていたはずの蓋を、久方ぶりに開けられそうになったから。
「なんじゃそりゃ」
「だってそう思うんだもん。特に私、冷え症だし」
抱き締め合うのって切ない。顔が見えないのは残念だけど、顔を見られなくて良かったとも思う。
『土井先生ならななしさんにそこまで溜め込ませることもなかったでしょうに』
嫌だ。ダメダメダメ、出てこないで。まだ奥の方で眠ってて。
私の今の幸せが端から端まで綺麗に上塗り出来るまで、忘れられたように眠ってて。
『よく大木先生をすぐ好きになれますね』
本来ならそれは、今の私の中にはもうあっちゃいけない感情なんだ。
「雅さん」
「ん?」
「好き。大好き。めちゃくちゃ好き」
「はっ? 何を急に、」
「私のモンだって言って。私だけのって言って。雅さんに捨てられたら私しぬから。すぐしぬから」
八つ当たりに近い感覚で自分へ言い聞かせる。勘の良いこの人にはバレるかもしれない。でもそれでもいい。
私は大木雅之助が好き。
私が好きなのは、大木雅之助。
私と一生を過ごすのは、過ごしてくれるのは、大木雅之助。
ずっと傍に居てくれるのは、
…ああそうか。
「子供が出来ればいいのにな」
ポロッと言葉に出てしまった。いつもの調子で、うっかり口から。
子供を理由にしちゃうのは倫理に背いてることだと頭で分かってるし、生まれる子に対しても失礼じゃ済まないと知ってるけど。それでも私は稚拙だからそう思ってしまった。
刹那、肩を掴まれて突然身を離される。ヤバい。ついに勘付かれて怒られるのかと私の方も思わず身構えた。
…のだけど、
「おまっ…!」
彼の反応は想定外にも百八十度逆。もともと不意打ちに弱いこの人にとって今の発言は衝撃過ぎたらしい。真っ赤な顔して金魚みたいになってた。
ぶふっ!!!
「何その顔!! 新し過ぎるよやめれ!! ぎゃはははは!!!」
「しょっ、祝言が先だばかたれ…!」
「噛んでるし! こんな台無しなプロポーズ人生初だヒッヒッヒッ!!」
「笑うな!」
「アンタが笑かすからじゃんよ!!」
やべえもう笑い過ぎてお腹痛い!涙出て来た!くそおぉなんだよこのオッサン、ときどき無駄に可愛いとか反則だろ!
「いーよもう祝言とか。呼ぶような身内も居ないしー」
決まり悪く不貞腐れる表情が妙に可愛くて、さっき見惚れたばっかの鼻筋を何となく摘まんでやった。小馬鹿にされて悔しいのか、それとも余計に恥ずかしかったのか、煩わしげに片手で振り払われちゃったけど。
「いーよって何だ。遠回しにフラれとんのか?ワシは」
「フってない、むしろ逆。祝言より子種チョーダイよ子種」
「露骨過ぎて萎えるわアホ」
私は、大木雅之助が好き。
いいんだコレで。別に無理してるわけじゃない。事実ここに来てから彼を嫌だと思った試しは一つも無い。
だから、私が好きなのは大木雅之助なんだ。
「ケチケチすんなよ絶倫のくせに」
「おーおーやったろやないけ。くたばっても知らんからな」
売り言葉に買い言葉。お互い笑ったまんまに唇を重ねる。

『あんなに土井先生を好いてらっしゃったじゃないですか』

今だけで。
今だけでいいから。

この上塗りの感情が本物であると、錯覚させて。


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