憂慮


目が覚めて今日も一人。
部屋の真ん中でぽつんと布団に座ったまま、起き抜けの頭でしばらくぼーっとしていた。
…雅さん、今日も忍務なんだ。
ここ何日、雅さんと会ってないだろう。なんだかもう記憶も朧になってきた。首だけ回してぐるりと部屋を見渡せば玄関の脇に銭束が転がってる。ああ、彼ってば私が寝てる間に一度帰って来たのか。全然気付かなかった。
私の起床を待ってましたと言いたげに部屋の隅からラビちゃんが駆けよって来た。
「おはよ」
膝上に載ってきたまあるい身体を撫でてあげれば、嬉しそうに鼻を動かしてみせる可愛い子。私にはラビちゃんがいる。だから寂しいなんて思っちゃいけない。そんな不謹慎なこと思っちゃいけない。雅さんは私の為に命懸けで稼いでくれてるんだ。いつも一人ぼっちなのは私じゃなく、外で奔走してる彼の方。私なんかが寂しいなんてワガママを口にする資格無い。
「・・・」
でも、本音を言えば凄く寂しい。
そこまでして稼いでくれなくてもいいのに、って時々思う。正直今は夫婦二人とペット一匹に対して充分過ぎるほどの収入だ。やろうと思えば毎日贅沢出来る。けど私はそんなことしないし、したくもない。私としてはたとえ稗だろうが粟だろうが、雅さんと顔を合わせてご飯が食べられればそれで充分なのに。
だけど勘の良い雅さんはそれも全部知ってるんだろう。たぶん、私が寂しがってることに気付いてる。でもそこは適当に見えて根が真面目な彼のこと、殺到してる仕事の依頼を途中で投げ出せないんだろうな。何せあの人は根っからの忍者だから。半生以上が忍者だった人だから。仕方ない。責められない。
一度帰って来てからすぐ次の仕事へ出たってことはまたしばらく帰ってこないのかなぁ。雅さんてば本当、働き過ぎ。身体こわさないといいけど…。
「今日、雨みたいだね」
しとしと、外で音がする。なんだかちょっぴり気が抜けた。雨を理由に出来るからじゃないけど、今日は畑仕事しなくていいんだと思うと多少気が楽だ。ここ最近、雅さんのかわりにずっと一人で農作業してるんだけど、運動不足のせいか慣れない作業を続けるあまり私も体調がよろしくない。肩こりやら腰痛やらで酷い時には目眩を起こしそうになる。もともと雅さんのような体力無尽蔵が手掛けてた広さを私一人でこなすこと自体に無理があったんだけど、弱音吐いてても仕方ない。旦那様が頑張ってんだから私も頑張らなきゃ。近頃はそう気負いして踏ん張ってた。
「雨の日ぐらい、のんびりしようね」
私の掌へ頬ずりしてくるラビちゃんを膝上から降ろすと、痛む腰を上げて布団を畳んだ。ラビちゃんのゴハン取りにいくついでに厠も寄って来ちゃおうかな。庭へ出たら濡れちゃうだろうから寝間着のまんまでいいや。どうせ誰も見てないし。
「雅さん、室内忍務だといいねえ。ラビちゃん」
寂しくてもなんでもいい。どうか怪我だけはしてきませんように。





横になって身体を休めてからあっという間に半日経った。ラビちゃんはさっきからぷーぷーと鼻歌しつつ、私の身体をお山に見立てて昇り降りして遊んでる。幸せなやっちゃ。まあそれは私も同じか。
あーあ、もうお昼の時間なんだ。でも正直、昼飯の準備すんの面倒臭いな。そんなにお腹減ってないし。いいや、ラビちゃんのゴハンだけ取ってきたらまた横になろ。私は食べない。
むくっと起き上がったら、玩具にしていたお山が突然崖になってしまってご機嫌損ねたらしいラビちゃん。前脚でうさぎぱんちしてきた。なんだよもーワガママっ子め。ラビちゃんのゴハン取りに行くのー。ってか、
「あ、ラビちゃんてばひょっとして爪伸びてんな? 痛かったぞ今の」
ヤブヘビだった!と分かりやすいほど顔に書いて私の前から脱兎する。どうして動物ってのはこっちが言う前から察知しちゃうんだろーね、こういうの。
「逃げんなコラ。爪切っちゃるから手ェ出しなさい」
その時、ラビちゃんにとっては助け舟の如きタイミングで誰かが家の戸を叩いた。こんな雨の日に誰だろう?
「はーい?」
一瞬、雅さん帰ってきたのかな、なんて期待したけどそんなわけない。家主が自宅の戸を叩くはずないとすぐに思い直した。雨の中を長く待たせては申し訳ないと思い、少し足早に家の戸を開ける。
と、
「お久し振りです、ななしさん」
そこに、随分ご無沙汰のイケメンが一人。
「利吉くん!」
あららほんとに久し振り! 雨の中じゃ悪いから上がって、と一歩下がれば、お邪魔します、と軽く頭を下げて中へ踏み入る彼。雨が家の中へ入らないよう、すぐさま戸を閉めた。
「珍しいね。いつも忙しい利吉くんが杭瀬村に来るなんて」
「いえ。それが近頃、それほど多忙でもなくて」
「え?」
「腕達者な誰かさんがフリーで復帰しちゃいましたからね。仕事、半分持っていかれちゃいましたよ」
あ、何コレ。ひょっとして苦情言いに来た系? 嘘やん私ってば今日貧乏クジやん。つーか雅さんのあの仕事量を"半分"と称しちゃうあたり、この子ってば今までどんだけの仕事量こなしてたんだ。雅さんを半分とするなら君だって相変わらずまだまだ多忙だろ。え、どうしよう、なんてツッコめばいんだコレ。コメントに困る。
私の困惑を察知したのか、利吉くんは柔らかく笑ってから家の中へと上がった。
「だからせっかくなんで遊びにきました」
いつぞやの六年生みたいに軽く言い放って、炭櫃の前へ腰を下ろす利吉くん。立っていても仕方ないので私も向かいに腰を下ろした。
「つっても雅さん仕事でいないよ?」
「いいんです。ななしさんに会いに来ましたから」
「んま〜お上手だことー。これだからイケメンは」
「褒めてます? けなしてます?」
「そういうことばっか言ってると照ちゃんにチクるよー?」
「え? 北石? なんでここで北石が出てくるんですか?」
「・・・」
駄目だコレ照ちゃん、思ってた以上に総スカンだよ! あのコってばなんて不毛な恋をしてるんだ可哀想に!! オバサンずっと応援するかんね!!!
「っ、まいーや。利吉くんお昼食べた? 何か作ろうか?」
「いえ、お構いなく。少ししたら次の忍務へ向かいますので」
やっぱ多忙なんじゃん。そんな私の心の声を汲み取ったように、利吉くんは苦笑してから先を続ける。
「…大木先生には驚かされました」
「現役復帰してたから?」
「ええ。最初、仕事の依頼が減ってるなとは思っていたんですが…まさか人気のフリー忍者が他に現れていたなんて寝耳に水ですよ。名前を聞けばあの大木雅之助先生だというし、まさかと思いました」
「まあ、そりゃそうなるよねえ」
「でも先日、たまたま仕事で御一緒したんです。利害が一致する任だったので」
「え!?」
「そこでようやく知りました。ああ噂は本当だった、って」
知らなかった! 雅さんてばいつの間に利吉くんと仕事してたんだ!? そんなこと一言も言ってなかったのに!
「大木先生は改めて凄い方ですね…技も巧みだし判断も早い。現役からしばらく離れてらっしゃったとは思えませんよ。私も学ぶことが多かったです」
山田先生の御子息だけあって受け止め方が素直な人だな。ここに雅さんが居たらきっと同じことを口にしてるだろう。「現役最前線の利吉くんから学ぶことは多かった」って。
「ななしさん、ご存知ですか?」
「ん?何を?」
「大木先生、その腕を見込まれて各城から入隊のオファーが殺到してるんです」
・・・え?
「あれだけの忍務をあれだけの早さでこなす、あの腕前。どこの城にとっても咽喉から手が出るほど欲しい人材でしょう。大人気で引っ張りだこですよ」
「…そう、なんだ」
「やっぱり、ご存知無かったんですね」
「うん」
知らなかった、全然。
「雅さん、仕事の話はしないから…」
意味も無く服の裾を握り締めてしまう。奥底で抑え込んでる不安がつい顔を出しそうになった。
雅さんは、凄腕の忍者。誰が見てもまごうことなきプロの忍者。だから家庭で仕事の話をしないのは当たり前。
だけど本音は凄く知りたいんだ。
いつも何処で何してるの?誰と何を話してどんな思いをしてるの?誰かを殺して何かを奪って諜報に励んでるの?味方が用意してくれたご飯に毒が入ってることはないの?利吉くんみたいな知人と敵同士になることもあるんじゃないの? 本当は心配で仕方ない。
けどあの人は少しも話さない。それどころか態度にも出さない。私の前では明るく笑って他愛無い話をするだけ。それから何事も無かったようにまた仕事へ向かってしまう。
でも、訊けない。訊いても困らせるだけだと分かっているから。
「大木先生は、本当にななしさんのことを大切に想ってらっしゃるのでしょうか…」
ぽつり、利吉くんが妙なことを呟く。
「え?」
「どうせあの人のことだ、ななしさんが寂しがっていることにもとっくの昔に気付いてるでしょう」
「う…ん、でもしょうがないよ。雅さんああ見えて根は真面目だからさ。私は放っておかれても逃げないけど、仕事は放っておいたら逃げちゃうでしょ」
「私の母も昔はそう言っていました。ですが父が仕事優先で母をないがしろにするたび、強がりな母は傷付いていました。悲しきかな、父は大きくなった私に指摘されるまでその事実と真剣に向き合いもしませんでしたが…」
「利吉くんは優しいんだねえ」
「真面目に聞いてください」
「聞いてるって。大丈夫だよ、そしたら私も利吉くんみたいな子を産むから。味方が増えて寂しくないわ」
「聞いてないじゃないですか。茶化さないでくださいよ」
「失礼な。大真面目です」
「・・・」
「…そりゃ確かに今は寂しいよ。でも私は雅さんがしたいようにすればいいと思ってる。だってこの広い世の中、働かずに昼間っから飲んだくれて博打うつような亭主だってゴロゴロいるわけでさ。そう思ったら、出ずっぱりで仕事して稼いでくれてるうちの旦那様は神様みたいなもんだよ。ありがたくて頭あがんない。不満があったとしても口に出すなんて恐れ多い」
「本当にそれでいいんですか」
「何?利吉くんてば意外に心配性だね」
「たとえばこの先、もしも大木先生が城勤めを決めてきたら同じことが言えますか?」
「それは…」
「甲賀生まれのあの人にとっても、今の根無し草な仕事よりその方が性に合ってるはずです」
「・・・」
「…土井先生なら、」
「ん?」
不意に視線を下げてから、利吉くんは炭櫃へ向かって声を落とした。

「土井先生なら…こんなに家を空けたりはしなかったでしょう」


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