ひきだし


善法寺くんが語ってくれた話に言葉を返そうと口を開いた瞬間だった。ばんっ!と大きな音と一緒に家の戸が内側へ吹っ飛んでくる。へっ!?何事!? ちょうど玄関へ背を向けて座っていた善法寺くんは私達が理解するより先にそれを後頭部でモロキャッチしてしまった。ごんっ、なんてまるでコントみたいな音。うああ痛ったそうぅ!!!
戸が無くなった玄関から間髪入れず吹っ飛んできたのは七松くんだった。私達の頭上を通り越えて最奥の壁に背中からぶつかる。ドンッ!と壁が抜けそうなほどの強音。かなりの衝撃らしく彼の身体は一瞬だけエビみたいに跳ねた。
うおお何だ何だ何事だ!? よく見りゃボロボロだな!
「っの…!」
すかさず体勢を立て直そうとする七松くん。が、それも構わず。外から飛んできた数々の八方手裏剣が彼の服を壁に縫いとめる。
「ああああ!」
嘘だろ!?と言わんばかりの情けない悲鳴をあげて七松くんは眉尻を下げた。ああ、少しビビったけどだんだん状況が分かってきたぞ。落ち着いたところで玄関の方から聞こえてくる豪快な笑い声。
「お前の負けだな」
見慣れた犬歯をむき出しに雅さんが玄関から入ってくる。
「クッソオォオ!!また負けたあぁぁ!!」
壁に縫い付けられたまま駄々をこねるようにジタバタ暴れ出す七松くん。あらら相当悔しいんだろうな。あんまり暴れると服が破けちゃうよーオバサンいいもん拝めちゃうよー。
「ちくしょぉお!!」
次に聞こえた雄叫びは七松くんの声じゃない。雅さんに続いて玄関から入って来た食満くんのものだった。
「たまの一回ぐらい負けてくださいよ先生!!」
ってかアレ食満くんだよね?食満くんでいいんだよね?顔面ボッコボコですけど!若干人相変わってますけど! 雅さんてばホントに手加減したんかなコレ!?
「家の戸、直してから帰れよ留三郎」
「は!? 壊したのは小平太じゃないですか!」
「アホ。小平太にやらせたら家ごと壊されるわ」
「先生ひどい!私を信用してないんですか!?」
「お前は帰るまでそこではりつけンなってろ!」
家の戸で思い出した。戸の下敷きになったままさっきからノビちゃってんだけどこの子…。
「ぜ、善法寺くん大丈夫?」
「…うぅう」
鈍い呻き声を洩らしつつ戸の下から這いずり出てくる彼。亀みたいな動き。おろろ、目に見えて後頭部タンコブになっちゃってるよ。可哀想に。
瞬時、何かを察知した雅さんが片足を軸に身を翻す。コンマ数秒前まで雅さんの居た場所に突っ込んできたのは、これまた顔面ボコボコの潮江くんだった。
「あ!?」
伸ばされた手が空を切る。背後から雅さんに仕掛けるつもりだったんだろうけど突然標的が居なくなってバランスを崩したようだ。前のめりになったところで隣に立っていた雅さんから思くそ後頭部ハタかれて、まだ体勢を立て直してもいない善法寺くんが背負っている戸へ顔面から突っ込んでいた。釣られて善法寺くんも床にチューしてた。
「いってえぇえぇ!!!」
両手で自分の顔面を押さえ、その場でゴロゴロ身悶え出す潮江くん。いや確かに痛いよ今のは。見てるこっちまで痛かったもん。
「今の今までノビてたくせして、面倒なやっちゃなお前は!」
「くそぉおああぁ!!! 隙ありと思ったのに!!」
「お前は掃除して帰れ文次郎」
「掃除と手合わせは何も関係無いじゃないですか先生!」
「授業料にしたら安いだろが」
「先生!私も!私も!」
「やかましい!お前を雑巾にしちゃろか!」
旦那様と武闘派三人が戻って来ただけで家の中が一気に賑やかになる。うーん、こっちの三人と足して割りたいわ。
「大木先生相手じゃさすがのこいつらも形無しですね」
はは、と私を見て苦笑する立花くん。うんまあ形無しだね。誰よりもまず善法寺くんがね。不憫だね。
「ったく、お前らに手ェ上げるたび山田先生や厚着先生に小言もらうワシの身にもなれってんだ」
ぶつくさ文句垂れながら中在家くんと私の間へ腰を下ろす雅さん。やっと落ち着いた〜と動きで語るように、さっきから中在家くんの膝上でゴロゴロしてるラビちゃんを優しく撫でていた。
ようやく負けを認めたのか、食満くんも潮江くんもムスッとしたままそれぞれの役割に動き出す。戸の修復に桟の様子を下見したり、掃除用の水を汲むため井戸へ向かったり。なんだかんだで先生の言うことに逆らわないんだから君達ホントはかなり素直で可愛いよな。ラビちゃん並にちっこかったら飼いたいわー。
「あいててて…」
擦り剥けた頬を押さえながら善法寺くんがようやく起き上がる。今の衝撃をイテテの一言で済ましちゃうあたり、このコ見掛けより相当タフかもしれん。
「ホントに平気? 救急箱持ってこよーか?」
「あ、いえ、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
私の呼び掛けに、いつものことなんで治療道具は一式常備してるんです、なんて自分が持って来た荷物を開ける彼。今のがいつものコトなんかい…不運委員長の名はダテじゃないわな。
荷の中をごそごそと漁ったあと、あっそうだ、と一声溢してから善法寺くんは薬筒を手に取った。
「これ私物の薬草なんですけど、珍しくたくさん採れたんでななしさんにお裾分けします」
「え、いいの?」
「はい。突然押し掛けたお詫びとご馳走になったお礼に、貰ってください」
筒ごと渡されたので中を覗いて見る。いろんな薬草が中で小分けされてて、結構ぎっしり詰まってた。薬草独特のいい薫り。
「ありがとう! 助かるよ〜」
「大木先生のことですからそうそう怪我はされないと思いますけど…現役復帰されたならいつか使うかもしれませんしね」
「うん。あ、ごめん善法寺くん。私、薬学とかサッパリなんだけど使う時はどうやって使えばいいの? 煎じるだけでいい?」
はりつけになってる七松くんから「口移し!口移し!」なんてオヤジみたいな野次が聞こえた気ぃするけど、あえて誰も相手にしない。
「そうですね。葉液に効能があるので、とりあえず煎じるかすり潰すかで抽出してください。あと解毒の時は飲む、外傷の時は塗る。大怪我で煎じる間が無かったら掌で揉み潰すか口の中で噛み潰す方が早いですけど、絶対に清潔な手で使ってくださいね」
「ほらっ、口移しじゃん!」
「生葉じゃないと駄目だよね? 乾燥させて取っといたら効果無い?」
「うーん…効果はゼロじゃないですけど、ここにあるヤツは生葉がベストです。ちなみにドクダミも入ってるんですけど、乾燥させてお茶として飲んでも美味しいですよ」
「ドクダミ茶で口移し!」
「七松くんはさっきから何なの? 私らを接吻させたいの?」
「オイやめとけ。アホの言葉にいちいち反応するな」
「先生が私をアホって言ったああ!」
「乾いちゃうようなら焼酎に浸けてください。殺菌効果が高いから、良い美容液になりますよ」
「良かったじゃん大木先生、殺菌効果高いんだってよ。頭から掛けてあげよっか?」
「何だ!? ワシが菌だらけだってか!?」
「ウソウソ。ていうか存在が菌?」
「鬼嫁じゃあああ!!!」
冗談だよって私が訂正する前に泣きながら中在家くんの胸へ飛び込む旦那様。突然のことに驚いたラビちゃんがその反対隣りから中在家くんにしがみ付く。全く動じないままイイオッサンと小太りな獣をヨシヨシする中在家くんの貫録に、はからずも噴きだして笑ってしまった。










六人が帰ったあとは鍋と食器を外まで運んで洗い物開始。厠帰りの雅さんが途中から半分手伝ってくれた。結構な量を洗い終わる頃、何となく隣にしゃがんでる彼を見て「そういや今日まだ髭剃ってなかったね」と呟いたら、そのままごく自然な流れで髭剃りに移行した。
家へ戻って、食満くんて凄いねーこんな短時間で修復出来ちゃうんだねー、と笑いながら腰を下ろしたらラビちゃんに膝上へ飛び乗られた。中在家くんが居なくなったからまた私で暖を取る気だな。このコってば相変わらず現金。
やっと静かになったね、なんて独りごちながら繕い掛けの忍装束へ手を伸ばした時だった。
「あ、」
突然その手を引っ張られて雅さんに正面から抱き留められる。私達の身体に挟まれたラビちゃんが慌てて身を捩り逃げ出していった。
「何? どした?」
「何って…邪魔が消えたから夫婦の営みの続きをだな、」
「はっ!? 萎えたんじゃなかったの?」
「…なんでそういつも釣れないんだお前は。よもや引いてんのか?」
「いや、引いちゃないけど」
「ならいいだろが」
「ただ…うーん、意外だなあとは思う」
「意外?」
「雅さんに対しての勝手な印象があったからさあ。私ん中では辛抱強くて禁欲的なヒトのはずだったんだけど、」
「はあ?」
「房事中毒な現実に多少の驚きを隠せないというか。ああ根っからの三禁忍者じゃなく雅さんも人並みの男性だったんだな〜と」
「なんじゃそりゃ…」
「ああごめんごめん、気ぃ悪くしないで。ってか気にしないで。単に感心しただけだから。欲情してくれんのは嬉しいよ」
「しゃあないだろ。誰かさんが気ぃ狂うほど拝みたかったモンをワシだけが拝めると思ったら、優越感だけでイキそうになんだよ」
「へ? 今のちょっと難しくて分かんなかった。誰かさんて?」
「気にすんな。忘れろ」
適当にはぐらかしながら背に回した手でうなじをなぞり上げ、簪を抜き取る彼。
「歳を取ると小狡くなっていかんなあ…」
んん。なんだか気になるけど、まあいっか。もうどうせこの人は何言ったって答えちゃくれないし射精するまで聞きやしないだろ。好きにさせとこ。
私を床へ倒し、覆い被さってきた彼の顔を下からぼけっと眺める。
「なんかさあ」
「ん?」
「今日の雅さん、機嫌良いね」
「そうか?」
何となく、そう思った。長い付き合いのもと、彼の表情がどことなくそう見えたから。ああこれはきっと外で武闘派三人から何か嬉しいことを言われたに違いない。勘でそう気付いたけど訊くのは野暮だからやめとこうかな。
「私の方もまた雅さんの新しい引き出し開けちゃったなー」
くすくす笑ってみせると、一拍キョトンとしてから怪訝な顔になる彼。
「新しい引き出し? なんだどれだ。定食の納豆を小平太の煮豆にぶっかけた引き出しか? 日誌のコメントがいつも適当で学園長先生に呼び出された引き出しか?」
「アンタには教師としてあるまじき引き出ししかねーのか。もうちょっとカッコイイやつだよ」
「押し入れのカビ饅頭を雄三に食わせた引き出しだな」
「基準!カッコイイの基準!ズレてますよ!」
ああもうごちゃごちゃ言うな。そう煩わしげに呟いて、雅さんはその犬歯で私の耳を甘噛みしてくる。こそばゆい感覚に背筋がむず痒くなってつい身体が跳ねてしまった。
そうは言われても私の方はもう少しお喋りしたいんだ。雅さん、このところ仕事に出ずっぱりだったからこうやって話すの久し振りなんだもん。
「なんてえか、さ、」
長い舌先が首筋を這うように下降していく。
吐息混じりの声が出て恥ずかしいけど恥を忍んで喋り続けた。
「雅さんて、ずっと雅さんなんだな、って思っ、た」
ボサボサの髪が顎に触れてくすぐったい。彼は鎖骨に一度強く吸い付いてから顔を上げ、なんともまあ変なものを見るような目で私を見てきた。何その顔、ムカつくけど面白いな。
「は?」
「だってそう思ったんだもん」
雅さんはきっと昔からこういう人で、これからもずっとこういう人なんだろう。べつに馬鹿にしてるわけじゃない。歳の重ね方が素敵だなって思ったんだ。最初から大人でずっと少年のまま、大木雅之助はこういう人。
今度は私の方が余分なことを言われたくなかったので、雅さんの首に腕を回して唇を奪った。不意打ちに弱い彼が硬直したのをいいことに思うまま口内を堪能する。満足する頃に解放してやれば真っ赤な顔で見下ろされた。
「おまっ、何を、」
「何ってべつに。こっちがムラムラした。雅さんがあんまイイ男だから」
「…人を煽ることばっか覚えやがって」
余裕があるのも今のうちだと言いたげに、無骨な手で私の帯を解きに掛かる。そんな彼を見ながら、ああこりゃ焚き付けたなあ、なんて頭の隅で第三者みたいに考えた。



彼と一緒に歳を取るなら悪くない。
そのとき、確かにそう思ったんだ。


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