「許可無しに合戦場へは行くなとあれほど言っただろうが!!」
学園に着いてから開口一番、大木先生が降らせてきたのは説教でした。いつもは煩わしく思えるそれにその時はひどく安堵して、また涙腺が緩んだのを覚えてます。だって合戦場で見た別人のように冷たい大木先生じゃなくて、ああこれはいつもの大木先生だ、って思ったから。
「先生!」
「どうしてあの足軽を見捨てたんですか!?」
「あの農民のオジサンは敵兵だったんですか!?」
堰を切ったように質問攻めする僕らに先生は少し困った顔をすると、一年長屋の縁側へ腰掛け、庭に立つ僕らと同じ視界を見ました。
「いいや、ありゃ普通の農民だ」
「だったらどうして! あのオジサン、俺達が足軽を助けようとしたら邪魔したんですよ!?」
「そりゃそうさ。農民にとっちゃ合戦後場は金ヅルだからな」
「…え?」
「お前らが向こうの邪魔をしたんだ」
何のことか分からなくて首を傾げたら、先生は噛み砕くように解説してくれました。
「死体が山ほど転がってただろ」
「は、はい」
「入り口付近の死体は身ぐるみ剥がされてたのに奥の方はまだ剥がされてなかった。そこへ農民のオッサンがやってきた。この意味、分かるか?」
答えたのは勘の良い仙蔵でした。
「農民は…死体の身ぐるみを剥いで銭儲けしてるんですか?」
「ああそうだ。合戦後場は農民にとって金品の山ってことだな」
「だっ、だからって…! いくらなんでも死にかけの足軽を殺してまで奪うこと無いでしょう!?」
「助けても良かったじゃないですか!」
文次郎と留三郎の必死の問い掛けに、大木先生は「あれがあの足軽の業なんだ。諦めろ」と抑揚の無い声で答えました。
「以前、かばいの制札について教えたな?」
「え? はい」
小平太が「なんだっけ」とぼやいたから隣の長次が慌てて耳打ちしました。そんな小平太に大木先生は「教えたはずだ」と青筋立ててましたけど。
「かばいの制札を貰えなかった場合、惣はどうなる」
「え」
「え…と…。荒らすな殺すなの御免状なわけだから、荒らしたり殺されたりするんですか?」
「そうだ。人をさらっては売られ女子供は強姦され農作物は根こそぎ奪われる。逆らえば殺される」
「えっ!」
「乱妨取りといってな。かばいの制札をもたない惣は敵軍に向かって"何をしてもいいですよ"と逆に公言するに等しい」
「そんな…じゃあ、かばいの制札は絶対になくてはならない物なんですね」
「ああ。だが、かばいの制札はそれだけ価値のあるもんだ。半端な金じゃ貰えない。しかし領主へ差し出す年貢が変わるわけでもない。農民はどうやって大金を捻出すると思う?」
全員で顔を見合わせました。大木先生が何を言わんとしてるのか少しずつ見えてきたからです。
「更に言うなら、もしも日を空けずして領主が他の城と戦を始めたらどうなる。貯蓄がありゃいいがな」
「・・・」
「農民ってえのはその日を生きる為に必死なんだ。お前らの正しい善意も、受け取る側によって歪んだ悪意だよ」
「・・・っ、でも、それでも…」
「なら忍者として話してやる。お前らにはこっちの方が単純で分かりいいだろうしな。合戦場の生き死にに第三者が手を出すと、どういう恐れがある?」
一斉に、息が詰まりました。それを先生の口から言わせるほど僕らも馬鹿じゃない。さすがに一年生でも分かります。
たとえばあの足軽がただの足軽じゃなかったとしたら? 長柄隊や鉄砲隊の隊長だったとしたら? 足軽に変装しただけの忍組頭だったら? 助けた時点で…たとえほんの少しだとしても、戦の顛末が、史実が変わってしまう。
「踏み潰された蟻ん坊の群れの中で、女王蟻がまだ生きとる可能性もある」
「…蟻だなんて、」
「城主のような人間様にとっちゃあ、兵なんざ遥か高みから見下ろされる蟻ん坊よ。…ワシもお前らも」
「・・・」
「お前らがまだ忍たまだからいいようなものの…卒業後プロになって城の名を背負う忍者になりゃ尚更だ。他人が生半可な優しさで助けていいもんじゃない」
みんなからの言葉はありませんでした。先生の言うことはもっともで、正しくて、まさしく世の理だっから。

それでも

それでも、僕は、
「…わかりません」
納得しなかった。
「わかりたくありません」
違う、納得したくなかった。
「伊作?」
留三郎の戸惑う声も聞こえたけれど聞こえない。僕は止まれませんでした。
「それでも僕は、助けたかった!」
「伊作、」
「あの人を助けたかった!」
助けられなかったことが悔しいのか、世の理を受け止めたくないのか、忍道を辛いと感じたからなのか。目からボロボロ涙が出たんですけど、もう何に対して泣いてるのか自分でも分からなくて。
「僕の足首を掴んだあの手は最後の力を振り絞ってたんです! どんどん弱くなっていって、どんどん冷たくなっていった!」
「伊作」
「僕に助けを求めたあの人は!」
「伊作!」
「僕に助けを求めたあの人は、腹当の下に野良着を着ていたんですよ!」
あのオジサンと同じ、もとが農民であった証拠。
「救えたはずの命を救わなかった!」
隣に立っていた留三郎が僕の頭を抱えてなだめてくれました。
大木先生は何も言わなかった。何か言ってほしかったのに、先生は何も言わなかった。甘えたな僕は何でもいいので先生から気休めの言葉が欲しかったんです。…まあ先生の立場になって考えればそんなモノくれなくて当然なんですけど。
「命に優劣なんかいらない! 助けを求めて来た、僕にはそれで充分です!」
今にして思えば、先生は僕らがこう考えると予測して「許可なく合戦場へ行くな」って忠告してたんでしょうね。危険だからじゃなく、きっとまだ僕らが受け止めるにはつらいから、だから行くなって。そんな先生の心遣いを酌んであげられたら良かったんですが…何せ当時の僕は今より子供で自分のことしか考えられなかった。
だから、言ってしまったんです。
自分の生涯の中で大きな過ちだったと今でも後悔してます。
僕は、大木先生を傷付けた――。
「大木先生なら!」
何も言葉をくれない大木先生に僕は逆上しました。
「大木先生なら、あの足軽を農民から遠ざけることも出来たのに! 助けてくれるって信じてたのに!」
完全なる八つ当たりです。
「僕は!」
僕はどうして、あんなことを

「僕は、大木先生みたいな忍者になりたくありません!」

言わなければよかったんだ――。

次の瞬間、留三郎に抱えられたままの僕を文次郎が殴り飛ばしました。顔を上げれば文次郎も僕に劣らずボロボロと男泣きしてて、ああきっと文次郎も何に対して泣いてるのか自分で分からないんだろうなあって…。
それでも大木先生は、しばらく何も言いませんでした。
この年齢になって分かることなんですけど、僕は本当にとんでもないことを先生に言ってしまいました。先生があんなに酷い批難をされることなんて何一つ無かった。批難されるべきは言いつけを破って勝手に合戦場へ赴いた僕の方だった。きっと先生にだって僕らのような、世の理をつらいと思ったり忍道をつらいと思ったりする時期があったはずなのに。それでも全部受け止めて立派な忍者になって、その中から真偽を見極めて僕らに教授してくれてたのに。
誰も好きで人を殺したり見捨てたりしないのに。
「…あ…」
文次郎に殴られたあと少しだけ正気に返って後悔しました。今のは言っちゃいけない言葉だったと、子供ながらに分かったからです。
どうやって謝ろうかオロオロ考えていると、不意に先生は立ち上がって僕の傍まで歩いてきました。それからその右手を伸ばしてきて、
「っ!」
殴られる!、と思って一瞬身構えたんですけど、予想に反して先生は僕の頭をくしゃくしゃと撫でました。それから独り言みたいにぽつりと呟いたんです。
「…お前らの面倒見てると、時々」
「え?」
「切り捨てたまま忘れてたモンを…目の当たりにするなァ」
その時は先生が何を言ってるのか僕にはよく分かりませんでした。…今はちょっとだけ分かります。
次に大木先生が見せた表情は、この時だけの表情でした。あとにも先にもこの時の一度きり。
「ワシみたいになりたくないなら強くなれ、伊作」
犬歯を覗かせるいつも通りの笑顔。いつも通りの笑顔、なのに、
「ワシよかずっと強い忍者になって、誰にも文句言わせるなよ。いいな?」
その笑顔が、何故だか僕にはまるで泣いてるように見えたんです。

…あのとき先生が何を考えてたのかは今になってもよく分かりません。卒業してプロになってまた歳を重ねたら、ひょっとしてあの時の先生の気持ちが分かるのかもなあ、なんて思います。
ただ一つハッキリ言えることは
大木先生は優しい人です。凄く優しい人。たぶん忍者として致命傷なんじゃないかってぐらい。それから、誰よりも感情の吐露が下手くそです。あの時だって本当は、内に溜め込まないで僕に説教してくれて良かったんだ。思うことはたくさんあっただろうに、何一つ言い訳しないで僕の暴言を全部甘んじて受け止めてたんですから。あんなの、他の先生方だったら「勝手に行ったお前が悪い」だの「これだから一年生は」だので一蹴されて終わりです。
だからあの人が学園を辞めると聞いた時、本当は僕らの心無い言葉が彼の重石になってきたんじゃないだろうか、って凄く気に病んだんです。あの時のあの暴言についても謝れてないままずっと心残りだったので、去り際に勇気を振り絞って謝りました。そうしたら「そんなん覚えとらんわ!」って普段通り豪快に笑ってくれて。…本当に覚えてないのか忘れてくれたフリなのか、実際のところは分かりませんけどね。

僕らにとって大木先生はずっと憧れの先生なんです。
いつか…あんな"芯の強い"忍者になりたいって、そう思います。


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