昔話1


大木先生は昔から読めない人でした。いざって時はやる人なのに普段は恐ろしくテキトーで、豪快で明るくて、だけどいつも飄々としてて、何を考えてるのかよく分からなくて。単純なのか複雑なのか…。ヒトの話をろくに聞かないし、かといえばどうでもいいことだけ聞いてたり。でも肝心なことに関してはこっちが話す前から全部お見通しな、そんな先生でした。

あれは一年生の半ば…学園生活に慣れてきた頃のことです。
その日は休日で授業がなくて、僕ら六人は庭でバレーをして遊んでました。途中、文次郎が「そういえば今日は大木先生を見ないなあ」なんて言い出して、言われてみれば朝の食堂にも居なかったし、日課のように喧嘩してる野村先生の傍にも居なくて、妙だねえなんてみんなで顔を見合わせたんです。で、ひょっとして休日なのをいいことに僕らに内緒で昼間っから一人で楽しいトコ行っちゃったんじゃない?なんて噂して。そしたら"思い立ったら即行動"の小平太が「じゃあ大木先生を探しに行こう!」って走り出したから僕らも慌てて付いて行きました。
とは言っても心当たりなんて無いからとりあえず大木先生の部屋へ行ってみようってことになって、職員長屋へ向かったんです。大木先生は部屋に居なかったんですけど、隣の部屋から他の先生方の話し声が聞こえてきて、反射的に僕らはこっそり聞き耳を立てました。
「休日に忍務だなんて貧乏クジですねえあの人も」
「ええ。こっちに当たらなくて本当に良かったです」
「大した用でないのがせめてもの救いですな」
先生方の話によると大木先生はどうやら合戦場に居るみたいで、朝から不在のようでした。なんでも、近くに決着がついたばかりの合戦場があるからそこへ赴き…て言っても勝敗は決してるので正確には合戦後場なんですけど…そこの調査をしてくるよう、学園長先生に言われたらしいんです。
みんなで職員長屋を離れたあと、真っ先に声をあげたのは武闘派の留三郎でした。
「行こうぜ!合戦場!」
当時一年生だった僕らは合戦場なんて行ったことも見たこともなくて、そこがどれほど危険な場所かもよく知りませんでした。いえ、"危険な場所"っていうのは子供ながらに認識してたんです。だって「一年生のうちは許可無しに行くんじゃないぞ」と先生に口酸っぱく言われてたので。でも、僕らは好奇心に勝てなかった。
「そうだね!」
「俺も行きてえ!」
「どうせいつかは訪れるところだしな」
「(モソモソ)」
「よっしゃ決まりだ!いけいけどんどん!」
それに僕らの中のどこかに、困ったときは大木先生がいつもみたいに何とかしてくれる、って甘い考えがあったから。

大木先生を探すという当初の目的を忘れて、僕らの頭の中は本物の合戦場のことでいっぱいで。六人揃って心躍らせながら現場へ向かいました。今にして思えばなんて馬鹿だったんだろうと思います。
行かなければ、よかったんだ。
初めて見る合戦場は想像してた光景から程遠くて、まさしく地獄絵図でした。何せ合戦"後"場だったものですから生きてる人間なんて当然視界に見当たらなくて、血の海の中で転がっている山のような死体をカラスがつついてました。…僕らの中での合戦場という場所は、各城が戦略を練って攻防したり武将達が腕を競い合ったり現役の鎧侍やプロ忍者が飛び交ったりするような、そんな格好良いイメージしかなくて…本当、子供の絵空事ですね。そんなスポーツ観戦程度の感覚しか持ち合わせてなかった。十歳児まことに、人の生き死にがどこか遠い世界の話だったんです。
カラスにつつかれて幾つか腐敗が始まっているのか、視界は然ることながら臭いだけでもかなりツラくて。僕、吐き戻しちゃって。転がってる死体の目玉がこっちを見てる気がして怖くて、足が竦んで動けなかったんですけど、
「行って、みよう」
それまで言葉を失くしていたみんなに向かって、か細い声で話し出したんです。あのギンギン忍者の文次郎が、信じられない程のか細い声で。
誰も賛成しませんでしたが反対もしませんでした。反対して一人置き去りにされるのはもっと嫌だし、ここまで来て何の収穫もなく帰ることに多少の不満もあったし、何より奥底に好奇心がかろうじて残っていたからです。
全員で震えあがりながら死体の間を縫って先へ進みました。進んでどうするのか、もう何が目的なのかもよく分からなかったんですけど、ここで引き返したら何かに負けた気がして。だってプロの忍者になったらこれぐらい茶飯事だろうからこれを怖がってちゃ何も始まらない、って一年生なりに頭の隅で考えたんです。ぐるっと一周したら帰れるぞってひたすら自分に言い聞かせました。あの時はきっとみんな同じ気持ちだった。
しばらく歩き続けて合戦場の真ん中に来た頃、
「…妙だな」
ぽつり。呟いたのは僕の前を歩く仙蔵でした。
「妙? 何が?」
「合戦場の入り口付近にあった死体は一糸纏わずカラスがつつき出してただろう?」
「えっ。う、うん」
「だがこの辺の死体は違う」
言われてみれば奥の方に転がっている死体はカラスがつつき出すどころか甲冑を付けたままでした。そんなこと、余裕が無くて言われるまで全く気付かなかったんですけど…手前の方の通り過ぎてきた死体は、仙蔵の言う通り確かに何も身に付けてませんでした。変だなあと僕も首を傾げた、その時です。
誰かが、僕の足を掴んだんだ。
僕は声も出ませんでした。恐る恐る下を見れば死んでるはずの足軽が僕の足首を掴んでて、僕、腰を抜かしちゃって。真っ先に気付いた留三郎が慌てて駆け寄ってくれたんですけど、その足軽はひたすらウーウー唸るばっかりで僕のことを放してはくれませんでした。そこでようやく気付いたんです。
「この人、まだ生きてる!」
僕の声にみんな驚いて、これは一大事だ!ってことになって、その足軽を救おうと慌ててみんなで取り囲みました。特に保健委員の身としては絶対救ってあげたいと思いましたし。なんとか抱え起こそうとそうこうしてるうち、僕らの傍にふらりとやってきた人物が居ました。
「おめえら何してんだ?」
振り向くと一人の見知らぬオジサンが僕らのことを訝しげに見下ろしてました。足軽を起こすことに夢中だったから傍に人が来たなんて気付かなかったし、僕ら以外の歩ける人がこんなところに居たとも知らなくて、思わず全員で叫んじゃったんですけど。よく見ればオジサンは農民のようでした。だって片手に鍬を持ってたから。
「オジサン、ちょうどいいところに!」
「手伝ってください!」
「この人、まだ生きてるんです!」
「助けなきゃ!」
僕らが矢継ぎ早に告げたら、オジサンは急に機嫌を損ねて、
「助ける…?」
僕らのことを忌々しく睨み付けてきました。
「何言ってんだ!」
途端、人の良さそうなそれまでの雰囲気が嘘みたいに鬼の形相へ早変わりして怒り出したんです。
「おめえらさてはこの城の忍者どもか!? 子供のくせに忍装束なんか着やがって!」
オジサンが何を言ってるのか、なんで怒り出したのかも僕らには分かりませんでした。ただ足軽を救おうとしただけなのになんでオジサンの逆鱗に触れてしまったのか見当もつかなくて、みんなで軽くパニックになっちゃって。僕らはこの足軽の仲間と思われたのかなとか、このオジサン農民に見えて実は敵城の兵だったのかなとか、瞬間的にいろんなことが頭を巡ったんですけどもう頭の中はこんがらがってました。
「何言ってるんだ!? 違うよ!」
「おめえらなんかに、俺達の暮らしを荒らす権限なんてねえんだ!」
小平太の言葉もろくに聞かず、あろうことかオジサンは鍬を振り上げたんです。ただ振り上げた相手は僕らじゃなくて、
「おめえらそこを退け!」
足軽に対してでした。なんでか知らないけどそのオジサン、足軽にとどめを刺そうとしたんです。だから僕らは余計パニックになっちゃって、見ず知らずの足軽を助けるために全員で鍬の前へ立ちはだかりました。
「何してるんだよ!」
「この人、まだ生きてるんだぞ!?」
僕らの言葉にオジサンはますます怒り心頭で叫びました。
「だったらおめえらごとやってやる!」
そこからは一瞬でした。オジサンは、ためらいなく鍬を振り下ろしてきた。避ける間もない僕の頭に鍬の先が向かってきて、全員アッという声も出せずにいたら、
刹那、目の前に黒い影が割り込んで金属音が響いたんです。
何を隠そう、それが大木先生でした。
「先生!」
オジサンが振り下ろした鍬は大木先生に弾き飛ばされてはるか遠くへ弧を描いて落ちました。
「大木先生!」
その時点で状況なんてうまく呑み込めなかったんですけど、大木先生が助けに来てくれたことにみんなとにかく安心して。全員で先生の服の裾を掴んで群がりました。緊張の糸が切れちゃって、僕ってば少し泣いちゃったな。
オジサンは更に逆上して文句を言おうと口を開いたんですけど、彼が何か言う前に大木先生は喋り出しました。
「私達は忍術学園の者です。この合戦とは関わりありません」
ビックリした。だって先生の方から自分達の素性をバラすなんて今までに無かったんです。僕らが呆気に取られてるのもお構いなしに先生は長次の懐へ手を突っ込んで"忍たまの友"を取り出すと、オジサンから見えるようにそれを自分の前へ掲げました。
「私の指導不足で生徒が勝手なことをしました。ご迷惑をお掛けして申し訳ありません。いま帰りますので」
先生の言葉にオジサンは少し黙ってから、苦々しい顔で「ちゃんと教育しろ」なんて悪態をつくと、踵を返して鍬を取りに歩き出しました。
なんで大木先生がオジサンに謝るのかもその当時の僕らには分かりませんでした。だって僕らとしては人助けしようとしただけなのに。納得できなかった。
「先生!」
「なんで先生が謝るんですか!」
「僕らこの人を助けようとしただけです!」
背が高い大木先生の後ろ頭を見上げて次々に言葉を投げたんですけど、大木先生は振り返らないまま一言だけ「帰るぞ」って呟きました。忘れてたわけじゃないんですけど、先生の言いつけを破って僕らだけで勝手に合戦場へ来ちゃったから、先生はもちろん怒ってました。でも、だからって先生の「帰るぞ」に「はいそうですか」とは従えません。僕らには帰れない理由があった。だって、
「待ってください先生!」
「せめてこの人を助けてからにましょう!」
助かるかもしれない生命を前にのほほんと引き下がれなかったんです。
…僕らは
僕らはいつだって、大木先生に甘えて頼ってばかりで。だからその時も"きっと大木先生が何とかしてくれる"って信じて疑いませんでした。
でも、その時ばかりは違った。
大木先生は僕らを振り返るとさっきのオジサンの比じゃないほどに顔を歪めて、もう一度「帰るぞ」とだけ呟いたんです。それは初めて見る大木先生の表情でした。あまりの気迫に怖くて…みんな何も言えなくなって。先を歩き出した先生にただならぬものを感じ取って、みんな黙ったまま渋々あとに続きました。いつもなんだかんだ陰から見守ってくれるあの優しい大木先生が、本当に僕達をこの合戦後場に置いていってしまう気がしたんです。
でも、僕だけはその場から動けなかった。何せ僕は保健委員だったので。
大木先生は七歩進んだところで舌打ちし、突然踵を返すと、何も言わずに聞き分けの悪い僕を俵担ぎして走り出しました。みんなもびっくりして、それに続いて一所懸命走りました。
…大木先生は学園に着くまで、泣きじゃくって暴れる僕の言葉に耳を貸してはくれませんでした。


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