晩酌


食器も洗ったし入浴も済ませたし、あとは寝るだけ。掛布団をまくる気力も無いまま寝間着姿で自分の布団へダイブする。んもー疲れた!今日は疲れた!楽しかったけど疲れたー!
「あー落ち着いたー!」
ごろりと仰向けに寝転がって叫べば、ちょうど厠から戻ってきた雅さんに思くそ呆れ顔で見下ろされた。問われたわけじゃないけど言い訳したくもなる。
「楽しかったけど人酔いした。私やっぱ人混み駄目だわ」
「なんじゃそら。この間まで町に住んでたくせに」
「そりゃそうだけどもともとが田舎育ちだからさ。ここに居る方が落ち着く」
「パッと見は田舎娘にゃ見えんけどなあ」
会話しながら私の布団に自分の布団をくっ付けて敷き始める彼。どさくさ紛れにちゃっかりしてんなーと思ったけど咎めたところで今更か。昨日おんなじ布団で寝たぐらいだし、今日あたりさすがに解禁かなーとも思うし。まあいいや。
「あ」
「どうした」
「饅頭食べんの忘れた」
寝る時になってはたと思い出す。そういや帰ってきてすぐ豆腐料理始めちゃって、饅頭を部屋の隅に置いたまんま忘れてた。あ〜もったいない。
うつ伏せになって首を前へ向けたら、意外と饅頭は手の届く範囲に転がってた。寝そべったまま手を伸ばしてたぐり寄せる。
「今から食うのか」
夜着姿の雅さんは隣の布団にあぐらをかくと、私の行動にやや引き気味の顔を見せた。
「だって食べなきゃ悪くなるじゃん」
「太るぞ」
「もう手遅れ」
なんとでも言え。この期に及んで痩せようなんて思ってないんだ。食欲が一番の恋人ですから。
鼻歌混じりに包みを開けばそれはそれは美味しそうな饅頭が姿を現した。起き上がる気にもならなくて、行儀悪いと知りつつ寝転んだまま噛り付く。甘い。
「美味いよ。雅さんも食べる?」
「いらん」
もぐもぐと口を動かしてたらヌッと黒い影が現れた。目線を饅頭から正面へ移すと、何処から来たんだかラビちゃんが興味津々で饅頭の匂いを嗅いでいた。
「何?ラビちゃんも食べたいの?」
そうだよねーこんだけ甘い匂いただよってたら何なのか気になっちゃうよねー。兎って饅頭食べても大丈夫なのかな? 食いさしの端っこを千切ってラビちゃんの鼻先に持ってってみる。
「ラビちゃんも食べる?食べてみる?」
「こら、変なモンやるな」
「いっけね、旦那様に怒られちった。ごめんラビちゃん、オアズケだってー」
欠片を口の中へ放り込めばラビちゃんは食い損ねてヘソを曲げたらしい、私の鼻先へ鼻アタックしてきた。柔らかすぎて全然効力ないけど。むしろくすぐったい。
「こらー明日リンゴ剥いてやるから拗ねないのー。ラビちゃんに饅頭は美味しくないでしょ」
食べかけをその場に置き、両掌でほっぺを両側からぎゅうと挟み込んだ。必殺オニギリの刑。あっはっは何この顔かわいいぃ!
不機嫌全開のラビちゃんの顔をむぎゅむぎゅして遊んでたら不意に頭を撫でられる。何だと思って隣を見れば、雅さんが私の髪を頭から背に向けて手櫛で梳き始めてた。どうしちゃったの? この場合、撫でんなら私じゃなくてラビちゃんでしょうよ。
「どしたの?」
「いや、」
ラビちゃんが隙を突いて私の手から逃げ出す。一瞬でそんなとこまで逃げなくてもいいじゃないよ。オバサンまるでいじめっこみたいじゃんか。
「お前はときどき猫みたいだな」
「へ?」
猫? なんで猫? そんなん初めて言われた。落ち着かず膝下をぷらぷらさせるしかない。だって思い当たる節が無い。
「どゆこと? 気紛れってこと?」
「…当たらずとも遠からずだ」
「ええっ。褒められてる気しないんだけど」
果たして何を言いたいのか。真意が見えなくて雅さんの瞳をジッと見上げれば意識的に視線を外される。同時に手も止まった。
・・・あ。分かったかもしれない。
「そういやワシも酒貰ったままだったな」
ふいと腰を上げて酒瓶を取りに向かう雅さん。私から少し距離を置いたところに座り直すと、野村先生がくれたそれを手に取って栓を抜いた。
『自分の感情を外へ吐き出せない、損な性分だわ』
昼間話したシナ先生の言葉が脳裏に浮かぶ。
彼はきっと、今この時も自制してる。彼が私のことを大事にしてくれてるのは痛いほど知ってるけど、たぶん今それが裏目に出てる。べつにそこまで大事にしてくれなくてもいいのに。
雅さんはおそらく、私に手を出すのが恐いんじゃなくて、自分の中の一線を越えて自我を失くしてしまうことが恐いんだ。
『大木先生が大人だという先入観は持たない方が得策よ』
だとしたら、ここは
「雅さんてば手酌じゃん」
私の方から距離を詰めてあげなきゃ。
「こっち来なよ。酌したげる」
今までは彼が尽くしてくれたから。
「来なよってお前な…そっから動こうとは思わんのか」
「やだ。布団は身体の一部だから無理。私がものぐさなの知ってんでしょ」
「ど根性が足りんぞ。この距離ぐらい、」
「ああもういいから」
会話すら面倒になって彼の言葉を遮った。ものぐさだって言ってる側からああだこうだ言わないで。
指先で目先の床をトントン叩く。
「おいで」
少しの間だけ言葉を詰まらせてから、雅さんは酒瓶と猪口を持ってしぶしぶ枕元へ移動してきた。私の目の前に腰を下ろしたけどそれでも向かい合わせには座ってくれなくて、横向きであぐらを掻く。
…なんていうか。
ここまで自制されるとかえって悲しくなってくる。私にだって多少なりとも女心というものが存在するわけで、なんだか女として自信喪失するじゃないか。だんだんこっちも意固地になってきた。くっそう今に見てろ。
その理性、崩してやる!
「酒瓶ちょうだい」
うつ伏せ状態で背を反らし、肘を付いて左手に顎を載せる。右手で雅さんから酒瓶を受け取り、彼の持っている猪口へ注ぎ入れた。グイッと一気に呷る雅さん。一杯目からイイ飲みっぷりですね〜美味そう。空いた杯へ次を注いだ。
ひとまず瓶を置いてから高い位置にある雅さんの横顔を眺めた。右手が暇になったので何となく彼の膝上に置いてみる。不意打ちに弱いこの人は案の定、息を呑んで私を見下ろしてきた。
「何だ?」
なんだと訊かれても別に意味なんて無い。人さし指と中指の先で交互に膝をつついて遊んだ。
「なんかさ…。今日、いろいろ得した」
「得?」
「うん。簪買ってもらったのはモチロンだけど、雅さんの新しい一面いろいろ知れたから」
「そうか?」
「知らないことだらけだったよ。私、雅さんとは結構付き合い長いのに雅さんのコトなーんも知らなかったね」
目の前でまた杯を空にする。今度は三杯目のお酌。
「…シナ先生に妙なこと吹き込まれとらんだろうな」
「シナ先生は雅さんのコト褒めてたよ」
「嘘つけ」
「ホントだって」
四杯目。ってかペース早くね? 間が持たないのかし。
「こうやって思い返してみるとさあ、私ほんとに雅さんのコトなんにも知らないんだよね。他人から雅さんのコト訊ねられても私きっと答えらんない」
「言い切るなよ。泣くぞ」
「だから教えてほしいんだって。雅さんはなんで学園を辞めたの?」
「その質問は耳にタコだな」
「そりゃそうでしょ。みんな気になるもん」
「ワシにそれを語らせる気なら、お前の方も引き出し見せてくれんとなあ」
「私の引き出し? 私これ以上の引き出しなんて持ってないよ? 人生薄っぺらいから」
時間が経つにつれだんだん瞳が座ってくる彼。ああ、いい具合に酔ってきてるな。
「じゃあさ、教師になる前はどんなだったの?」
「今と変わらん」
「えー…それじゃ答えになってない」
「フリーで動いとった」
「ふうん。それっていつ頃? 利吉くんぐらいの時?」
「ああ」
「へえ。当時の雅さん、めちゃくちゃ格好良かったろうなあ」
「…あんまり素行が良かったとは言えんな」
「ホントだー。今と変わんないねー」
「ぶっとばしたろか」
五杯目。
「んじゃ子供の頃はどんな子だった? どれぐらいのヤンチャっ子? 七松くんの当社比何倍?」
「待て待て、基準に持ってくる奴がオカシイだろが。ワシはあんなにアホじゃない」
「ヤンチャっ子なのは否定しないんだ」
六杯目を注いだら酒瓶を置いた手に彼の手が絡んできた。どうすんのかと様子をうかがったけど絡めてきただけでそれ以上何もしてこない。相変わらず横向きのままもう片方の手で酒を呷ってる。
何気にかなり酔い回ってんじゃない?コレ。猪口にあける意味無いぐらいハイペースだったし。もうすぐまるまる一本空いちゃうよ。
「雅さん飲み過ぎじゃない?大丈夫?」
「そういやつまみが無かった」
駄目だこりゃ。いつも以上に聞いてねーや。
「食い掛けで良ければ饅頭食べる?」
「その枕の上で潰れてるヤツを食いたい」
「人のチチを饅頭呼ばわりすんじゃねーよ」
「お前も飲め」
は?
「やっ、私はい、」
「いいとか言わさん、飲め」
▽ ヨッパライ ニ カラマレタ !
ちっ、仕方ない。あんま気は進まないけどここは付き合ってやるか。飲めとか言いながら右手を放してくれないのでちょっと不便だけどなんとか起き上がる。猪口を受け取って雅さんに注いでもらったものの、残り僅かの液体がちょろっと出てきただけだった。ほらみろ、ほとんど雅さんの胃袋に飲まれちゃったんじゃないか。
ひとくち飲み下してビックリした。だってこの酒、驚く程に強い。飲んでみて分かったけど野村先生ってばずいぶんイイ酒奮発してくれたんだな。こりゃ酔いが回るのも早いはずだ。
「空ンなっちゃったねえ」
絡んでいる彼の指先が刹那だけ震えた。間を繋ぐように飲んでいたお酒が無くなって心もと無いのかも。
「・・・」
「・・・」
言葉が、なくなる。
延長戦のように瞳で会話する。
右手だけ繋がったまま、近くもなく遠くもない、もどかしい距離。空間に熱を孕んだような。
しばらく見詰め合っていたら彼はふっと視線を外した。例によって自己防衛だ。ここまできてそれをされたらオアズケを喰ってるのは完全に私の方で、半ば強引に彼の目元を左手で引っ張った。当然驚かれたけど。
「触るな」
「なんで」
「勘違いする」
「勘違いしてよ」
「…誘われてるのか?ワシは」
「気付くの遅い」
彼が硬直したのはきっかり4秒。
だけど私には一瞬だった。というのも、
「んっ!?」
次の瞬間、彼は噛み付くような接吻をかまして私を布団へ押し倒したからだ。待てを解かれた犬どころの騒ぎじゃない。目付きなんてまるで狼や獅子のそれ。手首を縫いつけられて馬乗りになられた上、舌で荒々しく口内を貪られる。つか酒くっさ!
「んん、ン!」
いかん、これはいかん! いや誘っといて今更いかんも何もないんだけど今夜がハジメテなわけだから個人的にはすろーせっふす的な流れを期待してたんだ実は今ごろ乙女な本音漏らしてごめんなさい!!
「んー!」
下敷きにされたまま必死にもがく。いつも思うんだけど、年の功なのか雅さんはべらぼうに口吸いが上手い。このまま腰砕けになったらまさしくただの手込めじゃない!?ガチ泣きそう!
何を迷ったかほんの一瞬、雅さんの唇が離れた。この隙に声を張り上げる。
「タンマ! 雅さんちょいタンマ!」
私の声に驚いて顔を離す彼。相変わらず手首は解放してくれないけれど。荒い呼吸のまま、すぐ上の熱視線を見詰め返した。
「あっ、あのさ、」
言葉を紡ぎ掛けたその時。覆い被さってる彼の顔が、きゅう、と切なく歪む。
「…ダメか?」
思わず心臓が跳ねてしまう。だってそんな顔されるとは思ってもみない。今にも泣き出しそうな苦悶の表情。いつもはそんな顔しやしないくせに、酒の効力だろうか。
…ああ、そうだった。雅さんは今の今までずっと我慢してきたんだ。
『たまに思い切り甘えさせてあげたらいいんじゃない?』
ここまできて更に私のワガママを聞けなんて、そんな酷な話があるもんか。
「…ごめん」
「ななし、」
「なんでもない。雅さんの好きにしていいよ」
「ッ、どうなっても知らんぞ」
「うん」
手首の上の重みが退いたので彼の首へ腕を回す。応えるように、今度は甘い口付けを落とされた。
お酒混じりの吐息を吸いこんで、彼と一緒に私も溺れてしまった。


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