かんざし


「雅さーん」
軽く手を振って駆け寄ると雅さんは眉間に皺を寄せた。
「あ!? お前どこ行ってたんだ!探したぞ!」
「ダーリンが私ほっぽって喧嘩おっぱじめるからでしょー。寂しかったぞコンニャロ」
ていっ、とじゃれ合う程度に腹の辺りを小突けばバツが悪いのか後頭部を掻いて下唇を尖らす彼。反対側の手に持っていた饅頭包みを何も言わず手繰られる。持ってくれるのはありがたいけどえらくぶっきらぼうやな。
「あいつはワシのライバルで、」
「いいよ、その辺のくだりはシナ先生に聞いたから」
「シナ先生!?」
シナ先生という単語が出た途端、雅さんの背筋が一瞬だけ伸びた。口元が引き攣って見えたのは錯覚なんかじゃない。あれ?この反応どゆこと?おもしれッ。
「たまたまシナ先生と会ったからお茶会してたんだあ」
「シナ先生は?」
「もう帰ったよ」
「ふーん」
息を吐きながら元に戻る背筋。あ、ひょっとしてひょっとして。
「雅さんてばシナ先生が苦手?」
「ばっ…!んなワケあるか!」
だはははは!焦りまくってやんの!分かりやす過ぎ!今日何度目の腹筋崩壊だろコレ!
なんだかちょっと分かってきたぞ。もしかしてもしかして、女の勘。
「雅さん、もしやシナ先生からも座布団にされてたタイプ?」
「"も"とか言うな!」
「否定しねーのかよ」
なんだか今日はいろいろ得した気分だ。雅さんの新しい一面をいっぺんに知れた気がする。楽しいな。
おおっぴらに笑ったらさすがに可哀想かと思って堪えるようにクスクス笑ったんだけど、これがまあ逆効果だったらしい。機嫌のよろしくない顔でぐしゃぐしゃに頭を撫でられた。こら、町中で女人になんてことすんだ。手じゃなく口で言い返しなさい口で。
ふと頭を撫でてきたその手が何かを携えていることに気付く。んん?酒瓶?
「それどうしたの?」
「ああ…雄三の奴がよこした」
「へえ。野村先生、気前いいんだねえ」
「身を固める祝いだとかなんとか、柄にもないこと言っとったな」
知らない間に手持ちがごっそり減ってるとお酒買う時になって気付いたんじゃないだろうか。野村先生、ライバルの手前で言い出せなかったろうな。今更だけどなんだか凄く悪いことした。ゴチになってすみません。
「なんだかんだやっぱ仲良しなんでしょ二人とも」
「よせやい。あいつと仲良くなるくらいならワシゃ腹切るわ」
誰もおちょくりゃしないから認めりゃいいのに。素直じゃないねえ全くもう。まあそれでこそのライバルなんだろうけどさ。
「んじゃ帰ろっか」
「は?」
一歩先へ踏み出したら雅さんは目を点にした。いったいなんでよ?
「帰るってお前、まだうどん屋しか寄っとらんだろ」
「え? 私はシナ先生とお団子食べたよ。ってかシナ先生とデート出来たからもう満足だよ。思い残すこと無いから帰ろ」
「お前はワシよりシナ先生の方がいいのか?」
「今更?気付くの遅くね?」
「・・・」
「まっ、冗談なんだからガチでヘコむなよ! アンタ妙なところでA型よな!」
「冗談に聞こえん」
「ガラスのオッサン取り扱い難しいわ〜」
「帰るのは構わんが豆腐買ってくんじゃなかったのか」
「あ!そうだった忘れてた。雅さんよく覚えてたね」
「忘れんの早過ぎだろ」
二人並んで、来た道を戻る。距離としてはそんなに離れてないので、少し歩くとさっきの豆腐屋がすぐ見えてきた。あ、そうだ豆腐桶。
「荷物いっぱいだからどれか持とうか? 私が豆腐桶持ってもいいけど…」
「んじゃ饅頭持ってくれ。これが一番軽い」
まだお豆腐残ってるかな。たくさん買いたいからいっぱい残ってると嬉しいな。でもまあ売り切れてたらそれはそれで良し。
雅さんの手から饅頭を受け取って抱える。彼はその手をそのまま懐へ突っ込み、銭を取り出そうとした。けれど、
「あれ?」
彼の顔色が曇る。
「どしたの?」
もぞもぞと懐を弄りながら険しい表情。
「…銭が無い」
「えっ!?」
いったいどうしちゃったんだ。喧嘩の最中にでも落としたのか?
「あ? なんじゃこりゃ」
かわりに彼が懐から取り出したのは目新しい包みだった。奇麗な織布…女物だ。
「何それ。雅さんの?」
「知らん。ワシのじゃない」
彼が訝しみながら包みを開くと、そこに、
「あ!」
「お?」
さっきの店で手に取った簪があった。青紫の五弁花の可愛い簪。漆の部分がキラキラ光ってる。
「なんでこれが雅さんの懐に…」
「手紙が付いとるな」
言われてよく見れば簪の下に小さなメモが添えられてた。それを開いて二人で覗き込んだら、恐ろしい程の達筆が目に飛び込んできた。

『恋人を放って喧嘩に明け暮れるなど言語道断です。次に隙を見せたら私がななしさんを奪いますのでそのつもりでいてください。山本シナ』

「…ブッ!」
シナ先生、終わりの終わりまでギャグがハイセンスだった! もうやだ私しぬる!
「あっははははは!」
「いつの間に…」
「シナ先生ちょうカッコイイ!惚れる!むしろ奪われたい!ひっひっひっひっ…!」
文字通りに腹を抱えて笑う私と対象的に、しっぺを貰ったような顔で意気消沈する雅さん。こんなに強力なフラグ無いわーと膝を叩けば、これだからくノ一は苦手だとかなんとかぼやかれた。ああそうか、在職中はこんな感じで尻に敷かれてたわけですねハイハイ。
「ってことはそれお買い上げよね?」
「ああ」
銭が無くてそれが懐に入ってたってことは、シナ先生ってば雅さんにこの簪を買わせたんだろう。当人の知らない間に。粋なはからい過ぎてマジで惚れる。
「おかげでスッテンテンだ」
「いいよ、豆腐は私が買うから。ねえそれちょうだい」
「ちょうだいも何もお前ンだ」
「ラッキー」
雅さんの手から簪を受け取って陽にかざした。透けるような繊細な青紫。見れば見るほどまあ綺麗。
髪の毛の上へあてがって雅さんに訊ねる。
「どう?似合う似合う?」
「んん、まあ…それで良かったのか?」
「良いよ。これ可愛いじゃん。ありがとね」
「おう」
「大事にする!」
「あとでたっぷり礼貰うから気にすんな」
「ちょっ、あとでも何も手がフライングしてんじゃねーか。道の往来でチチ触んなエロオヤジ」
「ムラムラさせたお前が悪い」
「ムラムラさせてねえよむしろ今こそテレる時だろ!空気読め!」
「お前チチでかいな」
「聞けコラ座布団」
「ジイサン、豆腐くれ」
「お触りして一人満足すんなや!」
相変わらず人の話を聞かない旦那様に悪態突きつつもつい顔が綻んでしまう。私いま初めて"女の幸せ"って奴を経験してる。本当に凄く幸せだ。

死にたくなるほどつらい思いをしてきたけれど、結果的にこれで良かったのかもしれない。今は心底そう思う。


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