HITお礼 | ナノ
悠さんリク

 春が来た。
 雪が解け、風が暖かさを持つようになり、花々が芽吹きだす。春眠暁を覚えずとは言ったもので、寝過ごしてしまうこともしばしばだ。教会の冷え冷えとした空気に震えながら無理やり起こされていたあの頃が懐かしく、もう戻れない時を思って少しばかり切なくなったりもする。今寝起きしている部屋は朝日が容赦なく射し込んでくるので冷え込むことはない。そのかわり眩しくて布団に潜り込まないとろくに二度寝もできないのだけど。
 春が来た。
 あの長いようで短かった2週間から1か月半が経過し、非日常は平和で平凡な日常へと戻りつつある。肉を得た幻はただの幻に還り、夢は覚める。
 そう、覚めない夢などない。それがどんなに心地よく、幸福で、手放したくないものであっても。夢は夢に過ぎなく、等しく塵と崩れる。
 春が来た。
 そして私は1人、満開の桜を見上げる。

「……はず、だったんだけどなあ」
「おーいなまえ!早くこっち来いよ!」
「はいはい、今行きますよ」

 急かすランサーのもとへと駆け寄ると、ビニール袋を持ってない方の手を差し出されたので大人しく握る。槍を扱っているくせに綺麗な長い指が絡んできて、なんだか照れくさい。
 確かに夢は覚め、これは現実のはずで。それでも私の隣には幻が立っている。

「何買ったの?」
「缶ビール」
「昼間からお酒〜?」
「花見には酒だろ」

 ニカッと輝かしい笑顔を浮かべるランサー。アロハシャツを着てお酒の入ったビニール袋を揺らす様はとても神代の英雄には見えない。俗世にまみれてるなあ……。
 2人で並んで歩く桜並木は穴場で、花見客はちらちらとしか見られない。この場所はランサーが見つけてきたのだけど、教会からも港からも遠く、彼の活動領域には入っていないはず。そういえばどうやって見つけてきたんだろうと疑問に思って、口を開く。

「ねえ、ランサー、」
「それ」
「え?」
「その呼び方、やめろって言っただろ」

 その呼び方、とは彼のことをクラス名で呼ぶことで。少しばかり拗ねたような、それでも有無を言わせない顔のランサーに気圧されつつも従う。

「クー」
「ん、なんだ?」

 随分と嬉しそうに弾んでいる声音のクーに、なんだかほっとする。彼は自ら、ランサーというクラス名を捨てた。それは彼がこの世に召喚された意味も、召喚に応じた際の願いも捨てたということだ。彼はサーヴァントではなくなり、きっと英雄ですらなくなって、クー・フーリンというひとりの男になってしまったのだ。
 強い風が吹いて、花弁が舞い上がる。彼が私のためにあらゆることを捨ててくれた幸福感と、私のせいであらゆることを捨ててしまったのだという罪悪感とが混ざり合って、風に溶ける。乱れる髪を抑えると、ふいに手を引かれた。
 倒れ込んだクーの腕の中で彼を見上げると、随分と必死な顔をしていて、ついつい笑ってしまう。私は、彼にこんな表情までもさせてしまう存在になってしまったんだ。

「攫われるかと思った?」
「は、」
「私が桜に、攫われると思ったんでしょう」
「──ん、なわけ、ねえだろ!何馬鹿なこと言ってんだ!」

 耳をほんのり赤く染めて慌てて私から離れるクーがかわいい。聖杯戦争が終わって、彼はこんな風に隙を見せるようになった。その隙をついて彼をからかうのが、私の最近のブームだ。返り討ちに遭って噛みつかれることもあるんだけど……。
 「私は、どこにも行けないよ」数歩先に歩んでから振り返る。立ち止まったままのクーの青い髪に桃色の花弁が落ちていて、それが青空に桜が舞っているようでとても美しかった。

「だって、貴方が私を捕まえているから。桜には、渡さないでしょう?私の猛犬さん」

 狂おしいほどの情愛を込めた笑みを送れば、クーは数秒ぽかんとして、それから力強く返事をしてくれた。

「当たり前だろ」

 一際大きな桜の木の根元に腰を下ろしたクーの足の間に座らされ、後ろから覆いかぶさるように抱き締められる。プルタブの開けられる音と、それからプシューとビールが弾ける音。

「ねえビールっておいしいの?」
「飲むか?」
「へ?ん!?」

 いきなり塞がれた口に、流し込まれる液体。吐き出すわけにもいかないので勢いのまま飲み込むと、なんともいえない苦味が襲ってきた。

「なに苦いもん飲ませやがる!?」
「ははっ子供だななまえは」
「そっちだって若造でしょーが」

 クーのお腹に肘を入れてみるものの、びくともしない。ちくしょうめ!

「オレの国に来るからにはエールが飲めねえとな」
「アイルランドに行くの決定事項ですか」
「来ねえのか?」
「行くけども」

 彼と出会ってから4年目の春が来た。
 見上げた桜は満開で、降る桜の雨は儚く、あと数日経てば散りきってしまうだろう。そして夏が来て、秋が来て、冬が来て、また春が来る。
 来年も、再来年も、その先もずっとこうしてクーと桜を見れればいいと願いながら、そっと目を閉じた。

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